少年VS角兎
大司教が少年に与えたチャンス、それはやり直しだった。
「今度は盗むのではなく、戦って糧を得なさい。それができるということを証明できれば、今回のことは何かの間違いだったということで見逃してあげてもいいわ」
大司教はどこまでもヴィクトーリア教徒で、力によって物事を解決することを少年に求めた。
少年は即座にその条件に飛びつこうとしたが、
「ただし、証明ができなかった場合には刑期は倍になるわ」
大司教がそう言って一瞬ひるむ。
しかし、これはまたとないチャンスだと思った少年は迷った末に大司教の提案に乗ることにした。
ともあれ、これで少年は機会を得たみたいで、うまくいけば彼も牢から出られるようになるだろう。もしそうなれば、僕たちの牢屋生活はめでたしめでたしだね、そう思い僕はそろそろヴィクトーリア様に贈り物をしようと思い、しれーっと大司教たちと別れようとした。
しかし、呼び止められてしまう。
「貴方もいっしょに来なさい」
「しかし大司教、僕は今からヴィクトーリア様に言われたことをしなければいけないのですけど…」
「それはどのくらいかかるのかしら?」
「数分ほどかかります」
「なら、待っていてあげるから素早く済ませなさい」
大司教にそう言われてしまった下っ端聖職者の僕は、僕は置いて先に行っておいてくださいと言う言葉を紡ぐことができずに、不承ながらもヴィクトーリア様にレア様像を送ることにした。
その時、今回は依頼をもらって作ったものということと、一応中身を隠すために箱に詰めて送ることにした。
箱の側面に何となく彫った『慈母便』という文字が、中身を連想させる。
さて、そんなこんなでヴィクトーリア様の依頼が終わった僕は、レア様の依頼を―――
「終わったわね。じゃあ行くわよ」
達成しようとしたら、大司教に強引に外に連れ出されてしまう。
僕たちはそのまま聖都から出て、フィールドに出た。
「あなたには今からあれと戦ってもらいます。そして勝てたら、戦えると認めてあげましょう」
外に出た大司教が指さしたのは、兎。
先ほど説法中の話にも出てきた草食動物だ。
しかし、その兎は僕が知っているようなかわいい姿に加えて、額から角が生えていた。あれで突かれたら痛そうだ。
「角兎、魔物じゃねえか。武器も持たずに戦えってのかよ」
「えぇ、そうよ。人間と武器を持つことはイコールではないの。素手で戦うときもよくあることよ」
「そういうお前は素手で戦えるのかよ」
「ええ、当然よ」
大司教はそう言って、おもむろに角兎に近づいた。
あれは兎といえども魔物で、人間を見たら襲い掛かってくるようになっており、近づいてくる大司教に気づいて臨戦態勢をとる。
護衛の騎士たちが止めようと迷っている間に、角兎は大司教に頭から突っ込んだ。
角兎を兎と侮ることなかれ、逃げるのに鍛えられた兎の足の脚力はすごい。この世界の兎は知らないけど…、その脚力から繰り出される跳躍は、初見では見切れないかもしれない速度が出てきた。
恐ろしく速い突撃、僕だったらくらってたねっていうやつだ。
しかし、その速い突撃を大司教は完璧に見切ってみせ、突き出された角を手でつかんで勢いを利用して持ち上げ――――って、あれはやばい!!
僕は焦ってプチヒールの用意をする。
大司教は、兎の突進の勢いをほとんど殺すことなく地面にたたきつけた。
その瞬間、僕のプチヒールが角兎にかけられる。
「あら?」
「きゅ、きゅきゅきゅっきゅきゅ~」
大司教はなぜか角兎が死んでいないことに首を傾げ、角兎はその間に逃げてしまった。
うん、思いがけない違反の危機にもしっかり対応、やっぱり僕はできる女 (男)だね。
「ナイスセーブだねレティ」
ルナルナも僕の手際の良さに賞賛の声だ。
しかしその声で今の減少の犯人が僕だとバレてしまった。大司教が僕の方を見る。
「今のはあなた?」
多少威圧的な声色だったけど、大丈夫。言い訳は考えてある。
「はい。死せるものの命を可能な範囲で救うのがレア教徒ですからね。兎だからと言って助けないわけにはいきませんよ」
「はぁ? あなたヴィクトーリア教徒でしょ?」
「いいえ、僕の信奉する神様は最初からレア様だけですよ」
「じゃあどうしてヴィクトーリア様から……」
「ヴィクトーリア様とレア様の仲がいいからとかじゃないですかね?」
僕がそう言うと、大司教は微妙に不服そうな顔をしたけど、本来ここに来たのは僕ではなく少年の戦いを見るためということなので、無理やりにでも納得してくれたのだろう。
僕から視線を外して少年に向き直った。
「ざっとこんなもんよ。ちょっと邪魔が入っちゃったけど、角兎くらいなら素手でも勝てるでしょう? さっさとやりなさい」
大司教が次なる角兎を見つけて指をさし、少年の背中をそちらの方に向けて押した。
少年は押し出されるような形になり角兎に少し近づく。まだ向こうは気づいていなかったが、それでも少年の緊張感がすさまじく、ここまでひしひしと伝わってくるかのようだった。
そして僕はしれっと『生命結界』を発動して少年と兎を囲みこむ。
