2 求婚
何故か目の前には沢山の薔薇を持ったロバート様が我が家にいる。
「私とシャーロット嬢との婚約を認めてもらいたい」
「え、ええ?うちの娘ですか」
うちの両親は二人とも驚いてしまっている。それはそうだろう。今まで全く接点のなかった今をときめくロレーヌ家の長男が私を嫁に欲しいといきなり乗り込んできたのだから。
「シャーロット、お前いつからロバート様と恋仲だったんだ?それならば何故早く言わなかった?」
うん、普通はそう考えるわよね。実は恋人同士だったの、隠しててごめんなさいお父様……のパターン。むしろその方が納得ができる。しかし、そんな事実はない。
私は首がもげるほど必死に横に首を振って否定した。
「まだ恋仲ではない。だからこうして許可を貰いに来たのです」
ロバート様は飄々とそう仰った。この人は本気なのだろうか?何を考えているの?
「親バカと思われるでしょうが、シャーロットはマナーも教養も私達が出来うる限りを叩き込んだ自慢の可愛い娘です」
「そうだろうな」
「しかしロバート様と我が家では、身分が釣り合いません」
「それは関係ありません」
「……娘には普通に幸せになって欲しいのです」
お父様はギュッと拳を握って、辛そうに声を絞り出した。その後、シーンと音が聴こえそうな程部屋が静まりかえった。
お父様の反応は正直意外だった。彼に求婚されたらさすが我が娘だ、よくやった!と喜ぶかと思っていたから。だって私がロバート様と結婚したら玉の輿だ。当家より爵位も上だし、ロレーヌ家とのつながりも有難いだろう。うちも子爵家では裕福なほうだけれど、ロレーヌ伯爵家はずば抜けた財力だ。
それに、基本的には下の爵位の者が上の爵位の方の求婚を拒否するのは難しい。それなのにお父様は断ってくれたのだ。
「私とは普通の幸せは望めないと?」
「失礼なことを申しました。でも、違うのです。シャーロットはまだ若く、世間を知りません。あなた様の……いえ、治癒士の奥方は到底務まりません」
「それでも私は彼女が欲しい。自分の全てをかけて大事にします」
私は驚いて目を見開いた。まるで小説の台詞だ。しかし、なぜそこまで言ってもらえるのか全然わからない。
「シャーロット嬢は、私が嫌いか?」
ロバート様は真っ直ぐ私を見てそう聞いた。こんな強引なことをしているわりに、その声と顔は捨てられた子犬のように哀しげだった。
「正直に申しあげてもよろしいですか?」
「ああ」
「私はあなたのことを全く知りません。好きも嫌いもありませんわ」
「……それもそうだな」
ふむ、と彼は顎に手を当て考え込む仕草をした。
「では私のことを知ってもらえるように、できるだけ君に逢いに来る。好きになったら教えてくれ」
「……え?」
「今日はこの辺で失礼するよ。ああ、これは君へのプレゼントだ」
十二本の美しい深紅の薔薇の花束を渡された。意味は『私と付き合ってください』だ。
「また来る」
彼はフッと微笑んで我が家を去っていった。彼が私と結婚してどんなメリットがあるというのか?本当に意味がわからない。
「シャーロット、お前はロバート様のもとに嫁ぐ覚悟はあるか」
「ないです!あの方だいぶ年上ですよね」
「君の七歳上だ」
「私は結婚するなら年の近い方がいいです。それにあんな有名人と婚約したらたくさんの御令嬢達から虐められます!絶対に嫌です」
「やはりそうだろうな……条件だけみるとかなりいい縁ではあるのだが」
お父様はうーんと頭を抱えている。
「あなた!でも、シャーロットの気持ちが一番よ。嫌がってるのに幸せにはなれないわ。ロバート様にも申し訳ないし」
「そうだな」
とりあえず断る方向で話をしてくれると言われたので、私はホッとため息をついた。よかった。まだ社交界デビューしたばかりだから結婚などしたくないし、婚約者もしばらくいらないと思っていた。
私は実は一方的に憧れている人がいる。騎士団にいる若きエースのダスティン・ヘインズ様だ。私の二歳年上の十八歳で、爽やかな長髪に細身に見えるが逞しい身体。学生時代に剣術大会があった時に優勝した姿を見て以来、友達とキャーキャー言って盛り上がっていた。社交的で明るい彼が観客席に笑顔で手を振っている姿は、とても格好良かった。
直接話したことはないので、もちろん恋が実るとは思っていない。でも心の中で彼を想うくらい勝手なはずだ。
♢♢♢
しかし、私は次の日からロバート様の執念を知ることになる。彼は全く諦めてなどいなかった。
社交辞令ではなく本当に毎日のように私に逢いに来たのだ。お父様から「やはり娘にあなたの妻は荷が重い。彼女は年齢差も気にしています。当家からお断りするなど失礼なことは存じておりますが申し訳ありません」と頭を下げて断ってくださっだが「断るにしても私を知ってからにしてくれ」とロバート様に言い返された。
確かに彼の人となりを知らないのに嫌というのはおかしな話だ。だから求婚の返事はひとまず保留になった。
「おはよう、シャーロット嬢」
「学校お疲れ様」
「シャーロット、今日も可愛いな」
「愛してる」
彼は朝に来る日もあれば、夕方や夜に現れることもある。挨拶するだけの一瞬の時もあれば、一時間くらい居座る時もある。
