1 治癒士の彼
ここからはシャーロット視点です。
私は今、煌びやかな舞踏会でなぜかお説教をされながら足の治療してもらっている。
「君の口はイエスしか言えないのか?あんなに連続で踊ったら、足を痛めるに決まっているだろう」
美しい青い瞳の顔の整った大人の男性に、苛ついたようにギロリと睨まれる。怖い。だって……断れずに仕方がなかったのよ。
この人は確か……ロレーヌ伯爵の御子息だったような。珍しい治癒士の家系だと聞いたことがある。話したことはないけれど。
「治った」
「あ、ありがとうございます。本当に助かりました。後日必ずお礼に伺います」
私はドレスの裾を直して、ヒールを履き直し深々と頭を下げてお礼を伝える。治療のためとはいえ男性に足を触れられるなど恥ずかしすぎる。
「私は伯爵家のロバート・ド・ロレーヌだ」
「申し訳ございません。まだ名前をお伝えしておりませんでしたわね。私は子爵家のシャーロット・フォレスターと申します」
私はニコッと貴族令嬢らしく微笑んだ。
「シャーロット嬢、私と結婚してくれ」
――は?
一体どうしてこんなことになってしまったのか。
♢♢♢
私はシャーロット・フォレスター、十六歳。厳しくも優しい両親に育てられ、三歳離れた可愛い弟が一人いる。子爵家の娘でついこの間成人したばかりの私は、社交界の華と言われちやほやされていた。
少しカールがかった黒い豊かな髪、大きな瞳、背は小さいが女性らしい膨らみや柔らかさも兼ね備えていると思う。身分はそう高くはないが、両親の熱心な教育の甲斐もあり貴族令嬢としてのマナーや知識、それにダンスや歌や刺繍も得意だった。
「お美しいシャーロット嬢、私と踊ってください」
「いえ、是非僕と。あなたの可愛さは天使のようだ」
「私の方が爵位が上ですよ。結婚したら不自由はさせません。可憐なあなたに相応しいです!」
舞踏会に行くたびに、男性に囲まれダンスを申し込まれる。まだ慣れていない私は、上手く断ることができず何度も何度も違う男性と踊るはめになった。
両親は私を箱入りに育てすぎたと心配し、婚約者が決まるまで舞踏会で殿方の断り方やかわし方も含めて学びなさいと言われた。これは社会勉強らしい。
踊るのは好きだ。でもあからさまに体を密着させて、ほとんど初対面の私に甘い言葉を囁く男性達を前に私は困惑していた。褒められて悪い気はしないが、嬉しくもない。
――私のことなんて何も知らないくせに。そんな歯の浮くような台詞がよく言えるわね。
貴族として産まれた以上、家のために政略結婚することについては仕方がないと思っている。しかし、恋愛小説のように一途で熱烈な愛を知りたいと思う。そんなことを考える私はまだまだ子どもなのだろうか。
断るの方が面倒で、望まれるまま連続で踊り続けると足を痛めてしまった。しかし、貴族令嬢として足を挫いたとは恥ずかしくて言えない。
背中に冷や汗をかきながら、必死に笑顔をつくり「酔いを覚ましてきますわ」とバルコニーに向かった。足を引きずっているが、長いドレスの裾に隠れているので気付かれてはいない。
男性達を撒くために、痛いが我慢して足早に外に出る。うっ……挫いた足にヒールが辛い。痛くて目に涙が滲む。
なんとかバルコニーに出た瞬間に、見知らぬ男性に手を掴まれる。驚いて顔をあげると、さらさらのブロンドの髪にサファイアブルーの瞳の明らかに私より年上の大人の男性だった。
――綺麗な顔。それが彼への第一印象だった。
「足が痛いのだろう?とりあえず座って」
どうしてわかったのだろうか?わからないように顔に出さないようにしていたのに。勧められるまま、ベンチに腰をかける。
「私は治癒士だ。直接触れないと治せない。悪いが少し触れるぞ」
そう言うと、彼は私の前に跪きドレスの裾をそっとめくった。
「きゃあ!」
私は咄嗟に悲鳴をあげた。だ、だ、男性にドレスをめくられるなど破廉恥すぎる。私の顔は真っ赤に染まっている。バルコニーには他に誰もいないことだけが唯一の救いだ。
「……治療だ。変なことはしない。すぐ終わる」
彼は私のヒールをそっと脱がし、痛めた右足に優しくそっと触れた。ポワッと光り、じんわりと温かくなる。
「君の口はイエスしか言えないのか?あんなに連続で踊ったら、足を痛めるに決まっているだろう」
連続で踊っていたのを見られていたのか、私は不機嫌な彼にお説教されながら治療を受けている。きっと呆れられているのだろう。気まずい雰囲気だ。
「治った」
わぁ……すごい力。不思議。本当に全く痛くなくなった。
この国に治癒士という珍しい力を持った人が存在することは知っていたが、実際に会ったのも治療を受けたのも初めて。だって治癒士は傷付いた騎士団の隊員や王族を治すための人だ。
そして私はお礼を述べて、今更だがお互い自己紹介をした。わざわざ力を使って怪我を治してくれるなんて、優しい人なんだなと思っていた。
そして、冒頭のあの驚くべき台詞を言われたのである。
「シャーロット嬢、私と結婚してくれ」
――は?
