第一計画【1999春Ⅵ】
「You alright?」
「ひ!?」
着流し姿の年嵩の男が顔を歪めた次の瞬間。
ドスリと胸元に槍のように尖った棘が突き刺さった。
即死と言うのは誰の目にも明らかだろう。
心臓の真上から貫通している。
だが、その棘を突き刺した者がゆっくりと離れれば、倒れ伏した男がゆらりと立ち上がり、生気の無い顔で失せていく血の気の代わりに胸元から僅かに覗く傷口が黒ずんだ緑色の罅割れに侵されていくのが見て取れただろう。
『ぁ、ぁ……』
唾液を垂れ流した白目を向いた男が道端の外套の下。
自分を突き刺した者。
全身に罅割れが回って腕や脚にまでその兆候が到達し、顔全体が醜く臙脂色の腫瘍のようになったソレの背後に回る。
京都の山間の道路。
まだ田畑の畦道までは舗装が行き届いていない森の傍で人型の罅割れたトレンチコート一枚に襤褸切れのようなズボンを履いている白髪の怪物がギョロリと自分の手前でチビたタバコを吸っている男を見やる。
「これで棘は全てだ。後は巫女様を確保するだけだな」
欧州のアングロ・サクソン系だろう少し黒ずんだ金髪。
怪物とは違う。
トレンチコートに黒いダブルのスーツとステッキを持った男だった。
顔は厳ついが、傷らしきものは無く。
口髭と相貌は何処か野性的な紳士にも見える。
彼の目の前で怪物が持っていた棘がボロボロに崩れて地表に落ちた。
「デービット。巫女様は……どうやらアタゴ・テンプルとか言うところにいるようだ。地図だと……ああ、うん? 二つもあるのか。ふむ」
デービットと呼ばれた怪物が男が広げた京都近辺の地図を覗く。
その瞳にはどす黒い狂気のようなものと共に理知が見て取れた。
男が僅かに目を閉じて、指を額に当てる。
「……孤児達を分割して運ぶ気か。どちらかに巫女様がいるとなれば、この二つの地点へ同時に向かう必要があるな」
『―――』
「……仕方ない。お前と私で二手に分かれよう。山中にはお前が向かえ。その兵隊はこちらで使う」
『―――』
「仮にもお前の娘だ。腕の一本くらいならば、無くしても問題ないだろう。多少力づくでも構わない。腕の良い闇医者の情報も掴んでいる。もしもとなれば、早めに棘による洗礼を施せばいい。では、同胞諸君。向かうとしよう」
彼らの背後。
闇の中で数台の軍用トラックがライトを点灯させ、僅かな呻き声が詰った幌の内部が浮かび上がる。
大量の人型がすし詰めにされた幌内部に先程に変化した男と他の者達も続々と乗り込んでいった。
トラックの運転手達もまた顔にまで達した罅割れが見て取れる。
「ジャパンのアーミーもやるものだ。もう半数まで減らされた。ここからは大陸への脱出まで止まるな。もしもの時は大陸で再び機を伺う事になる。諸君……英国紳士らしくエレガントにやろうじゃないか。新たな女王陛下と我らが神の建国を阻む者は何人たりとも容赦するな!!」
その男の声に車両内部の運転席と助手席で銃を持った腕が振り上げられた。
『マーカス……』
「分かっている。夜の内に全て終わらせるさ。君に我らの神の加護在らん事を」
こうして部隊が一人と全部に分かれた。
コート姿の重火器一つ持っていない怪物は瞬時に山間の森の奥へと凄まじい跳躍力で鳥よりも速く跳んで消えていき。
残った者達はトラックで市街地の方面へと向かっていったのだった。
*
「それにしても考えてみればという案だね」
「そうですか?」
「機転が効くという事だけれども」
自称妹を長車において合流地点の山中の山に登る手前に整備された駐車場。
数台の車両が道の先へと遠ざかっていく。
孤児院の子供達が“殆ど全員乗った”ものである。
残されたのは車両が一つ切り。
その内部。
