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イース~Planet Nine~  作者: TAITAN
1/7

第一計画【1999春】


―――2124年17月52日18:32分。


 世界は曇り空。


 雨上がりを望めそうもない曇天。


 そんな雨の最中。


 摂氏9320°。


 猛烈な爆風が吹き荒れるビル街の廃墟屋上。


 熱伝導にも負けず溶けない超高にして最新の黒鉄の箱。


 それに敬意を表するとしても、生きている者がまだ倒れてくれるなと思うのは聊か無理な相談かもしれない。


 周囲のビル群は軒並み破壊され尽くしており、恐らくは破片で周囲23キロ圏内には攻撃の着弾した地表が無数のクレーターと化している。


 そこが汚染源として大勢が死滅しているだろう。


 そう、死滅だ。


 消滅でも蒸発でも無く死滅。


 今は衰えているが、それでも1万近い温度の熱源が大量の中性子を垂れ流して周囲を飛び回りながら、極温の打撃と物理量弾を投げ合っていれば、国の首都程度崩壊しない方がおかしい。


 救急の車両音は聞こえない。


 周囲は雲霞の如くビルから流れ落ちる蒸気と雨音だけに満たされている。


「終わりだ」


 何とか倒壊せずに立っている首都最後のビル屋上。


 目の前には人型だったモノが半壊して空の見える部屋ので溶けていた。


 凡そ4mの全身の多くはチタンとタングステンと超磁力や常温常圧超電導用に使われるレアメタルの合金。


 他は内部の炉心付近にコバルトが使われ、世界の終焉までセットな機構が機能停止状態で死んでいる。


 残る素材は世界で此処以外には1gも残っていない原子核魔法数800番台の超重金属元素製の装甲だけである。


『ぐg、ぅ……』


 物理量弾による無数の攻撃を受けた装甲は今やカオスなまでに多種類の変質がランダムに表面化、まるで宝石のように煌めく。


 だが、光を散乱させる表層は消し炭となった部位から垂れ流される大量の炭色の液体で覆われて、何処かカーテンでも引かれたかのように薄暗く染まっていた。


 全てが溶け爆ぜた全身は原型が僅かに輪郭で分かる程度。


 基礎フレームとなる骨の部分からして完全に変形して歪んだ上、心臓部から背骨と右半身全てを海老の如く真横に曲げられ、Cの文字にも似ている。


 黒い鋼の人型の頭部、毛髪一つ無い硬い仮面染みた顔がこちらを見つめて。


『こnな、こtg……人間にdxる、はずは……』


 半分程、右顎から側頭部に掛けて歪んで消し飛んだ50代。


 敵だった男の顔が歪む。


「ああ、そうかもしれない」


 溢れ出る熱量によって蒸気となった雨粒はビルを伝って冷える事無く。


 雲海のように地表を覆い尽くしていく。


「そろそろお前も消し炭になる時間だ」


『―――何z、だ!? 何故!!?』


 男は叫ぶ。


 終わりが迫っているから。


 だが、それは“いつ”の“どこ”の“だれ”にも訪れるものだ。


「これは昔話なんだが、聞いてくれるか?」


『何を、言って五、る?!! このZE界の、3来を破壊した、狂人、めぇ!!?』


 装甲への振動そのもので何とか歪む音を補正しながら喚く相手の首を融解し掛けている指で捩じ切って、横に置いて座る。


 赤熱した床材から伝導する熱量でビルが雲海の最中で尚明るく蕩けていく。


「ああ、まずは何から話そうか……そうだな。知り合いの女が7人程死ぬまでの過程から話そう。そうしよう……随分前になるが、聞いてくれるだろう?」


『―――まさか、貴様はッ』


「こう見えて、昔話は得意なんだ。何せ、最初好きになった彼女が粋がっただけの子供にこう言ってくれたから」


 男の首から上は何か驚愕しているようであった。


 それは瞳に映る光る人型に初めて黒い顔のようなものが浮かび上がったから、なのかもしれない。


