厄災の雨、崩れる象徴
怪物に睨まれ、ヨゾラは心臓を掴まれる思いがした。そして、一瞬、静けさがその場を支配したかと思えば
「ガァァァ!!」
壁を突き破り、怪物の鋭い爪がヨゾラに襲いかかってきた。
「っ」
ヨゾラは急いで足元のリュックを拾い上げ、扉へ体当たりするかのように部屋から出る。間一髪、巨大な爪はヨゾラに届かなかったが、ヨゾラの部屋は床ごと切り裂かれ、一階へと残骸が落ちる。
安堵している暇はない。蜥蜴のような巨大生物が続けて腕を振り上げた。その瞳はしっかりとヨゾラに向けられている。
「くそったれ!」
ヨゾラはその一撃を避けようと廊下を駆けた。
「なっ!?」
獰猛な爪がヨゾラの元々いた場所を切り裂き、その衝撃で廊下が崩れて、ヨゾラは一階へと落とされてしまう。
「ぐっ、いてぇ……くそっ、足が瓦礫で……」
一階に背中から着地したヨゾラは痛みに耐えながら、足を挟む瓦礫を退ける。だがそのせいで、再び腕を振り上げた怪物の一撃に反応が遅れてしまった。
「ガァァァ!!」
咆哮と共に振り下ろされる巨腕。
「よくも俺たちの家をぉぉぉ!!」
自らの死を覚悟したヨゾラに聞こえたのは、頭上の二階から怪物へと飛び込むソルの叫びだった。
ソルの手には、旅用のナイフがある。それはそのまま勢いよく、怪物の目へと突き刺さった。
「グガラァァァァ!?!?!?」
悲痛を感じさせる叫びを上げた怪物が、背中から派手に倒れ込んだ。
「ヨゾラ!」
怪物の横に降り立ったソルが、焦りに満ちた表情で近づいてきた。そして、瓦礫を取り除いて、ヨゾラの身体を起こす。
「歩けるか?」
「俺は大丈夫だ……そんなことより、どうしてゲノヴァが街中に!?」
「俺にも分からない……とにかく、ここから移動するぞ! あのゲノヴァが再生する前に!」
この世界を支配する怪物の総称であり、人類の天敵である『ゲノヴァ』。
今まさに、ヨゾラを襲ったのはそれだ。蜥蜴がまるで巨大化したような風貌を持つ種類だった。
ゲノヴァの種類は様々だ。狼に似たものが存在すれば、馬、獅子、蟻に似たものも存在する。人類はこのゲノヴァの脅威から逃れるために、街に壁を建設し、日々の生活を守っている。街の外を出れば、そこはゲノヴァが蔓延る領域であり、街から街へと移動する商人が命を落とすことなど日常茶飯事だ。
しかし、それは、街の外に出た場合のこと。
たとえゲノヴァが街を攻めてきたとしても、優秀な騎士たちがゲノヴァを打ち返す。街の中にいれば、安全は確保されているはずだった。
どうして街の真ん中にゲノヴァがいるのか。ヨゾラの疑問はすぐに解決されることになる。ソルに連れられ、孤児院の玄関から外に出た。
「っ!」
ぞわり、と不気味な感覚がしたヨゾラは、その原因の方向へ、上空へと顔を向ける。
「なっ!?」
数時間前の幻想的な暁を映し出していた空は、今や、どす赤黒く染まっていた。
その空の中に、ブラックホールのような形状をした黒点がいくつも存在している。その黒点からゲノヴァが出てきて、街へと落ちていた。
そう、数多の怪物どもがこの街に天から降り注いでいたのだ。
「まさか……これって五年前と同じ……」
五年前に見た、アウローラタウンがゲノヴァによって滅ぼされた時と同じ光景だ。
天から降り注ぐ厄災の怪物ども。
今では『厄災の雨』と呼ばれている出来事が、再び起きていた。
『誰か……て……』
「っ!?」
閃光のように一瞬、ヨゾラの頭に痛みが駆けた。
「ヨゾラ、こっちに来てくれ!」
同時に何かを訴える声も聞こえたような気がしたが、ヨゾラはソルの声で現実に引き戻される。何かモヤモヤした気持ちになったが、今はこの状況をどうにかすることに集中しなければならない。
「孤児院の大人たちは全員、ゲノヴァにやられたらしい! 生き残っているのはここにいる奴らだけだ!」
気を引き締めて、ソルの元に行けば、そこにいたのは孤児院に住む子供達だけだ。大人はー人もいない。どうやら状況は予想より遥かに悪いようだ。
この場での年長はヨゾラとソルの二人。ここにいる者たちがこれからどうするかを決めるのは、この二人に実質的に託されたと言ってもいい。
