私の騎士。私の唯一。
「たとえ、もしもの仮定のことであっても、パメラが私以外の人間へ嫁ぐ話はして欲しくないですね」
「クリス!」
それまでずっと淑女の仮面を外すことなく交渉の席についていたパメラが嬉しそうに自らの半身と決めた相手に向かって走り出した。
「…どうしてここに」
思わずテネシズの口元から、ぎりりっと歯ぎしりの音が漏れる。
この大陸でもっとも古く、もっとも大きく、もっとも強いとされる国。
水源と気候に恵まれ、実り多き豊かな土地を有し、飢えることも凍えることもないという。
生まれたその瞬間から、その手に世界のすべてを握りしめてきた存在。シュトーフェル皇国の皇太子クリストファー・アップルフェル・シュトゥルーデル。
テネシズがもっとも憎み、嫉んできた男だ。
──こんな腑抜けた、お綺麗な顔をした貧弱な少年が。こんな子供がパメラ・カーライルの唯一人になるなど。有り得ない。
妬み嫉みだけで人が殺せるなら、今のテネシズは間違いなく目の前の男を殺せるだろう。目の前に立つクリスを睨みつける険しい顔は、それまでパメラに見せてきたどのテネシズとも違っていた。
「そんな顔をしても駄目ですよ。ドカフート王国テネシズ・ブッケ・ドカフート国王陛下。パメラは私の騎士なのですから」
そういってそっとその手の甲にくちづけを落とす。
「女に守られることを善とするか。そんな軟弱なお前にパメラ姫は似合わない。パメラ姫を守れるのは私だ」
クリストファーの前で吐き捨てるように言ったテネシズの前に、パメラが割って入る。
「いいえ。私は私自身を守れます。そうして、私は私が愛する人を守ることもできる。そういう存在となる為に日々研鑽して参りました」
その私を侮辱するおつもりですか? そうパメラ自身から言い切られてテネシズは衝撃を受けた。
──自分に勝った、自分がその腕を認めた相手に対して、自分はなにを言ってしまったのか。
あれだけの剣の腕を、冴えを、体力を手に入れる為に、目の前の佳人はどれほどの血反吐を吐くような鍛錬を続けたのだろう。
それは堂々と戦い抜いてそれでも負けたテネシズにだけは判る、尊敬に値する努力の成果の筈なのに。
更に、武器が愛用ではないことを言い訳しないかと問われて、しないと言い切ったのはテネシズ自身だ。それなのに。
どこかで女だからという言葉が自分の中になかっただろうか。
それは、あの楽しかった一戦を自ら汚すものではないだろうか。
「クリスは、私に守らせてくれます。私を認めてくれる。私の唯一です」
そう言い切るパメラにクリスが寄り添う。
「私の騎士。私の唯一。でも、私にもパメラを守らせてくださいね?」
視線を合わせて微笑みあう。
その二人の姿はあまりにも自然で、お互いが想い合っているのが伝わってくる。
テネシズは心をぎゅっと握りつぶされた気がした。苦しくて、辛くて。自分が手に入れられなかったものを手にしているクリストファーという男が憎くて羨ましくて仕方がなかった。
甘やかな視線を交わす二人をいつまでも見ているのが辛くなったテネシズの視線が自然と下がる。
この二人の間に割り込む方法があるならば、どんなことでもするつもりだった。
しかし、それがどういうものなのか、どうすれば割って入ることができるのか、今となっては何も思いつかなかった。
「そうでした。この度は多大なる資金提供を戴き有難うございました、ドカフート王国国王陛下」
場違いなほど明るい声が俯いていたテネシズに掛けられた。
「…資金、提供?」
にっこりと、先ほどまで交わしていた会話からすれば不自然としか云い様のない晴れやかな笑顔をしたクリスがテネシズの前に歩いてきていた。
「我がシュトーフェル皇国の小麦を大量に、しかも大変な高値で買い入れて戴いたそうですね。有難うございました。
過去最高高値を付けて戴いたお陰で、国として必要な量をコーザ王国から小麦を輸入しても差額でかなりの額を手元に残せました」
コーザの小麦は安いですからね、と更に笑みを深めて楽しそうにいう。
「お陰様で、古くなっていた家屋や備品類を新しくすることができたと我が国の国民はみんな大喜びしてます。ありがとうございました」
すっと片膝を付き、左腕を胸に軽く当て頭を下げる。
