親友、劣等感
劣等感。
劣後感とも呼ばれるその感情を。
黒髪が無造作に伸びた青年ヨゾラは強く抱いた。
『うおぉぉぉぉ!!』
闘技場内の多くの観客が同時に湧き上がる。幾千の人間たちの熱量を生み出したものは、その中心で行われている決勝戦の結末だった。
ヨゾラの故郷、アウローラタウンでは、武力で競う大会が頻繁に開催される。その数ある大会の中でも、四大大会と呼ばれる大会、その優勝者が決まった瞬間だった。
『優勝は、ソル選手だぁぁぁ!!』
興奮を抑えきれないのか、鼻息を荒くして叫ぶ実況者。
優勝した青年は、勝利を祝ってくれるファンファーレをその身に受け、観客に笑顔で手を振っている。
「やっぱすごいな、ソルは……」
観客席の手すりにもたれながら、ヨゾラがため息混じりに呟く。
大会を優勝したのは、ヨゾラの親友だった。
彼の名はソル。同じ孤児院で育ち、あらゆる大会を優勝している天才。彼に勝てる者は、このアウローラタウンに存在しないだろう。
「はぁ……」
親友が大会で優勝した。心の底から喜ばないといけないはずなのに、ヨゾラは親友に対して羨望や嫉妬の視線をぶつけてしまう。
こちらに気づいたソルが、喜びに満ちた顔で手を振ってきた。
素直に喜ぶことができない自分に嫌気がさしながら、ヨゾラは引き攣った笑みで手を振り返すのだった。
劣等感を抱かせてくる相手と一緒に帰りたくない。
そうは思えど、同じ孤児院に住んでいるわけなのだから、別々で帰るというのは不自然で。
昼と夜の狭間。赤銅色に染まる空の下、ヨゾラはソルと一緒に孤児院へ足を向けていた。
「このトロフィー、売ったらいくらになると思う?」
藪から棒に、ソルが夕陽で輝く優勝トロフィーを眺めながら、とんでもないことを聞いてきた。
ヨゾラはソルの横顔を思わず見たが、その眼差しは真剣で。どうやら冗談で言っているわけではないようだ。
「そういうのは売るなよ。栄光の証ってやつだろ」
トロフィーというものを今まで手に入れたことがない。手放そうとする気持ちが理解できなかった。
「持っていても、一円にもならない。だったら、今までのトロフィーも全て金に変えた方が、孤児院の助けになると思わないか?」
ソルがトロフィーを手に入れるのは、今回が初めてじゃない。ソルは今までいくつもの大会で優勝してきた。もはやトロフィーに慣れてしまって、手放すことに躊躇いはないのだろう。
「そうかもしれないけど……」
欲しくても手に入れられないヨゾラは、ソルの主張の正しさを理解していても素直に頷くことができなかった。
ソルと同じように、ヨゾラだって大会に何度も挑戦してきたのだ。だけど、優勝は程遠くて一回戦敗退など当たり前。
同じ大会に参加して、ヨゾラは序盤で敗退、ソルは優勝。
そんなことが何度も繰り返されて、ソルに対して劣等感を抱かずにいられなかった。
別にソルを嫌っているわけではない。唯一無二の大親友だと思っていて、ソルもそう思ってくれていると信じている。しかし、だからこそ、こんなにも近くにいるのにソルがとても遠くにいると感じてしまう。
日に日に大きくなっていくこの感情をどうすればいいのか。ヨゾラは心の中でため息をついた。でも、今はどうしようもないから、とりあえずトロフィーの処遇について決着をつけることにする。
「トロフィーはソルのものだからソルの判断に任せるけど、後悔はしないんだな?」
「トロフィーなんていらないさ。ほら、俺にはこれがあるから」
足を止めたソルが屈託のない笑顔で、その左腕を見せてきた。そこには、薄青く輝く腕輪が存在している。
「……そっか」
一歩だけソルより前で止まったヨゾラが、穏やかな笑みをこぼした。
ソルの腕輪とは対照的に、ヨゾラの左腕にある腕輪が橙色に輝く。