「あなた…」
「申し訳ありませんが、僕はどちらも死なせるつもりはありませんよ」
「あなたはそうやって誰彼構わず助けるつもりなのかしら? でもそれでは生き物は生きていけないっていうのはわかっているわよね? あなたのは教義による奉仕ではなく、ただのエゴよ」
「ええ、わかっています。きっと僕がこうして癒した存在は、別の存在を傷つけるでしょう。でも、それは今回の少年も同じことなのでは?」
「まぁ、そうね」
僕の問いかけに、大司教は納得したかのように頷いた。大司教も分かっているのだろう。この少年のために与えた機会も、僕が角兎に与えた命もどちらも本質的には変わらないと。
僕が助けた角兎が、将来的に人を殺すかもしれない。逆に、すぐに殺されてしまうかもしれない。
大司教がチャンスを与え、それを乗り切った少年が今後誰かから再び物を盗むかもしれない。
僕たちのやっていることは、どちらも無意味かもしれないということ。
でも、きっとそれが意味のある行動だと信じて手を差し伸べる僕たちの根っこはきっと似ているんだろうな。
大司教を見てそう思い、それによって少しだけ親近感を抱いた。
ちなみに、今まで触れてこなかったけどこの世界の宗教の教義は信仰する神様ごとに少しずつ違っていたりする。
今回のように別の信徒が出会い、教義が衝突しそうになった時にはお互いが少しずつ譲ることで衝突を回避するのが通例だ。
僕の場合は、殺生だけは許すことができないので、神罰信徒の方とかとはどこかのタイミングで衝突しそうだなと聖書を読みながら思ったものだ。
少年と角兎の戦闘力は、角兎の方に軍配が上がっている。
少年は健闘しているが、どうにも基礎能力の差があるのか分が悪い様子だった。
傷は勝手に癒えるが、このままでは負けてしまうと判断したのだろう。少年はある時に勝負に出た。
角兎の突撃を、自分の体の中央で受けたのだ。
そして、体に刺さった角をがっちり抑えて、逃がさないようにして力を掛けていく。
角兎の角は鋭いが、細い。子供の力でも全力を注げばへし折ることが可能であった。
少年は角兎の角をぽっきりと折った。
腹部にそれを指すことで固定されていた兎は、突然支えを失ってぽとりと落ちる。そして折れてしまった角を悲しむように、きゅーきゅーと鳴いた。
対して少年、覚悟はしていたのだろうけど腹部にでかい針状のものが刺さるのはかなりの痛みが走ったみたいで、息も絶え絶えの様子だ。
だが、まだ立っている。
落ちた兎に追撃を加えようと、脚を上げた。
兎はそれから逃げる。
少年は追いかけようとしたが、腹部の痛みがそれを邪魔したみたいだ。
『生命結界』は結界内の対象に対して継続的な割合回復を与える魔法なので、ああいった大けがはすぐには治癒しないのだ。
「そこまでよ!!」
痛み分けという形になった戦いを、大司教が声を張り上げて止める。
少年はそれで止まったが、兎の方は人間の言葉がわかるわけではない。少年は引いたが、逆に角を折られた恨みか背中を向けた少年に兎が飛び出した。
だが、少年と兎の間に一つの影が、
「はーい、お姉さんがよしよししてあげるからねー」
ルナルナが素早く兎の進行ルートに身をねじ込んで、見事にキャッチした。
あの動きは、僕の家でももたろうと遊ぶときにやっている空中キャッチ! 実際に見たのは初めてだ!
捕まってしまった兎は少しの間暴れたが、ルナルナの膂力がすさまじかったのか逃げ出すことができず、ぐったりとしてしまった。
彼女は僕の方にそれを持ってくる。
「レティ、この子の角、治せる?」
「うん。そのくらいなら何とかなるよ」
そして僕に差し出してきた。僕はその兎に『生命の抱擁』をかけてあげる。
すると、みるみるうちに折れた部分からその先が生えてきた。
「きゅる!? きゅっきゅ!!」
兎もそれに気づいたみたいで、失われた角が戻ってきて嬉しそうだ。
そして
「ねぇねぇレティ!! この子、従魔になってくれるって出てるよ!! 飼ってもいい?」
ルナルナの方にはそんな通知が来たみたいだった。
「いいよ。ルナルナの好きなようにして」
「わぁ、ありがとう!! これからよろしくね」
ルナルナは兎に頬ずりをして喜んでいた。
彼女の家はペットを飼わない方針だから、嬉しいんだろうなと思い僕はそれを笑顔で見ていた。
そして、そんなペットになった兎と激闘を繰り広げた少年の方はというと……
「まぁ、武器を持てば角兎程度なら勝てるでしょうよ。これからは奪うんじゃなくて、戦うことで食いつなぎなさい。わかったわね?」
「お、おう。わかったです」
大司教に及第点をもらえて、晴れて牢から出ることができるようになったみたいだった。
少年はそれがうれしかったのか、どこかに走って行ってしまった。
もう彼を牢屋にとどめておく必要はないので、誰も追いかけることはなかった。
それを見送った後、大司教は僕たちの方へと寄ってきて、僕に一つの質問を投げかけてきた。
「ねぇ、そこの修道女―――レティといったかしら? あなた、司祭になるつもりはないかしら?」





