戦場の分断
奥の部屋から現れた異形の存在を目にしたとき、僕たちの中で一番判断が早かったのは意外にも主さんだった。
彼は奥から現れたそいつを見たとき、一切の迷いなく叫ぶ。
「ここは俺が時間を稼ぐから! お前らはあいつらを無力化しろ!!」
気づいたときには僕たちは動いていた。
奥の部屋から現れたのは3体、それぞれ豚とカエルと鳥がベースに他の生き物をつなぎ合わせたかのような見た目のそれらに、僕たちはそれぞれ一人ずつ張り付いて当たる。
そして、僕が”不可侵聖域”を展開することによって、戦場を分断した。
不可侵聖域はただ内外の出入りを阻害するだけの聖域という、聖域にしては控え目な効果しか持たないが、その特徴として再使用するのに必要な時間が短いというものがあった。
戦闘開始後、5人で抑えていたエメラルダだったが、初めにソアラが後方の足止めをしに行き、4人になり、今回同時に現れたそいつらに対処するように僕たちが離脱したので主さん1人で相手をすることになった。
きっと、長くは持たないだろう。
だから僕たちは、素早くあの人たちを無力化して助太刀に向かう必要があった。
幸いにも、僕の“縛り”のおかげであの人たちを、エメラルダの家族を殺してしまうということはしないだろう。
僕は心置きなく、カエルの姿をした彼、エメラルダの兄と対峙した。
そしてルナルナが鳥の母に、レナが豚の父と向き合う。
3対3ではなく1対1×3+1対1+1対多数へと戦場が変化した。
◇―――――――――――――――――――――△
<山の主>
「よかったのかしら? あなた一人じゃ、相手にならないわ」
みんなが扉の奥から現れた化け物たちに向かったのを見届けた俺は、そんな風に話しかけてくる錬金術師の女―――エメラルダだったか?———に視線を向ける。
確かに、俺が普通にやり合えば絶対に勝てない相手だろう。
触れただけで人を殺し、一定以上の速度が出ていない攻撃はすべて分解される。
そんな相手を倒す手札は、俺の手にはないし、倒す云々の前に抵抗ができるかどうかも怪しい。
今、俺にはレティが付けてくれた一度だけ死亡を誤魔化す『生命の糸』という魔法がかかっているが、回収してくれる仲間がいない以上この魔法は実質死んでいるようなものだ。
だから俺はこいつの相手としては不足している。
向こうもそれがわかっているからそう聞いてきたのだ。
「やってみなけりゃわかん「わかるわよ。あなたは勝てない、そもそも、勝負にすらならない」」
俺は必死に虚勢を張って、自分を奮い立たせようとしたが、その言葉をエメラルダは即座に否定した。
そしてそれを証明するように、ゆったりとした足取りでこちらに向かってきた。
チッ、さっきまではこっちが優勢だったような気がしたんだが、一気に形成がひっくり返りやがった。
俺は素早くメニュー画面のアイテム欄から、以前街に行ったときに姿を隠すように購入しておいた全身鎧を一つ取り出し、それを蹴り飛ばした。
エメラルダは、それを軽く手で打ち払うようにするだけでバラバラにしてしまう。
だが、結果として鎧が砕けただけで俺にダメージはない。そして――
「おや? 傷ついてるぜ錬金術師さん」
バラバラになった鎧の破片が、エメラルダの頬をかすめて飛んで行ったことによって、小さいながら傷をつけることができていた。
それは、今までソアラの剣や、レティの聖域以外でついた初めての傷。俺にとっては大きな一歩でもあった。
「ふぅん、それで? 何が変わるの?」
だが、そんな俺の進歩をエメラルダは鼻で笑う。
小さな傷は、治療するまでも無いといわんばかりに放置されていた。
「変わるさ。傷がつけられるなら、少しでも前に進むならいつかきっと変わる」
俺は不格好にもアイテムを物色しながら、絶望的だが詰んではいないこの戦いに挑むこととなった。
△――――――――――――――――――――◇
<レティ>
僕はエメラルダのお兄さんと対峙する。
「あれ? 君……いや、言わなくていい。俺たちはこうなる運命だった、そういう話だったのかもしれないから」
お兄さんは僕を見て一瞬、その細い目を丸くしたが、すぐに元に戻す。
彼は僕が相手になるということに一切動揺を見せず、それどころかそれが当然であるかのように戦闘を開始しようとした。
僕はいつ動かれてもいいように警戒だけはしながらも、彼に話しかけた。
「あなたは、この戦いについて何も思わないんですか?」
「さてね。でも、エメラルダが、妹が戦うと決めたんだ。だから俺も戦う」
「たとえ妹さんが間違っていたとしても、ですか?」
「うん、それが家族って奴だろう?」
「なんで……どうしてあなたたちは――――」
そこまで想い合っていながら、互いを見つめることができないのだろうか?