私は驚きすぎてポカンと口を開けたまま、言葉が出てこない。
「聞こえているか?私と一緒になってくれ」
「え?」
「必ず幸せにする」
この人やばい人だ。初対面でだいぶ年下の私に、いきなり真顔で何を言っているのだろう。
「ふふふ、面白いことをおっしゃいますね。でも小娘を揶揄わないで下さいませ。ロバート様、治療ありがとうございました」
私は無理矢理笑って立ち上がり、すごい勢いでその場を走り去った。そして一直線に馬車に向かう。
もう帰ろう。舞踏会というところは恐ろしいところだ。きっと、あれはロバート様なりのご冗談だろう。
私は興味が無さすぎて忘れていたが、思い出した。ロバート様は治癒士として確固たる地位を築かれている方だ。ロレーヌ家は財力もたっぷりある伯爵家で、王家の信頼もあつい。確か二十代半ばなのにまだ結婚をされておらず、婚約者もいないため社交界では誰が彼を射止めるのか噂されていた。つまりは女同士で血みどろの争奪戦だ。
そう、なんといっても彼は見た目もいいからもてるのだ。しかしどんな美しい御令嬢を前にしても、彼は本気にならないそうだ。
私は「そうなんだ」くらいにしか思っていなかった。子爵家の娘がそんな大物に近付こうと思っていなかった。
それに彼は私より七歳も年上だから恋愛対象として、考えたことすらなかった。向こうにも相手にされないと思う。貴族間では親子ほどの年の差婚も珍しくはないが、正直嫌だ。二、三歳差くらいがベストだろう。
――きっと揶揄われたのだ。男性を上手くあしらえず怪我をした私に『気をつけろ』とお灸を据える意味もあったのかもしれない。舞踏会で油断するとそういうことを言われるよ、と教えてくださったのだ。
私は馬車に乗り込み、控えていた侍女のミラに抱き付いた。彼女は少し驚いたが、優しく背を撫でてくれる。
「お嬢様、どうなさいました」
「ミラ、もう舞踏会なんて行きたくないわ」
「何かあったのですか?」
「だってダンスをお断りするの大変ですもの」
彼女は私を見てふふっと笑った。
「仕方がありません。可愛いお嬢様は大人気ですからね。でも奥様からこれも社会勉強と言われたではありませんか?」
「言われたけれど。だって、みんな本気じゃないわ。私は本当の恋がしてみたいのに」
私は子どもっぽく拗ねた態度をとった。こんな態度をとるのは貴族令嬢として失格だが、姉のように昔から付き添ってくれている侍女のミラの前では素直な気持ちを吐露する。
彼女は少し哀しそうな顔で微笑んだ。理由はわかっている。私が好きに恋愛をすることはできないからだ。そのうち親が決めた相手と結婚するのは決定事項だ。
「旦那様や奥様がご納得される程の相手なら、お嬢様も恋愛結婚ができますよ。舞踏会でよい男性はいらっしゃらなかったのですか?」
そう言われて、たくさん踊った男性を思い出してみるがみんな似たり寄ったりの顔で思い出せない。ダンスも正直私の方が上手かったので、リードしてもらえずガッカリだ。
そこでふと思い出すのは足を治療してくれたロバート様だ。彼が一番印象的だった。恋愛感情はないけれど。
『君の口はイエスしか言えないのか?』
あんな風に男の人に怒られたのは初めてだ。思い出して、私だって好きで踊っていたわけではないのにと少しムッとする。でも……彼は私を助けてくれた。
「そういえば、ロバート・ド・ロレーヌ様に足の怪我を治していただいたの」
「あ、あの治癒士のロバート様ですか!?」
「ええ。後日御礼をしないといけないわ」
「それはもちろんです!大変です!帰ったら旦那様にすぐご報告しましょう」
ミラの慌てようをみて、やはり彼は大変な有名人らしいと再確認する。
その時の私は、帰ったらお礼状を書いて美味しいお菓子と刺繍をした何かを贈ればいいかと考えていた。