3 憧れの人
私は夜着にガウンを羽織って、そっと部屋を出る。こんな夜に出て行ったと知られたら両親やミラに怒られてしまう。
玄関をそっと開けると、そこにはロバート様が立っていた。
彼は私の服装を見てギョッと驚いた顔をして、はあとため息をついた。
「シャーロット、そんな薄着で男の前に出てはいけない」
「だって急いでたんだもの」
「君は女性だ。危ないことを自覚してくれ」
せっかく彼のために部屋から出てきたのに、お説教するのね?私はムッと不機嫌になった。喜んでくれると思ったのに。
「じゃあ戻るわよ!せっかくあなたが来てくれたのに悪いなと思っただけ。じゃあね、おやすみなさい」
私はプイッと彼に背中を向けて、家に入ろうとした。その時に、腕を掴まれてぐいっと彼の方に引き寄せられた。
いきなり後ろから抱きしめられ、私の心臓はバクバクと大きく音をたてる。彼に触れられている場所がとても熱い。
「今日は、遅いしもう逢えないと思っていた。君が窓を覗いてくれていて嬉しかった」
彼はさらにギュッと力を入れる。その時、フワッとシトラスのいい匂いがした。香水かな?とてもいい香りだな。
「しかも外に出て来てくれるなんて、夢みたいだ。ありがとう」
「い、忙しいなら無理して来ないで。身体壊れるわよ」
「シャーロットに逢った方が元気が出る」
私は何と言っていいのかわからず、フリーズしてしまう。家族以外の異性にこんな風に抱きしめられたこともないので、恥ずかしいし緊張する。
ごつごつした逞しい腕を感じて、ロバート様は『男の人』なんだと再認識してしまう。
「……これ以上一緒にいては私の我慢が効かなくなる。さあ、部屋へ戻って」
彼はパッと私を離して、私のおでこにキスをしておやすみと微笑んだ。
「おや……すみなさい」
私は真っ赤な顔のまま小声でぼそぼそと挨拶をして、部屋に戻った。そしてシーツに包まり、まだバクバクと忙しなく動いている心臓を手でおさえる。
――抱きしめられちゃった。
私は彼が好きなのかな?抱きしめられた時もおでこにキスされた時も嫌じゃなかった。むしろドキドキしてしまった。
いや、でも私が好きなのはダスティン様のような誰にでも明るく楽しい人のはずだ。ロバート様は私には優しいが、基本的には無愛想なので真逆だ。そしてちょっとお説教が多くて煩い。心配してくれているんだろうけど。
「抱きしめられて驚いただけよ!好きじゃないわ」
私はそう言い聞かせ、無理矢理眠りについた。
♢♢♢
抱きしめられた次の日。顔を合わせると恥ずかしくて目を逸らしてしまったが、ロバート様は何事もなかったかのようにいつも通りの態度で拍子抜けだった。これが大人の余裕ってやつなのだろうか?私だけがドキドキしているのだと不満に思った。
そして一週間後、私は舞踏会に来ていた。大きな舞踏会なのでロバート様もきっと来られるだろうと思って特に連絡していなかったが、まだいらっしゃらないようだ。
「シャーロット、可愛いドレスね」
「スザンヌ!会えて良かったわ。あなたも素敵よ」
親友のスザンヌと会うことができてうれしい。彼女は私と同じ子爵家の娘で仲良くしている。
「シャーロット、噂で聞いたわよ。あなたの元にロバート様が通われてるって」
スザンヌはニヤニヤと揶揄うように笑っている。うわ、もう広まっているのか。
「あのロバート様がまさかあなたがお好きとはね。ふふ、シャーロットが嫁いだらフォレスター家も安泰ね」
「や、やめてよ。彼と私じゃ釣り合わないわ」
「そうかしら?美男美女でお似合いよ。でも怖いお姉様方に虐められないように気をつけて」
私はそれを聞いて背筋がゾクッと凍った。実は今日会場に入った時から気が付いていた。ロバート様を狙っている色気ムンムンのお姉様方達からの鋭い目線。