ヨゾラとソルは互いに目を合わせる。二人とも汗でびっしょりだ。ソルの目が揺れ、ヨゾラに不安が伝わってきた。それはソルも同じだろう。
だが、悠長にしている暇はない。上空から新たなゲノヴァがすぐ近くに落ちてきた。地面が揺れ、子供達の不安な叫び声が聞こえてくる。
「お前たち、ここから移動するぞ! 近くに騎士が護衛している避難所が作られているはずだ! ヨゾラ、場所を覚えているか!」
「確か、町役場の近くにあるはずっ! そこに行こう!」
「お前が先頭で皆を誘導してくれ! 俺は最後尾でゲノヴァの警戒をしておく!」
五年前の災害を経験して、アウローラタウンではゲノヴァ襲来時における避難所がいくつか決められている。
記憶を辿り、ヨゾラはここから一番近い場所へと足を向ける。役に立つかはわからないが、旅のために用意していたリュックを背負って。
避難所へと走っている途中でヨゾラが目にしたのは、地獄の光景だった。
上空から降り注ぐゲノヴァ。それによって倒壊した建物。道端で寝転がる、斬殺された騎士たち。人の悲鳴を掻き消すゲノヴァの咆哮。
ここが地獄じゃないというのなら、どこが地獄なのか。
ゲノヴァの猛攻は、この街の人間全てが死ぬまで続くのではないかとさえ思える。
それでも生き残るために、ヨゾラは孤児院の子供達を連れて、衛兵や騎士が守っているであろう避難所へと走る。だが、こんな状況で簡単に避難所へと辿り着けるわけもなかった。
「道がっ!?」
避難所への最短ルートである道が、倒壊した建物によって塞がれていたのだ。決して乗り越えられないほどではなかったが、それはヨゾラやソルにとっての話。孤児院の幼い子供たちには到底乗り越えることができない瓦礫の量だ。
「ヨゾラ、他の道だ! どこが近道だっ!?」
避難所の正確な場所を把握しているヨゾラに対して、最後尾にいるソルが叫んだ。
ヨゾラは幼い頃から過ごしてきた街の地図を頭の中で描き、この場所から避難所へ早く辿り着くルートを割り出す。だが、どのルートも時間がかかってしまう。その道中でゲノヴァに襲われる可能性が限りなく高く、もしかしたら瓦礫で通れないかもしれない。
そこまで思考を巡らしたヨゾラは目的の避難所に行くことを諦め、次に近い避難所へ行くことを決意した。
「ここから見えるあの橋を通ろうっ! 橋の側にも、別の避難所がある!!」
ここから見える限り、橋は無事なようだ。瓦礫によって塞がれている心配はない。橋への道は大きいため、他の細い道より瓦礫があっても通れる可能性がある。
しかし。
「っ、なんだ!?」
ヨゾラがまた先頭に立って皆を誘導しようとした時、凄まじい音が聞こえてきた。街で暴れるゲノヴァの咆哮ではない。それを凌駕するほどの音だ。
ヨゾラもソルも、轟音の原因へと目を向ける。
そこは、このアウローラタウンを囲うように建てられた巨壁。何十メートルもある壁の内面に、一つのヒビが走った。そして、ヒビは広がり続け、壁の向こうから耳を押さえたくなるほどの咆哮が聞こえた瞬間。
人々を守る象徴である壁が吹き飛ばされた。
空からゲノヴァが降り注いでいる状況で。
崩れた壁の向こうにいたのは、巨壁にも負けぬほどの高さを持つゲノヴァだった。その風貌は、まさに伝承に出てくるドラゴンのようで。身体は白い硬鱗に覆われ、口からは炎が噴き出ている。
「ガラゥゥゥゥゥ!」
羽を広げて咆哮をした龍ゲノヴァの足元から、大量のゲノヴァの群れが街の中に侵入してくる。龍ゲノヴァも壁をさらに壊しながら街の中に足を踏み入れた。
「なんだよ、あれ……」
「ヨゾラ、足を止めるなっ! とにかく避難所に行くぞ!」
ソルに腕を引っ張られ、ヨゾラは我にかえる。
最後尾にいたはずのソルが近づいてくるのにも気付くことができなかった。それぐらい衝撃を受けて、足を止めてしまっていたらしい。
「しっかりしろ、ヨゾラ! 少しでも生き残れる可能性に賭けろっ!」
それでもヨゾラが立ち直ることができたのは、嫉妬や劣等感を感じてもそれ以上に尊敬と友愛を抱いている親友の存在が大きかった。
ソルはこんな状況でもまだ諦めていない。流石というべきか、そのおかげでヨゾラも最前を尽くそうという気になれる。
