第一計画【1999春Ⅱ】
「はぁ~~今日も楽しかったなぁ……」
宮角結は西洋製の天蓋付きな寝台上でゴロゴロと転がっていた。
彼女の部屋は調度品こそ多いが、アンティークと畳のアンバランスさが目立つ何処かチグハグな場所だ。
広くはあるけれど、西洋被れと揶揄されるような家具で固められている様子は国士のような愛国者達には受けが悪いかもしれない。
しかし、西洋風の内装は壁紙から畳まで何一つ手抜かりの無い一品であり、買っているというよりは献上されているものに近しい。
寝台の上で大きな熊の木彫りのようなぬいぐるみを抱きしめながら、彼女は珈琲と麦茶の区別も付かない店で苦笑していた横顔を思い出す。
(佐高君は珈琲が好きなのか。ちゃんと書き留めておこう……)
彼女が起き上がって、寝台横にある黒檀の机の上に向かい。
イソイソと日誌を書き始めた時だった。
『ユイねぇ!! ユイねぇはいる!!』
通路の先から足早に床を踏み鳴らしてくる物音。
それに少しだけ面倒そうな苦笑する瞳になった彼女はパタリと日誌を閉じて、やって来た相手を出迎えるべく襖を開いた。
「何だい? ウチの次の次くらいの当主殿?」
彼女の前に現れたのは学ラン姿のまだ10歳程に見える弟であった。
だが、実際にはまだ8歳であり、随分と大人びていると周囲からは言われている。
黒髪に彼女と同じ黒い瞳。
しかし、髪の毛の一部が白く染まって僅かに伸ばした背後にしっぽのように伸びている様子は何処か子犬を思わせるかもしれない。
愛らしいかんばせは彼女によく似ていたが、その瞳には負けん気という文字を具現化したような不機嫌さが宿っており、眉は顰められている。
「姉上!! またあの男と出掛けたそうですね!!」
「あ、また兄さんの真似までして~可愛いんだから。ふふ」
彼女が制帽の上から頭を撫でると彼女の弟。
【宮角玲】
次の家を背負って立つ男児……とは分かってもやはりどうにも愛らしい少年は頬を染めて怒っていますという顔を作った。
「レイは認めません!!」
「う~ん。ウチの仕入れてる紅茶はメリケンのアーカム郊外の畑からのものらしいんだけど、やっぱり東インド会社が扱ってるセイロン辺りに切り替えよう。そうしよう」
「誰があの不味い紅茶の話をしてるんですか!! あの男の話ですよ!! あの男の!!」
「ほう? どの男の話なのかな? 弟殿」
「く、子供扱いしてぇ!!? この間、脅したばっかりで正気ですか!? あの男は!? 姉上を誑かして本屋に行くなんて!!」
「違うよ。弟殿……アレは私が誘ったんだ」
「な―――は、はしたないですよ!! 姉上!!」
少年が驚きながら、頬を真っ赤にしてあわあわする。
「さっきみたいにユイねぇって言って欲しいなぁ。その方が可愛いんだけどなぁ?」
悪戯っぽく彼女が微笑むと。
「う、うぅ……こ、これからは宮角の男として立派になると決めたのです!! 特にあの何処の馬の骨とも知れないガイジンみたいな男に姉上が誑かされないように!!」
ふんすと鼻を膨らませて力説する弟の愛らしさに彼女がまた頭を撫でる。
「佐高君は立派な方だよ。同年代の異性達よりずっとね」
「具体的には!!?」
レイはそう姉に食って掛かる。
「自分の事を普通と思ってるところとか。穏やかに見えて、冷酷なところとか。この当代で必死に自分を律しているところとか、かな」
「ご、誤魔化されませんからね!!」
「あはは、まだ分からなくてもいいよ。弟殿も大きくなれば分かるさ。きっと、その頃には親友になれてるんじゃないかな」
