延壽院灑子(えんじゅいんさこ)様のボディガード兼運転手になる
大金持ちのお嬢様を描いてみたい!と思って書き始めました。
よろしくお願いします!
第1章 延壽院灑子様のボディガード兼運転手になる
プロローグ
この世の中には、我々庶民では計り知れないほどのお金持ちが存在しているものでございます。
あ、冒頭から、皆様におかれましては、鯱こ張った表現をお許し頂きたいと存じます。
かのビル・ゲイツは言うに及ばず、イーロン・マスクやジェフ・ベゾスなどの資産は、実に何十兆円という天文学的数字で、驚くばかりでございますが、日本にもそれに匹敵するほどのお金持ちが存在しております。
失礼ながら、米国における大富豪の皆様方は、一代でその地位を築いた、いわば「成り上がり」でございますが、日本でいわゆる財閥系と呼ばれる家柄の方々は、代々で引き継がれた巨額の資産をすでにお持ちになられているわけです。
そうした一族の方々は、自らの資産がいったい幾らぐらいなのか、特に気に留めたりはなさりません。
いわゆる一般的な労働によってお金を稼がなくとも、すでにお金には不自由しないので、総資産が幾らかなどと、つまらぬ争いには頓着しないのです。
その点でいえば、アラブの石油王も似たようなものでございましょう。
もし仮に世界中の金持ちの総資産を測り直してみるならば、国内の長者番付はいうに及ばず、世界の長者番付の順位は、簡単に書き換わってしまうことは間違いございません。
さて、これからご紹介する延壽院灑子様は、私が数年来お仕えしている、とある財閥系の由緒正しい家柄の大変お可愛らしいお嬢様でございます。
生まれながらにお金には不自由しない生活を送られているので、世間一般の感覚とはかなりズレていることは間違いございません。
申し遅れましたが、私の名前は齋藤智也。実年齢は25歳でございます。実年齢と申しましたのには、いささか理由がございます。
難しい方の漢字で齋藤と申しますので、今後は自身のことは「サイトウ」と書かせて頂きます。また、灑子様の漢字も大変難しいので、「サコ様」と書かせて頂くことにします。
そして、何より、鯱こ張った文体では、皆様にはお読みにくいかと存じますので、本編ではもっと砕けた文体で語らせて頂くこととします。
それでは、物語の最後でまた、お会い致したく存じます。
*
私、サイトウ・トモヤは、その日の朝、いつものように、ベントレー・フライングスーパーのステアリングを操り、ロイヤル・エボニーと呼ばれるその黒いボディの車を、東京大田区の田園調布から港区方面へと走らせていた。
と言っても、私個人の車ではない。定価2700万円強の高級車をぽんと買えるほどの金持ちではないし、そもそもベントレーは自分の趣味とはかけ離れている。
4ドア仕様の後部座席に都内有数のお嬢様学校「聖オルレアン女学院・中等部」の制服姿で小さな体を預けているのは、延壽院家の長女、灑子様、13歳だ。
いつもなら「サイトウ、おはよう」と、屋敷の玄関からメイドとともに車寄せに姿を見せるなり、サコ様の方から笑顔で挨拶を送ってくるのだが、今朝は車に乗る前から何やら不機嫌そうだ。
後部座席のドアを開けて待っていると、ふくれっ面で座席に腰を下ろしたまま、横を向いて一言も口を利いてくれない。
やれやれ、3年前にはしょっちゅうこうした姿が見られたものだし、サコ様にあっては今更なので、放っておくことにしよう。
このベントレーの所有者は、たぶん「延壽院家」ということになるのだろう。たぶんと言ったのは、詳しいことは知らないからだ。
お嬢様をご自宅から学校まで送迎するためだけに使われている車で、普段はお屋敷に留めてあるので、たぶん延寿院家が所有しているのではないかと思うだけで、もしかすると会社が所有しているのかもしれないが、雇われている身としては、そこまでのことは気にしてもしょうがない。
自分がお嬢様の車の運転手兼ボディガードを務めることになったのは、会社からの命令があったからだ。好きで運転手になったわけではない。
ハイヤー会社の募集広告に応募して、出向で運転手を務めているわけではないのだ。
大学を卒業すると、私は第一志望だった財閥系の商社に無事入社することができた。
一年目に配属されたのは、その商社でも花形部門で将来の出世を約束された鋼材輸入部門のエリートコースだった。
ところが、昨今のコロナ騒ぎで海外出張の機会が減り、いつ実現できるとも知れぬ企画書を作成する日々が続いた。
いつものように会社のPCに齧りついている最中に人事部からの内線で呼び出しがあった。
呼ばれた先の会議室に出向いてみると、人事部長は傍らの席に着き、真ん中の席には、見知らぬスーツ姿の老紳士が座っていた。
白髪交じりの横分けを丁寧に櫛で流し、口元に髭を蓄えている。
