12 プロポーズ
「まさかそれが私ですか?」
「そうだ」
ロバート様はポケットから、リボンを私に見せた。色褪せてはいるが、薄らピンクなのがわかる。そこには『シャーロット』と小さく刺繍がしてあった。
「これ……私の昔のお気に入りです」
そうだ。遠い親戚の家に遊びに行った時、私は街に出て勝手に動きミラとはぐれたのだ。見つかって怒られたことを気を取られて……その間にあったことなどすっかり忘れていた。
そういえば、家に戻った時にお母様に「お気に入りのリボンはどうしたの?」と聞かれたことを思い出した。
「そうだわ。今、思い出しました。確かに怪我をした時に、見知らぬお兄様に治してもらいました。あの当時は治癒士の存在を知りませんでしたから、魔法使いだと思っていました」
「それが私だよ。君のことは、後でこの名前から調べてフォレスター家のお嬢さんだとわかった」
「まさか!そんな前から出逢っていたなんて。どうして早く教えてくださらなかったのですか?」
彼はフッと微笑んだ。
「シャーロットは私の恩人だ。それは間違いない。でもそれだけだった。その当時の君は子供だったし、もちろん恋愛感情なんてなかった」
「それは、そうですよね。あの時の私は八歳ですから」
私がそう言うと、彼は手で頭を抱えてはぁとため息をついた。
「改めてそう言われると、君との年の差を感じて辛いな。昔シャーロットは結婚相手として五歳上はおじさんだと言っていただろう」
そんな失礼なこと言ったかしら?私は首を傾げる。
「だから年の差をかなり気にしてた。君と年齢の近い男が羨ましかった」
「そうなんですか?ロバート様は格好いいですよ。全然おじさんじゃないです。まあ、少しお説教が多くて……お父様のようですけど」
ロバート様は『格好いい』に喜んで、『お父様のよう』でショックを受けていた。一人でコロコロと表情が変わるのでちょっと面白い。
「だからシャーロットが大人になったら『あの時助けられたんだ』って話して、お礼に君の欲しいものでも買って、お茶でもして妹のように可愛がれればいいなとか勝手に思っていたんだ」
「でも、そんなことなかったですよね?」
「ああ。そのつもりだったのに……シャーロットが社交界デビューした舞踏会で君に再会して、私が惚れて計画は白紙だ」
その話を聞いて私は驚いて目を見開いた。
「君の天使のような微笑みは、あの時と少しも変わってなかった。それだけで心が奪われた」
「ええっ?」
「正直言うと初めは……見た目とか雰囲気が好きだと思った。しかし、その後君のことをずっと見ていて中身も大好きになった。君はいつも勉強も、マナーも、ダンスも全て真剣に頑張っていた。それに誰に対しても素直で明るく優しくて裏表もない」
そんなにずっと彼に見られていたのだと思うと恥ずかしくなった。
「私の周りに群がる御令嬢方はね、爵位や経済力や容姿ばかりを求めてみんな私自身を見てはくれない。それに、自分を売り込むためなら他の女性の悪口を言うような人ばかりでうんざりしていた」
まあ、それはそうでしょうね。貴族令嬢にとっていい相手を見つけるのは、一生のことを左右する一大事だ。人のことを思いやる気持ちなんて持てない人の方が多いだろう。
「家のために結婚しないといけないとは思っていたが、全く気が進まなかった。でも……君に再会してから嘘のように毎日が楽しくなった。君しか妻にしたくないと思った」
彼は照れている私に優しく微笑んだ。
「私をただの男として、君の結婚相手として相応しいか考えて欲しかったんだ。昔出逢っていたと言ったら……変に運命的なものを感じてしまうかもしれないだろう?」
「だからって、舞踏会でいきなり求婚はおかしいです。私は初対面だと思っていたので、ロバート様のこと完全に変な人だと思っていました」
「そうだよな。それはブラッドリーにも呆れられた。君が振り向いてくれて良かったよ」
ははは、ごめんと無邪気に笑っている彼を私はムッと睨みつけた。
「ロレーヌ家はなかなか面倒な家だ。もう聞いているとは思うが、治癒士は家を空けることも多いから君には負担をかける。それに結婚すれば周りから血筋をたやさぬようにと後継のことを言われるだろう」
「存じ上げています」
「遠征に行くのはどうしようもないが、君を助けてくれる信頼できる使用人をつける。子どものことも、気にする必要はない。誰がなんと言おうと、愛した女は君だけだ。もし子どもができなくとも側室など取るつもりはない」
そう言ってくださったロバート様のお気持ちに胸が熱くなる。嬉しい。しかし……
「それはいけません。大切な血が途絶えてしまいます」
「別に構わない。私には弟もいるし、他にも可能性はある」
「私は貴族の娘です。ロレーヌ家に限らず、後継を産むことの重要性はわかっております。もし、そうであれば迷わずご側室を迎えて下さいませ」
私は真っ直ぐと彼を見つめ、真剣にそう告げた。
「嫌だ」
「では、私は結婚できません」
「どうしてそんなことを言う?私は君だけが好きなのに」
ロバート様は私を抱きしめながら、辛そうに絞り出した声でそう言った。
「ありがとうございます。お気持ちは充分いただきました。好きだからこそです……私は愛した人が自分のことで苦しむ姿を見たくありません」