「あ、ありえません!! とにかく!! 姉上はあんまりあの男に近付かないで下さい!! いいですね!?」
「ふふ、忠告だけは受け取っておくね。ささ、いつまでも女性の私室に入り浸るものじゃないよ。今日の分のおやつはさっき作っておいたから、食べておいで。中村さんが出してくれるから」
「あ、ありがとうございます。その……おやつの中身は何でしょうか?」
釘を刺し終えてコロッと今日のおやつに気を惹かれる弟の様子に彼女はやっぱり可愛くて仕方ないという顔で微笑む。
「今日は弟殿の大好きな胡麻餡を挟んだサブレだよ?」
「っ」
「クロタカのには負けるけどね♪」
「そ、そんな事ありません!! 姉上のおやつは世界一です!!」
「ふふ、ありがとう。じゃあね。これから宿題なんだ」
襖が閉じられて、彼女は弟の足音が再び駆け足で屋敷の台所に向かっていく様子を聞きながら座椅子に戻って日誌を開く。
楽し気にそこへ今日在った事を書き込みながら、彼女は目を細めて、書店で誘ってくれたお礼にと言われて渡された薄桃色の栞を日誌に挟んで閉じる。
その栞はほんのりと桜の香りがしていた。
*
『はぁ~~東は東国、西は西国、世の果てから果てまでもズズズイーと行き過ぎまして、我ら神国の帝国陸軍は欧州独逸、波蘭までも進出し―――』
軍事漫談が流されている夕暮れ時の商店街。
囲碁や将棋を打つ腹巻姿のおっさんがワンカップの焼酎片手に安扇子を仰ぐ様子も日常ならば、今流行りのパーマとやらを掛ける着物姿の女性も多い。
そんな商店街の最中、割烹着姿の女将が呼び込みをする定食屋の一角。
少年は今日の夕食であるアジフライ定食を平らげ。
チラリと時計を見やった後に飴色のカウンターに硬貨で置いて外に出た。
『や~ん。ミチル困っちゃう~~~♪』
『ミ、ミチルさん!! オレとお付き合いしてください!!?』
『う~ん。でも、君って家が工場だったよねぇ?』
『へぁ!? そ、そそそ、それは―――』
『う~~ん。ミチルねぇ? 油臭いところよりもお花の匂いが好きだから、ごめんねぇ~~?』
『そ、ぞんな゛ぁ~~~!!?』
駅近くで学ランを着崩して毎日屯している不良グループも居れば、安酒に酔って公園でオマワリサンに連行されるサラリーマンもいる。
勿論、徹夜で麻雀をしている大学生も山程に雀荘の経営を潤している。
そんな退廃的なご時世だが、西洋料理も良いものだと、カレーだとか、オムライスだとか。
そういう料理までもが日本式洋食と謡われて、何処の街角の安食堂でも流行っており、実際おいしいというのも本当のところだ。
だが、それでも珈琲だけは中々に専門店でもなければ、知られていない。
(それにしても麦茶を焦がせば珈琲になるという発想はスゴイが……)
東京大鉄道網の完成から数年後の現在。
更に延伸に延伸を繰り返した古瓦の鉄道は中央商業地から伸びる7本が陸地を走り、残りは渦を巻くように繋がって、各駅は海溝を跨ぐ油圧式の跳ね橋と橋梁群によって繋がる。
そんな駅の一つに乗って東回りに乗れば、15分程で猥雑な路地裏を多数抱える団地の傍に出た。
周囲には競馬とニュースを垂れ流すラヂオ放送が掛かりっぱなし。
ネオン看板が道を半ば占拠していて、行き交う人々は何処か潮風に吹かれても尚、爽やかさとは無縁で埃っぽい。
『あ~ん。お客さん。ちょっとダメよぉ♪』
お水商売が多い区画では嬌声が響き。
喧嘩の怒号や銃声も珍しくない。
さすがに薬はご禁制だと表立って扱う者はいないが、それは大半が地下に潜っているからだ。
【ヒロポンあります】の落書きと電信番号は街の至るところにある。