僕の口から、悲嘆の喘ぎが漏れる。
僕は歯を食いしばり、そしてカエル姿のエメラルダの兄を睨みつける。
「君たちには、ちゃんと話し合ってもらいますからね。お互いのことをもっと、互いが互いをどう思っているのかとかを全て」
僕はこのすれ違い気味の家族を、どうにかしてちゃんと向き合わせたい。
その想いで、カエルの兄に向かう。
「何? 君は俺たちに何か文句でもあるのかな? まあいいや。なんで客人として招かれていた君が、妹と戦っているのかは知らないけど、かわいいかわいいあの子の危機だ。俺が全部何とかしてやらないとな」
向こうは僕をただの1障害程度にしかとらえていないかのような目で見た後、鋭い爪で襲い掛かってきた。
僕はそれを避けながら、どうしてこの家族はこんなにも人の話を聞かないのだろうと思い、拳を構える。話を聞いてもらうためにも、僕は一度カエルの兄を無力化することにした。
◇――――――――――――――――――――☾
<ルナルナ>
私は奥の扉から現れた化け物の中の一体、鳥の翼と狼の頭、蛇の尻尾を持つものと対峙していた。
私の手には一振りの戦斧。だが、レティがいるからこれで目の前の敵を殺すことはできない。
大好きなレティだけど、その縛りはさすがにきつくないかな? まったく、誰がこんな縛りプレイを強要したのか……あ、あそこで戦っている鬼か。
「あんたたちだね。私たちのかわいい子をいじめているのは、容赦しないからね」
ある程度歳をとった女性の声が狼頭から発せられる。
そして、蛇の尻尾が薙ぎ払うように私に襲い掛かった。
私は戦斧でそれを受け止める。
勢いのまま、しっぽが切れてくれればいいなと思ったのだけれども、硬いもの同士がぶつかる音とともにしっぽが止まってしまったためそうならなかった。残念。
私は反撃として、動きが止まったしっぽを切りつける。
————ガギィ
そんな硬い音を響かせながら、私の斧が蛇の尻尾にめり込んだ。
「ぐっ、やるじゃないの。だけど、その程度じゃ傷のうちに入らないよ」
私の斧は、たった数センチめり込んだだけで動きを止めてしまった。あれ? おかしいな。結構力を込めて振ったはずなんだけど、ほとんど切れていない。
切断するつもりはなかったとはいえ、これは入らな過ぎた。
そこで、この蛇のしっぽはかなり硬いものだということを理解した。
私は斧を引き抜き、素早く後ろに跳んだ。
狼頭がすぐそこまで迫っていたからだ。
ガチンと口が閉じられる音がすぐそばで聞こえて少しぞっとする。もう少し遅かったら、私の頭はあの中だっただろうと考えさせられる。
いつもなら余裕をもって回避できていたはずの攻撃であったが、今はギリギリだった。
気にしないようにしているが、先ほど見た光景が私の調子を落としているのだろう。
それを自覚すると、再びあの光景がフラッシュバックする。
首のない死体が飛び交い、それがバラバラになっていく光景――――私は元々グロテスクなものが得意ではなかったのだが、レティが大けがをしたあの日以降めっきりダメになってしまった。
目の前にいるような、明らかに人ではない存在が流血しても大して影響はないけど、それが人型になってしまうとてんでダメだった。
私の心の弱さが原因で、動きが悪くなっていた。
「はぁ……これもレティのためこれもレティのため……私は強い女私は強い女……レティは強い女が好きレティは私が好き……」
私は小さく自分にそう言い聞かせる。
私はレティのためなら、たとえ苦手なものでも克服して見せる。
私は戦斧を大きく振りかぶり、化け物に向けて突撃した。
☾――――――――――――――――――――♪
<レナ>
まったくお姉ちゃんってば、こんな人たちまで救おうとするなんて馬鹿なんだから。
私は見るからに頭の悪そうな怪物と向き合っている。
明らかなパワータイプ、お姉ちゃんを誑かしている女やお姉ちゃんの友人と同じタイプの怪物だ。おそらく、こいつも力に任せてまっすぐ殴る程度のことしかできないんだろう。