その姿は確かに一国の皇太子が、他国の国王陛下へ感謝の意を伝えるものとしてマナーに即したものであったが、頭を下げられた者に途轍もない衝撃を与えるものだった。
──負けた。
素直にそう思った。仕掛けたつもりが自ら罠に掛かりにいっただけだった。
手の平の上で転がされ、搾れるだけ搾り取られた。そういう事なのだとようやくテネシズは理解した。
パメラとの心の繋がりも、政を司る者としての視点の広さも、敵対する者へ対する際の態度の度量の広さも。すべて。
勝てない、そう理解した。
テネシズはこの時になってようやく、クリストファーという男の強さを、パメラが選んだ唯一という意味を、心の底から理解できた。
「あー。もうっ。駄目というか。…駄目だな。私の負けだな、うん。
負けって言うか、…まぁいいか」
元々は、黒パンすら碌に食べられなかった国民に、白くて柔らかいパンを食べさせてみたいというだけで買い集め始めさせた両国の小麦だ。そこで豪気に金を使えば名乗りになると浅墓に考えただけ、それが始まりのツマラナイ話だ──そう、テネシズは自分に言い聞かせた。
ブツブツといいながら自分の頭を掻き回していたテネシズは、最後に大きなため息を吐いた。
しかし、顔を上げたそこにあるのは、先ほどまでの難しい顔をした表情とは違い、どこかスッキリして見える。
「誰だ、我が儘なだけの少年だとかやりたい放題の子供だとか俺に吹き込んだのは」
八つ当たり気味に吐き捨てたその後ろ姿に、さすがにパメラとクリスだけでなくカーライル公爵までも苦笑いせずにはいられなかった。
「あー…、それって俺の事ですかね?」
そこに、へらりとした声が割り込む。
「…そうだな、お前だな」
振り返ったテネシズの視線の先で跪いていたのは、ガイ・オリオ。テネシズが資金を預け、小麦を買い集めるよう指示をだした男だった。
「……なんでお前は俺に対してではなく、シュトーフェル皇国の皇太子に向かって頭を下げているんだ。やはりお前は…」
騙されたのだ、テネシズはそう判断し、その一瞬で腰に下げた剣帯から愛用の剣を抜き放つ。
大きく振りかぶったそれを、ガイは一切避けようとはしなかった。
ガッ
大きな音を立ててその片手剣の軌道を受け止めたのは、クリスの持った二本の短剣だった。
「ガイ、お前も少しは避けなさい」
呆れたような声でクリスが元部下を諫める。
その少女といっても通るような綺麗なハート形の白い顔を、テネシズは睨みつけた。
「どいて貰おう」
その声は地を這うように低く響いた。
勿論、テネシズは認めたがらないだろうが八つ当たりという部分が大きい。パメラとクリスの間には入れない。クリスの器に、知略に、度量に負けた、様々なことがあまりに一度に襲い掛かってきて混乱していることもある。
しかし、それ以上に、自分の見る目の無さが悔しかった。
この数か月余りを共に過ごし、一緒にドカフート王国の為に尽くしてくれていると信じていた。そんな呑気で馬鹿な自分にテネシズは反吐が出る思いがしていた。
テネシズがギリリと力を籠める。
「くっ。ガイ、お前もなんとか言いなさい」
すでに限界ぎりぎりなのだろう。クリスの顔は真っ赤で、2本の短剣を支える腕は震えている。しかし、テネシズの顔には冷えた表情のみが張り付いていた。
ガイに対する八つ当たりが、当の本人への直接のものへと成り代わる。
このまま心のままに行動をすれば革命後ようやく落ち着いてきたドカフート王国はあっという間に大国であるシュトーフェル皇国に蹂躙されてしまうだろう。
その程度の事が判らないテネシズではなかったが、だからといって少しの溜飲も下げずに引くのも悔しいのだった。
──この程度の力しかないのに。
対して力を掛けている訳でもないのに、テネシズの剣を受け止めている腕がじりじりと下がっていく。
このまま押し切ってしまおうか、そんな誘惑が頭を掠めていく。そんなテネシズに、パメラの声が掛かった。
「テネシズ陛下。どうか、その者の話を聞いてやって下さい」
その声に目を閉じたテネシズは、ゆっくりと剣から力を抜いて後ろに下がった。
「助かった。ガイ、お前ねぇ、私まで真っ二つになるところだったじゃないか」
おぉ痛い、と大袈裟な身振りで手を振るクリスが、跪いたままの男に文句を言う。
その様子を面白くなさそうに横目で確認しただけのテネシズは、剣を鞘に戻して歩き出した。