特に戦後復興の遅れから傷痍軍人達の多くが食い詰めてヤクザ者になった経緯もあって、軍警からのお目溢しが常態化していた。
そのせいで特定の最下層にしか売らないという不文律で販売は拡大し、日本国内で麻薬の販売が頭打ちになった後は国外で敗戦国の国民に売り付けて大儲けしているというところすらある。
スラムと国外ならば言うらしいドヤ街は日本でも8か所程しかなく。
古瓦のものは中でも最大の組織構成員を持つ組が仕切っている為、アングラでありながらも政治と軍警からの暗黙の了解の下、地下経済の中心地となっていた。
(武器弾薬、横流しされた合法違法の薬物劇薬、国外からの外人奴隷に国外植民地へ行く三泊四日の売春旅行まで……此処で売ってないのは社畜サラリーマンと良家のお嬢さんくらいなんて、まったく誰が言い出したんだか……)
団地内部までは歓楽街ならぬ裏路地は侵食していないが、すぐ隣は麻雀パイを掻き混ぜる音と蒸気機関車の音が子守歌という環境。
勿論、格安の物件しかないし、それを気にしない変人や値段を気にしていられない貧乏人しか住んでいない。
コンクリート製の築30年の都立職業安定団地。
つまり、貧乏人には無償に等しい金額でロクに整備もされず貸し出される団地の内部では子供ですら学校に行っていない者が多い。
そもそもの話として戸籍が無い上に東京都にやる気が無いのだ。
何故なら此処に住まうのは票にならない政治不参加を約束した税金滞納者もしくは税金不払者と犯罪者崩れ、精神異常者、中毒者、その家族だからである。
「ただいま」
団地の奥まった棟の2階32号室。
昇降機も付いていない場所には階段でしかいけない。
あちこちの踊り場では年若い十代前半のカップルが盛り場として利用していて、顔見知りが致している事はしょっちゅうだ。
此処で性犯罪にあっても警察は何もしてくれないだろうし、そもそも警察に行っては後ろに手が回る人間とその家族しかいないと言って差し支えない為、誰もそんな被害届を出したりもしない。
そんな場所だからこそ、ごみ袋が散乱している場所もあれば、腐臭が漂う場所も、未だに死体が片付けられていない事故物件すらある。
それでも年に1回は大清掃と称して自治会が死人の部屋を片付けるし、此処にいる子供にコンドームを配って早熟な犯罪者予備軍及び生まれた時から性病塗れの遺伝子異常だらけな少年少女達に薬を配布して回ったりもする。
「あ、お帰りなさい。にーちゃん」
扉を潜るとトテトテと足音。
安い床は軋みこそしないが、磨いても汚れた板材の曇りは取れない。
そこを通ってやって来たのは妹と言うには血の繋がらない少女だ。
「あ、おにーちゃんだー」
「兄貴ぃ~~お帰り~~」
「お兄ちゃん。お帰りねー」
名前も知らない少女達が複数人。
大判が薄汚れた着物を繕った丈の短いスカートやら、軍用の古びれて継ぎ接ぎだらけのフロックコート姿で出迎える。
フリーリングや畳敷の床の上には明らかに妊娠している者もちらほらといて、菓子パンと牛乳を低いちゃぶ台でモシャッていた。
最初にやってきた褐色の肌に縮れた金髪をおかっぱ頭にした少女。
エスノラート。
母親がガイジンの抑留者の直系という少女は世が世なら欧米の英雄の娘として本国で不自由ない暮らしをしているという相手である。
「にーちゃん。今日もお客さん一杯だよ~」
「客が一杯ってだけで世の中は荒んでるな」
「もぉ~~そんなネガ言っちゃって~愛国少年じゃないんだから、憂国の士なんて流行んないよ~?」
明るい少女はカラカラ笑う。
だが、彼女の身の上は笑えないものだろう。