「走れ、ヨゾラ。後ろは俺に任せろ!」
「っ、分かった……!」
ヨゾラはまた走り出す。
見渡す限り、近くにゲノヴァの姿はない。
ヨゾラはちらりと龍ゲノヴァの方へ目を向けた。
「……」
さっきまでの荒ぶりは何処に行ったのか、龍ゲノヴァは街を見渡している。そして、龍ゲノヴァと目が一瞬合った、気がした。
どきりとしてヨゾラは急いで目的地へ目を戻した。今のは気のせいだと思いながら。
道を曲がって、橋が見え、その先にある避難所と護衛も視界の中に入る。護衛の一人に知っている者がいて、ヨゾラはその名を叫んだ。
「リチャードさんっ!!」
「っ、あいつら……! そこの二人、俺について来い! ガキどもを助けるぞっ!!」
ヨゾラたちに気づいたリチャードが、避難所を護衛している仲間を引き連れてこちらに走ってきてくれる。
なんとか避難所に辿り着けたと安堵したヨゾラが、橋を渡り切った瞬間。
ドシンという轟音と共に、立っていられないほど地面が揺れた。
「っ!」
「ガラゥゥ……」
後ろを振り向けば、翼を羽ばたかせてソル達の近くに着地した龍ゲノヴァが、こちらを鋭く睨んでいた。
街の壁を破壊したゲノヴァ。光沢を帯びた白鱗が月下で煌めくその様は、まるで神話や伝承に登場する龍そのものだ。
ヨゾラは龍ゲノヴァとまた目が合った。今度は気のせいじゃない。
「ガラゥ……!」
龍ゲノヴァが唸り声を上げて、こちらに向かって地面を揺らしながら歩いてくる。
龍ゲノヴァの目的は一体何なのか? まったく分からないが、ヨゾラはこの場にいる人間全員が龍ゲノヴァに嬲り殺される予感がして、身を震わせた。
「きゃっ!?」
龍ゲノヴァから逃げるように全員が走る中、孤児院の子供の一人がこけてしまった。
龍ゲノヴァの足取りはゆっくりだが、一歩の大きさは人間の比ではない。足を一度止めてしまうと、子供の脚力では避難所に着く前に龍ゲノヴァの下敷きになってしまうだろう。
「っ!」
最後尾にいたソルがその子を拾い上げて駆ける。ソルなら子供の一人を抱えても、避難所に辿り着くことができるはず。
ヨゾラが少しだけ安堵を抱いた時、突然、龍ゲノヴァが歩みを止めた。
「グラァァァ!」
そしてすぐさま、その尻尾をうねらせ、建物を跡形もなく吹き飛ばしてきた。
「まじかっ!?」
子供を抱えて走るソルが、後ろから飛んでくる瓦礫を避けるために道端へと飛び転がった。ソルと子供が怪我をせずに済み、ヨゾラはほっと息をつく。しかし――
「橋が……!」
ヨゾラとソルの間にあった橋は、瓦礫により崩れてしまっていた。
龍ゲノヴァが再び足を動かす。どんどんこちらへと近づいてくる。
ヨゾラは橋の残骸の先端に立ち、向こう岸の残骸との距離を見る。互いに手を伸ばしても届かない距離だ。ソルの脚力を以ってジャンプしても届くかどうか。橋の下は流れの激しい川で、泳いで渡ろうにも向こう岸に辿り着く前に流されてしまうだろう。
どうすればソル達がこちらに来れるかを考えていたヨゾラは、後ろでリチャードが火矢を構えたのに気付く。
「よくも俺たちの街をっ!!」
勢い良く放たれた矢は、龍ゲノヴァの頭の近くを通る。
龍ゲノヴァの注意を逸らし、歩みを少しでも遅らせることが狙いだったのだろう。しかし、火のついた矢が目の前を過ぎても、龍ゲノヴァはその瞳を微動だにさせなかった。
あと一歩で龍ゲノヴァがソル達を踏み潰してしまうほどの距離になる。
「っ、ヨゾラぁぁ!」
「うおっ!」
ソルが抱えていた子供を思いっきり投げてきた。
その子を受け止めてくれというソルの叫び。
ヨゾラは少し反応に遅れたものの、子供をしっかりと抱えるように受け止めた。後ろにいたリチャードにその子を渡し、すぐさまソルへ振り向いて手を伸ばす。
「ソル、飛べっ!! 俺が受け止めてや、る……」
そこでヨゾラが目にしたのは。
「良かった。受け止めてくれたか……」
子供がヨゾラの元に辿り着き、安堵の表情を浮かべる親友。
そして――
「ガラゥゥ……」
その親友に獰猛な牙で深く噛み付いている龍ゲノヴァだった。
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