「ふんっ。私はもう国に帰る。邪魔をした」
馬鹿らしい。大金をどぶに捨てただけになったと心の中で愚痴る。
そのテネシズを、クリスが引き留めた。
「何か勘違いされているようですが、このガイならすでに私の手から離れております。『テネシズ陛下に恭順したい。ドカフート王国の国民になりたい』と言われて了承しました」
その申し出をしてきた時にはすでに”ガイ・オリオ”なる国民籍も戴いていたそうですよ、そう面白そうに笑って言う。
「……」
くるりと振り返れば、跪いたままの男は、最初から1ミリも動かずにその場で平伏したままだった。
そうしてその平伏は、クリスではなくパメラに向けられていた。
「ガイ?」
訳が判らずにテネシズが説明を求めるも、ガイはなかなか口を開かなかった。
クリスが説明を求めても動かずにいたその男は、パメラが「説明をしてくれるかしら?」そう促すとようやくその重い口を開いた。
「ぱ、パメラ様の為に、この残りの命を、全部使ってご奉公するつもりでした。…本気でそう思っていたんです。でも…でも」
なんとかそこまで口にするも、その先がなかなか言葉にできないらしい。
はぁ、と業とらしくため息を吐いてみせたクリスが、ガイの前に立って言った。
「私に対しては、随分と格好よく言い切って見せたではないですか。ちゃんと自分の口で言いなさい、ガイ」
そうして、更に散々逡巡した後、ガイはようやく続きを口にした。
あの、何度悔いたか判らない遠い日の間違いを。自分たちの罪を半分押し付けようと愚かな浅知恵で少女に罪を負わせてしまったこと。会って謝ることも謝罪の手紙を送ることも禁じられ、いつかお会いして謝罪することだけを夢見てクリスに尽くした日々と、ついにパメラ様にお会いできた日の感激と興奮と。
それはきっと生涯終わることのない懺悔。
謝罪を受け入れて貰おうともそれでも償いを続ける、そう考えていた筈なのに。
「自分はザコーバ公国の侯爵家で生まれた時から、大公家へ命を懸けてお仕えするのだと教えられて生きてきました。嫡男ではなかった為、騎士として身を立てるのだと研鑽していたのです。それが…大公家に待望の姫が生まれ、傍付き近衛として任じられ、…『公女の我が儘はなんでも受け入れるように』という大公からのご指示に従う日々に、摩耗して…」
そこで思考停止したみっともない過去の自分が情けなかった。
ドカフート王国の、たとえ生涯の主として仕えた相手であろうとも間違っている時にはそう声を挙げ行動に移せた人々が眩しくて仕方がなかった。
そんなドカフート王国の現状を見て、自分にできることがあると、それを為したいと感じてしまった。
「パメラ様、申し訳ありません。本当に申し訳なく思っているんです。
でも、俺は…おれは、ドカフートの為に生きていきたいのです」
語り終わる頃にはぼたぼたとガイ自身でも「汚ねぇ」と思うほどの大量の涙と鼻水でその顔はぐしゃぐしゃになっていた。
「…という訳です。とっくに私の部下ではないですし、今回の件について、ガイは何も知りません。貴方の指示に従っただけだと思いますよ?」
…それはそうだ。テネシズ自身が反論するのを禁じたのだ。
ようやく冷静になって考えることができるようになったテネシズが自嘲する。
コーザからの輸入を提案されて理由も説明しないまま一蹴してみせたのは、テネシズ自身だ。それをガイのせいにするのは滑稽でしかない。
「…八つ当たりした。すまない」
そっとガイの前に手を差し伸べる。
「…陛下」
180を超える巨体が所在なさげに縮こめていたガイが、不安そうに顔を上げた。
その顔が涙だけでなく鼻水やらでべちょべちょに汚れているのを見て、テネシズは苦笑した。
「今のお前に必要なのは俺の手じゃなくてコッチだな」
ぐいっとハンカチを押し付ける。王が持つに相応しい絹でできた小さなそれ一枚ではどうにもならないほどの状態だったが、それを顔に押し付け自身から出た水分を拭いた挙句、びぃっと派手な音を立てて鼻までかんだガイに、テネシズは笑いださずにいられなかった。
「おい、いくら何でもやり過ぎだろう」
呆れたやつだと笑って言えば、その涙と鼻水でぐずぐずのそれをぐいっと突き返された。
「ありがとうございました。お返しいたします」