祖父は攻め込んできてから捕らえられ、家族と共に抑留後に開放されるも本国からは情報を売ったという事で戦争犯罪者扱い。
結局、何も罪には問わない。
いや、問う必要もないと日本国内で放置されている状況を許容して、日雇い労働者として彼女の母親を育て上げ、立派に送り出す前に無理が祟って他界。
最終的に彼女の母親は父の高潔な魂とやらを受け継ぐには母も病で亡くしたせいで売春婦として“ドヤ街堕ち”と呼ばれるような境遇に転落したのだ。
「あ、それと夕食作る時くらい別の服着ろって言うから割烹着買ってきたからね~見惚れちゃうかも~~くふふ」
彼女は好きになった男との間に出来た唯一の出産したい子供として生まれたが、その頃には梅毒で頭が逝ってしまっていたとの事。
そのせいで今では廃人受け入れ専門の精神病院に投獄の如く収監。
毎日、何処かの製薬会社の新薬を処方されて、その被検体としての金で少女と自分を養っている。
まぁ、表向きの金を受け取っているのは彼女の何処かにいる父親で彼女には一銭も入りはしていないのだが。
「にーちゃん♪ 今日もお願いね~」
エスノラートがピトリとくっ付いてくる。
軍用フロックコートを短く仕立て直したものを着込んだ少女はニヒヒと笑みを浮かべる。
「……仕事とはいえ、また増えてないか?」
「うん。あっちはエーノ、そっちはユル、あっちはファンファンだよ? 覚えてる? 前に見た子」
「どうも。おにーちゃん。初めまして。エスちゃんにお世話になってまーす」
「お兄さんがエスちゃんのお兄さんなんですかぁ~~?」
「ずっと自分の事を患者に兄と呼ばせる変態とか思っててごめんなぁ。あんさん本当に出来たお人やで?」
その言葉に多少顔が引きつるが溜息一つに留めておく。
「はぁ……ウチの牛乳と菓子パンは絶滅中か」
東南アジア系の顔もあれば、欧州系、中央アジア系、欧米系もいる。
少女達の大半はこの近辺で親に育児放棄されて、幼い頃から組が運営している売春宿所属の売春婦や情婦、夜鷹をしているか。
もしくは物乞いや何らかの食い扶持を稼ぐ専門職、日雇い労働者として違法労働に従事している者ばかりだ。
薬の売人に使われている者もいれば、バカみたいに毎日客を数十人単位で取っている者もいるが、その殆どは30歳までに体を壊して病院に収容されて死ぬか。
もしくはそれすら叶わず野垂れ死にするというのが日常である。
若い身空で梅毒と淋病その他のあらゆる性病に膿み。
下を垂れ流して孤独に死んでいく女は正しく星の数というのが実態だろう。
「見てあげてよ。ね? ね?」
「……並ばせてくれ」
「はーい」
仕方なく。
煮沸消毒済みの器具が閉まってある金庫を開いて診察用の鞄を出した。
並んだ少女達は十代前から十代後半まで色々だ。
違法に借りている部屋は3部屋を違法業者にブチ抜いて貰ったおかげで広さだけは確保してあるので十数人いる少女達の大半はソファーの周囲に集まっていたり、ラヂオ放送を垂れ流す小さな壁に埋め込んだスピーカーの傍に寄っていた。
希少品は全て金庫もしくは壁に埋め込んでいる為、安易に盗られる事はないし、高額な雑貨類はそもそも家に置いていたりもしないので部屋に誰がいてもいいのだが、それにしてもここ数日は入れ替わり立ち代わり、近辺の少女達が普段よりも多く出入りしていた。
「説明は?」
「うん。してるよ」
「ならいい。同意は取れてると見なす」
「大丈夫大丈夫」
金庫から取り出した鞄を机の上に置いて椅子に座る。
並ばせた少女達は一様に上着を脱ぎ出して、半裸になると緊張した面持ちになっていた。