「こんな小娘が好みなんて趣味が悪い」
「ふふ、遊びでしょ?どうせすぐ捨てられるわ」
「ロバート様の相手が子爵家の娘なんて」
「社交会の華なんて言われて調子に乗ってるのよ」
ひそひそと聞こえる悪口は、私へちゃんと聞こえるように言っているのだ。本当に貴族というのは性格が悪い。
私は平和に静かに生きたい。やっぱりロバート様と結婚なんて絶対できない。昨日は血迷って「好きかも」とか思っていたが、絶対無理だ。勘違い。彼にはきちんとお断りして、彼の家格に合う素敵な御令嬢と結婚していただこう。
「そういえば、さっきダスティン様がいらっしゃったわよ」
「え!そうなの?」
私はそれを聞いて気持ちがパッと明るくなる。
「色んな女性を相手にしていらっしゃるようだったから、あなたも近くにいれば踊ってもらえるかもしれないわよ」
「そうかしら」
よくスザンヌとダスティン様を遠くから眺めてキャーキャー言っていた。スザンヌにはもう婚約者がいるので、憧れが続いてるのは私だけだ。
「よく見に行ったわよね」
「ふふ、そうね。楽しかった」
「剣を振ると、あの長髪が揺れるのがいいのよね」
「わかる!」
ダスティン様ファンとしては、踊れなくても近くに行ってお顔を見たい。私は彼の近くに行ってみることにした。
「行ってらっしゃい。お姉様達怖いんだから、人気のないとこには行っちゃだめよ」
「わかってるわ」
私はスザンヌに手を振ってダスティン様がいたという場所に移動した。途中で色んな男性にダンスに誘われるが、ふんわりと微笑んでお断りする。
『君の口はイエスしか言えないのか?』
そうロバート様に言われたことを思い出し、最近は頑張って男性からのお誘いをお断りしている。だいぶスマートにかわせるようになってきた。
そして、ダスティン様が見える位置にそっと立つ。彼は美しい御令嬢と優雅にダンスを踊っている。うーん、やはり格好いいな。私が社交的デビューしてから、彼に舞踏会で会ったのは初めてだった。
彼が踊っているのをポーッと眺めていると、バチッと目が合う。驚いて慌てて目線を逸らした。
もう憧れの彼の姿も見れたし、ここを離れよう。そう思っていると音楽が止み一曲終わったことがわかる。私が足を踏み出した瞬間に「待って」と遠くから声が聞こえる。
誰を呼んでいるのかと思い、振り向くとたくさんの御令嬢達の間をぬって一直線にダスティン様が私に向かって走っている。御令嬢達からのキャーっと黄色い声が聞こえる。
え!?もしかして私デスカ?
そのまま私の腕をギュッと掴み「待って」とはあはぁと息を切らしている。
「待って。君……名前は」
「私ですか?シャーロット・フォレスターと申します」
「シャーロットちゃんか。可愛い名前」
彼は色気たっぷりにニコッと微笑んだ。私は胸が撃ち抜かれたように苦しくなる。
「シャーロットちゃんさ、もしかして前から剣術の試合とか見に来てくれてた?」
「あ……は、はい」
「やっぱり。ずっと君が気になってたんだ。いつか声かけてみたいって」
えーっ!そんなこと……そんなことあるのだろうか。あんな沢山観客がいたのに私に気付いてくださっていたなんて。嬉しすぎる。
「ここで逢えたのは運命だね。俺と一曲踊ってもらえないかな」
「はい。喜んで」
ずっと憧れていたダスティン様からのお誘いをお断りする選択肢はなかった。
曲が始まり彼と密着して踊り出すと魅惑的な甘い良い匂いがして、胸がドキドキして頭がクラクラしそうだ。
――ロバート様はシトラスの様な爽やかな香りだったな。
ふとそんないらない事を思い出す。
「何考えてるの?俺に集中して」
耳元でそう囁かられて、真っ赤に染まった身体がビクッと反応してしまう。
