第一計画【1999春Ⅴ】
この手紙を見ているという事はもう私はこの世にいないだろう。
突然の遺書を前にして困惑させてしまう事をどうか謝罪させて欲しい。
これは私があのガラスの大地で経験した……たった数日の出来事だ。
もしも、君が遺産を継承する気が無いなら、この時点で手紙を燃やして欲しい。
だが、もしも遺産について興味があり、一通り目を通したいというのならば、どうか覚悟を以て読んでくれる事を願う。
『アレは熱い夏の日差しに煌めく滅びた大地に揚陸挺で初めて上陸した二日後の事だった』
―――1985年7月23日。
欧州戦線への配属が決まり、大和級三番艦信濃に乗船したのは一重に海軍本部の要望だったのだと思う。
海軍でもないのに佐官級が使う一室を宛あてがわれ、インド洋、喜望峰を抜け、ドイツへの揚陸前に近隣のアフリカの根拠地で降ろされ、そのまま同輩達が詰められた揚陸艦が来る前にイギリスにおいて受け入れ準備を行う。
その交渉役の通訳を任されたのだ。
大任だと思ったのも無理からぬ事だった。
人がいないと表向き言われていたからこそ、多くの同期は楽なもんだと笑っていたが、それでも構いはしなかった。
イギリス英語が得意だ。
なんて今時に何の足しともならない専攻が名聞を慮った幕僚本部の思い付きで生かされたのだとしても、本当にイギリスに誰かいた時、その備えとして自分が使われる事は本望だったのだ。
銃が得意なわけでもなければ、走る事も人並みには遠い。
そんな自分がそれでもちゃんと備えには足りていると言われたようで嬉しかった事は間違いない。
だから、イギリスの大地に揚陸し、調査隊の一員として専用の衣服と靴と手袋を渡された時、まるで子供の時に寺社仏閣の奥を探検した時のような高揚を覚えた。
少なくて調査は三日。
現地人を確認出来ぬ時はガラスの大地でもパンクしない専用のタイヤを履かせた軍用車で帰還する。
それが任務の全てとしても、構わなかった。
だが、調査隊が二日目の朝に確認した沿岸部の峡谷と呼べるだろう海岸線沿いの谷間となった地域に人の様子があったのを発見した。
正直、震えていたと思う。
本当に人がいた。
自分の英語が通じるのか。
そう自信を失いそうになりながらもボクは、自分は一人の軍人として奮起した。
その小さな村は幾つかの波止場を持ち。
崖の下と呼べるような場所で、峡谷内部の壁に岩窟染みた場所で生活していた。
彼らは自分達を太陽の民の生き残りだと称した。
始め、彼らの英語があまりにも古臭いものだから、中世より前に来たのかと思ったくらいだ。
だが、彼らは素朴で温和な人々で破滅した頃の英国人らしい恰好をしていた。
下層階級ではあっただろうが、そこには朴訥とした暮らしがあり、彼らはガラスの大地の事を神の去った地と呼び。
日々、海から糧を得て生きていた。
村の名をシンサーテーと日本語ならば言うだろうか。
正しく誠実な人々という印象は間違ったモノではなかっただろう。
彼らの村に滞在し、幾らかの交渉を持った時、その数十名しかいない村には妊婦が一人いた。
彼女は村の村長の娘でもう長い事、村の為に働いているのだと言う。
私達、調査隊を労ってくれた村人達は私達を歓迎し、その夜は歓迎会を開いてくれた……その時に出てきたこの世のものとは思えない魚が天を見るパイだけが唯一気に掛かる事だった。
その違和感を前にして自分は考え込んだが、その夜……唯一、話せる自分の下へ彼女がやってきた。
身重の彼女は艶やかに笑い。
勧められた酒を飲む内に酩酊した自分に身を預けた。
多くの疑問を持ちながらも自分は彼女に言われるがまま。
普段の理性も何もあったようなものではない醜態で彼女の匂いに包まれた事だけは事実だ。
そして、次の朝……後悔に襲われる間も無く。
彼女はいつの間にかまだへその緒を縛っただけの赤子を産着にくるんで笑い掛けていた。
血の気が引いたのは間違いない。
だが、それよりも先に彼女は自分の目を見て言った。
この子を連れて逃げて欲しい、と。
どういう事かと尋ねるより先に彼女は僅かにふらついた体で漁船の下まで自分を連れて行き。
この子を頼みますと微笑んで、誠実と……そう思っていた村人達の銃弾に倒れた。
ただ無我夢中で逃げた。
何故なら、彼ら村人の背後に血まみれで倒れ込む同僚達が見えたから。
彼らの背後の軍用車両内の窓に血が張り付いていたから。
そう……彼らは誠実とは程遠い世界の住人。
ガラスの大地で育たない麦は何処から調達したのか?
酒は?
衣服は?
