研究記録11 : B
_____イギリス領インド帝国 ニューデリー
「ニューデリーから来ました、ネモ船長です」
敬礼をして屋敷のみんなに見せる。
父から借りたヨレヨレの軍服を着て。
そうすると屋敷の下働きはみな私を笑ってくれるものだから、それが私の鉄板ネタになっていた。
ネモ船長っていうと、ジュール・ヴェルヌって人が書いた本に登場する潜水艦ノーチラス号の謎の艦長という設定。
学校に行くと友達がその本を貸してくれたので、1ページ読んだだけでかなりハマってしまった。
今日も昼食が終わり次第読もうと思う。
「ダカール様。昼食の準備が出来ました」
後ろからシモンという男が囁く。
彼はこの屋敷の使用人で、私に付きっきりで世話をしている大男だ。
顔のほりが深くて、上下白のドウティを着用していてなんだか丸太の一本でも持ち上げそうな筋骨隆々だが、草むしりが仕事の普通の使用人だから少しがっかりした記憶がある。
「わかった。じゃあ食べに行こうか」
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「______ブランマ カルマ サマーディナー」
母とサンスクリット語による食前の祈りを済ませ、目の前に置かれた豆のカレー、バターミルク、そしてチャパティ。
目の前に座っている母はそれにがっつく訳でもなく、まだ手を合わせ目を瞑っている。
それを見ていつも私は、あぁ、またか。と。
父のことだ。私の座ってるその左側に同じ料理が置かれているそこは父の席だ。
そのために母はいつも私より祈りが長い。
聞いたところによると、父は私が生まれる頃には既に死んでいたらしい。
どうやらインド軍の偉い人間で、イギリスの造船した船で船長をやっていたと、母と使用人から聞いた。
なんで死んだのか聞いたら、ユトランド沖海戦って戦いに行ったっきり帰ってこなかったらしい。
それ以上は父のことは何も知らない。
「...さぁ、食べましょう」
ガンガンガンッ
「グレイスブラウンッ、出てこい!話はまだ終わってないぞッ!」
...
来た。
毎度のあれだ。
「私が出ます」
シモンがそう申し出たが、母はいつも通りそれを拒否する。
この男の怒号が聞こえてくると母はため息をついて、玄関までゆっくりと歩いていくのだ。
ガチャッ
「スチュワートさん。ここはグレイスブラウンの家です。勝手に入られては困ります」
「なんだ。イギリスからインドの野郎に寝返った女が俺に指図すんのか?」
「んなことどうでもいいんだよ。お前んとこの家は俺のコーヒー畑になる。政府にも許可を取得済みだ、だからさっさとこのバカでかいだけが取り柄の家から出てけっつってんだよ!」
「横暴が過ぎます。人が売らないと言ったら売りません。到底英国紳士とは思えない畜生並の行いですね」
「黙れ、退去する際には十分な金を渡すと言ってるだろうが!」
「この家は夫のものです。渡すことは到底できません」
「話は終わりです。あなたも男なら、もう諦めてさっさと帰ってください」
ガチャッ バンッ
「ふざけんなこのアバズレッ!明日にもここから追い出してやるぞ、クソッ!」
ドアの向こうから聞こえる怒号。
段々その文句とも言える声は遠くなっていって、消えていった。
もうかれこれ1ヶ月は毎日続いていて、あの白人男はやってくる。
こんな時父がいれば...と思うけど、母が毎回追っ払ってしまうからその必要も無いかなと思った。
まぁそんなのどうでもいい。
私は食事を終えて、母に近くの公園で友達と遊んでくると伝えると、私は席を立った。
カツ カツ カツ カツ...
あー今日は何をしようかな。
このまま本当に友達と公園で遊んでもいいし、天気がいいから川で泳いでも気持ちいいだろうな。
帰ってきたらご飯食べて、お風呂入って、借りた本でも読んで寝よう。
それで私の1日は終わり。
そんな優しい1日。
「...」
「はは...っ」
あーあ...たのし。
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ごう...ごぉ...
