4 迷惑
「全く君はお人好しだな。見逃してやる必要などないのに」
ロバート様は口を真一文字に結んで、不機嫌そうにこちらを見た。
「助けていただいてありがとうございます。でも元はと言えばあなたのせいですからね!あなたが私に構うから」
「そ、そうか。すまない」
「あなたは人気があるんですから。御令嬢達から嫌がらせされるんです」
私は怒りながら、彼に抗議をした。すると、彼はしゅんとして「すまない」と力なく謝った。いや、そんな顔をして欲しかったわけじゃないのだけれど。
「悪かった。次からはちゃんと私が君を守るよ。舞踏会へは必ず一緒に行こう」
「いや、そういう意味ではないんです。もう私に構わないでください!」
「え?」
「私のように似合わないと周りから批判される女ではなく、ちゃんとあなたに合う御令嬢を見つけてくださいませ」
一気に捲し立てた私を、彼はとても哀しそうな瞳でこちらを見つめていた。
「私のこと嫌いか?」
「嫌いではありません」
「じゃあ、どうしてそんなことを言うんだ」
「迷惑なんです」
「めいわく……そうか。迷惑か」
彼は唇を噛み、グッと拳に力を込めている。
「私はそれでも君がいい。嫌いじゃないのなら、諦められない」
私は彼に抱きしめられる。その瞬間にふわっとシトラスの香りがする。ああ、あの時と同じロバート様の匂いだ……なんか落ち着くかも。
そんな事を思っていると、彼はとても不機嫌にチッと舌打ちをした。
「シャーロット、誰と踊ったんだ」
「え?」
「男の匂いがする。まさかそいつが好きなのか?」
ロバート様は怒ったように私を強い口調で問い詰めた。
「相手は誰?」
私はその強引さにだんだんと腹が立ってきた。私はロバート様の恋人でもなければ婚約者でもない。どうして別の人とダンスを踊ったくらいで怒られなければならないのか。
「あなたに言う必要がありますか?」
「ある。私は君が好きだ」
「それはあなたの勝手でしょう」
「そいつのことが本気で好きだと言うのなら……君をきっぱりと諦める」
彼は私を真っ直ぐ見つめた。サファイアブルーの瞳が自信なさげに揺れている。
私はその瞳から目を逸らした。もう、嫌だ。ロバート様に干渉されたくない。放っておいて欲しい。
「私は今夜ダスティン様と踊りました。昔から彼に憧れていたし、さっきデートに誘われたんです」
私は色々と面倒になって怒鳴るようにそう言った。彼の顔からスッと感情がなくなったのがわかる。
「邪魔しないで下さい。本当に迷惑なんです。もう家にも来ないで」
私は彼に酷い事を言っている。むしろ、酷い事を言わないとロバート様は諦めてくれないと思うからあえて強めの言葉を選んだ。
彼も仕事が忙しいのに無理して私に逢いに来ていたのだ。こんなのお互いにとってよくない。
「今までありがとうございました。さようなら」
私は自分の出来る一番美しい挨拶をして、彼の元を去った。
♢♢♢
それから本当にピタッとロバート様は来なくなった。手紙も一枚も届かない。当たり前だ。私がそう望んだのだから。
両親やミラ、他の使用人達は彼が急に来なくなったことに戸惑い私を心配した。
「ロバート様と喧嘩でもしたの?」
お母様が私に聞いてくるが、私は首を横に振る。
「もう来ないでってお伝えしたの。元々お付き合いも何もしていないもの。ロバート様に私のような子どもが釣り合うわけないわ」
「シャーロット、あなた本当にそれでいいの?」
「いいに決まってるわ!」
それからの私は久々の自由を謳歌していた。学校帰りにスザンヌと遊んで遅くなっても、今流行りの背中が大胆に開いたドレスを着ても咎める人は誰もいない。
ロバート様が家に来なくなった事で、舞踏会で怖いお姉様方達に睨まれることもなくなったし快適だ。子どもな私に呆れて、彼が愛想をつかしたのだろう……と社交界では勝手に思われているようだがそれは気にしない。
それに、本当にダスティン様からデートのお誘いがあった。私はそれが嬉しくて舞い上がっていた。
彼は私の両親にきちんとお出かけの許可をとってくれてた。素敵、やっぱり紳士だわ。
私は数日前から髪をどうするか、ドレスをどうするかめちゃくちゃ考えてドキドキしていた。だって!だって憧れのダスティン様だ。
「変じゃない?ちゃんと可愛い?」
「ええ。今日のお嬢様は世界一可愛いですよ」
「ありがとう」
私はミラにヘアセットしてもらい、お化粧も完璧に仕上げてもらった。ドレスもセクシーすぎないが大人っぽいものを選んだ。
家に迎えに来てくれた白いジャケットを着たダスティン様は、眩しいくらいに爽やかで格好良かった。まるで白馬の王子様みたい。
「シャーロットちゃん、今日もとっても可愛いね。他の男にこんな素敵な君を見られるのは惜しいな。このまま二人きりでいたいくらいだよ」
そんな最大限の褒め言葉を言っていただいた。社交辞令も入っているだろうが、それでも彼に言われたのが嬉しい。
「ダ、ダスティン様も素敵です。格好いいです!」
そう言った私にありがとうとフッと微笑み、スマートに馬車までエスコートをしてくださった。異性と二人きりになるわけにはいかないので、ミラが一緒について来てくれる。