「……可愛いね」
「か、揶揄わないでくださいませ」
「俺は本当のことしか言わないよ」
ダスティン様は私が今まで踊った誰よりもダンスが上手で、とてもスマートにエスコートしてくれる。
「驚いたな。シャーロットちゃん、ダンスかなり上手だね」
「ダスティン様こそ素晴らしいです」
「お褒めいただいて光栄だ」
その後も楽しく話しながら踊り続けて、曲が終わりをむかえる。ああ、残念。夢の時間は一瞬だわと哀しくなるが、一度でも憧れの彼と踊れたことを大事な思い出にしよう。
「ありがとうございました」
「ありがとう。楽しかった」
ホールドしていた手をそっと離そうとすると「俺、君を気に入っちゃった。今度デートしよう」と私にしか聞こえない小声で囁いた。
真っ赤になって固まってる私に、パチンとウィンクをしてまたねと手を振って去って行った。
はぁ、すごい。恋愛経験の乏しい私には、これは冗談なのか本気なのかすらわからない。
「ちょっといいかしら」
私が振り向くと、恐ろしい顔の御令嬢達が後ろにいた。まずいと思ったが、雰囲気的に逃げることなどできない。
私は外に連れ出され、取り囲まれる。
「たかが子爵家の娘が調子に乗ってるんじゃないわよ」
「ロバート様の次はダスティン様?次から次によく男を乗り換えるわね」
「やはり下級貴族ははしたないのよ。チビなあなたが使えるものなんて、その育ちすぎた大きなお胸くらいでしょうから」
「まあ、体を使ってロバート様を落とすなんて下品だわ」
くすくすと下卑た笑いで嘲笑してくる。本当に性格が悪すぎる。
「ダスティン様は一人だった私をたまたま踊りに誘って下さっただけですわ。お姉様方もこんなところにおらずに、向こうで待っていたらダンスに誘われるのではありませんか?私よりずっと爵位も上で背も高く、お美しいのですから」
貴族令嬢特有の作り笑顔を貼りつけて、嫌味を言ってやる。ここにいる性格の悪い女なんて二人は相手にしないことを知っているから。
「それに私のことは何を言われても構いませんが、ロバート様のことを貶めるのはやめてくださいませ!彼が色仕掛けに引っかかるような男性ではないことはお姉様方が一番よくご存知でしょう」
そう言った瞬間、取り囲んでいた御令嬢の一人にドンと突き飛ばされる。ああ、まずい。このドレスでは受け身も取れない。
覚悟してグッと目を瞑ったが、いつまで経っても痛みは来ずにふわっと肩を抱かれる。そっと目を開けると、そこにはロバート様がいた。
「おや、お嬢様方お揃いでどうされました?皆さんが私のお話をしてくださっていたのが、たまたま聞こえてきまして」
助けに来てくれたことを嬉しく思う。しかし彼は笑顔を作ってはいるが、目は全く笑っていない。低い恐ろしい声は、明らかに怒りがこもっているのがわかる。
「一体何の話ですか?用事があるなら直接お聞きしますよ」
彼は彼女達をギロっと睨みつけたため、お姉様方は震えて怖がっている。
「それにシャーロットが突き飛ばされたように見えたのですが、私の見間違いでしょうか」
「そ、それは……」
この人達には腹が立つが、これ以上事を荒立てるべきではない。
「ロバート様!すみません、私は自分でよろけたのです。酔ってしんどい私をお姉様方がお庭に連れ出してくださったのですよ」
ふふふ、と私はわざとらしく笑う。彼女達は良かったと言わんばかりに「そ、そうです」と相槌をうつ。
ロバート様は私をチラリと見てため息をつく。
「そうでしたか。それは私の勘違いで失礼をしました。しかし、シャーロットに何かしたら私は絶対に許しません。それだけは覚えておいてくださいね」
彼はニッコリと恐ろしい笑みを彼女達に向けると、逃げるように急いでこの場を去って行った。