 瞳と口だけのソレは相手の罅割れて歪んでいく瞳。


 超圧均衡型ガラスの破裂と共に観測不能となっただろうが、何処か禍々しいくらいに笑顔でもあるだろう。


 ようやく今日に至って全てが終わるのだから。


「『君にはきっとまだ人に語らう言葉が無い。でも、いつかの思い出話は人の性にも違いない』って」


 それは皮肉というものを解する何かの笑顔に違いないが、個人的には人間臭い顔に見えて欲しいと切に思った。


1999年春。


―――東京都【古瓦海溝】第七列状街郊外【首都第七古瓦中等学校】


「ぇ~~日本国首都東京という呼び名が定着して数百年後の今日。我が国、日本は首都を中心とした中央集権体制を取っており、禍斗32年の大震災以降―――」


 歴史の授業が詰らないのは何も教師が悪いわけではないと誰もが知っている。


 理由は単純で欧米列強が弱過ぎたせいで神国が負けなかったという事実を前にして全ての歴史教科書が世界統一されているからだ。


 歴史は一つ。


 暗記しているモノも一つ。


 だから、歴史の授業は特に近現代以降、完全なる暗記物として学生には人気が無い上に点数も取れる“当たり前”の科目でしかない。


 もはや諳んじていると言われる歴史教師が語らうまでもなく。


 頭の出来が悪いと掛かり付けのお医者に言われなければ、大抵は本一冊が頭に入っていれば、問題なく。


 あまりにも一般的な教養であるという点で統一受験で課題として出されたことはこの数十年無いらしい。


「で、あるからして―――」


「せんせー。せんせーの愛人さん来てるよー」


「へぁ!?」


 奇声を上げた歴史専攻の教師(誰でも成れる職に就く無能)と呼び声も高い43歳独身の目は大きく見開かれて、近くの歓楽街から来ているのだろう二級市民出のガイジンさん……要はお水商売の人。


 東南アジア系らしい女性が木造校舎の2階から見えるグラウンドの端に日傘を差してやってくる様子に喜色満面、相好を崩した。


「きょ、今日はここまで!!」


「せんせー。また学年主任のマラマキにどやされるよー『まぁた愛人来てるぞテメェ!! ちょっとは仕事しろこの無能!?』ってさぁ♪」


 どこからでも同じような揶揄う声が掛けられ、茹蛸の異名を持つ43歳歴史教師本名【宮本雅(みやもと・まさし)】は禿げ上がった頭を真っ赤にして弄られているのは分かりつつも教室全体に厳ついヤクザ者的な顔で怒鳴る。


「う、うるさい!! 子供が大人の心配なんてしてる場合か!! 今や西暦2000年になろうという時節だぞ!! 千年祭も近いんだから、君達若人は神国の為、ご両親の為に勉強でもしてなさい!! あ、ああ、ミナさん!? 今行きます!!」


 目をキラキラさせて外を見て、すぐに消えていくヨレヨレの背広姿。


 あれでも教師には成れるのだから、自分達はもっとマシな職業に就こうというのは教室の共通認識かもしれない。


「ったく。あれで教師とかさぁ。本当に今時の教師って閑職なんだよなー」


「だな。ここらはマラマキ以外は帝国大卒か、五大院卒が当たり前だって言うのにさぁ」


「首都でも人材不足極まっておるのか?」


「千年祭だからなぁ……ここ数年忙しいって大人はみんな言ってるし」


「お、マサシ=サンはどうやらご婦人。いや、二級市民にお熱なようですなぁ」


「うーわ。日本人の誇りを無くしてガイジンとかぁ。そういや、首都の法学部の兄貴が言ってたぜ? 今後は国外の連中も人材不足だから、取り入れてくんだとさ」


「へぇ~~でも、国外ってもう荒廃しまくりなんだろー? 国際結婚詐欺とかじゃねーの?」


 ゲラゲラ笑う男子達に涼やかな声が掛かる。


「ご友人諸兄。さすがに口が過ぎるよ。あの方もあれで此処に務めているわけで一定の敬意は払うべきだ。それに正式名称は外国人、だよ。彼らを侮るのは我が国の陸軍を侮るに等しい」