「君が傍にいてくれるなら、他に何も望まない」
「では、お約束を」
私はここで折れてはいけない。彼の奥さんになるのであれば覚悟を決めねばらない。そして、彼にも覚悟を決めてもらわないと。
「そうですね。ロバート様のご年齢も考えて、私が二十歳になった時までと決めておきましょう」
「本気……なのか」
「ええ」
私は真顔で頷いた。彼は哀しそうな顔をした後、ぎゅっと目を閉じて私の手を握った。
「わかった。ごめん……君にこんなことを言わせて」
「でも、ひとつだけ我儘を言っていいですか」
「もちろん」
「もしそうなっても、私を一番にしてくださいますか?何があっても私を……いち……ばん愛して……」
この話をする時に絶対に泣かないと決めていたのに。言葉にすると泣けてくる。彼は苦しいほど強く私を抱きしめた。
「約束する。今までもこれからも君以上に愛する人はいないよ」
「それだけで嬉しいです」
さらにぎゅうぎゅうと抱きしめ直し、すりすりと頬擦りをしている。
「く、苦しいです」
「ごめん……つい力が入りすぎた」
彼は慌てて手を離した。私はやっと息を吸えた。胸に手を当てて息を整える。
「後ろを向いてちょっと待ってて」
なんだろうと思いながら、言われた通り後ろを向いて待つ。遠くでガサガサと音がしている。
「シャーロット・フォレスター」
彼になぜかフルネームで呼ばれ、振り向いた。そこには十二本の薔薇の花束を持ったロバート様が、私の目の前で跪いていた。
「私ロバート・ド・ロレーヌは、あなたを心から愛し生涯守ると誓う。どうか結婚して欲しい」
「はい。喜んで」
差し出された薔薇を受け取り、微笑む。
「ありがとう。君と結婚できるなんて、まるで夢のようだ。とても幸せだよ」
「私も幸せです」
「シャーロット、愛してる」
二人の顔がゆっくりと近付き、そっと唇が合わさる。優しい風が吹き、美しい花達もお祝いしてくれているようにふわふわと揺れている。
三度目のキスは、彼の宣言通りとてもロマンチックなものだった。顔を離した彼は、私の左手を持ち上げ薬指に指輪をはめてくれた。
「これは」
キラリと光る指輪は、彼のブルーの瞳と同じ色のサファイアだ。とても美しいそれは明らかに良いものだとわかる。
「婚約指輪として君に貰って欲しい」
彼は照れているのか、少し頬が染まっている。
「すごい。サイズがピッタリです」
「君のお母様に秘密で聞いたんだ」
「ロバート様の色ですね」
「か、勝手に選んですまない。でもこれを貰って欲しかったんだ」
「嬉しいです。一生大事にします」
私はふふっと笑って「似合ってますか?」と薬指を彼に向かって見せた。
「似合ってる」
「良かった」
そう言った瞬間、彼に再度唇を奪われる。さっきの触れるだけの口付けとは違い、とても激しい。
「んんっ……ん」
自分から変な、恥ずかしい声が漏れる。そして息が上手くできない。
ちゅっ……ちゅく……ちゅっ……
彼は何度も角度を変え、口付けを続けた。息苦しくて口を薄ら開けた途端に、熱い舌が絡まる。
驚いてびくっと体が反応し、生理的な涙が溢れる。んん……っ……こんなのどうしたらいいの。恥ずかしくて、ドキドキして、気持ちよくて、苦しくて頭がくらくらする。
私は体の力が抜けてしまい、くたっと彼の胸に倒れ込んだ。
「ごめん。やりすぎた」
「馬鹿……慣れてないから、ゆっくりして下さい」
「ごめん。愛おしすぎて我慢できなかった」
彼はちゅっと私のおでこにキスをした。私は恥ずかしすぎて全身真っ赤だ。
「可愛い」
蕩けそうな顔で私を見つめちゅっ、ちゅとおでこや頬にたくさんキスを続ける。
「ん……だめ」
「どうして?」
「はずかし……から。もうだめ」
私は彼の顔の前に手を置いて、その行為をやめさせた。ロバート様は目を見開いた数秒フリーズしていた。
「くっ……可愛い。これ以上君を好きになったら、私は頭がおかしくなりそうだ」
そう言って後ろから私を腕の中に抱え込み、またすりすりと頬擦りしていた。諦めた私は、抵抗をやめてされるがまま身を任せていた。
どうやら、ロバート様は恋人にはかなり甘いタイプらしい。恋愛初心者の私はついていけない。
しばらくそのままでいたら、私のお腹が「くぅー」となった。恥ずかしすぎてパッと顔を隠した。
「くっくっく……」
彼は声を押し殺して笑っている。私は腹が立って、わざと頭を後ろに倒して顎にガンとぶつける。
「痛っ……くっくっ……ふっ……」
「そんなに笑わなくても」
「ごめん、可愛くて。お腹空いたね、ランチしに行こうか」
そしてそのまま馬に乗って街に出た。エスコートされて、お洒落なレストランに入る。店に入ると当たり前のように個室に通されたところをみると、彼の行きつけのようだ。
出された料理はとても美味しくて、ふにゃーっと笑顔になる。その私を彼はふにゃーっと蕩けた顔で見ている。
「……ロバート様、私を見てないで食べてください」
「ああ。なんだか胸がいっぱいで」
そう言いながらあまり食べない彼は、私にあれこれと世話を焼き終始ご機嫌だった。それから、手を繋いで街の店を見てまわった。私が少しいいなと言えば全てを買おうとする彼を必死に止めるのが大変だったが、楽しかった。
そう言えば、ロバート様とデートをしたことがなかったので幸せな時間だった。