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イース~Planet Nine~  作者: TAITAN
3/7

第一計画【1999春Ⅲ】


―――東京駅構内。


 神国において当代一売れたと言われるのは東京駅の銘菓。


 クロタカ・サブレだというのは嘘間違いないの無い事実だ。


 年間3000万枚を全国に出荷するという怪物的な売り上げであり、事実として各地の百貨店においてはお土産と言えば、地元銘菓だが、菓子折りと言えば、クロタカ・サブレと言われて久しい。


「う~ん。このクロゴマの香りが美味しいんだよねぇ~~♪」


 古瓦の駅から東京駅まで向かう列車は常に超満員。


 だが、今日に限っては朝一の第一列車に乗ったので機関車の揺れも気にならない。


 すし詰めとはいえ、一等客車である。


 雑魚立ちの一般客車は正しく人間を棒詰めするが、一等客車は座る余裕がある。


 予約制で切符一枚2円というお値段は庶民が毎月懸命に働いて4円というご時世には恐ろしく高い。


 これを破格と思って使えば、きっと乗り心地なんて分からないに違いない。


 実際、横の少女は何とも思っていないからか。


 東京駅に着くまでニコニコして値段の事なんて気にしていなかった。


 そして、今や名物クロタカ・サブレを齧りながら、牛乳瓶を開けてご満悦。


 古瓦地域から出た事が無いという話だったので、これで今日は一日ご機嫌だろうかと脳裏で移動先を確認していた。


「にーちゃんも偶にはエスにイイコトするじゃん♪」


「何処に行きたい?」


「え?」


「行く場所の候補は色々と絞ってある。何をしたいのか聞ければ、要望に合った場所に行ける。妹殿」


「え、えへへ~~くるしゅーない~~にーちゃんは女心を良く分かってるのじゃ~~よ、スケコマシ~~♪」


「それは褒めてるのか?」


「勿論だよぉ~~じゃぁねぇ、じゃぁねぇ~~」


 駅構内の端。


 長椅子に座る自称妹が楽し気に何処へ行こうかと言い出す直前。


『オィィ? 何でガイジンのガキが、っく、ここにいるんだぁ?』


 行き交う人々は東京駅でもまだこの時間帯は少ない。


 しかし、始発でやってくれば、夜寝過ごしたサラリーマンと近頃は呼ばれる社畜……正しく企業家畜と言われ、毎日頭を下げて困っていそうな酔っ払いは多いに違いない。


 此処は地方から東京への玄関口であり、基本的に構内は迅速に使う為に人を夜も締め出さないのだ。


 レンガ造りの構内では清掃員のおばちゃんと売店のおねーちゃんと機関車の工員達が立ち働いているが、朝一番に絡まれているガイジンの子供なんてのは出来れば触りたくない存在だろう。


 だが、良識のある大人というのは案外多く。


 すぐに垢染みたシャツに零した酒の染みを付けた鼻の赤いヨレヨレスーツの男に苦言を呈そうという者が数名。


 男の背後から肩に手を掛けようとした時だった。


「っく、何でガイジンのガキがサブレ食ってて、オレらのガキは地べた這ってんだろうなぁ……」


 男が何かやり切れないという顔で横の自称妹の齧り掛けのサブレを見て、ギリッと歯を噛んだと同時に殴り掛かってくる。


 取り合えず的が必要だろうと殴られておく事にした。


「クソゥ!?」


 まぁ、そうも言いたくなるのが東京のサラリーマンという奴だろう。


 現在、帝都東京は外人融和政策というオカミの政策でザワついている。


 俗称【国外人養子縁組法】。


 その根幹は国内の税金による戦災孤児及び戦後の外国人居留者子孫の救済法案だ。


 結果論だが、東京都民及び日本全国で今まで大量にいた“敵国兵”の子孫達は日本人として組み入れられる事が決まり、多くが養子縁組と共に今後一切の異議申し立てをしないという文面で同意するに限り、帰化者としての義務を果たすなら、20歳までの財政的な支援を受けられる事になっている。