その後は人気のお洒落なレストランでランチを食べて、街で買い物をして、夕日が沈む頃に海沿いを散歩した。ダスティン様はとてもお話上手で面白く、どこへ行っても素敵な時間を過ごした。
一緒にいてもロバート様みたいにお説教なんてされない。私の嫌がることは言われないから、唯々楽しいだけだ。でも私は彼に嫌われたくなくて、ずっと緊張しっぱなしだった。
夕日が沈む瞬間、急に目を閉じたダスティン様の顔がゆっくりたと近付いてきたので体が強張った。これはもしかして、口付けをされるのではないか?どうしてそんなことを。
――いけない。だって私達まだ恋人同士でもないのに。
私は昔からお母様に「口付けは婚約してから。そして必ず清いまま結婚すること」と口酸っぱく教えられてきた。すぐに関係を深めるのは貴族令嬢としてはしたないことだと。
私はダスティン様の唇が触れる前に手を入れて、口付けを拒んだ。私は恥ずかしさと怖さと混乱で、真っ赤に顔が染まって体が震えている。
彼はそれに気がついて、パチッと目を開いた。じっと私を見た後、拒んでいた手をキュッと握っておろし頬にチュッと軽い口付けをした。
「ダス……ティン様」
私はさらに真っ赤になり身体中に熱がこもる。
「ごめん。君があまりにも可愛くて、急ぎすぎてしまった。許してね」
ダスティン様はニコッと笑って、何事もなかったかのように「そろそろ帰ろう」と言われてしまった。
馬車の中で、ダスティン様はあまり話してくださらなかった。私が口付けを拒否したせいかなと不安になる。そして、家に着きお礼を言って彼と別れた。
一応「また行こうね」と言ってくださったが、それが本音なのかはわからない。
「はあ、なんか楽しかったけど疲れちゃったわ」
緊張していたからだろうか。疲労感が半端ない。部屋に戻ってくたっとベッドに横たわる。
「お嬢様、楽なお洋服に着替えましょう」
「ええ」
「お嬢様は本当にダスティン様がお好きなのですか?私はすぐに手を出すような男性はお嬢様に合わないと思いますが」
ミラはかなり怒っていた。侍女として少し離れて着いてきてくれていた彼女は、海岸で口付けされそうになった場面を遠目からしっかりと見ていたはずだ。気まずい。
「すみません。使用人の分際で差し出がことを申しました」
「ううん。素直な意見を言ってくれて嬉しい」
確かにあれは驚いた。ダスティン様は伯爵家の次男だ。貴族令嬢が簡単に口付けをしないっていうのをご存知のはず。
でも、彼は御令嬢方に人気があるからきっとたくさんそういう行為をしているんだと思う。そうじゃないと、付き合ってもいない女にあんなに自然に口付けをしようとしないだろう。絶対に女性に慣れている。
そう考えると胸がもやもやしてくる。ロバート様も御令嬢達から人気だけど、彼は私に無理矢理口付けをしようなんてしなかったのに。
――え!私ったらどうしてロバート様のことを思い出しているの?自分からお断りしたのに最低だ。
「私はロバート様の方が誠実だと思いましたけど」
ミラがロバート様の話をするので、私の心の中を読まれたのかと驚いてしまった。
「何を言ってるのよ。もうロバート様はお断りしたの。終わったことだから」
私は自分自身にそう言い聞かせた。
♢♢♢
ロバート様は本当にわざわざ私に逢いに来てくださっていたのだとわかる。この一ヶ月間私は一度も彼の姿を見ていない。つまり彼は自然に逢えるような人ではないのだ。
自分勝手だが、あれだけ毎日逢っていたのにこれだけ顔を合わせないと寂しくなる。ついこの間まで口うるさいと思っていたのにどうして。
「シャーロットはダスティン様が好きなのだろう?彼との婚約の話がきているがどうだい」
「ダスティン様と婚約……?」
「ああ。家格的にはうちが下で釣り合わないが、彼は次男だから爵位を継げないだろう?だから社交界の華と言われるシャーロットなら子爵家の娘でも良いとダスティン様の父上のヘインズ伯爵から連絡があった」
私はあのデート以来、数回お手紙のやりとりをしたのみでその後はお会いしていなかった。きっと彼にとって私は色々な意味で物足りなかったのだと感じたから。だから婚約の話がきていることに驚きを隠せない。
「ちょっと考えさせてください」
「彼は次男だが騎士で生計をたてられるし、金銭面ではヘインズ伯爵も支援をしてくださるらしい。結婚しても不自由な暮らしにはならないから安心しなさい」
「はい」
ダスティン様と婚約だなんて、以前の私なら二つ返事で喜んでいただろう。でも今は……上手く言えないが何かが引っかかるのだ。このまま結婚していいものか。
♢♢♢
婚約の返事ができぬまま数週間経過した。今夜は久々の舞踏会。すると、沢山の美しい御令嬢に囲まれて談笑しているロバート様を発見してしまった。
久しぶりにお姿を拝見できて嬉しい。しかし、御令嬢達と笑っていらっしゃる。ジッと見つめていると、彼が私の方を向いてしまった。
確実に目が合ったが、彼にあからさまにフィッと視線をずらされた。そしてそのままダンスを踊っている。誘われた美人な御令嬢はうっとりと頬を染めて、ロバート様に体をすり寄せて嬉しそうだ。
――嫌だ。私のロバート様に触らないで。
いや『私の』とはなんだろうか。自分勝手にも程がある。彼の好意を踏みにじったのは自分だ。私にそんなことを思う資格はない。