研究記録10 : Loser(負け犬)
_____SIS(英国秘密諜報部)本部の一室____
そこは明るい部屋だった。
照明はタイヤ程のシャンデリア、ベージュ色の牛革のソファー、ついでレコードからは比較的音質のいい"アルハンブラの思い出"が流れている。
第二次大戦の緊張が少し和らぎ、スペインからクラシックギターの文化がこの国に流れたとCSLは言った。
黒髪に黒いスーツの女だ。
背丈はイギリス人女性の標準で、バサついた肩までの髪。目の前の横長のテーブルに4000ポンドもする25年物のシーバスリーガルをコップに入れて飲んでいる。
その時、陸軍少佐であるマッケンジーは正装で室内のドアを開けて入ってきた。
「CSL。これがオーレリアらが持ち帰った第一階層の海水と砂です」
コトっ
「へぇ...これが」
「...ははっ。こんな陳腐な海水と砂粒が、政府のお墨付きで売れば何億ドルにもなるなんて」
「では、富裕層向けに販売するので?」
「バカ言うな。今そんなことしたら東側諸国にも知られて簡単にスパイが嗅ぎつけてくる」
「しかしCSL。既にオーレリアの調査チームメンバーにソ連の人間が参加してるではありませんか」
「それは所詮ブラフ。ソ連側と友好的に接しろという上層部の腑抜けた意思決定」
「私はそれを汲んでアリサらをチームに入れてやった。無論世界で指折りのオーレリアの護衛にもなる訳だしな」
「まぁ要するに、事が済めばソ連組は用済みってこと」
「▅▅▅▅▅▅殺す▅▅▅▅▅▅」
「...っ」
ゴクッ
「...くっ」
「くははっ、お前また唾飲み込む癖出てる!」
「い、いえ...あなたなら本当にやりかねないでしょうし」
「...」
「お前の前任者、なんで辞めたか知ってる?」
「...え?」
「魚の餌だよ。車ごと海に沈めてやった」
「...はい?」
「まぁ私はこれでも政府の内部事情には詳しいからね。色々打ち明けた人間の始末は徹底してるんだ」
「本当はお前の前任者は辞職なんかじゃなくて、私自身が国を守るために処分したまでのこと」
「お前も私が死ぬまで辞めようとは思うな、よ」
「む、無論です」
ゴクッ
「また唾を飲んでるぞ、大佐」
「安心しろ。身内でいる限りは殺しはしない」
「私は政治家連中や大臣連中から嫌われてるが、部下には情が厚いって評判だ」
「ただし、味方じゃなくなった瞬間から覚悟しろよ」
「_____死ぬほどビビらせてやるよ_____」
そう言って、その女は軽快に笑い声を上げた。
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______第二階層にて__________
「...」
「死んでる...っ...て...」
倒れた男。真っ青な女。
2人とも腹が大きくえぐれ内蔵が床に撒き散らされている。
私が爆弾を使って女を抱えた男ごと爆発したのだ。
ちぎれた大腸から内容物が漏れ出ていないのが不自然だった。
「これを...あんたが...」
ついてきたアリサがそう呟く。
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「____なぁ先生。こいつらはうちらを憎んでるのかな」
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ふと。
ふとその時、思い浮かんだ言葉があった。
ネモにさっき言われたあの言葉。
「...研究者?」
「ちょっと、研究者ってば...」
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「勝手に土足で人の敷地に入り込まれて、拳銃ぶっぱなされて、勝手に傷つけられて」
「だからこいつらは憎んでるはずなんだ。うちらのこと」
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hate(憎んでいる)。
相手にされた行為に怒りを覚え許せない様。
親を殺し子を奴隷にされたどこかの原住民。
略奪 破壊 人口グラフ
WW1 スコップ 殺し合い PTSD
塹壕 独裁者 偽善 密約 三枚舌 四肢の欠損
虐殺 強制収容所 ホロドモール 飢え 爆撃 強姦
独裁者 軍国主義 枢軸 扇動
集団自決 少年兵 楽園への脱出 原子爆弾 ケロイド
火炎放射器 ポーランド侵攻 弟を背負って歩く少年
それら全てが、一瞬の出来事のように私の頭に溢れて入った。
「...」
「私は、奪った」
「...は?」
私は...どれだけ抗おうと"人間"だ。
私はよりよい人として生きるよう両親や家族から言われて育ってきた。
そう信じて生きてきた。
浮浪児を助けたり、クソ真面目にぼったくりの新聞買ったり、この国の今を豊かにするためにこの穴に調査に入ったり。
でも結局は。
どう言おうが私はこの男と女を爆破して殺した。
こいつらは人間では無いのかもしれない。
「でも...絶対お互い愛してたろ」
私は侵略者だ。
あの戦争や歴史からまるで学んでいなかった。
アランを殺してこの2人を殺した私は典型的な傲慢な白人に過ぎない。
ぐぐ...