(……内地人でもガイジンでも地獄は同じ地獄、か)


 戦勝国と言っても国内は度重なる侵略によって戦災復興が遅れており、外地と呼ばれる飛び地となった国外獲得領土のせいで開発予算が流出。


 国内開発はその煽りで政府からの予算が削減されて現場はひっ迫。


 東北などは子供に身売りさせた金で家族が食い繋ぎ、多くの水商売の店では東北訛りの少女が売りに出されて、男達の愛人などはまだ良い方で場末の売春宿では値崩れした相場で体を売っている。


 持ち出し分だけ国外開発は損をして、数十年後にようやく回収出来る見込みとされているが、今や飢饉でもないのに文明的な生活の出来ない農民は全国各地で声を上げている最中だ。


 戦時の敵国領土から工業地帯を幾つか割譲された事もあり、産業が国内で空洞化しつつあるとも囁かれ、全体的な国力そのものは伸びていても国内は“勝利故の傷”に見舞われているのだ。


 それは資金的な側面だけではなく。


 様々な環境面にも言える。


 それこそ最底辺の社畜ともなれば、子供の明日はどう転んでも同じ社畜以上ではないと言われる事も多いし、都市部の労働者が海外の安い労働力で仕事を奪われると外国政策を批判、集団騒乱を起こした事もここ数年は一度や二度ではない。


「ッ」


 一発頬に貰ってよろめきながらも背後の自称妹は庇っておく。


 そして、二発目が来る前に男が背後の期間工らしき繋ぎの男に羽交い絞めにされて止まった。


「遣り過ぎだぞ。おっさん……子供に手ぇ挙げる親が良い親なもんかよ」


「ッ………」


 その言葉に酔いも醒めたらしく。


 男がこちらを見て、怯えた様子で自分の後ろに隠れている体が震えている様子でも確認したのか。


 だらりと体から力を抜いて膝から崩れ落ちた。


「………」


 そうして、顔に片手を当てると何やら後悔したような顔になり、震える手で何やらゴソゴソとやり出して、自分の懐の財布から札を何枚か取り出すと何も言わずにこっちの手に握らせ、ヨタヨタと無言で去っていった。


 その札を見れば、1円札は1枚だけで後は戦時に大量に増刷された軍票だった。


 戦時に発行された通貨の代わりである。


 ついでに言えば、殆ど今では使えない回収中のものばかりだ。


 下町辺りやアングラな場所では未だにまだやり取りされている事もあるが、国内のまともな店舗ではもう使われていない事の方が多い。


「災難だったな。坊主……それと勇気あるな」


 そう言って、こっちに近付いてきたのは期間工の男だった。


「止めて下さって、どうもありがとうございました」


「ああ、いや、謝らなきゃならねぇのはこっちさ。お前らみたいなガキが悪い事なんぞ無ぇのは誰でも知ってるだろうに……まぁ、勝利が常に甘いわけじゃねぇって事なんだろうな」


 まだ二十代前半くらいだろう。


 機械油で汚れたツナギを着た男は陸軍にいたと言っても通用しそうな筋肉。


 厳ついというよりは愛嬌のある猛犬のようだった。


 髪を背後で一つ縛りにして、快活に笑う様子は国外で言うタフガイというよりはナイスガイの類かもしれない。


「オレは【或内昭介(わくない・しょうすけ)】」


「ワクナイさん……」


「ああ、此処で機関車の整備、要は機械弄りが仕事でな」


「佐高理人と言います」


「妹さんが怖がっちまうな。これ以上は……もう行くぜ。この時間帯の東京駅はああいう不満だらけの酔っ払いが多いから、日の高い時か。あるいは人の目がある時に来いよ。じゃあな」