「…せめて洗ってから…いや、いい。それはもうお前にやる。国王からの下賜品だ。家宝にしろ」
触ることすら拒否したテネシズがいいことを思いついたとばかりに言い張る。
その二人の姿を眺めていたクリスが微笑ましそうに笑った。
「私の下にいるより、ガイはずっと幸せそうだね」
少し悔しいかな、そう大して悔しくなさそうに続けて言うクリスに、
「ふふっ。幸せそうというか楽しそうですよね。でもクリスの下で働いていたガイも十分すぎるほど充実して見えましたよ」
パメラが笑顔で答える。
その仲の良い様子に毒気を抜かれたテネシズとガイは、諦めの入った遣る瀬無い気持ちになっていた。
「国に戻ったら、今以上に働いて貰うから。失った財をお前の働きで埋め合わせしろ」そうテネシズが嘯けば、
「それは陛下のポケットマネーでお願いします。俺は陛下の指示に従ったまでですので」そうガイが返す。
国は違えど元は騎士だった者同士、通じるものがあるのだろう。
お互いに視線を交わし、潮時だ、と伝え合う。
「それでは。数々の失態をお見せしてしまいましたが、邪魔者はここで失礼しようと思います。早急に国へ戻り、この後の事について話し合わねばなりません」
さきほどまでの口惜しさや遣る瀬無い自分への後悔など、微塵も感じさせない口調でテネシズが退席を申し出る。
それは、パメラ姫を諦める、という意思表明。
言葉を変えた敗北宣言だった。
「少々お待ちください。テネシズ陛下の用件はお済みでも、私の方はまだ終わっていないのです」
虚勢でも、胸を張って帰ろうとしたテネシズをクリスが引き留める。
「何か御用でしょうか?」
できればすぐにでも自室に戻り酒でも飲みたい気分になっていたテネシズが、それでも表面上は上品に取り繕って答える。
それに対して、クリスはにこやかに席へ戻るように勧めた。
かなり日も伸びていたが、それでもそろそろ陽射しも傾いてきていた。このままではあっという間に日が暮れる。
薔薇の咲く庭園に差し込む陽射しはその色を変えており、その様を神秘的なものに変えている。夕暮れ時。
日が暮れようとも暖かいこの季節ならこのまま庭園でも良かっただろうに、カーライル公爵の計らいで、庭園を見渡せるサロンへ新しい席が設けられた。
しかし、残念ながら公爵自身はこれ以上時間を取れないということで王宮に行ってしまった。
「何を飲まれますか? お茶よりもポートワインか、それともシャンパンでも開けましょうか」
公爵の代わりとして呼ばれたシリルが声を掛ける。正直、いきなり呼びだされてもてなすよう言われて極度の緊張状態にあるが、さすがにそれを表に出さないように訓練されている。
ただし、つい未来の義弟であるクリスを視界には入れないようにしてしまうのは仕方がないことだろう。
「シャンパンをお願いできますか? これから慶事の話をするもので」
しかし、問い掛けへの返答はそのクリスから返ってきた。
『もてなせ。しかし口を挟むな。ただし情報を聞き漏らしたら許さん』それが父である公爵が出掛ける前に早口でシリルに出した指示だ。
クリスの言う慶事が指すものを聞き出したくなる気持ちをぐっと押し隠し、黙ってシャンパンの用意を傍に控えていた侍女に出す。
しばらくすると、華やかな香りを放つ黄金の液体が入ったグラスが配られた。
しゅわしゅわと軽やかな音を立てるそれは、今日一日で詰め込みすぎなほどいろいろあったテネシズ達の身体の中を涼やかに潤していく。
「こういう酒は、そんな風に飲むもんじゃないですよ」
ガイが止めるのを聞こえない振りをして、テネシズはお替りを要求した。
テネシズが求める酒はもっとアルコールの強いもので、物足りないとしか言いようがなかったが、ないよりずっとマシな気がした。
注いで貰った2杯目も一気に煽ると、テネシズは更に注ぐようグラスを差し出した。いっそ瓶ごとくれと言いたい。そう思っていることが判る。
しかし、3杯目が注がれる前に、クリスが話し出した。
「ドカフート王国が求める王妃の基準は、国家の威信向上ができる光となれる女性ということでよろしいですか?」
その言葉に、テネシズの瞳に力が戻る。
しばらくじっとクリスの顔を見つめた後、「そうだ」と肯いた。
それにクリスが頷いて返す。
「…我がシュトーフェル皇国の姫なら、それに値すると思うのですが。如何でしょう」