ランタンが置かれた幌の付いたトラックの荷台に上がるとビクッとした少女が一人、少し眠そうな様子で縮こまっていた。
金髪ではない。
ブルネットが僅かに金色のように輝きを帯びた御髪は印象的だろう。
長い髪の下。
サラサラと流れた髪に隠れた顔は典型的なアングロサクソン系の骨格だが、年齢の割に幼いと見える。
銀色の瞳がこちらを見た。
「あ、あなた達は何方、ですか?」
必死に目を開けようと歪んでいる瞳は人を睨んでいるかのようだが、フラ付いた様子を見れば、それが抗い難い衝動に抗っているからだと分かる。
「君の足長おじさんの後を継ぐ者さ。お嬢さん」
白髪の乙女が言えば、もはや白馬の王子様も逃げ出すだろう麗しさである。
「え、あ、お、おじさんのお知り合い、ですか?」
「ああ、頼まれたんだ。君の事を……」
「……おじさんはもうこの世にはいないのですね」
悲し気に少女が呟く。
しかし、それは何処か予期していたようでもあった。
「何か聞いていたのかい?」
「はぃ……おじさんが何れ会えなくなるって……でも、その時でも迎えに来る人がいるから安心していいって……」
「そう……」
「おじさんが今にも消えちゃいそうで……おじさんに迎えに来て欲しいって言ったら、それは出来ないって……でも、これからも時々は……思い出して……くれって……っ……っ……」
さめざめと涙が零され、トラックの荷台に零れていく。
「君のおじさんは立派な人だった。そして、立派過ぎて私のところにまで話を持ってくる程……君を愛していた」
「ッ」
少女の頭にポンと手を当てて、白髪の乙女は微笑む。
「君は誇っていい。君のおじさんは世界一、君の事を愛していた。だから、君はその愛された自分を大事にしなきゃね?」
「わ、私、他の子……みんなとは違ってて……いつも、眠くて、怖い夢も見て……きょ、今日も悪い事が起きるって知ってて……でも、何も……出来なくて……」
「そっか。うん。なら、勇気を以て君は此処にいるって事なんだね」
「え?」
「だって、君は一人で此処に残ってくれ。なんて、言葉を受け入れた。ご婦人が言ってたよ。もしも、君に何かあったら、私が誰でも絶対に許さないって。それくらい君は孤児院の誰からも愛されてた。でも、君は此処に残る事とした」
「………私、このくらいしか……出来ないから……悪夢が何処に行っても追ってくるなら……このくらい、し、か……」
少女が俯きながらパタリと倒れ込んだ。
「悪夢が追ってくる、か。ふふ、こういう時こそ使うべきだよね」
「何をです?」
「世の中、金と権力って事さ♪」
悪戯っぽく笑う彼女が懐から拳銃を取り出した。
コルト・ガバメント。
米国製の拳銃が日本のお嬢様から出てくるというのも違和感がある。
が、生憎と彼女は実用主義者だ。
大口径でちゃんと使える安全性の高い銃を渡されたのだろう。
「大丈夫さ。君とその子を護るのは私の役目だ」
「男なら後ろに下がっていて下さいと本来は言うべきなんですが」
「適材適所さ♪ 君にこういう場面で前に出てもらったら、私は死ぬほど心配しながら椅子の上でふんぞり返ってなきゃならない」
「椅子には座るんですね」
「ふふ、権力者らしいだろう?」
「……こちらは任せておいて下さい」
「ああ、もし君が良ければ、その子の悪夢……払ってあげてくれ」
その時、突如として駐車場の砂利が爆発するような音を立てて飛び散り、彼女の頬を掠め、同時に幌が獣の咆哮のようなもので半分以上吹き飛んだ。
車両の上で何とか前のめりになって腕で咆哮を防いだ彼女の視線の先。
コートが弾け飛んだ異様な上半身を晒す何かがこちらを見る。
「ゾンビと言うには聊か獣臭いじゃないか」
彼女がこちらを背にしている合間に片腕を少女の腹部に突っ込む。