「ありがとうございました」


「あ、ありがとうございました!!」


 自称妹も一緒に頭を下げてから、背中をこちらに向けて手のひらをヒラヒラさせて去っていく筋骨隆々の体にああいう真面目な若者もいる東京駅にはまた来てもいいかとイソイソその場を後にする。


「……にーちゃん。あ、あの、ほ、ほほ……」


「気にするな。もう治ってる」


「ぁ……ぅ、ぅん。ご、ごめ、ごめんね。ぐす……っ」


 涙目の自称妹は震えながら横から腕を抱き締めている。


 オカミが如何に民草に融和しろと唱えても世間はそう簡単に意見を曲げたりはしないというのが現状なのは間違いなかった。


(取り合えず、途中で甘味でも買うか……)


 何処に行くにしても別の駅に向かうのが良さげであるのは間違いなく。


 今更、この駅から何処かに向かうという気分でも無くなっただろう自称妹の事を鑑みても落ち着いた場所に向かう事にした。


 次は酔っ払いがいない場所にする事は間違いない話。


 結局、未だに少し怯えているエスノラートを連れて新宿方面へと向かった。


 *


 近隣の中で一番まともな古着屋がある場所こそ新宿だ。


 元々は鉄鋼業の中でも古瓦の下層労働者達が使った古着を売却する場所として発展し、銀座方面の新品を扱うような百貨店がある場所とは違って、着古した装いの民間人とその間での流行が集う場所になっている。


 路地裏の一角には専門店が複数合って、高額の着物や軍装や礼服の中古品を売る場所も存在する。


 ただ、戦争が終わってから多くの軍服が中古市場に流れていた事から軍用フロックコートが今までは主流商品として並べられていた。


 が、現在はそれも廃れつつある。


 外地と呼ばれる獲得領土から大量の資源と資本と商品が安く流入した事で当時から在った伝統的な古着屋の扱う殆どの商品は格安を飛び越えて激安と称してよい値段にまで暴落。


 現在は多くの古着屋が商品を外地産の商品や多少高い商品に切り替えている。


「予約していた佐高です」


 ズラリと子供用に仕立て直した軍用フロックコートが置かれた店の中。


 古い布地独特の臭気をカラカラと回る換気扇で誤魔化している中規模の古着屋。


 店奥のカウンターには禿げた老人が一人店番をしながら、ラヂオを掛けて、競馬新聞を読んでいた。


「おう。電信で注文してた品だな。先払いだ」


「どうぞ」


 5円札を二枚で払うと老人がニヤっとした。


「このご時世になぁ。子供用の服にそこまで金掛けるもんかねぇ……随分と気前が良いじゃねぇか」


「大事な妹に着せるものですから」


「はは、こんな寂れた古着屋に大そうなもん調達させやがって……で、着るはずの妹さんは?」


「今、此処の奥のショーケースの古着を選ばせてます」


「そうかい。こっちだ」


 古着屋の老人が捩じり鉢巻きをして、カウンターを鍵で開けて、奥の扉に向かう。


 それに付いていくと奥の扉を開いて先に入っていく。


 付いていくとコンクリート製の打ちっぱなしの部屋の中央。


 子供用として仕立て直してもらった品がマネキンに着せられていた。


 モスグリーンの陸軍将校用の厚手の代物だ。


「来歴は聞いておくかい?」


「一応」


「外地で使ってたのは陸軍の現地将校。“例の学徒隊”の上級士官だって話だ。ただ、胸に一発食らっちまって、生きてたはいいが、買い替えたんだと」


 普通の軍用フロックコートにも見えるが、仕立て直した胸元には僅かばかり、パッチが当てられていて、錆びた風に汚した黒鉄の旭日という具合の意匠はお洒落と言えるかもしれない。


「そっちのお望み通り、宮下紡績の最新生地で補強してある。内側は通気性抜群。外側は貫通しないように軍用の前線用一等級生地使って縫製。仕立て直した際に余った部位で手袋も付けといた。急所には今話題のセラミック合板だったか? とにかく防弾用の板を入れてある。頭部のフードも側面と後頭部に複数枚。軽いが貫通はされねぇよ。つーか、9mmライフル弾じゃどうにもならんだろな」