「火事だ、グレイスさんの家からだぁッ!!」
公園から帰ってきたら、家が燃えていた。
陽は落ち、辺りが暗くなったのに私の家だけが明るかったのがおかしいと思っていた。
あれ、家が燃えたらどうするんだっけ。
いや、それより母さんは?
辺りを見渡してもどこにも母はいない。
え?ヤバくない?
「まだ中に...母さんが...」
ザッ ザッ ザッ ザッ...
ガシッ
「いけません。ダカール様」
「...」
「...離せよシモン...使用人の分際で...」
「あなたのお母様から言伝を預かっています。ひとまずこちらへ」
「うるさい...うるさいッ!」
「母さんはどこだッ!他の使用人の皆は!みんなどこに行ったんだッ!」
「なんで家が燃えてるんだ!?教えろ、誰か私に教えろよッ!!」
「ん。まだ死にそびれがいたか」
野次馬の中から、一際聞き覚えのある声が聞こえた。
背筋が凍ったよ。
全く聞き馴染みのある嫌な声だった。
スチュワート。
昼間私の家に押しかけてきたあの白いスーツを着たイギリス人。
「お前が...お前がやったのかッ!!」
「あぁ、そうかもな。まぁでも仕方ないだろう?」
「虫の巣を絶やすには火あぶりが1番だってさ」
瞬間、飛び掛ろうとしたがシモンに体を引っ張られ、担がれて、段々とそいつから遠ざかっていった。
「逃がすなッ!ぶっ殺せッ!!」
バババババババババババッ
スチュワートの仲間が私らに向けて発砲する。
しかしシモンの足は早い。
赤い灯りから、段々遠ざかっていく。
「ゔ、がぁぁぁあああッ!!!」
「グソ、離せッ!!ぶっ殺す、あいつをぶっ殺してやるッ!!」
「なりません...!今戻れば、唯一生き残ったあなたさえも殺されてしまいます...!」
「あなたはグレイス様の大切なお子...絶対に死なせはしませんッ」
暗闇の中へ、入り込む。
暗い森の中へ。
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「はぁ...はぁ...」
私をおぶって走り続けて1時間。
やがてシモンの体力も底をつき始め、動きも鈍くなってきた。
「もういいッ!もう降ろせ!」
「はぁ...は...っ」
ポツ ポツポツ
そしてやがて、雨が降ってきた。
ザ...ザァ...
「づっ...」
ドシャアッ
「うっ...いっ...」
「は...っ、シモン、お前...ッ!」
彼の首元から、何かが流れ出ているのが見えた。
血だ。
しかもドロドロのドス黒いやつが。
「クッソ...ッ、血が止まらないッ!!」
「(まさかさっきの銃弾食らって...ッ)」
「いいんです...私のことは。いずれこうなると...思っていました」
「それより...あなたのお母様からの言伝...あなたのお父上の事です」
「父上...」
なんだ、その呼び方。
私も母もそんな呼び方を、していない。
「あなたの父上は...かのムガル帝国の王族の血を継ぐお方」
「...名はヴダラミット。インド帝国海軍大佐にして戦艦リンコルンの艦長です」
「...」
「は...?」
「大変無念なことながら...あなたの父上はユトランド沖で英国海軍から同士討ちに合い死亡しました...しかし、海戦ではありえない事です」
「奴らは、自分らより戦績を上げていたヴダラミット様を嫉妬し、その功績を横取りするためにお父上の乗る戦艦を沈没させたのですッ...!到底、針千本では許される行為ではありませんッ!」
「...ッ」
彼の気迫に押される。
今まで、ここまで張り詰めたシモンを見たことがない。
いつものほりが深い顔から目がギョロっと飛び出してきて、つまり怖かった。
「ゔ...はぁ...っ...あなたもまたその王族の血を継ぐお方...英国が支配してる今、あなたの存在が必要なのです」
「この先に、あなたのお父上からの贈物がございます」
「それでどうか...この国をお救い下さいッ」
「この土地に踏み入ってきた畜生にも劣る英国人共に、地獄の鉄槌をッ!!」