そう言った手合いの対処法は用意してある。
私はスライムを身に纏いながら次々と魔物の部位を召喚する。
「はぁ、お姉ちゃんも甘々ね~、甘党の私にぴったりのお姉ちゃん、ねえ、豚さんもそう思うでしょ?」
「何を言っているかは知らんが、エメラルダちゃんを襲った罪は償わせてやる。だからそこになおれ」
「はあ? なんで悪いやつを成敗しようとした聖女のお姉ちゃんの手助けをしている私たちが悪者扱いなのさ。罪を償わせるなら、まずは何人も殺したあそこの錬金術師じゃない? 豚さん、身内に甘いんじゃないの?」
見た目の野蛮さにそぐわず、厳かな雰囲気で話しかけてくる豚に、私はいらいらしながら言葉を返す。
その間に、ちらりとケイブバットの目を召喚して豚を見てみた。
その結果得られた情報は、あの豚がレベル60のキマイラだということだった。
レベル200の錬金術師とは大きな違いだ。これなら、自分でも勝つことはできるだろうと思いながら、私は言葉を続ける。
「ねえ、豚さん。今回のは客観的に見てあの錬金術師の方が悪いと思うだけど、あなたはそれでもかばい立てる? 私たちを悪者として成敗する?」
私の言葉に、豚は一瞬だけひるんだがすぐにまっすぐにこちらを睨んできて
「無論だ。我が娘が何の理由もなしに悪事を働くはずはない。なれば、我は何も聞く必要はない」
あちゃー、この豚も話は聞かないよ。
しかしまぁ、話を聞く限りこの人? たちは家族みたいだね。
まったく、家族そろって話を聞かないのかな?
「そんなに私たちのことを悪者にしたいんだ?」
「そなたらが悪かどうかなんて関係ない。我が娘が、危機に陥っている。それがすべてで、我らはそれを排するために動けばいい。それが、唯一生き残ったあの子のためだ」
「ふぅん、要は思考を放棄しちゃってるんだ。ま、いいよ。私だけは紛れもない悪者だからね。悪者らしく君の想いを踏みつけてあげるよ」
お姉ちゃんも、自称の恋人の人も、鬼のお友達も、無口なお友達もきっと正義か何かのために戦っているんだろう。
でも、私はお姉ちゃんと自分のためだけに戦っている悪人で、人の死体を武器にするような魔王だからね。
そんな悪人の私が、家族の絆なんてものは全部踏みつけにして、お姉ちゃんに献上してあげるよ。
次の瞬間、豚の首の周りに鋼鉄の剣が出現した。
♪――――――――――――――――――――▽
<ソアラレート>
俺は後方から次々と現れる獣の処理に従事していた。
初めはクマ―――ネコ? に始まり、リスやタカ、トラやライオンゴリラと多様な生き物たちがこの部屋に向けて殺到している。
理由はおそらく、この部屋で戦闘が起きているからだろう。
この島に来た時、倒したときに普通に倒れる魔物と溶けるように消える魔物がいた。
おそらくこいつらは後者だ。
今は同空間にレティがいるから検証はできないが、おそらくイベント限定の魔物だと思われていたこいつらはあの錬金術師の僕か何かだったのだろう。
俺は豹の爪を受け流しつつ、タヌキの突進を躱し、ゴリラの腕に剣を突き刺した。
強力な麻痺毒の剣だが、これ一撃で麻痺が入るほど甘くはない。
俺は剣を抜きその勢いを利用して豹を軽く切りつける。
別に深く切る必要はない。
軽く切れば毒はまわる。
俺はいずれ来る、麻痺が入る瞬間まで耐えてチクチク攻撃しているだけでいいのだ。
現に、麻痺毒が入ってしまい動けなくなった魔物が俺の足元にいくつも転がっていた。
そして、麻痺に耐性があるのかいつまでたっても元気な魔物は、手足を剣で縫い留めていた。
少しずつ数を増やしていく魔物たち、その中には、一度この島の地下で出会った3つ首の化け物の姿もあった。
「……少し、きついかもしれんな」
魔物の数が増えているということは、処理が追い付かなくなっているということであった。
俺は、自分の非力さを実感しながら、ひたすら剣を振るった。