「体の方は見てやる。でも、病やケガの類は治せるし、子供をオロスのも出来るが、料金は一律だ。何処の誰を好きになろうが、何処の誰と寝ようが、何処の誰に殺されようと構わないが、契約書に捺印して此処に迷惑を掛けたら、二度と見ない。それがルールだ」
今までとは違ってゴクリと唾を飲み込んだ少女達がコクコクと頷いた。
「始める。こっちの前に立ったら名前と年齢を言え。年齢が分からない場合は大体でもいい」
一番初めの相手は一番歳上らしい17くらいの日本人らしい少女だった。
「か、片桐美佐江、です。十七です。お兄さん」
「症状は?」
「そ、それが、お腹が痛くて……ずっと」
「患部を見せてくれ」
「は、はい」
コートが開かれ、肌着がペロリとめくられて腹部が見せられる。
体のあちこちが痣だらけだが、一番膨れているのは腹部だった。
「目を閉じて、耳を塞げ」
「は、はい!!」
確認後、片手を少女の胎に突っ込む。
貫通した腹部からは血が一滴も流れてはいないが、手首まで腹部に埋まった様子に思わずビクリとした少女達は多い。
「~~~」
少女は何も分かっていない様子で緊張しているが、それだけだ。
「 」
口内で幾らか呟く。
すると、僅かに少女の血の気が引いていき。
バタリと倒れた。
それを待っていたエスノラートがすぐに支えて、他の少女と共にそばの床の上に置いた敷布の上に寝かせた。
「ひ―――あ、あれ、お腹、綺麗?」
初めて来た少女達は恐れ慄いていたが、片桐という少女の腹部がまったく傷付いている様子が無いのを見て、僅かに安堵した様子になる。
ついでに体のあちこちにあった傷が治っているのを見て、目を見張る。
「エスノラート。“棺”」
「はーい」
鞄から取り出した灰色の小瓶。
小さな六芒星に炎と瞳の描かれたソレに片手の中のものをそっと入れて、ブリキ製の蓋をする。
「電信で昨日50円で落札した夫婦に3時間以内に来いと伝えろ。それ以上は別の落札者に譲ると言え。保温室に入れたら戻ってきていい」
「はいはーい。新しいの。アレならしばらくは大丈夫なんだよね?」
「ああ、最低12時間はそのままでも持つ。次」
「雅楓、です。15歳です」
インドのようなアジア圏の少数民族出。
同じように腹部に腕を突っ込んでしばらくした後。
パタリと倒れた彼女を他の元々此処を利用していた少女達が次々に寝台に寝かせていく。
「え、え~と。ファンファン、です。13歳、です」
「また妊娠したのか?」
「し、仕事柄~~」
おかっぱ頭の少女があはは~と困った様子で目を逸らす。
中華系、ではない。
元々から日本人だが、中華系を名乗って犯罪者の両親との関係を誤魔化している少女は昨年も同じような腹部で来ていた。
「分った。養子でいいな?」
「は、はい~~」
手順の後、少女の腹部に両腕を突っ込んだ。
そして、一気に引き出したと同時にブチリと腹部の上でへその緒が勝手に切断された胎児の頭部に手を当てて、へその尾を縛った後、泣き始めた様子に大丈夫そうだとカルテを一つ書く。
戻ってきたエスノラートにあらかじめ沸かさせていた産湯を使わせて、その場で清めて奥の保育器に入れた。
表面には黄色い三つのカギ爪のようなものが配置されたマークが入っている特別製だったりする。
「待機リストの世田谷の夫婦に3時間以内に来いと電信で伝えろ。母乳込みで」
「はーい」
それから数名をテキパキ捌いて数時間後。
計二組の夫婦が来訪。
一組は婦人の腹部に取り出したばかりの嬰児を押し込んで繋げて施術し、もう片方は養子として赤ん坊を引き渡し、ミルクをやらせて退散してもらった。