家畜肉は?
正解は単純だ。
彼らは海賊だったのだ。
そう……イギリスにわざわざ足を運ぶ馬鹿な船の船員を招き入れ、自分達は生き残りだと言って油断させて酒に酔わせて殺す。
そういう蛮族だったのだ。
そんな事が後になって胸元の産着の中の手紙に書かれていた。
村人達は古い邪神を崇拝する邪教の信徒であり、彼女はその村で生まれ、巫女として怪しげな儀式の末に身籠ったのだと掛かれていた。
何年も何年も身籠った末に生まれてくるのが彼女の子なのだと。
しかし、邪教の地にありながら、彼女には生まれながらの良心が備わっていた。
人を殺すと胸が痛むと。
だから、自分が生んだ子……新たな邪教の司祭にして巫女となるはずの子を村から連れ出し、此処で全てを終わらせて欲しい。
そう、彼女は手紙の中で自分に書いていた。
村人達は信仰深く。
新たな神の巫女による儀式が行われなければ、自分達は滅びると信じており、実際に自分達の仲間を生贄に捧げ続けていたとも書かれており、赤子と共に何とか帰還した自分の話を揚陸挺の専任曹長以下多くの部下達が理解してくれた。
こうして先遣隊として来た揚陸挺及び後続として駆け付けてきた巡洋艦一隻の援護を以て……イギリスの地に残った最後の海賊を自分は討ち果たした。
この報告を海軍本部は海賊によるイギリスの名を語った巧妙な罠を辛くも脱出し、殺された同輩達の無念を晴らしたものであり、罪に問うような事ではないと不問に処したが、自分は遂にドイツの地を踏む事無く。
揚陸挺でアフリカ方面の海軍基地を幾つか点々としながら日本への帰途に着いた。
理由は単純だ。
脱出時、膝に傷を負った自分を本国に後送するという名目で残された小さな命を共に送り届ける事を海軍本部が決定したからである。
大勢の人々の助けを借りながら帰国した自分に子育ての伝手は無かったが、運良く知り合いの孤児院で受け入れてくれる事が決まった。
孤児達そのものから評判の良い外国人の子弟にも分け隔てなく愛を注ぐ老婦人の経営する場所だ。
人柄も良く子供達の顔も明るい場所ならば、きっとこの子も健やかに育つ事だろう。
家柄もあり、軍規からも両親や周囲にこの秘密を話す事は恐らくない。
だが、自分の寿命が病によって尽き欠けていると知った日。
あの子の未来に僅かばかりでも資すればと、いつの間にかこの秘密を預けられる人物を探すに至っていた。
君を探し当てたのは君が過去に出会った事件の事を聞き及んだからだ。
その事件の概要を調べた時、命の危険も顧みず外国人の子供の為に自らを盾として負傷したという話に君ならばと……そう思った。
これはとても傲慢なお願いだと自覚はしている。
だが、一人の人間として頼めると感じたからこそ、私はこの手紙を書いている。
この朽ち掛けた体であの子の周囲に危機が迫っている事を知った事は死出の旅路を前にしてあまりにも心残りだった。
日本に奴らの残党が入り込んでいる可能性が極めて高く。
退役した身で陸軍本部にも出向いたが、あの子に護衛を付ける以外に出来る事はもう無かった。
もしも、此処までの事を読んで少しでも同情してくれているのならば、どうかあの子の事を助けてあげて欲しい。
その見返りとして心ばかりではあるが、個人的な遺産を受け取れるように用意をしてある。
あの子が宮姓の下で安全を確保された事が確認されれば、後述する弁護士の先生から鍵を受け取る事が出来るだろう。
危険を承知で頼む私の事を何と謗ってくれても構わない。
『だが、どうか……あの子だけは……』
「……遺産て、そういう事なんだ。にーちゃん」
「佐高君……どうやら知らず君達を危険な事に巻き込んでしまったみたいだ……」
「いえ、付いてきたのは自分の意志ですから」
手紙が封筒に戻された。
「でも、おかしいな。もし、これが事実ならば、そのセードーカイとか言うのが、私が呼ばれていた事を知っていたという事になる」
「情報が洩れている?」
「朝の事件もある。仮にも宮姓の人間の事だよ。東京駅に向かうのは極一部の親しい人しか知らなかったし、今日のあの時間帯に事件が起きている事からしても時間までバレてた可能性がある。相手の情報収集能力が高過ぎる気が……」
「一端、何処かに退避しますか?」
「いや、普通の犯罪者には出来ない手口をする連中だ。手段はともかく。迅速に動いた方がいい。軍の護衛がどの程度有効かも怪しくな―――」
その時、車両が僅かに揺れて車両後部を横に振って急カーブを曲がり切り、速度を上げて夜の京都の道を疾走し始める。
すぐにゆうが前のミラーで後部座席の背後。
