63 そして天使は幸せを探しに
ルシア「魔王。」
メア「…なんだ?」
ルシア「この子、多分神に記録を書き換えられてる。悪魔としての生を忘れさせられ、空いた記憶の穴に神によって造られた天使であるという『事実』だけを無理やり埋め込まれた、周りからは『天使にしか見えない』存在。」
メア「………」
ルシア「彼にはもうあんたと過ごした日々の記憶はない。……それでもあんたに剣を向けられないのはもっと違う別の何か…記録なんて冷たいものとは違う、温かい絆のようなものが、彼の中にまだ残っているから。」
メア「そんっ、そんな…」
ルシア「……あんたの大事な人が、こんなことになってしまったのは私のせい。私は、彼の本来の翼を奪ってこの数年間痛みも苦しみも忘れて生きてきた…だから私にこんなこと言う資格がないのはわかってる。だけど言わせて……」
あなたの手で、ユマを逝かせてあげて。
深く、重たい沈黙だった。
天使すらも静かな、不気味なまでの沈黙。
それを魔王が破った。
メア「…ひとつ、訂正しておくぞ……ルシア…私はこの数年間、お前がなんの痛みも苦しみも無く生きてきたなんて思っていないよ。たくさん悩んで、たくさん喧嘩して、ここまで来たじゃないか。」
ルシア「魔王……」
メア「それになっ…ユマは言ったんだろ?『いつまでもお慕いしています』って。」
ルシア「…うん。」
メア「なぁユマ。いや、ユマエルよ。お前は今、幸せか?」
ユマエル「幸せ、な…ど……私ハ、神ノ望むままニ…」
メア「神ではない、私はお前に幸せでいて欲しいんだ…ごめんな、ユマエル。私はお前の新しい人生を壊さなければならない。」
ユマエル「…ぅ゛ぐ……」
メア「その剣を振ってもいい。だけど、最期だけは自分に正直でいて。」
魔王は自ら天使に近づいていく。
それを止めるものは誰もいなかった。
ユマエル「ぁ、ァアあア゛ああ゛ッ!!!」
天使は記録にないはずの走馬灯に駆られ、美しい涙を流しながらわけもわからず黒い剣を目の前に突きだした。
血が映った。
赤い、罪悪感を抱かせる血が。
メア「ユマ……」
魔王は腹に刺さった剣をものともせず、ユマエルを抱きしめた。
メア「ユマ、今までありがとう。あなたと過ごした日々はとても楽しかった。…覚えてるか?『悪魔vs天使』……まさか、こんな形で実現するなんて、思いもしなかったな……」
ユマエル「………」
ユマエルの頬に両手を伸ばし、涙を滲ませながら魔王は続ける。
メア「…もし、お前が生まれ変わり、迷い、途方に暮れることがあったなら……いいや、違うな。………私に会いたくなったら、いつでもこい!歓迎するぞっ!!」
そしてとびきりの笑顔で笑った。
美しい天使の顔が、歪む。
ユマエル「魔王、メ…ア……」
メア「ぇ……」
ユマエル「魔王メア…いえ、魔王様…わた、しには、ユマとして貴方と出会った頃の記憶も…思い出もありません……ですがっ…私の…いや、俺の、ユマだった部分がうるさいんです…『お前は此方を守るための存在だろう』『傷つけるな』と……」
メア「ユマ…」
ユマエル「俺はっ、どうかしてしまったみたいだ……自分が自分でない…物凄く自分の首を撥ねてしまいたい衝動に駆られるのに、まだ貴方のお姿を見ていたいと思ってしまう……」
ユマエル「…でも、これは今の俺…私の、感情ではない。苦しい。辛い。」
ユマエル「魔王様…俺は、次の人生を、望んでもいい…のでしょうか…?」
メア「…あぁ。もちろんだ。……だが、お前が次の人生を歩むのは今の苦痛から逃れるためではない。お前の、幸せを探しに行くためだよ。」
ユマエル「わかりっ…ました………貴方を、探します。また貴方と出会って、貴方に仕えることを約束させてください。」
メア「わかった。約束だぞ?」
ユマエル「はい。…その時は、また…」
一緒に遊びましょう。
そうして天使の殻を破った悪魔は逝った。
彼の愛する魔王の手によって。
美しく、雲ひとつない空に溶けた。