「やれやれ。ウチの組の学級委員長様は御優し過ぎるようで」


「ちょっと男子ー!! 宮角様になんて口聞くんですか!!」


「そうよそうよー!!」


「あはは。ありがとう」


 女子生徒達が男子を非難すると騒いでいた男子達が肩を竦めて引き下がる。


 声を掛けた当人は女子生徒達の怒りようにまぁまぁと宥めながら微笑んでいた。


宮角結(みやかど・ゆう)】学級長。


 七つある古瓦海溝横にある列状街の名家の一つ。


 宮角家のご息女。


 白い肌に白髪の乙女。


 少し乱れた御髪を肩まで切った時にはその時の校長が青い顔を通り越して蒼白のままに東京でも指折りの名店、クロタカ・サブレを大々的に売っている三代屋の最高級の菓子折りを持って実家に行ったとか。


 恐らく、この学校の校史に語り継がれる事件に違いない(勿論、校長はその後、新しくなった)。


 西洋人形のように透き通り整ったカンバセは古瓦七大名家の中のご令嬢達の中でも一、二を争うくらいには有名だ。


 細身の体はすぐにでも折れてしまいそうな百合の花を思わせて、黒い瞳と白い相貌から“黒白(こくびゃく)の君”と一部界隈……校外の学生層からは呼ばれているとか。


「今日の黒板係はそう言えば、君だったね。もう放課後だし、一緒に消して早めに職員室へ行こう。日誌はもう付けてあるんだ。佐高君」


 悪戯っぽく笑う彼女は何処か凛々しくも男装の麗人とも言えず艶やかで。


「あ、はい……宮角さん」


「(何であいつだけ君付けなのよ!! きぃぃぃぃぃ)」


 背後の女性陣の視線がギスギス痛いくらいに刺さったまま。


 顔を引き攣らせずに頷いて、先日振ったばかりの相手の笑みに心痛いものを感じつつ、日直である宮角さんと黒板を消す事にしたのだった。


 *


 古瓦は数百年前から東京の中心地として発展した都心域だ。


 副都心としての機能は銀座と渋谷に置かれ、現在も数百年前から変わらぬ名と繁栄を謳歌している。


 その実態は旧東京湾に隆起した台地とそこから放射状に延びる列状の陸地と隣接する海溝によって形成される代物だ。


 “旭日地”と呼ばれる東京湾が隆起した円形の陸地とそこから伸びる細長い地殻の上に築かれた街は正しく日の出を模している。


 戦国時代。


 豊臣滅亡前くらいに突如として隆起し、東国大震災と呼ばれる壊滅的な地殻隆起を及ぼした破滅的な災害があった。


 その巨大地震で沸き上がった“海上の暁光”と呼ばれた地こそ古瓦だ。


 以降、地震の中心点となった東京湾は巨大な隆起によってほぼ消滅し、時の江戸幕府を造営していた天海大僧正は古びれた瓦の如く金属資源が固まりとなって露わとなった大地を江戸東京に古き時代より在りし屋根……古瓦と命名した。