「ありがとうございます」


「それと宮下の孫会社が出してる光を殆ど反射させない生地ってのは入手したが、どうにも材料が分からんくてな。一応、上から被るだけの簡単な縫製にしてある」


 老人が黒い生地で子供くらいならすっぽり入りそうな大き目の被る頭巾状の黒い膜を取り出した。


 それを受け取りながら部屋を出る。


「それにしてもライフル弾貫通しねぇ服なんぞ今時この神国で欲しいもんかね」


 背後の老人がチビたタバコを加えて肩を竦める。


「それを言うなら、戦前からやってるこういうアングラの店が未だに軍用品を仕立ててくれるのも同じようなものでしょう」


「ははは、ちげぇねぇ♪ オレの代で元呉服問屋も何も為せずにしめぇだと思ってたが、最後に良いもん作らせて貰ったぜ」


「廃業ですか?」


「ああ、銀座でクソ高ぇビルの百貨店が出るって知ってっか?」


「ええ、国外の外地企業が進出したとか新聞で」


「おうよ。ゾーン・ラーだったか? 近頃、埃及(エジプト)方面から進出して来てる同盟国企業ってヤツの直営店だ。そこんとこに大規模な中古店が出来るらしいんだ。此処が立ち行かなくなる前に畳んじまおうと思っててな」


「賢明かと」


「かかか♪ ま、同じようなのを仕立てられるのはまだ数件残ってる。仕立て直す時にはそっちを使いな。これそこの名刺な」


 老人が横から渡してきた複数枚の名刺を受け取って頭を下げ、カウンターまで戻ってくると目をキラキラさせた自称妹がフロックコートならぬ可愛いと評して良いだろうフリルが山盛り付いたコートみたいな何かを手にしてムフゥと鼻高々に自分の目利きを自慢していた。


「………フリル、付けるのにどれくらい掛かります?」


「はは、3時間くらい」


 老人が苦笑して請け負ってくれた。


 それに一円札を渡して、不満そうにアレがいいのーとぐずる妹をズルズル引きずって周囲の店舗へと向かう事にしたのだった。


 *


「ぶぅ~~にーちゃんはアレだね。魚に餌をチラつかせてから取り上げる悪逆非道な悪者役が似合うね。絶対」


「それを食べたらもう一度行って受け取る。今度はフリル付きで……それでいいだろうに」


「アレが良かったのぉ~~~!!? あの白いフリフリがぁ~~」


 そう言いながら、喫茶店の巨大な塔の如き“ぱふぇー”を頬張る様子はふくれっ面と甘味への蕩けるような笑顔を交互に行き来している。


「分った。昼は好きなのを食べていい」


「えへへ~~にーちゃん好きぃ~~♪」


 現金な妹がニッコニコで白いクリームと砂糖と果実の山に没頭し始める様子に肩を竦めつつ、路地裏の窓際から大通りを見やる。


 当代、神国の庶民というのは極めて裕福であると言われるのは主に衣食住に最低限度の保証が付いたからとされる。


 その大半は下層民が現行で革命なんか起こしそうにないという点にあり、最低限以上を望むから人は不幸になるという逆説的な貧困が今日では一般化した。


 詰まるところ、一般人が毎日の米を食うには制度を利用すれば困らないが、菓子を買おうとすれば、とても困るという事だ。


(他の大国なら放っておかれるガイジンにすらお目溢しや福祉がある……国外から見れば、此処は温い地獄と言ったところか)


 自分達の住まう場所もドヤ街にあるという点では福祉政策の一環である。


 道端を行く浮浪児すらも最低限の軍用で古着なフロックコートを着用しているし、解れた場所を縫い合わせ、布を当てて補修したものを着込んでいる。


 それも全てはオカミの政策なのだから、恵まれてはいるのだろう。


 国営の孤児院だって拡充されたし、悪ささえしなければ、ガイジンも学校に通わせて貰えるのだから、ある意味そこらの働き詰めのサラリーマンよりは気楽に生きているかもしれない。


