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国王陛下は希う

 


「お招き戴き感謝します。とても嬉しく思います 」

 馬車から降りてきたのは、またしても黒い軍服姿のテネシズだった。

 今は、金の飾緒が仕立ての良いシンプルな軍服を彩り、腰に剣帯を付けている。そこにあるのはかなり大振りの片手剣だった。これが本来のテネシズ愛用の剣なのだろう。

「カーライル公爵邸へ、ようこそおいで下さいました。テネシズ・ブッケ・ドカフート陛下。御来訪頂き光栄至極に存じます」

 そう出迎えたのは、この公爵邸の主カーライル公爵その人である。

 さすがに他国の国王陛下の来訪を息子と娘だけでさせる訳にはいかないだろうと急遽公務の差し替えをして公爵邸に戻ってきていた。

 テネシズの用件について、公爵には推察がついていたが、それについて父として口を出すつもりはなかった。フェラン国としてはどちらに転んでも旨味がある。弊害がないとは言わないが、手にする利の方が多いとなれば大した問題にはならない。しかし、この国の外交を担う一人としては正確な情報を掴んでおきたいという気持ちはある。その為にも同席することにしたようだ。

「こちらはご招待いただいたお礼です。お納めください」

 テネシズがそういうとお付きとして後ろに仕えていた男か、いくつかの包みを差し出した。そこに入っていたのはカーライル公爵がずっと探していたある古書の初版本と、使用人達で食べるようにと大きな焼き菓子の入った缶、そして

「パメラ姫にはこちらを」

 そういって美しい紅玉石で出来た薔薇を象った繊細な造りの銀細工がパメラの前に差し出された。大振りの紅い石を熟練の細工しが丁寧に磨き上げ繊細な彫りを施した最高の逸品。本物の薔薇以上に艶やかで美しい見事な薔薇がそこには咲いていた。

「このまま飾られても、髪飾りやブローチに作り変えられるのもいいと思います。どちらでも貴女にとても似合うでしょう」

 さすがに国賓である他国の国王陛下に下賜されたものを高価すぎると拒否する訳にはいかない。パメラは恭しくそれを受け取ると、「ありがとうございます。家宝にします」と自分では使わないと言外に告げるのみにした。

 その言葉に、テネシズが苦笑する。

「我が国の細工師が心を込めて作り上げた逸品です。できれば愛でてやって欲しい」

 その言葉に、パメラははっとしたように顔を上げ、テネシズを見上げた。

 背の高いパメラより頭一つ分高いその顔には、自国の技術について誇りを持ちつつも、それを邪険にされたことに怒るのではなく心を痛め遣る瀬無く思う気持ちが滲んでいた。

 この目の前に立つ人の中に、また違う面を見つけた気がしていた。

 慈しむ心を持っている。悪い人ではない。むしろ好ましいとすら今のパメラは思っていた。




 夏は食べ物が腐りやすい。だから大きな宴や会合などは夏の間はあまり開かれない。

 王宮の薔薇たちは寒い冬の間に溜め込んだ力で春になると美しい花を開き咲き乱れ咲き誇る。そうしてその花が終わるのと同時に、この国での社交の季節は一旦終わりを告げる。ほとんどの薔薇たちも丁寧に手入れを行われ、暑い夏に休ませることで再び秋に美しく咲き誇るための力を蓄えさせるのだ。勿論、夏の間の薔薇を完全に諦めている訳ではなく、夏を彩る薔薇も植えられている。それでも、夏の庭園は本当の意味ではフェラン国王宮自慢の薔薇の庭園とは言えない。

 しかし。個人の庭園となると話は別である。一年中四季咲きを愉しめるよう、品種を組み合わせ丹念に手入れをしていくことでできるだけ長い間その美しい花を愛でることができるよう作り込む。

 今の時期でも、カーライル公爵邸の薔薇の庭はそれは見事なものだった。

「これは素晴らしいですね。今の季節でも、これだけの薔薇が咲き誇っているとは」

 蔓性ではない薔薇の様子を興味深くテネシズは観察していた。

「薔薇というとこう、棘が絡み合って進む道を阻止しているイメージでした」

 どうやら森の中に咲く野生の薔薇のイメージが強いらしいその様に、横についているパメラも笑顔になった。

「蔓薔薇は春にたくさんの花を付けますが、それ以外の季節にはあまり花を咲かせないそうです。なので四季咲きを愉しむにはこういった木立性の薔薇を植える必要があるみたいですね」