 今日日の日本の発展は未だその時から続く古瓦の時代在りきとされる。


 宮角家はその当時、豊臣が滅びた後に東国を抑えていた徳川家の幕府が置いた七つの古瓦鎮護主家と呼ばれる大名より位が高い【宮】の文字を姓に持つ日本で七つだけの家。


 彼女は跡取り娘ということになる。


「佐高君。日誌、持ってくれないかな?」


「はい……」


「もぅ。君はいつもそういう返事ばかりだ。ふふ……」


 何処か楽し気にこちらへ笑い掛けてくれる人は本来ならば、殿上人に等しい。


 何せ現代において東京守護代と呼ばれるようになった将軍、武家の棟梁の下働きにして、真なる貴族。


 日本の帝がエンペラーと訳されるならば、国外で宮文字の家は侯爵の地位相当と見なされるのだ。


 日本の七大企業を保有する七つの家は精密機器と鉄鋼業などのハイテック産業を生業とし、政界に嫁げば、その人が次の首相になる可能性が高いとか言われている。


(幾ら将軍選出が選挙制にされたとはいえ、配下の七大刀。宮角、宮竹、宮灯、宮蔵、宮下、宮戸、宮辺の一角。過ぎた友人、か……)


「?」


 サラサラと音がしていそうな儚い音すら高貴かもしれない彼女の首を傾げる様子は普通の日本男子、もしくは神国男子ならば、馬鹿みたいに喜べるものかもしれないが、生憎とお付き合いを断った手前、胃は痛いかもしれない。