テネシズと、ガイの眉が険しく顰められる。
シュトーフェル皇国にいる未婚の姫は現在ただ1人。
金髪金瞳皇族直系である証を持つその姫は、御年3歳。幼児である。現在28歳のテネシズが娶るには無理があるはずだ。
「…シュトーフェル皇国では随分と無茶な婚姻を結ばせる風習がおありのようですね」
馬鹿にされているのかと強張ったテネシズの声を、クリスが手で制する。
「どなたかと勘違いされているようですね。私がいっている我が国の姫は御年21歳、テネシズ陛下とは丁度よい年回りかと思いますが」
テネシズがガイに視線を送ると顔の前で片手を勢いよく振って『知りません』と否定しているのが見える。ちらりとシリルにも視線を移すとこちらも似たような反応をしていた。
誰も知らない大国の姫君。
「彼女の名前はカトリーヌ。先々代の王の姉君で侯爵家に降嫁した大伯母様の流れを汲む、私の又従姉です」
それは隠された姫だった。王族の血の流れを汲むといっても伯爵家に生まれた女児。しかし既に皇国内でも高位貴族に女児が生まれなくなって10年。他国でも似たような状況にある。このままでは皇太子ができても嫁に迎える女性に欠く可能性があるとずっと秘され王妃教育のみを受けさせられてきた。
正式な婚約者とされなかったのは、血が濃いという反対が強かったからだ。
皇族直系であるクリストファーの身体は弱い。ここに近い血筋の女性を王妃に迎えることに拒否反応を覚える人は多かった。
そして現国王が伯爵家から王妃を迎えたことで次代は高貴な地位にある王妃を望む声も同じくらい多かった。
そのため、万が一他に迎えるべき相手が見つからなかった時に、というスペアにされた、不遇な存在。それがカトリーヌという女性の置かれた立場だった。
クリスから何度伯母や父たちへ進言してもその立ち位置を変えることは叶わず、先日の正式な婚約を持ってようやく解放してあげることができた。が、めぼしい男性はすでに結婚しているか他に婚約者がいる状態だ。
「だからこそ、私が、私の信頼をおける相手を探すべきだと思っています」
じっとクリスがテネシズの目を見つめた。
「勿論、かの姫に相応しい存在が見つかった際には、我が皇家に迎え入れ正式にシュトーフェル皇国皇族の姫として嫁入りすることになります。
テネシズ陛下。ご自身で、その存在としての価値がご自分にあるとお思いですか?」
ぎゅっと、テネシズが手を握りしめた。
今日、初めて自覚したパメラ姫への自分の思い。そして、自分がそのパメラ姫に強いようとした王族としての勤め。状況次第で婚姻相手など幾らでも挿げ替えられるものだろうという言葉が自分に突き刺さる。
「…言っておきますが、カトリーヌ姉さまは美人ですからね。美人で聡明で快活で。貴方には勿体ないほどですから!」
テネシズの沈黙を違った意味に受け取ったのだろう。先ほどまでの手強い交渉相手と同じ人間が口に出したとは思えないほど子供っぽい言葉に、テネシズは思わず噴き出した。
そうだった。この目の前で偉そうにしている皇太子殿下は16歳だったな、と思い出した。
男女としての愛情はなくとも、又従姉への情はあるのだろう。それもかなりたっぷりと。
思わず口から飛び出した自分の言葉の子供っぽさに恥ずかしくなったのだろう。わざとらしい咳ばらいをしたクリスが提案をした。
「…失礼しました。カトリーヌ嬢の姿絵と身上書をお持ちしております。後程お渡ししますので、ゆっくりと考慮なさって下さい。あ、勿論、他にも話はいっていると思うので、時間を掛け過ぎて間に合わないこともあるかと思います。ご了承下さい」
交渉ごとの基本だ。他にも客はいると仄めかすことで価値を上げる効果がでる。
しかし、そんな小細工は必要ない。
願ってもない良縁。これ以上のものはどこを探してもないだろう。
──パメラ・カーライル姫以外には。
しかし、パメラ姫がどんなに優れた王妃候補であろうとも、自分自身がその横に並び立つだけの資格を持っていない、そう判った。判ってしまったテネシズにはもうパメラを望むことはできなかった。
だから、覚悟を決めて、この降って湧いたような良縁を掴むことにする。
「時間など不要です。是非お話を進めたいと思います」
テネシズは、しっかりとした視線をクリスに向けて、そう願い出た。