会議室にノックして入ったときは、人事部長と談笑していたが、自分が足を踏み入れると、値踏みするような鋭い眼光をこちらに向けてきた。
人事部長は「サイトウ君だね。そこに座り給え」と言って、会議室の四角いテーブルに囲まれた空スペースに置いてある一脚のパイプ椅子を差して薦めた。
「早速だが」と言って、人事部長は自分のプロフィールが打ち出された書類を持って、さまざまな質問を投げかけてきた。
「キミは、極北流空手3段らしいけれど、これってどれぐらい強いの?」
「はあ、かなり強いと思います」
私は人事部長よりも、中央に座った紳士の目が気になって、新卒の採用試験以来となる面接に、緊張を隠せなかった。
一体誰だろう。社長、会長、専務、常務、取締役、役員クラスの顔は社のホームページで顔は覚えているつもりだ。この老紳士は、その中の誰にも該当しない。
「かなり強いっていうのは、具体的にどの程度なのかな。例えば、K1とかの試合に出たら、何位ぐらいなのかな」
「K1に出るのは無理でしょうね。大学のときに全国大会に出場して個人の優秀選手賞を取りました」
人事部長は、格闘技のことをよく知らないようだ。
K1に出られるのは、空手家の中でもかなりのトップクラスだけだ。素人の空手家ではまず出場できない。仮に出場したら、どんな下位の選手であろうと、相手からボコボコにされてしまうだろう。
ボクシングでいえば、プロのランキングボクサーと素人ボクサーが戦うようものだ。
「例えば、ボディガードなんか務まったりする?」
人事部長が何やら核心的な話を切り出したことを私は感じた。
まさか、この老紳士のボディガードを私に頼むために、こうして面接しているんじゃあるまいな、と。
「ボディガード? 社員の私がですか。普通そういうのは、プロに依頼するものじゃないんですか」
「お願いしたいのは、私の孫なんですよ」
私の疑問の声に、老紳士が初めて口を開いた。
「あなたのお孫さん?」
私の言い方に、人事部長が慌てた様子をみせた。
「申し遅れましたが、私は延壽院大吾と申します」
老紳士が立ち上がってを私のそばに近寄ってきた。どうやら握手を求めているようで、差し出されていた手を素直に握り返した。指が太くて暖かい手をしていた。
「延壽院様は、わが社の元理事長様だ。なんというか、創業者の一族様だよ」
人事部長が変な敬語で老紳士のことを紹介した。延壽院という名前は知っている。
私の勤める「丸虎商事」はいわゆる財閥系の商社で、創業者の延壽院八右衛門が江戸期に立ち上げて現在に至るという歴史や背景などは、学生時代から書籍やネットで嫌というほど目にして知っている。
その一族の末裔が、この延壽院大吾氏ということか。
「申し訳ない。正直に話しましょう。実はうちの孫の面倒を見て頂ける人物を前々から、当社の中で探していたんですよ。
入社した時から、あなたのプロフィールを拝見して適任だと思っていたんです。
外部の方には何度かお願いしてみてはいるのですが、率直に申して、なかなか適当な人物が見つからないのです」
「もちろん、キミはわが社の社員という立場で、つまり秘書課のスタッフの一人として勤務してもらうことになる。
一種の人事異動だと考えてもらいたい。現在の給与に加えて、特別手当も支給させてもらう」
「つまり、会社の命令ということですね」
これは断れないなと思った。
この話を断るということは会社を辞めるということだ。
入社してまだ一年目だし、当分の間、海外への赴任もなさそうだ。会社の机に齧りついて、どうでもいいような書類を作っているよりは、ましかもしれない。
だが、これは出世コースから外れることになるのではないかと私は思った。
「ただし、この話はずっとというわけではありません。
孫は現在小学校5年生です。中学に入るまでの2年間という期間限定でお願いしたいのです」
自分がこの話に迷っていると思ったのか、延壽院氏の方から条件を切り出してきた。
「大事なことを訊きそびれていました。あなた、車の免許をお持ちですね、それで、この資格欄に書いてあるのは・・・」
「はい、国内A級ライセンスを持ってます」
*
こうして私は、延壽院サコ様のボディガード兼運転手を務めることに、あいなったわけである。
ちなみに国内A級ライセンスというのは、国内のサーキットを走るために必要な免許で、決して車の運転がうまいという証拠にはならないが、サーキット走行が趣味である私は、それなりに運転には自信がある。
サコ様のいわゆる付き人契約については、当初は、中学までの2年間という条件であったが、いろいろあって、さらに3年間、つまりサコ様が中学から高校に入るまで務める期間を延ばすことになった。
その2年間のお話は、また別の機会があれば、お話したいと思う。
まずは、現在の「我々」の数奇な運命についてお話するとしよう。