「...」
ゆっくりと彼はその方向に指を指し、すぐにその指を地面に落とす。
瞬間、シモンは事切れて喋らなくなったので私は彼の死を悟った。
真っ暗闇の森の中で、雨音しか聞こえない孤独な空間の中で、私は一人取り残された。
今まで自分の周りから人が居なくなることなんて無かったから、その状況は酷く不自然で恐ろしかった。
だがやがて、ごちゃごちゃ考えた末に残ったのは雨音と暗黒だけだったので、私はその孤独を受け入れた。
雨に濡れた顔を指でなぞる。
「これは...夢なのか?」
否、夢では無い。
逆に、今までが夢だったのだ。
知らされない父のこと。だが知らないからこそ楽しかったあの毎日。
母の作る温かい手料理、髪を乾かしてくれるシモン、目を擦りながらベッドの暗がりで読む"海底二万里"。
清潔で、誰も知らない森の奥にあった河原。
それが全部、全部全部_________
「______神よ、夢だったのですか」
思い切り目を見開いて、顔を指でぐちゃぐちゃにしても、誰も聞いちゃいない。
泣いても、誰も助けてくれない。
いずれ悟った。
これはきっと孤独を受けいれたんじゃない。
己の置かれた状況に萎縮して、放心してる、だ。
そう悟って、私はシモンが指さした"父の贈物"の先へと歩き出した。
ザッ ザッ ザッ ザッ...
______やがて、私は洞窟の入口にたどり着いた。
本当にここがシモンの言ってたものがあるのだろうか。
そんな疑問より、私は"私の運命の行く末"の答えが気になったから、知らないうちにその穴に片足を突っ込んでいた。
コン コン コン コン...
内側は硬く、それでいて冷たい。
ただその奥から聞こえてくる海水の臭いと波のぶつかる音だけを頼りに。
ザブ...ァ...ザゴァ...
洞窟を下っていくとやがてつま先にまで水が染み込んできた。
臭いからして、やはり海水だ。
今の私は感覚が鈍り、目の前の情報だけが一方的に脳に流れ込んでくる。
やがてそれは膝にまで浸水してきたその時、私の目に
その"答え"が入ってきた。
「...」
ドク ドク ドク ドク
ドクドクドクドクドクドクドクドクドクドク____
その海と洞窟のつなぎ目。
そこには錆び付いた銅色の何かが波に揺られて浮かんでいた。
心拍数が上がる。
頭皮から稲妻が打たれたように全身に流れた。
気持ち悪い。
「入口が...これ」
それは巨大だった。
私の背丈の10倍もありそうな程。
私はその開かれたハッチのような場所から足を滑り込ませて内部に入り、そのハッチを手で引っ張り閉めた。
「...」
轟々と波に翻弄される音が聞こえる。
目の前には色々なボタンやレバー、ランプ。
更に私の座ってる椅子の後ろの扉の奥に行けば、まだ行ける空間がありそうだった。
「________」
だがその時、見つけてしまった。
目の前のフロントガラスに貼られた一枚の紙を。
「...」
ペリっ
文章を読む。
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未来の我が子へこの潜水艦を託す。
今この文を読んでいる時、お前は不届きな連中に家を追われてる、と言ったところだろう。
大体想像はつく。
一族の正体を知ったか、もしくは英国の連中に忌み嫌われているか。
そんな連中からお前を逃がすために、私はこの潜水艦を用意した。
この艦の名はノーチラス。オウムガイという意味だ。私が若い時にアメリカから製造を依頼した。
お前には急な話だ。混乱するのにも無理は無い。
だが、お前にはムガル帝国の王の血を継ぐ者として背負うべき責務がある。
一族の無念を晴らし、英国人共に復讐を遂げるという責務が。
全てはお前にかかっている。
▅▅▅▅キャプテン・ネモ(何者でもない者)へ▅▅▅▅
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