それを見ていた腫瘍のように膨れ上がり、全身に罅割れの走った怪物がズボン一つの姿で突っ込んでくる。
その速さは正しく神速に違いない。
だが、その神速を以てしても銃弾の速度は超えられない。
勿論、少女の銃一発で止まるようなら怪物は怪物ではないだろう。
しかし、一発で止まらぬならば100発でもお見舞いすればいいのだ。
トラックの後方。
森の中にいた狙撃兵及び重火器持ちの兵達がサブマシンガンを手にして奇襲を仕掛け、瞬時に数十発単位の弾丸が秒間で相手に襲い掛かり、距離を取って連携した兵達の弾幕が相手の胴体や四肢にめり込んで滅多打ちにし始め。
「お嬢様!! 頭をお下げ下さい!!」
トラックの影に身を潜めていた大佐が両手持ちの弾帯付きなトンプソン機関銃を乱射した。
至近距離で浴びせられる銃弾の横殴りの暴風に身動きが取れないどころか押し戻され始めた怪物だが、それでも未だ死んでいない。
どころか傷は負っているが、致命傷には見えない。
「怪物か。だが、如何に人知を超えた存在だろう傷が付くならば!!」
途切れないように銃撃は連続していた。
弾丸をどれだけ受けたものか。
しかし、それでも致命傷にならない相手を前に大佐が接近戦を挑もうと腰の大振りなドスを引き抜いた時だった。
「大佐。控えろ」
「ッ、お嬢様」
「大丈夫だよ。権力者はこういう時、一番悪辣な手札を持ってるものさ」
大佐が横に退いた時、彼女の銃が罅割れを引き起こす中心。
心臓部へと向けられる。
「西洋の怪物。君には君の理由があるんだろう。けれど、此処は君の住処じゃないのさ。だから、こう言わせて貰おう」
セーフティーの外された銃の引き金が―――。
「此処は日出ずる国。君達のようなもう決着の付いた負け犬の居場所は、無い!!」
―――引かれた。
一発の銃声の後。
怪物が自分の胸元を見た。
罅割れたはずの胸元が、銃弾に削られても貫通しなかった胸元が、心臓のある部位が、3センチはあるだろう大穴を開けて背後まで丸見えになっていた。
ゴボリと初めて黒いコールタールのような血の塊を怪物が吐き出す。
「彼と仲間達が怪物となった者達を倒した時。彼がその子をその手でこの国に連れ帰った時、もう勝敗は決してる。潔さは美徳なんだよ。この国ではね」
『―――ああ、そうかもしれない』
仰向けに怪物が何事か呟いて倒れ込む。
そこに次々と銃弾が襲い掛かり、未だ死亡確認出来ていない敵を必ず殺すべく銃弾の雨を打ち続ける。
その合間にも背を向けて、トラックに戻ってきた彼女がしゃがみ込んで少女の寝顔が穏やかになっている事を確認する。
「どうかな?」
「もう悪夢に魘される事はないと思います」
「ふふ、さすが佐高君だ」
『お嬢様ぁ!?』
ドガッと大佐の体が上空を舞って、こちらを超えて吹き飛び。
心臓の無い怪物が片腕を振り上げ、彼女の背中を狙い。
「―――ぉとぅ、さ……」
ブルネットの少女の呟きに硬直した。
そして、こちらの手が腹部に突き込まれたのも構わず。
ふっと笑って、ドサリと今度こそ後ろに倒れ込み。
同時に肉体が砕けながら砂のように白く砕けて風化していく。
『お嬢様はぁ!?』
「大佐~大丈夫だから、まず自分の心配して~」
『だ、大丈夫でございますかぁー!!?』
「もう、大丈夫だって言ってるのに……大げさなんだから」
彼女の顔は困ったものだと言わんばかりに苦笑していた。
彼女の拳銃が地面に放られていて、赤熱化した銃身が挙げる湯気がまるで線香の如く砕け散った怪物が零していた血潮を煙のように天へと昇らせていく。
「今、死に掛けましたよ?」
「でも、君が助けてくれただろう? 佐高君はこれで二度、僕の命を救ったんだ。これは何かちゃんとお礼をしないとね」
「疲れたので寝床でも用意してくれれば」