その腕輪は、二人で一緒に作ったものだ。五年前にこの腕輪を作った時を、ヨゾラは昨日の事のように思い出せる。腕輪もその思い出もヨゾラにとって宝物だ。
夕日が沈んでいく中、二人は笑い合って、帰るべき場所へと再び足を進める。思い出話に花を咲かせながら。
「ヨゾラ、覚えているか? このアウローラタウンの七不思議について調べた時のこと」
「そういえば、そんなこともしたなぁ。結局、一つも解決できなかったっけ」
「特に、誰もいないはずの白い館は怖かったよな!」
「白い館に侵入して、すぐに逃げるように帰ったのを覚えてるよ」
「そうそう! でさ、その後……ん? あれって……」
しばらく歩き、孤児院まであと数分というところで、鎧を着た集団に出会った。
彼らは、この街を守る衛兵たちだ。街の警備が仕事である衛兵を見かけることは別に珍しくない。ただ、普段は見かけても数人なのに、今は十人以上も集まっている。ヨゾラには、その理由が簡単に推測できた。
「また……誰か、亡くなったのか」
近づけば、衛兵達のすすり泣く声が聞こえてきた。どうやら嫌な予想は的中しているようで。亡くなった人を取り囲むように、衛兵たちが涙を流していた。衛兵の中で、涙を我慢して顔を歪めている知り合いに気づき、ヨゾラは事情を尋ねる。
「リチャードさん、今度は誰が……?」
「お前ら……」
二人が子供の頃から衛兵であるリチャード。事情を説明するのに迷ったのか、彼はそのまま少し黙ったがすぐに口を開いた。
「二人は確か……トワイと同じ孤児院出身だったよな……」
「っ!」
リチャードの言葉で、ソルが急いで衛兵たちの間を滑り込んでいった。ソルが空けた隙間に入るように、ヨゾラも恐る恐る中へと入る。
そこに横たわっていたのは、自分たちよりも先に孤児院を卒業した知り合いだった。その身体には、巨大な爪のようなもので斬り裂かれた傷跡がある。明らかに、もう息を引き取っていた。
「ふざけんな……」
「ソル……」
亡くなったトワイの横に寄り添うように、ソルが座り込む。
「今日、ゲノヴァの襲撃があってな。その時にトワイは仲間を庇って……」
リチャードの口から事情が語られる。トワイに助けられたであろう衛兵がすぐ近くで蹲っていて、他の衛兵たちに慰められていた。
「っ!」
「ソル!」
ソルは衛兵たちを掻き分けるように走って行った。友人が亡くなったことに耐え切れなかったのだろう。
ソルの行き先が気になりながらも、ヨゾラはトワイの横にゆっくりと座り、その手を握る。手は信じられないほど冷たく、トワイが身体はあるのに、そこにはいないことが感じ取れた。
街を、そして友を守るために衛兵になると語っていたトワイの姿が脳裏をよぎる。トワイは自分のなすべきことに迷わず真っ直ぐで。
そんな彼に比べて、自分は自信が持てなくて何もできない。ヨゾラの中で消えかかっていた劣等感、自己嫌悪の念がふつふつと蘇ってくる。
「……なぁ、トワイ……お前は街を守った。俺みたいな奴は、いったい何ができるんだろうな……」
一筋の涙と共に、悲しげな呟きがヨゾラの口から零れ落ちた。
そして、その数分後。
「やっぱり、ここにいたか……」
二人が住む街、アウローラタウンの丘にて。
トワイの元から走り去った親友を見つけ、ヨゾラはそう話しかけた。
「……」
ソルは黙ったまま、こちらに背中を向けている。友人の死を受け入れるのに、まだ時間がかかるのだろう。ソルの横に立って、ヨゾラはそこからの風景を眺めた。
「やっぱり、ここから見える景色は街一番だよな」
この丘からは街を一望することができる。二人が世話になっている孤児院、先ほどソルが優勝した闘技場など。
二人が幼い頃から来ている思い出の場所だ。