「ふふ、その顔は将軍家所縁の簪が綺麗だな~という顔だ」


 シャランと確かに質屋に持っていくだけで一財産どころか……出所を探られ、しょっ引かれて獄死するだろう一品が華やかな白い御髪に負けていた。


 みすぼらしいと見えるのはソレが当人を引き立てられないという点において確実に釣り合いが取れていないからだろう。


「違います」


「おや、そうなのかい? じゃあ、そうだな~私と付き合うには立派な男になるしかない!! という切実な悩みを抱えた顔、かな?」


 悪戯っぽく彼女が流し目を送ってくる。


「切に違います」


「もぅ♪ 君は釣れた魚に餌を遣らない誑しだな。将来が心配だ」


 冗談で笑いながら、そう朗らかに彼女が微笑む。


「宮角さん」


「ゆう。ゆう、だよ?」


 ちょっと下から上目遣いに覗き込まれる。


 思わず後ろに引きそうになったが、耐えた。


「……ゆうさん」


「はい。何だい? 当代の宮角を背負って立つ私に何か用かな? 【佐高理人(さたか・りひと)】君♪」


「リヒトってガイジンっぽくないですか?」


「おや? 私の為に改名したいと仰る?」


「半分ガイジンですよ。いえ、正確には4分の1ですけど」


「ふふ~白い御髪の横には黒金の御髪か~式はきっと華やかになるだろうね♪」


佐高理人(さたか・りひと)】は稀人だ。


 今風に言うならば、ガイジンだ。


 それと金色の髪を黒く染めている。


 顔立ちは日本人的かもしれないが、何処か国外の血が混じっていると言われれば、そうかもしれないというくらいにはアジア民族よりは国外の欧州民族に近い。


 それでも何処か曖昧として見えるのはやはり血というものの成果だろう。


 父と母は日本人だが、祖父がガイジンだったのだ。


 前時代。


 国外からやってきた侵略軍は多数いた。


 欧州連合軍の新任少尉は戦地で死んだが、一時的に占領していた地域の売春婦との間に子供を儲けていたのだ。


 ほんの45年前の話である。


 その後も国土侵略による戦災は近年まで続いていたが、その結果として多数の“ガイジン”が日本の本土に取り残され、もしくはその子孫が発生する事となった。


 母は日本人的な顔に髪であって、孤児となった後に学者の養父に拾われ、大学を出た頃に実った恋で自分を生んで他界。


 無論、調べれば、ちゃんと色々な記録が出てくるだろう。


 敗戦国の軍人の子孫ともなれば、公的な機関では未だ登用していないのは法律で定められた通りであり、社会の暗黙の了解だ。


 それが緩和されるのは後半世紀後とも言われているくらいにはガイジンという名の国外人種系日本人への世間の風当たりは厳しい。


「君はそういうのをどうでもいいと思っていそうだけれどね」


「どうでもいいです。でも、生かされてる身ですから」


 そう言うと僅かに彼女の笑みが困ったものになった。


「ごめんね。ウチの……特に大叔父と弟と陪臣連中が……」


「いえ、至極全うな事を言われましたし」


「そのせいで危うく君を殺されるところだった」


「……いえ、まぁ、そういう事もあるでしょう。大叔父の方からは普通の親なら泣いて勘当もの。もしくは殺して自殺モノとか言われましたし」


「あはは、大げさなんだから。まったく、困った連中だよ」


 肩を竦めた彼女が溜息を吐く。


「しばらくは生かして下さるそうなので。一安心してます」


「まぁ、あの大叔父が引き下がったんだ。認められないにしろ。一角ではあるとは思ってるんだろうさ」


「一角?」


「ウチの家系って、人を見る目だけはあるから」


「………」


 思わず無言になるとちょうど渡り廊下先の職員室が見えた。


「失礼します。1年1組黒板係参りました」


「失礼します。1年1組日直参りました」


 頭を下げて入室し、担任の席に向かう。


「あらあら、仲が良いわね。二人とも」


 担任の席の周囲には男性教師達がウロウロしていたが、すぐ散っていく。


 今の今まで談笑していたのだろう。


 そう、担任は女性教諭だ。


 珍しい事に理数系で専門は波動関数だとか何とか。


「新先生。黒板清め終わりました」


「はい。ご苦労様。リヒト君」


 そう微笑んでくれるのは脅威。


 否、胸囲132センチの極めて豊満な胸部を持つ人だ。


 泣き黒子が印象的な美人女性教諭と言えば、この学校では一人しかいない。


新二奈(あらた・にな)】理学教諭。


 柔和な笑みと僅かに艶やかな瞳、腰まで伸びた黒髪は世の男性陣からは至宝と謡われても過言ではないだろう。


 事実、彼女の横の席を争って男性教諭陣が熾烈な駆け引きの末、金と勝負で決着を付けた事は学校史に残らずとも生徒や保護者の誰もが知る事実だ。


「宮角さんもご苦労様でした。放課後は速やかに帰宅してね」


「はい。速やかに、ですね?」


「ええ、速やかに、よ? ふふ」


「「ふふふ」」


 二人は何処か通じ合っているような気配がある。


 頬杖を付いた彼女の胸部が卓上で揺れる様子を眺めていたい男性教諭はこの職員室でも星の数だが、生徒にだらしない顔を見られると後で学年主任にキツイお叱りを受けるので他人の目がある内は視線を逸らすのが暗黙の了解らしい。