(……少し浮浪者が増えたな)


 だからなのか。


 近頃、サラリーマンと呼ばれるような中間層から最下層の労働者達が安い労働力の海外に負けて倒産する企業から放り出される事が増えた。


 一部が国の再出発の為の支援を受けているというが、その枠にも漏れるような悪行だったり、問題行動を起こした人々は国にすら見捨てられて、道端の浮浪者として闊歩している。


 軍警察にしょっ引かれない程度に人目の無い場所にいる事も多い彼らだが、路地裏にはそれなりにいる為、リヤカーを引いている者は多くなった。


 大きな廃材から小さな空き瓶まで何でも回収して歩く彼らが足を棒にして集めた廃品を古瓦のドヤ街にあるジャンクヤードに集めている姿は日常の一幕だ。


「そろそろ、時間だ。あの古着屋に戻―――」


『臨時ニュースをお伝えします。臨時ニュースをお伝えします。本日正午、東京駅近辺において不審な外国人集団による違法騒乱容疑で複数の逮捕者が出た模様です。東京駅にお越しの際は一般人の立ち入りは一端見合わせる事を―――』


「にーちゃん。何か駅であったっぽいよ?」


「……帰りの切符は東京駅発で取ってある」


「大丈夫? えっと、こういう時は歩きでもエスは気にしないよ?」


 自称妹の目はチラチラとこちらの頬を見ていた。


 殴られた跡は残っていないが、それでも朝の事は気にしているらしい。


「取り合えず、あの古着屋で受け取ったら、駅の方を確認して考えよう」


「う、うん。あの……」


「?」


「えっと……まだ言えてなかったけど……」


「何だ?」


「……守ってくれて……ぁ、ぁりがとぅ……」


 本当に申し訳なさそうなしょぼくれた顔の少女の頭をグイグイと帽子越しに撫でておく。


「口を拭いたら出発だ」


「う、うん!! えへへ」


 その笑顔が今日一日続けばと思いながら、勘定にして店を出る事にした。


 それから古着屋で色は変わらないがフリルの付いたフロックコートを受け取ったままに店内で着せて、今までのは買い取って貰った後。


 イソイソと東京駅に戻ってくると案の定。


 軍警の武装走行車両が止まっていた。


 全体的に四角い6輪駆動の車両が2台。


 更に一般の警察車両が2台。


 周囲を警戒している様子で人々が恐々と横合いから敷かれた検問を抜けて東京駅へと入っていく行列が長打と化しており、あちこちではヒソヒソと噂する人々が何やら東京駅の中央広場の方面を指差していた。


「あ、何か飛び散ってる? 紙?」


 言ってる傍から何処からか春の強風が吹いてきて、妹の顔に何かがバヒュッと張り付いた。


「うわっぷ!? な、なにこれぇ!?」


 横合いからそのチラシらしい紙を取って見る。


「……1999年。ノストラダムス卿の大予言。二つの隕石によって人類は滅び。太陽の化身が世界を焼き尽くすだろう」


「えぇ~~!? にーちゃん、この文字読めるの!?」


「単なる英語だ。古い英語みたいだが……」


「さっすがぁ♪ ベンキョーだけは出来るもんね♪ にーちゃんて」


「だけは余計だ。それにしても……」


 チラシには緑色の甲殻が罅割れたような不気味な象形が左端に描き込まれており、多くの人間には分からないだろう英語で書かれてある事を差し引いても当代の東京駅で配布するには聊か場違い感が否めなかった。


(イギリス英語? あそこはもう国土全域が廃墟になって久しいはずだが、何処かの過激な支援団体でもいるのか?)