「壁が無ければ、もっと文句がないけどな」
やっとソルが出した言葉は、吐き捨てられるように紡がれた。
ソルが言うように、その風景の大部分を占めているのは、街を囲うように建設された巨大な壁。それは、街に住む人々の命を守るために必要不可欠なものだ。
「それはそうだけど、しょうがないだろ。あれのおかげで、俺たちはゲノヴァから身を守ることができているんだから」
人類は怪物により、絶滅の危機に瀕している。
『ゲノヴァ』。
化け物どもの総称だ。謎多き生物であり、一説によれば人類よりも先に誕生したと言われている。姿形は様々で、ネズミのように小さなゲノヴァもいれば、人など比べ物にならないほど巨大なゲノヴァもいる。
そして、何より厄介とされているのが、その再生能力の高さだ。
どれだけ重傷を与えたとしても、ゲノヴァはすぐに再生してしまう。不死身であるということだ。ゲノヴァを倒す術を持たない人類は、壁を建てる、地下に潜るなどして生き残るしかなかった。
「ヨゾラ、お前だって知っているだろ。壁があっても、ゲノヴァは襲ってくる。五年前の襲撃で、この街は一度滅んだ」
「……厄災の雨から五年か」
五年前、このアウローラタウンは一度滅んだ。巨大な壁で囲われていたにも関わらず、大量のゲノヴァが現れてこの街を蹂躙したのだ。
「よくここまで復興したよな……ソルと一緒に頑張った甲斐があった」
ヨゾラとソルは、それから五年間も愛すべき故郷の復興に尽力してきた。瓦礫しかなかった五年前とは違い、今では建物がぎっしりと建てられている。
「なぁ、ヨゾラ……腕輪を作った時の誓いを覚えているか?」
「……当たり前だ、忘れたことなんてない」
五年前の災害を経験して、二人は共に誓いを立てた。その誓いの証として、瓦礫の山から見つけた、この街の特産物の鉱物で互いに腕輪を作ったのだ。
ソルが誓いの腕輪を見つめる。腕輪は夕日に反射して煌めいていた。
「俺たちみたいにゲノヴァで苦しんでいる人を救う。そう誓ったよな。そして、俺たちが救いたいのは、この街の人間だけじゃなくて世界中の人間だ。そうだろ?」
ソルの力強い主張。五年前からずっと抱いてきた想いだと分かる。多分、トワイの死がきっかけで、ソルの中でその想いが膨れ上がったのだろう。その想いはヨゾラも同じだ。でも、ソルのように自信を持って主張することができない。
「ああ、ソルの言う通りだ……」
スタートラインは同じだったはずなのに。
二人とも五年前の誓いから始まった。だけど、気がつけば、ソルとは背中が見えなくなるほどの距離ができていた。
ソルは大会を連覇して、自分は何も結果を残せていない。努力をしてきたはずなのに、才能の差というものを突きつけられて。ソルなら世界中の人を救うことができるかもしれないと思う一方で、自分にはそれができないと確信してしまう。
だけど、ソルはヨゾラのことをそんなふうに微塵も思っていないかのように熱く語ってくる。
「旅に出よう、ヨゾラ! そのための資金も、今までの大会の賞金でなんとかなるはずだ」
「ミトロア探しの旅、か……」
「ああ、ゲノヴァを倒すことができると言われている幻の武器を見つけよう!」
「だけど、それは噂に過ぎなくて、ミトロアが実在しているかも分からないだろ」
「いや実在している! ヨゾラ、お前も見たはずだ。五年前に俺たちを救ってくれた人がゲノヴァを――」
渋るヨゾラの肩を掴んで、必死に説得してくるソル。それでも、ヨゾラは簡単に頷けない。ヨゾラの煮え切らない態度でソルの説得が一層熱くなる中、二人に話しかける人物が現れた。
「ボンシュー、ソル君。今は取り込み中かね?」
ヒロインは数話後に出ます。それまでどうか、辛抱してください。