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まだ今は、何者でもない  作者: 天水しあ
第1章『はじまりの日』
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第4話「波に乗れ!」

「まずは試用期間ね。時給は県の最低賃金。お店が朝9時から17時までだから、その間で相談。そうそうウチ、原則土日休みだから」


 最低賃金……今の時給より50円安い。しかも土日休みだなんて、一番の稼ぎ時に働けないのは、痛い。


 しかも17時終わり。夏休み中はいいけど、学校始まったら働けない。前のトコはショッピングモール内だったから、21時までは働けた。


 あんまりいい条件とはいえない。


 これじゃ年末までにできるだけ貯めるってのは難しそう…そう思っていたら、


「君さえ良ければ、明日からでも働いてもらえるよ」


 そういや「原則」土日休みだったっけ。明日土曜日だけど、貸切でもあるのかな? 

 でも、さすがに毎週でははないよね、と思いながら、

「面接とかいいんですか? 履歴書とか」


 元常連さんはちょっとキョトンとして、「ああ、そこ」と小さく笑い、


「君の氏名はバイト先の名札で見たし、自転車で店に乗りつけてるのも見たから、家は半径1キロ前後ってとこかな? ウチの喫茶店はさくら公園の近くだから、多分2キロはない。だから交通費はナシね」

 確かに、ウチからさくら公園までは2キロはない。


「高校は制服で分かるし、しかもその赤リボン、特進クラスだよね? 仕事ぶりはあの店で確認済み。面接は、今やった。問題なし」


 お店ではいつもPCをカタカタしてたので、学生さんが静かな(流行らない)店にレポートを書きに来てるんだなと思ってたけど――間近でみると、もうちょい上なのかも。

 色白だし、背は高いけど細身だし、着物着たら吐血しそう……などと、邪なことを考えていたら、


「あ、こんな時間。俺行かないと」


 お兄さんは立ち上がると、肩掛けバッグの中をゴソゴソと探って、ブラウンの名刺ケースを取り出した。「えーっと、どれだ……」そこから抜き出したカードの束を、ポーカーで捨てるカードを探すかのように広げる。

「あったコレ」、抜き出した一枚を、あたしに突き出してきた。


「caféクヴェレ店長 椎名和泉、さん?」


「そ。明日は初日だから、とりあえず10時に来てくれる? 色々手続きとか、店の紹介とかするから。持ってきてもらうのは給料を振り込む口座情報と銀行印。履歴書は店で書いてもらうから、写真もそこで。あと服装は自由。エプロンは店で用意するよ。何か質問は?」


 一気に椎名さんは言いましたけれど――いや待て、あたしはまだ働くとは言っていない。いくらお気に入りの常連さんだったとは言え、話をしたのは今日が初めてだし、給料だって……と思った。 


 はずだったのに、気づいたら立ち上がって、勢い良く頭を下げてた。

「質問はありません。よろしくお願いします!」


 明日から働けるなら無職期間がないからいいじゃん、いくら時給良くても働けるのが十日後とかよりずっといいという思いもあるにはあったけど、それよりなにより、あれよあれよのこの急展開、これはきっと「波」というヤツだ。逃したら、次また来るかどうか分からない、「いい波」というヤツ。


 この流れ、乗るしかない! ってか乗らなきゃ!


「OK、こっちこそよろしくね陽菜ちゃん」

 ひ、陽菜ちゃん!? 思いっきり動揺するあたしの前で、「そうだ、大事なヤツ」


 椎名さんは再びバッグをゴソゴソすると、見覚えのあるグリーンの封筒を取り出した。手に取ってまじまじと見る。

 間違いない、ついさっきまで働いていたお店の封筒だ。


「それ、今月の給料」

 思わず中を見た。5万入ってる。


「それ、解雇予告手当。学生バイトにも請求権あるからって話したら、あの店長さん『ちゃんと』理解してくれたよ。ああ、中に受領書入ってるから、それにサインして明日持ってきて。俺があの店に持ってくから」

「『ちゃんと』……とは?」


 むしろ、「勝手に辞めた」とかなんとか言いがかりをつけて、制服のクリーニング代に上乗せ請求してくるかと思ってたのに。

 あの店長が、おとなしく給料(しかも働いていない分)を出すとは思えない。


 「ああ」椎名さんは小さく笑うと、


「ちょっと胸ポケットの中身を整理しながら『さっきの発言、ちょっと問題じゃないかと思うんですけど、大丈夫ですか?』」って訊いただけなんだけど――そういや、まだ鞄にしまってなかったな」そう言って、椎名さんは胸ポケットから取り出したのは黒い――ボ、ボイスレコーダー!?


「え? このUSBがどうかした?」

 いやその流れはボイスレコーダーだろ、USBじゃなく!


「入り口のドア開けたら――ちゃんと閉まってなかったから音もなく開いた感じになったんだけど――あの店長が『おいおいー』ってやらしい大声上げるのが聞こえてきて、とっさにカウンター脇の観葉植物の影に隠れたんだよねー」

 ははは……と垂れ気味の目を細めて笑うと、ちょっと頼りなさげに感じるけれど、いやいや、言ってることとやってること、なにげに怖いんですけど。


「あ、でも大丈夫。音はちゃんととってあるから」

 そう言って椎名さんは、ジャケットの内ポケットからスマホを取り出し、

『ふっざけんな、このエロ――』

「ぎゃーっ!!!」 

 まったくかわいげない叫び声をあたしがあげたところで、いきなり着信音。


「どしたハル。は、もう来た? え、約束までまだ時間ある……。ごめん、急いで行くけど、ちょっとかかるわ。とりあえずマニュアル通りに……だぁいじょぶ、おまえならできる! 頼んだぞ、じゃあ後で」


 「しまったしまった」呟きながら椎名さんはスマホをしまい、「じゃあコレ、捨てておくから」


 手にしていた情報誌を鞄に放り込むと、椎名さんは公園の入り口へと走っていった。あんまり速くないな……と思っていたら、急に足を止めて振り返り、「気をつけて帰ってね、陽菜ちゃん!」


 そんなこと言ってる場合じゃないって、急がないと!! と焦ってたら「和泉さんも!!」気づいたら、下の名前で怒鳴り返していた。


 しまった! いくらなんでもなれなれし過ぎ……と自分の暴挙に思いっきり動揺していたら、和泉さんは、大きく何度も手を振って、


「ありがとう、じゃあ明日!」


 そんな大きな声出るんだ、ってくらいの声でそう言うと、すたこらという表現がぴったりな感じで走り去っていった。

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