 これはダメそうだとチラシを捨てて別の方法で帰ろうとした時だった。


「オイ。そこのお前」


「?」


 見れば、軍服に黒いマスクに軍用ヘルメットを着込んだ男が立っていた。


「そのチラシを読んでいたな?」


「ええと、風で飛ばされて来たのを手に取りました」


「読んでいただろう?」


 呑気に中身を確認していたのはどうやら不味かったらしい。


(仲間達への合図か符号の類の可能性があるのか)


「実は英語は得意な教科で読めたら不味かったですか?」


「ちょっと来い。そっちの妹もだ」


(これは困った事になったようだ)


 仕方なく付いていくと軍用車の背後から数名が出てくるところだった。


「ンキィィィ~~~!? あんな不良ガイジン共にしてやられたなんて軍警は一体何をしてるの!? 千年祭だからって弛んでるんじゃないの!? もぉ~~いや!? 本当なら外地で休暇だって言うのにぃぃぃぃぃ!!?」


 ヒステリーを起こしていたのは明らかに帝国陸軍の将校らしい軍用コート姿のやせぎすな40代の男だった。


 その爪は赤く塗られており、まるでナイフのように尖っている。


 ハンカチを口で噛み引き千切り、周囲の無言の護衛の兵士達に怒鳴っている姿はまともな軍人とは言えそうにも無い。


「ん? オイ!! そのガキは何よ!?」


 ナヨナヨと歩きながら、ソレがこっちにやってくる。


「ハッ!! 先程のチラシを読んでいた為、連行して参りました。これから取り調べです!! 恐らく関係ないと思われますが」


「あん? 関係無いぃ? あんたらの目は節穴なの? 何処の現場に防弾コート着込んだガイジンのガキがいるってのよぉ!?」


―――。


 思わず不味いと内心で顔が渋くなる。


 自称妹に着込ませている軍装はそれと分からないように偽装した代物であるが、地上戦をやってのける玄人な軍人が見れば、防弾コートなのは分かってしまう。


 内地にそんな軍人がそうウロウロしているとは思えなかったが、事件のあった場所をウロ付いていたら明らかに絞られる対象だ。


「防弾?」


「ええ、そうよ。外地で使ってるヤツによく似てるわ。しかも、実戦仕様の縫製じゃないの。こんなの今時何処でやってるわけ? そ・れ・に」


 ジト目のナヨナヨ軍人が固まっている自称妹の胸元を小指で突いた。


「この感触……最新のセラミック合板じゃない? こっちは詳しいのよ。何せ同じもん付けてるわけだしね」


 ネズミを見つけた猫のように瞳を細めて嗜虐的な笑みを浮かべた相手は確実に妖怪の類だろう。


「実は妹に掘り出し物の軍用コートを送ったばかりなんです」


 そう相手の前に出る。


「へぇ? じゃあ、アンタがそのガキの代わりにウチの取り調べ室に入ってくれるわけね? クソガキ」


「ええ、それで構いません。妹は何も知りませんし、あのチラシを読んでいたのは自分ですから」


「ほほほ、潔いじゃなぁーい? でもなぁ?」


 近付いた男の膝がドガッと鳩尾にゼロ距離からめり込んだ。


「ッ」


「ガイジンのガキが決める事じゃねぇんだよ!!? ああんッ!!? この賢しらなガキが!? こっちは休暇取り消しで呼ばれて気が立ってんだ!? クソ忌々しいテメェらガイジンのガキに日本人の余暇を取り消して、不愉快にさせる能力があるとすれば、それはもう不良じゃ済まねぇんだよぉ!!」