そして「早く帰れ」だ「露出の多い服を着るな」だ「男に微笑むな」だ……細かいお説教を沢山されて鬱陶しい。お父様でもこんなにうるさく言わないわ。
いつの間にか『嬢』が取れて勝手に呼び捨てにされているが、身分も年齢も上なので拒否するのもおかしいかなとそのまま見逃した。彼が仕事でどうしても来れない時は、手紙と三本の薔薇とプレゼントが届く。
愛を綴った短い手紙と小さな贈り物。贈り物はヘアピンとかリボン、ピアス、本……ささやかだがどれもセンスが良くて気を遣わない物ばかりだ。三本の薔薇は『愛してる』の意味。
何度もらっても恥ずかしくて堪らなくなる。そして、手紙も捨てるのは悪いかなと思ってお気に入りの缶にそっとしまうことにした。今ではもう十枚以上入っている。
愛してる。仕事で君に逢えないのが辛い。
君も私に逢いたいと少しでも
思ってくれれば嬉しい
可愛いシャーロットを見ると元気が湧いてくる。
ずっと傍にいて欲しい
昨日よりもっと君が好きになるよ
誰より大事にする
私と結婚してくれないか
「なんでこの人は毎回毎回こんな小っ恥ずかしいことを書けるのかしら。こんな手紙に返事は書けないわ」
私が手紙を読んで真っ赤になっているのを、ミラは横目で眺めてくすっと笑っている。
「それだけお嬢様のことがお好きなんですよ。もうニヶ月毎日ですよ?すごいですね」
「本当に毎日だものね」
「私ならこれだけ愛されたら好きになってしまいそうですけどね」
うう……そうなのだ。最初は「嫌だ」とか「来ないで」と逃げ回ったり無視していたが、もう慣れてしまった。最近は両親も使用人達もロバート様が家に来ても驚くこともなく「いらっしゃい」と迎え入れている。
好きとまではいかないけど、毎日逢っていると情がわくというかなんというか。手紙が届いてない日に来るのが遅いと、何かあったのかな?とか心配してしまう。
「どうしたんだろう?」
「今日は来られないんですかね」
「忙しいのかな」
「あら、お嬢様。来られるのが嫌だと仰っていたのに、待っていらっしゃるんですか?」
ミラが意地悪そうに微笑んだ。
「待ってない!もう寝るわ」
そう言われて恥ずかしくなり、夜着に着替えてベッドの中にもぐりこんだ。
「これは私の独り言ですけれど……ロバート様は大変お忙しい方です。毎日のように治癒士として戦地に行って、ご自身の力を削って沢山の騎士を治していらっしゃいます。そんな多忙で激務のロバート様が毎日お嬢様に逢いに来るのがどれだけ大変か……何故来てくださっているのか……お嬢様ならおわかりでしょう?」
彼がそんなに忙しいなんて知らなかった。わざわざ時間を作って来てくれるのは嬉しい。でも、なぜ私を好きなのか全然理解ができなかった。
ある時、意を決して聞いたことがある。
「あ、あの!ロバート様は私に好きとか愛してると言われますが、どこがですか?何が好きなんですか」
こんな事を聞くのは、死ぬほど恥ずかしかったけど勇気を出して質問をした。
「愛に理由なんてない。ただ君が愛おしい。それだけじゃダメか」
そう言われて赤面してしまった。ダメではない。ダメではないが、納得はできない。
「あの舞踏会まで話したこともなかったのに変です!単に私の容姿が好きってことですか」
「もちろん容姿も好きだ。そのカーブのかかった黒髪もこぼれ落ちそうな大きな瞳も、ピンクの可愛い唇も全部が可愛い」
私は恥ずかしくてボンっと爆発しそうだった。
「容姿だけじゃない。中身も好きだ。君はよく努力をしているし、素直で優しい心を持っている。明るい君と話していると心が晴れる」
彼は優しく微笑んでわたしの頭をポンポンと撫でた。これは完全に子ども扱いだ。いくら年の差があるとはいえ、成人したレディにこの態度は失礼なのではないか。それに好きな理由も何となくはぐらかされている気がする。
私はムッとしてパシッと手を払いのけた。
「子どものように気軽に触れないでくださいませ」
流石にこんなことをしたら怒られるかなと心配になったが、ロバート様は面白そうに笑った。
「ああ、すまない」
謝罪の言葉とは裏腹に、彼は私に近付いて髪をひとすくいし見せつけるようにチュッとキスをした。
「レディに悪かったね。大人のシャーロットにはキスをすべきだった」
固まっている私の頬をするりと撫でて「またね」と去って行ったのだ。本当に油断ならない。
ベッドのシーツにくるまって、そんなことを思い出していると外からパカラパカラと馬の蹄の音が聴こえてきた。
――もしかして。
部屋の時計を見ると日付が変わる直前だ。私は急いで起き上がり、部屋の窓を開いて外を見た。
すると立派な馬に乗ったロバート様がこちらを見上げていた。外は暗いが月明かりに照らされて、彼の美しいブロンド髪が光っていてとっても綺麗。
彼は私に気がつき、目を細めて軽く手を挙げた。私も反射的に小さく振り返す。そして、本当にそれだけで帰ろうとする彼にジェスチャーで玄関に回ってくれと伝える。
こんな夜に私に一瞬会うだけにわざわざここまで来てくれたの?そう思うとドキドキと胸が高鳴った。