「では、横の紳士に帰宅するまで付き添ってもらう事にしましょう」


「あら? 良い案ね。頑張るのよ~お・と・こ・の・こ♪」


 指を振ってフフフと怪しく微笑む新教諭の胸が卓上でユサリと歪む。


 横目に見ていた男性教諭の半数以上が前屈み必至であった。


「先生。人のモノを取るのは関心しませんね。妻帯者もいるでしょうに」


「あら? 何のことかしらね~~♪」


 またユサリと揺らして男を誑かす古の妖狐の如く。


 目を細めた担任に頭を下げて退室する。


 後ろでは「新先生!! 今日は残業もありませんし、良ければ、男性教諭陣で飲みに行くのですが、どうでしょうか?」と人が群がる気配。


 恐らく、そのワイワイとした雰囲気は学年主任が戻ってくるまでは続いている事だろう。


「新先生は魔物だよ。この学校が羨ましい男性の奥方達も大変だ」


「でも、あの人、旦那さんいますよね?」


「うん。それを知ってるのは君と私くらいなものだけどね」


 鞄を持ったまま玄関先に向かう。


 靴を外履きに替えると先に歩き出した彼女が学校裏手の通用門へと消えていった。


 今日はこれでお終いなのだろうと一息吐いて、正面入り口から出て学校敷地内から大通りに出る。


 着物姿の女性と袴姿の女学生、企業の外回りのスーツ姿の男性達が主な層だろう。


 学帽を被った学ランの男子生徒があまりいないのは多くが大通りの大商店街よりも裏路地の喫茶で国学論を飛ばす違法電波のラヂオを聞いているからだ。


 近頃は夷狄ガイジン討つべし論よりは甘い声の外国音楽が大流行で派閥が出来ているのだとか。


 大通りの書店に向かう道すがら、後ろから宮竹製作所が造る胴体の長い犬のようだと俗称される【長車(ナガシャ)】がやってくる。


 黒い車体はまるで黒塗りの鞘の如く。


 分厚い防弾窓が電動で開くと彼女の顔があった。


「乗って行ってくれるよね? 速やかに帰宅する為にも……ね?」


 溜息一つ。


 頷いて同乗させてもらう事にした。


 *


 旭日地の細長い陸地は海溝を横にする為、基本的には多数の港街が連結された水運と鉄道が主力の輸送手段だ。


 幅3㎞、縦数百㎞の巨大な棒状の隆起地は関東圏の8割を侵食する古瓦海溝と共に日本の国土を日本海まで分断する。


 その中央である旭日地の中心は唯一円形の台地状に隆起しており、富士山を除けば、日本でも最大級の“山”と認定されている。


(久しぶりにここまで来たな)


 大地そのものが山なのだが、実際には中央の【旭日山】と呼ばれる中央地点がそう呼ばれていて、標高こそ海面から数百mしかないが、なだらかな斜面にはビル群や巨大施設が地下大深度までも使われて屹立していた。


(近年は地下開発も坑道跡地を用いて盛んだと聞くが……その半数以上が宮角不動産のものって噂もあながち間違いじゃないのかもしれない……)


 この巨大な陸地は旧東京湾全体の8割を占めるほどに広大であり、その構造上はなだらかな丘陵が地表に迫り出しているような状態。


 複数の宮姓の家が大株主を務める企業及び直轄の事業体本社が軒を連ねており、日本経済の中心部と言われて久しい。


 世界でも有数のビルヂング群の周囲には企業役員や社員達の為の社宅街や一戸建て住宅街が出来ており、霞が関が政治を行う頭脳であるならば、古瓦は心臓と呼べるだろう。


「お~~あれあれ。あのビルヂングがウチの系列なんだ。一緒に行こうよ。ね?」


 にこやかな笑顔で遠目に見えてきた立派な300mはありそうな超高層建築が立ち並ぶ一角にその墓標染みた巨大な箱は存在している。


「速やかに帰宅するんじゃなかったかと思うんですけど」


 外に見えるのは活気ある日常だ。


 大量に人員を輸送する為の高速鉄道網が整備されてからというもの。


 その大輸送機関網を維持する為に国は核融合炉というエネルギー機関を実用化している。


 その内実は未だ旧化石時代と称される商業用火力発電所が日本各地で大量に廃棄中な上に問題も多いとされているが、庶民が知るのは良い面と利益のみばかりだ。


「速やかに帰宅する為に友人と早めに用事を切り上げるものだと思ってたよ?」


「用事……」


「用事を切り上げる為には用事を済ませないといけないよ?」


 彼女はフフフと怪しく微笑み。


 地下駐車場付きの商業ビルヂングの一角へと車両を向かわせた。


『お嬢様。この第十七宮角ビルですが、現在は名称公募中でして、先日いらしたゾーン・ラー社のCEOからは何か好きな名前があればと伺っております』


 声の主は50代くらいだろう白髪が混じる壮年の男性。


「ふ~ん? じゃあ、リヒト・ビルとかでいいかな」


「……先方にはそのように」


「ちょ―――」


「ふふ~君もこれでちょっとは胸を張れるんじゃない?」


「ぅ……」


 膨れ上がった筋骨隆々の肉体を黒いスーツで隠した(隠せてない)日本軍上がりの元将校がバックミラーでこちらを一瞥する。


 その瞳は限りなくジト目に近いような気がした。


「大佐。今日の催しは?」


 そう、大佐。


 多くは彼を日辺大佐と呼ぶ。


 佐官最上位まで上り詰めた男はたった一人の少女の護衛の為に宮角の家からの依頼で日本軍を辞めたと専らの噂だ……まぁ、それは少女当人から聞いた話なのだが、事実であるように思える。