ザクッ
「________」
「...死ね」
「...え?」
「死ねよ。死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、しね」
ザクッ ザクッ ザクッ ザクッ
「おい...ッ!」
ぐぐっ....
「...クソ、死ねッ!死ねこのゴミ野郎ッ!」
「何が善だッ!お前は英雄じゃねぇんだよッ!負け犬がクソタコッ!」
「英雄気取った傲慢なイギリス人侵略者なんだよテメェは!」
「クソッ!!クソがッ!!くっ...ゔぅ...っ」
何を泣いている。
泣きたいのは相手側だろ。
私が泣いてどうする。
傍から見れば私はバカだろ。偽善者のボケ。
コメディさ。チャップリンばりの超笑えるやつね。
「クソ...クッソ黙れッ!馬鹿野郎!」
ぎゅうぅぅぅ...
「ぐ、ぐゔ...この...ク...ソ...」
あぁ。
意識が遠のいていく。
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「...それで。先生の様子は?」
「止血して寝かせてるわ。本気でチョークしたから、しばらく起きないかも」
「...」
「なぜだ」
「急に自分の脇腹辺りを刺し始めたの。このナイフで。どこから持ち出したのか分からないけど」
「ちッ...クソ...っ」
「...」
「先生は脳の中心部を焼かれた。ちょうどこの第二階層の異形にな。完全に治ってないし、これから治ることもない」
「感情を制御できないんだ...先生は」
「...酷く自分を責めてた。自分は英雄じゃなくて負け犬だって」
「...」
「あの人は、いい人だ」
「いい人すぎるが故に、色々考え込んで結局自分をダメにする」
「罰するんだよ。こうやって」
ネモは見えない鞭で自分自身の背中を叩く様をアリサに見せる。
キリスト教における"苦行"だ。
「なんだ、負け犬か」
「...なんだと?」
「所詮いい大学のお嬢様にしても、大金を稼ぐ術もなく戦闘技術もなく、ついで打たれ弱い」
「それをアメリカじゃあloser(負け犬)って呼ぶんだよ」
バシュバシュッ バシュッ バンッ
刹那、サイルートの両隣にいるリンとエンヴィが酷く汗を流し、ゆっくりと倒れた。
鉛玉。
ネモが発砲した。
「... СукаБлядь(クソ、マジかよ)...ッ!」
アリサはそう言った。
サイルートは一瞬目を見開いて顔を硬直させたが、すぐ落ち着きを取り戻し2人の首元に手を当てる。
脈が、途切れ途切れだ。
「...」
「もういい。もう休んでろ」
「戦いは終わった。もう何も心配しなくていい」
「サイルート」
「お前は先生を負け犬だとか抜かしていたが簡単に仲間を失うような人間だと言うのが今証明されたぞ」
「その分先生は仲間をちゃんと守る人間だ。なぁ...」
「▅▅▅▅負け犬はどっちだ?▅▅▅▅」
「...」
「ぶ...くかか...っ」
「...あ?」
「なぁネモ、君はやっぱり本物だよ」
「言ったろ。この冒険譚には君のようなホンモノが必要なのさ」
「...うちは初めてだ」
「仲間が死んでも笑ってられるやつを見るのは」
「これもジョークさ。この世は全て悪い冗談」
「だってもう私らは、既に死んでる」
「...」
「君の思ってる通りフレディの運び屋は終戦を迎えて解散した。だがそれと同時に米政府から最後のミッションが課された」
「殺し合いさ。AチームとBチームで別れて、お互いを殺しあった」
「理由はなんだと思う?ん?」
「与える勲章がもったいねぇんだってさ」
「つまりその殺し合いで生き残ったのがお前ら3人って訳か」
「あぁ、そうだ」
「全て悪い冗談だろ?」
「じゃあ、その3人で...ぐっ...またフレディの運び屋やろうって...ぶっ...」
「▅▅▅それこそ負け犬が傷舐めあってるだけじゃんッ!?▅▅▅」
「ぶっがははははははッッッ!!!」
「...」
「...」
「はーあ...ったく何がフレディの運び屋だよ」
「なーにが戦争だ。なにが殺し合いだ」
「お前はただの集団に適合できなかった哀れで頭の悪いバカだよ。負け犬」
「...言ってくれるなぁ」
「ただ、負け犬だろうがどうだろうが変わらないものが私にはある」
「は?」
「▅▅▅本当の強ささ▅▅▅」
ジャキッ
「ほざけ」
バンッ
「...」
プシュゥ...