「ふふ、欲が無い事だ。そうしよう。さすがの私も疲れちゃったな。う~ん。君に癒してもらうか。それとも妹さんに癒してもらうか。それが問題だ!!」
「温泉にでも漬かってて下さい」
思わず溜め息がちにそんな声が出た。
「あははは♪ うん。そうしよう。はぁぁ~~じゃあ、混浴出来るところにしてもらおっかなー♪」
パタンとこっちにわざとらしく倒れてきた彼女を抱えつつ、大佐のやっぱりケガをしたのかぁーという叫びを聞きつつ、瞳を閉じる。
最後、殺せたのに止まった怪物はちゃんと人間だったのだろうかと。
そんな疑問を思いながら。
*
「あいつが逝ったか」
コートの男が一人。
銃弾を受けた怪物達の中心で罅割れたロザリオを見ていた。
「どうやら我々は嵌められたらしい」
どちらかに巫女がいる。
そう踏んで二手に分かれた。
しかし、最初から巫女と孤児院の者達は一緒に移動していた。
(巫女の情報をこちらが覗ける事を察知され、誰か賢い者が巫女を通して情報を操作したわけか。いやはや、常人ばかりが敵とは限らない、か)
彼マーカスが二手に分かれる事を決めたのには理由がある。
それは夢だ。
彼らの信じる神の巫女は夢を通して神と繋がっていた。
そして、その信徒であり、司祭である彼はその夢を覗く事が出来た。
夢は現実の情報を覗き見る力であり、巫女当人が聞いた情報を知る事が出来る。
だが、その情報そのものが間違いであったとしても知る事は出来ない。
巫女に伝えられたのは二手に孤児院の避難者を分けて、他の部隊と合流するという情報であった。
が、蓋を開けてみれば、片方に戦力が偏らせられており、巫女の方には大量の軍の戦力が向かい待ち構えていたに違いない。
彼ら30名程の戦力を足止めしているのは現地の軍警の車両が数台。
孤児院で戦っていた軍人達とは違う豆鉄砲くらいしか撃たれていない。
45口径すら無いだろう。
「とっとと殺して脱出するぞ。や―――」
マーカスが命令しようとした時だった。
彼は空に響く音を聞いた。
そして、今まで遠巻きに拳銃を撃っていた警官隊が猛烈な勢いで背後に逃走したのを見て、即座に現場から逃げ出そうとしたが、遅かった。
彼ら数十名が屯していた神社手前の参道が遥か航空から一斉に投下された弾体によって吹き飛ぶ。
九九式双発軽爆撃機。
近くの飛行場から飛び立った計3機が落とした合計1200キロの爆弾は狙い違わず夜間にも関わらず警察車両が照らし出した怪物達の群れの中心に鉄槌を下したのだ。
猛烈な衝撃で警察車両が吹き飛ぶように転がり、辛うじて周辺40メートル圏内から退避していた警官達は帝国陸軍飛行戦隊の精密にして緻密と言える熟練の爆撃技術と爆弾の開発者達に感謝するべきだろう。
威力を局所的に集中する事で地下壕を破壊する最新の機密兵器が使われたのだ。
本来ならば、警察官達は1200キロもの爆弾の余波で即死していてもおかしくなかったが、破片で軽傷を負う程度であった。
『目標地点に命中を確認。帰還する。続けて後続機の機銃掃射を行われたし』
『了解。これより周辺への機銃掃射を開始する』
「ぐッ」
複数の怪物達を防空壕の如く自分に覆い被せて辛うじて衝撃で即死しなかった司祭たる男はこれで終わりではない事を自分の身を以て知った。
飛来するのは現在も現役たる戦闘機。
五式双発襲撃機。
巨大なキノコ雲が上がる周辺に猛烈な上空からの銃火が周辺を薙ぎ払うように未だ命を途絶えさせずに蠢く怪物達を打ち据えていく。
「グォオオオ!!?」
彼は自分の右手が肉壁を貫通した弾丸によって吹き飛んだ瞬間。
咄嗟に外へと転がるように出でて、第二次掃射による攻撃を避ける。
三方向から煙の内部に行われる攻撃は正しく網目の如く男を追い立て、その片足を吹き飛ばし、辛うじて直撃を避けた男の逃走手段を絶った。