 前髪を掴まれて引っ張り上げられる。


「にーちゃん!? な、何するの!? こい―――」


 背後の自称妹を手で制止する。


「ほぉ? テメェらみてぇなクソにも家族愛があるとはなぁ?」


「妹は関係ありません」


 そう言うと今までの険しい顔が嘘のようにニコリとした笑顔が浮かべられる。


「……いいわよ。じゃぁ、ウチの取り調べ室に連行して7日くらい入ってて頂戴な。死なない程度に吐かせる玄人が揃ってるのよ~~? んふふ」


「あ、あの、日高三佐……さすがにそれは……」


 兵士の一部が困惑した表情で上官を見やる。


「あん? 何か文句ある? 不良ガイジン共のチラシを見てた防弾コート使ってるガイジンのガキがこの件に関わってないとする理由があるとでも?」


「……いえ、ありません」


 部下達もさすがにそこまでは言えないらしく。


 自称妹のコートを取り上げようと手を伸ばし、それに思わず後ろに下がった様子にいいから渡せと目配せした。


 しかし、涙目でギュッとコートを抱き締めた様子に何処か嬉しさ半分、これ以上の揉め事にはしたら一緒に拷問部屋行きだと口を開こうとした時だった。


「さぁ、お嬢ちゃん。そのコート、こっちに渡し―――」


「待たれよ」


 そう声が掛かったのは妹の背後。


 白い御髪に簪が僅かに映える。


 思わず自分の頬を抓りたくなった。


「あん?」


「やぁ、佐高君。今日は妹さんとお出かけと聞いてたんだが、どうやら困っているようだ」


「ああ、はい。その……どうやら事件に巻き込まれてしまったようで……」


「アンタだ―――」


 うざったそうにそちらを見た男が白髪に思わず黙り込む。


「そちらは陸軍の情報総監部の方でありましょうか?」


 兵士達の囲いを抜けて、自然とこちらを降ろした軍人を前に一歩近づき。


「お初にお目に掛かります。私は―――」


「み、宮角の……」


「はい。長女の結と申します」


 頭を下げた少女に思わず怖気も振るう様子で男が後ろに下がった。


 まるでホワイトナイト、白馬の王子様、あるいは大陸で言う武侠の主人公染みた登場と行動……もはやその格好良さは絵物語だろう。


「こ、これはこれは……宮姓の方がこのような場所にどうして?」


 すぐに取り繕った様子で猫なで声になった男が神経質そうな瞳だけを笑わせずに相手に相対する。


「実は東京駅から取り急ぎ向かう場所がありまして。そこで友人が揉め事に巻き込まれている様子なのを見つけ、見るに見兼ねて」


「友人? このガイジ、ごほん。この少年が?」


「ええ、実は親しくさせて頂いているクラスメイトの一人なのです」


「ほ、ほぉ?」


「彼は我が大叔父とも面識があり、先日は一緒に世の不合理を論じる程に語らい合ったりしたばかりで」


「ほ、ほほう? それは……どうも……【宮角巨兵みやかど・きょへい】氏と語り合う事が出来るとは何とも今後が楽しみな若者ですな」


「はい。実は彼の事も用事の後に尋ねようと思っていたのです。妹さんの事で色々と話しがあり……ところで此処で何が?」


「宮姓の方に言えるような事は何も……オイ。引き上げるぞ!! 関係の無い連中は解放する。それではこれで……実は忙しく。応対出来ず申し訳ないのですが……」


「いえ、我が国の玄関口に等しい場所での事です。きっと、重大なお仕事がお有りなのでしょう。気にしておりませんので、存分にお働きを……」


 すぐに一般の警察以外の車両が慌てたように引き上げていく。


 そして、検問所を前に起きた自分にニコリとした白髪の少女は一言。


「もう。佐高君は本当に巻き込まれ体質だなぁ。ふふ」


「……今日は否定しないでおきます」


「にーちゃん!? 大丈夫!? 痛くない!!?」


 すぐに駆け寄ってきた妹に大丈夫だからと言い置いて、人目が付かない場所を求めて周囲を見回すと見慣れた鞘染みた長車がすぐ横の車道に止まった。


「さ、行こうか? 特別列車を用意してあるんだ♪」


「特別列車?」


 何もよく分からないまま。


 妹と共に悪い軍人から救い出された兄妹はこうして短い旅人として、白髪の乙女に付き従う事になったのだった。

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