全てが終わる頃には起き上がった少女達も仕事やら用事があるからと捌けて、今日も疲れたというのが本音だろう。
夫人や赤ん坊に限っては普通の病院で検査や予防接種その他の事はして貰えと忠告したので、今日中にどちらも病院行きに違いない。
「えへへ~~お~~これで今月もお肉が食べられるよ~」
「赤身肉はやめておけ。それと豚肉と鶏肉だ」
「はいはい。ついでにお野菜も隣町の八百屋さんで買ってきます~~♪」
10円札やら5円札、1円札をパラパラとめくって数えていたエスノラートがニヒヒと笑う。
少女達から代金らしい代金は取っていないが、二組の夫婦からの儲けはそれなりにあった。
もう夜も更け始めた頃合い。
夜食が欲しい時間帯である。
「う~ん。ウチの医院。シンリョウジョだっけ? まーエス達の城は今日もインバイ・ハンジョウだね♪ にーちゃん」
「それ言うなら商売繁盛」
「もう、そんな事どうでもいいよ~。にーちゃんの“耀気療法”があれば、ウチは日本一儲けられるのに女の子しか見ないなんて、にーちゃんもやらしーんだからぁ~いひひ♪」
お盛んですなぁという瞳の自称妹である。
「これはペテンの類で医術じゃない。それに気なんてものは無い」
「え~~? そこらのインチキ連中は一杯いるけど、にーちゃんはホンモノじゃん!! にーちゃんを見て初めてレイバイーとかオガミヤーとか本当にいるんだなぁーって思ったんだよ?」
ズイッとそればかりは譲れないという顔でザザザッと畳の上から迫ってきたエスノラートが上から覆い被さろうかという体制で膨れる。
「本物も偽物も無い。あくまでオマジナイの類だからな。それと女しか見ないんじゃない。男の半裸なんて見たくないというだけだ」
「本当は男だって見られる癖に二十代までの女にしか効果が無いとか嘘吐いちゃってさぁ。それこそ、その力があれば、セイジカー!!とか、オマワリー!!とか、何でも言う事聞かせられちゃうんじゃない?」
「生憎と帝国陸軍の実験動物にされるのは御免被る。喋ってないで夜食」
「ふ~んだ。体で払え~~とか言えば、すーぐみんな飛びつくようなユーリョーブッケンなのにツレナイんだよねぇ。にーちゃんはさぁ~~」
「夜食を作るのと今月の給料が減るの、どっちがいい?」
「はーい。にーちゃんの妹は真面目に働きまーす」
イソイソとエスノラートが台所に向かっていく。
冷蔵庫の中身は大量の菓子パンと牛乳の大瓶が幾つか。
冷凍用の区画にしか調理用の食材は入っていない。
コンクリート製の隣の部屋を幾つかブチ抜いたので吹き抜けとなった大部屋の端の台所まで全て丸見えだ。
『ねーにーちゃーん。それであの“スケ”とはどうなったの~』
「………」
『あ、そーですか。妹には言えないような事をしてたわけね。ふ~~ん。こんな夜中に食事作らせておいて何も喋る気はないわけね?』
「………」
『いいもーん。なら、にーちゃんの学校にお腹がぽっこりした集団が目をウルウルさせながら、おにーちゃんにお弁当を届けに来ました~とか言う事件がその内に起こるから~~』
「はぁぁ……今日、一緒に本屋へ行ってきた」
『アイビキだぁ!? それはイワユル、おデートなのではぁ~~♪』
物凄く目をキラキラさせた自称妹が凍っているはずの肉を高速で包丁によってズバズバ切り分けながら手元も見ないで聞いてくる。
その様子はもう完全に恋に恋する乙女状態だ。
『ね!? ね!? 帰り他には何処か寄った!?』
「……東区の西洋甘味屋で“けーき”と珈琲モドキを少々」
『きゃぁ~~~♪ アレだよ!! アレ!!?』
「アレ?」