(高が孤児院一つにこれほどの戦力を……一体、ヤツは東京駅から何を呼び寄せた? 単なる富豪の類ではないのか……)
彼が理解していた事は一つ。
日本の侯爵家に準じる家柄の男が巫女を浚い。
そして、孤児院に預け。
病で命を落とす前に東京から迎え人を寄越すとした事だけであった。
期日までも告げた男の言葉を彼は真に受けていたが、それにしても富豪以上の何かが来るものではないと思っていた。
だが、実際には孤児院での巫女の奪取は軍人に阻まれ、今また帝国陸軍飛行戦隊が襲撃者を屠るべく爆撃機と夜間戦闘機までも使っている。
「軍の部隊をこうも簡単に動員するとは……」
男が脚を意識して何事か唇から英語でもない言語でモゴモゴと呟いた。
すると、弾け飛んだ片足が僅かに蠢き。
血が止まると共にゆっくりと再生し始める。
煙に紛れて這うように男が現地から離れた時。
サーチライトが更に上空から降り注ぎ。
「ッ」
ハッと上空を見上げた男が立ち上がるよりも先に猛烈な機関銃による掃射が男を襤褸クズの肉塊へと変貌させた。
戦闘ヘリ。
それも大型のソレがホバリングし、中央出入口に備えられた機関銃を掃射し続け、赤熱化した銃身が打ち切ったと同時に煙を吐き出す。
『こちらハ号中隊ア‐21。目標の沈黙を確認。部隊の迅速な展開を行われたし。繰り返す。目標は観測する限り全て沈黙を確認』
その言葉を無線通信越しに聞いていた男が京都のとある駐屯地の司令部で耳に当てていたヘッドセットを放り出した。
「やれやれね。東京からこっちに着いたら、横合いから宮姓に顎で使われるなんて、ふぅ……」
溜息を履いて出されたお茶を啜った男が椅子に腰掛けた数名の佐官達を見やる。
「日高三佐。目標の沈黙を確認したという事は後はそちらから移動中の部隊に目標を引き渡せば、それで任務は完了という事で良いのかね?」
40代の男達の言葉に彼が頷く。
「ええ、もちろんですよ。京都方面隊には随分と借りが出来たようで。まぁ、そちらはまだ左程重要性が分かっていない様子ですが」
男達が僅かに顔を歪める。
「市街地への空爆に近接支援攻撃。どう見ても遣り過ぎだと普通の軍人ならば答えるのでは? 此処は外地ではないのだよ?」
佐官の一人が蛇のような男を睨む。
「重々承知しています。でも、実際に実物は今までの情報通りの性能をしており、通常の陸上戦力ではどうにも被害が大きくなっていたように思えますねぇ」
日高の笑みに男達が内心の渋さは表に出さず。
目を細めた。
「―――確かに情報部の言う通り、尋常ならざる強度の兵隊だったようだが、それにしてもここまでするかね?」
「此処までしなければ、京都府民の安全は保障出来かねます。追跡していた部隊が途中で三十名近い行方不明者の痕跡や状況を確認しています。もし、戦力を増強されれば、一地方基地程度ならば軽く占拠出来る戦力ですよ」
「……で、今回の出動に関する経費は?」
「勿論、市谷が特別予算を降すそうです。年次会計時にご確認下さい。それではそろそろ現地の回収部隊と合流せねばなりませんので。これで」
「ああ、出来れば、厄介事は後腐れなく持って行って貰いたい」
「ご心配なく。宮角も協力して下さるそうですし、また府中も平穏を取り戻す事でしょう。では……」
男が扉を出ていくと残された佐官級の男達は肩を撫で下した。
「……蛇みたいなヤツ、でしたね」
「言うな。アレで日姓だ。我らとは根本的に違う」
「それにしても外地の話は聞き齧っていましたが、前々から確認されている人を超えた兵隊。生物超兵器、ですか」
「強化兵は何処の国も開発をやっとる。何の技術を使っているのかは国毎に違うだろうが、大体の管轄は何処も情報部だろうな」