車外の追跡者を見て、溜息を吐いた。
「どうやら私達は泳がされていたみたいだ。後ろに3台。それも払い下げ品の軍用車。みんな伏せて」
途端、カカカカキュンと車外で音が連続した。
自称妹が小さなコンパクトを取り出して片手で後ろをそーっと確認し、顔を引き攣らせる。
「に、ににに、にーちゃん!? 追手だよ!? それも窓から上半身出して機関銃っぽいの持ってる!!」
「この車両は防弾性だから、45口径どころかマシンガンにも耐えるし、顔さえ出してなきゃ問題な―――」
ゆうが言っている傍からコンパクトにはこっちにも見える程にハッキリと闇夜の中に人型が車両からこちらに跳んだのが見えた。
「何か人が跳躍して、こっちに乗り移ろうとしてるんですケドー!!?」
「無茶苦茶な相手って事か。大佐!!」
『お任せを!!』
長車が瞬時に横に後部座席を振りながら180°回転しながら、猛烈な速度で慣性を使って飛び移ろうとしてきた何者かを弾き飛ばす。
「きゃぁあ!?」
自称妹の首を引っ掴んで伏せさせながら急発進した長車が対向車線の更に後方から追ってきていた車両の横を擦り抜けた。
『お嬢様。更に4台を確認致しました。相手の獲物は軍が裏市場に流しているデチューン済みの百式短機関銃のようです』
「まったく、軍部にはお小遣い稼ぎも程々にしておいて欲しいね」
『今度、幕僚総監部に言っておきます』
相手を振り切った長車が次々に車両を追い抜きながら、座席横で幾つかのつまみらしきものが弾かれる。
途端、電信用らしき設備が運転席横のサイドブレーキ付近に迫り出した。
すぐに片手で電信を打ち始めた大佐が自分の上から聞こえてくるモールス信号らしき音を聞き始めて。
『実働部隊が先に孤児院を確保したようですが、現在武装済みの悪漢と応戦中との事です。先程、お話の途中、先んじて向かわせていたのですが、どうやら敵は同じらしく。孤児院の子供達と養育者を避難中との事です』
「逃がせそうかな?」
「今回は前々より旅程を組んでいましたので完全武装の40人一個小隊を投入しておりますが、どうやら敵は奇妙な存在を用いているらしく。負傷者が出ているようです」
「奇妙な?」
「ええ、何でも銃弾を食らっても死に難く。更には腕力や身体能力が高い兵隊。いや、屍のようなものが複数確認されているらしく」
自称妹が思わず叫ぼうとしたので口を手で閉じておく。
『むぐぅー(うっそー)!?』
「……それって怪奇小説やダイムノベルで言う“ゾンビ”みたいな?」
「まぁ、有体に言えば……敵は怪しげな宗教団体という事ですし、何らかの人体を強化する為の薬や改造に手を出していてもおかしくありません」
「もしかして、さっき飛び移ろうとして来たのって……?」
『車両後部で殴り飛ばした際に電柱に激突してから起き上がったのをミラーで確認致しました。あながち嘘でもないかと』
「……増援は行ける?」
『部隊なら動員可能です。ただ、到着までには幾分か時間が必要かと思われ、退避先をどうするかによっては民間人に被害が出る可能性も……』
「分った。じゃあ、孤児院の避難をしている部隊に合流しよう。増援が来るまで敵に捕捉されても逃げ切れれば構わない。目標を分散させるより一か所に集めた方が彼らを狩り出すにも都合がいいだろうしね」
『分かりました。打電後、避難者の警護部隊と合流します。合流地点はどう致しましょうか?』
「……人気が無い寺社仏閣辺りがいいな……愛宕神社辺りでどうかな?」
『二つございますが』
「山の中の方で」
『分りました。部隊にはそのように』
テキパキと指示を出す彼女を見ていると、こちらに気付いてニコリとした。
「大丈夫さ♪ 何たって権力者って言うのはそれそのものが怪物、物の怪、妖怪みたいなものだからね?」
「分かってます。先日、大叔父の方と話してみて良く分かりました」
「あはは、あの人は宮角でも色々と特別だから……それより妹さんの顔青いけど」
すぐ口を開放する。
「ッ、ふはぁあ!? にーちゃん!? 可愛い妹を殺す気なの!? 死ぬかと思ったじゃん!?」
「後でサブレでも“ぱふぇー”でも何でも奢ってやるから」
「うん。にーちゃんスキ~♪」
その現金さとがめつさにある意味救われている気がした。
頭にフードを被せた後。
「一つ提案があります」
「提案?」
「情報が相手に漏れているという想定で動くなら、必要な事かと思うので」
「そうだね。詳しく聞かせてくれるかな? 佐高君」
「はい」
こうして道行く車両を追い抜いていく長車に揺られながら、長い一日の終わりが始まったのだった。