第3話「まさかのお誘い」
思ったときにはベンチから立ち上がっていた。
その衝動で、膝の上からはもちろん、傍に置いていた鞄に無造作に積み上げていた情報誌が、雪崩を打って地面に落ちた。
「あらら」
特に驚いたふうでもない声を上げると、元バイト先の常連さんは、さっと膝を折って情報誌を拾い出した。
拾い終わると立ち上がって、一番上の表紙をパンパンと軽く叩いてから、パラパラとめくり始めた。と、思っていたら――。
「見てたよ」
えっ!?
驚くあたしに、常連さんは紙面からあたしに目を移した。
にっこりと笑いかけられ、さあっと血の気が引く。
店長に「黙れこのエロジジイ!」って怒鳴りつけたアレ?
「クビだ!」って言われて、「上等じゃん!」ってフリルエプロン投げつけたアレ?
そのままバックヤードに戻って、鞄をひっつかんで、脱いだメイド服を目の前で床に叩きつけて、店を飛び出したアレ?
もしかして、店を飛び出した勢いのままエスカレータ脇に設置されたマガジンラックのフリーペーパー全種類をひっつかんでエスカレーターを駆け下りたアレ?
『ご飯、奢ってやろうって親切で言ってあげてるのに。何、ヘンに考えちゃってるわけ? どうせロクなモン食べてないんだろ? シンママ家庭なんだからさ』
思い出しただけで腹が立つ。思わずぐっと拳を握りしめていた。
たとえ何万もするフルコースでも、おまえなんかと行くわけないだろ! 水呑んでしのいだ方がずっとマシ!!
でも……あの時、店内には誰もいなかったはず。
だからあのオヤジも、言いたい放題だったはずなのに。
歴史を感じさせる、と言えば聞こえはいいけれど、いつも耳障りな音を立てて開く入口のドアからは、何の音もしなかったのに。
「クビ直後にバイト探しか。タフだね。ふつうは落ち込みそうなものだけど」
『ふつう』の言葉がちくっと刺さる。
誰もがつまらないというけれど、それはどれだけ望んでも、あたしには得られないもの。
「落ち込んでられるほど、余裕ないから」もはやお客さんではないとばかり、店内より二オクターブは低い素の声でそう答えた。
愛想を振りまいている場合じゃない。あてにしていた今月の給料と、何より最大の稼ぎ時の夏休み分、何とかして埋め合わせないと。
「なるほど」
お兄さんは情報誌をパラパラめくりながら、立ち上がったままのあたしの隣に座る。
「あそこのバイト、どれくらいだったの? 時給とか、勤務時間とか、あと交通費とか」
何? 思ったけれど、別に隠すことじゃない、もう終わったことだし。
あたしはサラサラと答えた。常連さんは頷きながら聞いていたけれど、
「なるほど、その程度。なら――ウチでバイトする? ウチも喫茶店なんだけど」