「機密が多過ぎるわけか……」
「使えるものは何でも使う。それが戦争だよ君。そして、国内への流入阻止と国内での拡散阻止は彼ら情報総監部の仕事だ」
「……宮角からの要請も何とか応えましたが、こんな事件は早々起こって欲しくありませんね……」
「誰もが同じ意見だとも。だが、世の中、そう上手くはいかんだろう。後始末は我らの仕事だ。しばらくはそちらに注力しよう」
軍が動く最中。
意思決定者達の多くが後片付けに頭を悩ませ始める夜。
何もかもを終えた少年少女達は京都の宿へと身を寄せ、疲れた体を癒す事になる。
その混浴な貸し切り宿でどんな騒動が巻き起こったのか。
それは一人のお嬢様付きの護衛くらいしか知らない秘密になるに違いなかった。
*
―――4日後。
「ぅ~~ん。ステキステキ~~どすえ~~~」
東京駅の地下駐車場。
ホコホコしてお土産の紙袋一杯の自称妹は浮かれまくっていた。
車両が銀座方面から古瓦を目指す。
京都で事件に巻き込まれた後、二泊三日で宿に泊まり、散々に豪遊したのだ。
食事は府中を見回しても上位三本の指に入る料亭の板前製。
温泉に浸かれば、瓶入りのフルーツ牛乳が旨い。
そして、あちこちの寺社仏閣に目もくれず。
参拝よりはお土産物に目を輝かせた少女は日持ちするモノと京都の工芸品の小物を幾つか買って、一緒に観光旅行で大満足という寸法である。
旅行を贈ってくれた白髪の乙女が輸送した巫女の少女を東京方面で出迎える為に出立するのに合わせて一緒に東京に帰ってきたが、そこからは別々で大佐が使っているのと同じ長車で帰宅となった。
運転手は若い女中らしい女性だが、運転手という事で黒い制服に帽子を被っており、行先を告げると了解しましたとだけ言って、以降は話していない。
「……買い過ぎだ」
「そう? みんなへのお土産だから、これくらいないとね~」
生憎と自称妹は学校に行っていない。
外に目を向ければ、赤レンガの通りに入ったところだった。
関東圏はこの数百年の間、他の地域とは違って大地震が起きていない。
殆どの場合は火災によって消失する街並みが都度再建されて来たが、西洋文化が入ってきた昨今はレンガ造りか最新建材であるコンクリートが使われる。
さすがに古臭いレンガ造りは民間の小規模な店舗などに限られるが、瀟洒な街並みは良くも悪くも流行の発信地だ。
「エ―――」
結局、ゆうに借りを作りっぱなしで自分では旅行中に何も買ってやっていなかった事を思い出して、途中で降りて何かと言おうとした時。
「?」
自称妹の体が上下半分に千切れていた。
猛烈なスピンと同時に自分の体が放り出されるより先に腕で上半身と下半身を抱き込むようにして抱え、その千切れた中央に腕を突っ込む。
猛烈な速度で迫る地面を前に片手を犠牲にして滑るように着地。
駒のように回りながら、抱えた肉体を丸めるようにさせて腕が道路でこそげ落ちて骨が外れて腕が取れるのも構わず治療に集中する。
破壊された胴体部は綺麗に両断されていた事が幸いだっただろう。
全部、零れ落ちる前に傷口に腕を突っ込めたのも大きい。
同時に片腕を犠牲にして治療中の衝撃を何とか自分の肉体で受けられた事は幸いだっただろう。
視界の端では最後部を輪切りにされて上下に分断された車体が街路樹にぶつかって止まっていた。
生憎と自分の胴体を気にしている暇は無かったので半分無かったが、それは後でどうにかする事にして自称妹の状態を確認するより先に自分達を切った何かを血まみれで未だにブレる視界で探す。
長車の前部が何処かにぶつかった衝撃音を聞きながら、黒くブスブスと煙を上げながら、日光の下で崩壊しながら、体内の緑色の巌のような血肉を晒す何かを見た。
その手には刀らしきものが握られている。