「やめろ...ネモ...」
「...先生」
なんとか今、意識が戻った。
私はネモの銃剣付き拳銃の先端を握って照準をずらした。
そのおかげでサイルートへの直撃は避けられた。
ただ衝撃的だった。
目を覚ますとネモがサイルートに向け銃口を向けていて、その上サイルート以外のアメリカ組は血を流して倒れている。
衝動的に、これを止めなくては、と思って立ち上がった。
「...」
「なぁ、先生」
「ここで感動のワンシーンを作ってもいいが、根本の問題は解決しない。気色悪い感情だけが残るだけだ」
「一体なんなんだ?私らを取り巻くこの環境は。もはや神が与えた試練の類なのか?」
「この穴は、一体なんなんだ?」
「...」
「...それを確かめるためにここにいるんだろうが」
「...」
「分かった。今は見逃してやる」
「お前が負け犬と蔑んだ女に助けられる気分をよく味わっておけ」
「殺りたくなったらいつでも言えよ。負け犬」
カツ カツ カツ カツ...
「...」
ネモは正気じゃない。
段々と本性が見えてきて、恐ろしい何かを感じる。
その真っ黒な光沢のない目が、とても怖かった。
だが、言った。
「...どう始末付けるつもりだよ」
そう言った。
「CSLにツケを回す。テメェが寄越した玩具は粗悪品だったってな」
「...」
「...」
「腹は痛むか、先生」
「...いや、問題ない」
「なら...行こうか。次のステージに」
カツ カツ カツ カツ...
「(...一瞬。一瞬だ。うちが奴に向けて発砲したその時、奴はうちの弾を躱した)」
「(先生の邪魔が入ったが...それでも胴体に向けて発砲したはずだ。それなのに奴は微量に体を動かして弾を躱した)」
「(...お前もホンモノじゃねぇか)」
「(クソ...)」
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穴を抜けた先。
第二階層のその先へ。
2人の異形の後ろの奥にあった穴を潜ったその先へ。
そこは、怒号と砂埃の舞う灰色の空間だった。
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▅▅▅▅▅▅▅▅▅▅▅▅▅
第三階層 red zone (戦場)
▅▅▅▅▅▅▅▅▅▅▅▅▅
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パパパパパパッ パパパパパパッ
何かが破裂する音にも似ている鈍い音。
遠方からそれが聞こえて、次第に近くなってくる。
ここは一体何処なんだ?
「ねぇ、研究者。あんたほんとに大丈夫?」
「...ああ。それよりも、随分きな臭いぞ、ここは」
「しばらく警戒して進む。先生、うちの後ろに」
ネモとアリサが先導して進む。
2人とも持ち前の銃を構えて。
ポリーナとサイルートは私の後ろについた。
確かに、これなら前からの攻撃にも対応しやすいし、後ろからの奇襲も不安は無い。
私は胸ポケットから手帳を取りだし、この第三階層の不安定な世界を記述しようと手帳の9ページ目を開いて鉛筆を握った。
カチッ
「_________」
その音は、遥かに一瞬で、遥かに高音で、遥かに絶望的な音だった。
右足のブーツをこの湿った地面につけた瞬間、その他愛もない音は私に死の宣告を告げた。
いや、この距離ならその宣告を受けたのは私だけじゃない。
「(あ...まずっ...)」
「(これ、地雷________っ)」
チッ
パァァアアアンッ!!
意識が、遠のいていく。
この記憶は_______________
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A.オーレリア
B.ネモ