 3年前から少女の護衛兼運転手を務めている彼は角刈りに黒い丸眼鏡を掛けているが、相貌や肉体はどう見てもヤの付くご職業の幹部にしか見えない。


『本日は開業日という事もあり、何処でも何かしらの催しがやっているようですが、来賓者用のものならば、国立中央書院から展覧許可の出た西洋の魔導書などの見聞は如何でしょうか?』


「マドウショ? あ~マホーとか言う想像上の技術体系が乗ってるってアレ?」


『はい。古の幻想。古代怪奇書物と呼ばれております。多くは悍ましくも古い想像上の神々や出鱈目の技術である魔法。我が国で言う民間療法での“気”のようなものを扱う技術体系を詳細かつ様々な暗号化を施した文体で載せており『意味は分からないが、とにかく何だか悍ましい』と評判です』


「ねぇ、佐高君。君も図書室籠りのあだ名を持つ身なら気にならないかな?」


「いつの間にそんなあだ名が付いたかの方が個人的には気になります」


「ふふ、なら、一緒に本の虫友として、その“何だか悍ましい”と評判のマドウショとやらを見に行こうよ♪ ここは私のオゴリにしておくからさ」


「……はい」


「よろしい♪」


『………(。-`ω-)』


 何処か教室とは裏腹に子供っぽい仕草で両手を挙げて喜ぶ彼女。


 そして、自分をミラー越しに見る丸眼鏡の大佐の視線がビシビシと突き刺さる体には鉛のように感じられた。


 何なら鉛玉をぶち込まれていないだけマシかもしれない。


 取り合えず、一緒に展覧されている古代書物を見に行く事は確定したが、それにしても運転席からの重圧は衰え知らずだ。


 彼女の運転手は高名だから致し方ないとは思う。


 何せガイジン嫌いの将校として有名なのだ。


 同盟国と共同戦線を張って遠く欧州で戦ったという経歴の上、中東での利権確保に欧米の部隊と殴り合い。


 全滅するも最後には単独個人で連隊の駐留する基地を爆破壊滅させ、敵国の将兵を丁寧に殴殺しつつ、残った将軍の両手両足の腱を回復不能になるまで切ってから、別の基地に送り付けたというのだ。


 これを以て護国鎮護の鬼と称された男こそが【日辺伊織にちべ・いおり】であり、その直後辺りに軍を辞めた事で外国排斥を叫ぶ国士達からは傷の療養中なのだと実しやかに言われている。


『今回、展覧されているのは国立中央書院が所蔵していた【屍食教典儀】【ネクロノミコン】【無名祭祀書】【エイボンの書】の4本だそうです』


「へぇ~~」


 世の中には嫌な予感というものがあるらしいが、少なくとも腕を組まれる予感を嫌と表現するのは何だか悪い気がしたのだった。


 *


 珍しい海外の古代書籍の原本。


 ボロボロになっているに違いない本を見に来たのはビルヂングの最上階。


 明らかに上流階級くらいしか来ないだろう展示室だった。


 マドウショ、魔導書は各々が様々な神々の事を書いた文面や絵図を用いているという話だが、中身は見られない。


 あくまで物珍しい展示品という事らしい。


 外観のみ展示可という事のようで分厚くて古い本という見た目まんまの外観をしていたのも間違いない。


(……どれだけ禍々しくても古い本でしかない、か)


 多くがラテン語やギリシャ語、ドイツ語の上に見知らぬ言語体系や暗号化、著書が他者に読ませる気が無い書き方をしていて読めたものではないらしく。


 展示物の説明からして邪悪な教義や邪悪な儀式が満載。


 本物らしい威圧感のようなものを感じる以外はガラスの先には何ら感じ入るところも無かった。


(大半は写本だろうし、どうせ……)