だが、その刀を握っていた手は拉げており、衝撃に破れたコートのような衣装のあちこちから入る光に反応してか。
ボロボロと肉と岩の中間にも見える何かが肉体のあちこちから剥離して顔も崩壊へと向かう様子が見て取れた。
(残党か。付いてないと言うには致命的だ。ゆうの車両と間違えたのかもしれないにしても、良い腕してる……)
刀はバラバラと衝撃からか後からゆっくりと砕けて消えた。
しかし、ゆっくりと迫ってくる数m先の敵を留めるモノは何もない。
雄叫び。
崩壊し始めたらしい頭部が砕け散る前に落とし前を付けようと迫る相手の手は崩壊しつつあるが、それでも崩壊より腕がこちらの人体を破壊する方が早いだろう。
生憎と片腕と下半身が無い為、迎撃する力は無い。
現在、治療中の自称妹の臓器と骨が繋がるまで残り数秒。
途中で投げ出したら、命は無いだろう。
「 」
覚悟を決めて体で攻撃を受けようと相手を見据えた時。
その頭部が狙撃音と共に弾け飛んだ。
至近距離での恐らく9mm弾。
本来の強度ならば頭部を揺さぶられる程度なのだろうが、日の光を浴びながら崩壊しつつある敵には致命的であったらしく。
顎から上が全て吹き飛び。
同時に顎から下に日が当たって、ガラガラと岩人形のよう全てが崩れていった。
「また、会ったな」
「―――」
東京で助けてくれた期間工の青年がボルトアクション式のライフルを片手にして、こちらに近付いて来ていた。
その背後には軍用車らしきものが見える。
「何か遺言はあるか?」
片膝を付いて尋ねてくる相手に苦笑するしかない。
「妹を病院に連れて行って下さい。脳震盪以外は治しました」
「はは……そうか。自分は治せないのか?」
「生憎と時間がありませんでした」
「そうか……」
「それと迎えに行くから2日待っていろと」
「……分かった」
そうして瞳が霞ながら暗闇に解けていく意識を集中して腕を自称妹から引き抜き。
目を閉じる。
*
「……此処のはあまり使いたくなかったんだが、仕方ないか」
私室の一部。
診療所兼生活スペースとなっている場所ではなく。
寝所の奥で目が覚めた。
内部から外せるようにしておいた棺桶を開く。
木製の簡易のものだ。
内部には色々と敷き詰めて“痛まないよう”工夫しつつ、込めていた魔力と呪文で維持されていた肉体を動かす。
棺桶の外は真っ暗闇の暗室。
しかし、備えとしてまだ数体残してある体は未だ穏やかに極小の代謝で眠り続けていた。
夜目は効くので全裸の体を見渡す。
前回の体とほぼ同年代で暗室の鏡に僅か映るかんばせはこちらの方が鋭いだろう。
体育会系のような肉体ではあるが、生憎と脳が死んでいたので“戻ってくる事は無い体”である。
代謝で体重は減らないが、動けば血糖値が最低限度以下しかないので早急に糖分を取る必要があった。
全裸のままに内側からしか開かない扉を外側に開けて、寝室からいつものスペースに出て台所の冷蔵庫から貯蔵してあるアンパンを取り出し、冷え冷えのままに齧りつつ、水道の水で流し込む。
筋肉は付いているが、男らしいと言うにはまだ青年にも成り切れないような肉体であり、スポーツ少年くらいのものだろう。
「行くか……」
寝室で着替えて、そのまま予備の財布を仕舞い込み。
イソイソと外に出ると数名の少女達が屯していた。
「あれ? 此処の人、ですか?」
「ああ、明日にはまた開ける。午前六時からにしておくから、来るといい」
「え?」
「悪いが待ってるヤツがいるから、これで」
イソイソと少女達を横に鍵を閉めて階段を下り、傍の駅から病院に向かった。
この体になる前に一度、病院の場所は別の肉体で確認済み。
部屋の番号を間違える事も無いだろう。
自称妹の様子も落ち着いているので問題なく迎えに行けるはずであった。