『ああ!! 女の子に疎いにーちゃんに説明してあげよう!! それをチマタではセリ様デートって言うんだよ!?』
やたら偉そうな教授みたいな口調で自称妹が胸を張る。
「セリサマ・デート?」
『そうだよぉ~~♪ 今ね。月間『少女の栞』でやってる『愛はセンチメンタルグラヒテー』ってマンガで主人公のセリ様がお相手役の将軍様の傍仕え家系の御曹司とデートする回やってるんだぁ~』
聞いてもいないのにお喋りが止まらない。
猛烈な速度で鍋に火が入れられ、油が敷かれ、肉やら野菜やらが炒められていくが自称の妹の首はこちらを向いたままだ。
『それでね!! セリ様は民間の商家の出だからライバルの子が『貴方に西洋菓子の味一つ分かる舌があるのかしら?』とか嫌味を言われるの!?』
煮込んでいる間に冷蔵庫から残っていた菓子パン。
近くの商店街のパン屋に毎朝買いに行かせている代物と牛乳がコップで出てくる。
しばらく、お喋りに付き合えという事らしい。
よく見れば、紙の包みがひんやりしており、パンは冷え固まっていた。
「それでお相手役の相馬様が『なら、これから分かるよう一緒に味を確かめに行きましょう』って言ってね!? 色々なお店の西洋甘味を一緒に食べるんだぁ~~あ、そうそう、にーちゃんが好きな“こーひー”とかいうのも飲んでたよ!!」
健啖なのか。
それとも単に味が分からないのか。
バリバリと凍っているパンを齧り、牛乳で流し込んだ自称妹が目を爛々とさせて両手を組む。
どうやら自分の分は無いらしい。
「いいな~~一度でいいからエスもおデートしてみたいな~」
虚空にデート中の自分を想像している自称妹である。
「相手を見つければいい」
「……ま、にーちゃんには期待してませんけどね!? だって、迫ってくる女の子を千切っては投げ千切っては投げしつつ、貴方様の奴隷でもいいの~とか言う連中に一瞥もくれずに無視!! ついでに性病とケガを患った可哀そうな女の子を治したら、やたら良家や富裕層の家に投げ入れてるもんね!?」
「投げ入れてるんじゃなくて、紹介して紹介料を取ってるだけだ」
「養子~~? HAHA、買われたと思った家で本当に子供として扱ってくれてキョーガクしたって言う子しかいないんだけど?」
ジト目がこちらを見やる。
「世間一般の普通の養子だな」
そう返すと今にも怒り出しそうに目を吊り上げた妹の手がパンをバリバリと口の中へと押し込んで消し去っていく。
「かぁ~~~!!? 普通、こーいうのは養子じゃなくて、家にガイジンの血が混じった奴隷が欲しくて、オカミが言ってるから建前だけ子供にしてるもんなんだよ!? まったく!! 分かってんのにーちゃん!?」
今にも牛乳と菓子パンが飛び散りそうな様子でまた顔が迫ってくる。
「まったく分からない」
「くぅ~~~?!! 富裕層のクズ連中がガイジンユーワセーサクで迎え入れた子を殺したーとか。ギャクタイしてるーとか。天下のシンブン様が書いてるのにね!? にーちゃんの紹介するところぜーんぶ聖人しかいないじゃない!?」
「何か悪い事をしてるように聞こえるな……」
「今やにーちゃんがセイジンサマ扱いだって言うのに自覚無いんだから、まったく!! セイジンサマならエスにおデートの一つや二つ奢ってくれてもいいんだよ?!」
「………次の日曜」
「やたぁー♪ にーちゃんアイシてるぅ~~~♪」
コロッと表情を変えて両手を挙げ、飛び上がった自称妹が喜びに沸きながらサササッと鍋の方へと向かい、上機嫌に料理を器に盛り始める。
壁のカレンダーを見やれば、日曜日は3日後。
行く場所を脳裏で吟味する事にした。