 確かに年代を感じさせる革製の装丁や落丁もあるのだろう古びれた頁や僅かに染み着いた液体の跡は風格を醸し出しているが、それだけだ。


 それよりも問題なのは明らかに自分達が浮いている事だろう。


 何せ白髪の少女なんて代物はこの現代東京古瓦には一つの家系にしか存在しないであろう希少さであり、何処の誰かは上流階級の者ならば、大体察しが付くのだ。


『あの白髪……宮の……』


『そう言えば、此処は宮角の資本でしたな』


『宮角の資本ではない方が珍しいのでは?』


『恐らく、ご学友と展示物を見に来たのでしょう』


 ヒソヒソ囁く者達の多くは彼女の背後に仁王像のように付き従う大佐の威圧感にすぐクワバラクワバラと言いたげに昇降機ホール端へと引き返していく。


「………どうかな? あ、書物の来歴の他にも本の材料も書いてある。ええと、羊皮紙にパピルスに人皮? うわぁ……さすがにそれは……」


 怖いもの見たさという様子で彼女が何とも言えない顔で繁々と本達を見やる。


「ねぇ、佐高君」


「?」


「君は読むならどの本が良い?」


 何となく聞かれて、さすがにどう返すか僅かに迷った。


「………読まないって選択肢はあります?」


「ふふ、なら、それでいいんじゃないかな。君の好きにすればいいよ。僕はそういうのも好みだし」


「?」


「ッ、な、何でもない何でもない」


 慌てた彼女の頬が僅かに染まっていた。


「……見るものは見たし、帰ります?」


「う~ん。これだけじゃ、ちょっと本を見に寄っただけになっちゃうじゃないか」


 可愛く膨れられた。


「何か夕食前に軽くお茶でもしますか?」


「あ、それいいよ。スゴクイイ!! そうだよ。そういうのがしたかったんだよね!!」


 滅茶苦茶目を輝かせられた。


「(。-`ω-)……お嬢様。あまり重いものを召上られますと夕食に差し支えます」


「分ってるよ。分ってる。だから、ちょっと、此処の周囲で一番美味しい甘味処、教えてくれないかな? 大佐」


 その言葉に僅か息を吐いた大佐が懐から手帳を取り出して、サッと中身に目を通してから仕舞い込む。


「西洋甘味の一種で“けーき”とやらの店があります。女学生の間で流行っていた“ぱふぇー”のように大きく無く。手頃な大きさと量であるらしいと」


「あ、それにしよう。ね? 佐高君も食べるよね?」


「……珈琲もあれば」


「うん♪ 珈琲も一緒によろしくね。大佐」


「……はい(。-`ω-)」


 大佐の顔が僅かだけ余計な事言いやがってというものに見えたが気のせいにしておきたい。


 甘いものは苦いものと摂らないと胸焼けする性質というだけなのだ。


 決して殺しても死ななそうな大佐に睨まれる為に仕事を増やしたいわけではないのである。


 翌日、宮角のビルヂングに窃盗犯が入り、展覧中の魔導書が2冊盗まれるという事件が発生した。


 が、新聞で知れるのはそのくらいの事しかなかった。


 結局、珈琲と呼ばれていた代物が薄められた焦がした麦茶だった事を指摘したら、数日後にはその店が潰れていたという事実を以て余計な事は言わずにおこうと誓う事になる。


 未だ西洋料理や西洋の甘味は日本人の口にはあまり登らないという事実のせいで悲しい事件はひっそりと起こってしまったのだ。


 宮姓の人間に偽物を売るなんて事は将軍や帝に無礼を働くのとほぼ同義……周囲からの顰蹙を買う行為なのである。


 そして、珈琲の何たるかを知る人間なんて、当代の日本では一握りなのだ。


 悲しい事に……。

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