 本気で感心している様子のテネシズに、パメラは意外で仕方がなかった。

「千人長様が薔薇にそれほど興味をお持ちになるとは。正直意外でした」

 元々、内密での話がしたいというテネシズを家に呼ぶ口実として薔薇を使っただけだ。

 だから、まさかこれほど興味を持たれるとは思わなかった。

「勿論、薔薇が本来の目当てな訳ではないのですが。それでも、いつか私の国でも、こんな風に国民に花を愉しむ余裕を持たせることができたらいいと。心からそう思うのです」

 では、あの慈しむような瞳で薔薇を見つめる先には民の姿があるのか。

 パメラの表情から硬さが抜け、自然な笑顔になっていく。そうして、この人との出会いは貴重なものになるのかもしれないと感じていた。

「お茶のご用意ができました」

 後ろから声が掛かり、ふたりでお茶の席に着く。

 公爵は急ぎの書類が残っており、「終わり次第合流いたします」そう頭を下げて書斎へと戻っていった。まだ離席したままだ。

 錬鉄製の猫足のテーブルには、果実と果汁を摘まめるほど固くなるまで煮詰めて作った薔薇の形のゼリーや、林檎の甘煮を薔薇の形にして乗せて焼いた菓子や、薔薇の形を模したチョコレートなど、薔薇の庭園でのお茶会に相応しく花を添える菓子が沢山並べられていた。

 勿論、生ハムや赤蕪の酢漬けを薔薇の様に巻いて乗せてあるカナッペなど、塩気のあるものも用意されている。

「ここにも薔薇が満開ですね」

 給仕をしている侍女にそう笑顔でテネシズが礼を伝えると、「料理長に伝えておきます」と嬉しそうに答えていた。

 ミルク、果物、薔薇のジャム、そしてブランデー。紅茶に何を入れるか聞かれたテネシズが逡巡した後に選んだのは「ブランデーを」という選択だった。

「我が国では紅茶と言えばこれなのですが、こちらにきてブランデーを用意して戴いたのは初めてです」

 そう嬉しそうに言われたので、パメラも付き合うことにする。

 北国であるドカフート王国らしいお茶の楽しみ方ともいえるが、初めて味わうブランデー入りの紅茶は温められたブランデーの香りが華やかに立ち昇り紅茶の香りと一体となって芳しい香気がパメラの鼻を擽る。

「これは、素晴らしい香りですね」

 でしょう、と自慢げにテネシズが笑った。

 実際の味も素晴らしい。口の中いっぱいに広がるその深みのある味わいに感動する。

「紅茶の新しい楽しみ方が増えました」とパメラは喜んだ。

 会話は弾む。それはテネシズにとっては嬉しいことのようで、肝心の話の穂口が見つからないというジレンマも起こしていた。和やかな会話のどこから話を繋げればいいのか、悩んでいることはパメラに伝わっていた。しかし、自分からそれを広げてやるつもりはなかった。できればこのまま帰ってほしいとさえ考えていた。


「会話が弾んでいるようですな」

 そこに、割り込んできた声はテネシズにとって天の声となるのだろうか。

「カーライル公爵、仕事の方はもう宜しいのですか?」

 出迎えには来たものの、少し仕事があるといって離席していたカーライル公爵がこの小さなお茶会の席へ参加することになった。

 即座に、公爵の分の紅茶が供される。

 二人のお茶の様子を見て、公爵も「同じものを」とブランデー入りのそれを頼んで会話に混ざった。パメラが感じたものと同じ感動を受け、ブランデー入りの紅茶を褒め讃える公爵に場が華やぐ。

 そうして、チョコレートや焼き菓子との相性に舌鼓を打っていた公爵がいきなり切り出した。

「それで。ドカフート王国から遠路はるばるフェラン国、というより我がカーライル公爵邸にお越しになった本当の理由を、そろそろお聞かせ戴けますか?」

 紅茶の話から一転、このお茶会の本質に迫る。

 テネシズも驚いた顔を一瞬したが、元々その話をしにきたのだ。いい切欠だと思い切ることにしたらしい。

「…カーライル公爵は、我が国ドカフート王国についてどのような情報をお持ちですか?」

「……。金、銀、鉄、そしてルビーが産出する地下資源に恵まれた国であり、山々に囲まれている土地柄、北に位置する割に国土自体は雪に埋もれることはほとんどなく、山から湧き出る豊富な地下水にも恵まれている非常に稀有で恵まれた国。

 その反面、前王バッカス・ドカフート王という暗君と国を顧みず私欲に走った側近達により、国民は重税を強いられ簡単に極刑を申し渡されるという恐怖政治に堪りかね、傍系ではあったが王の血の流れを汲む方を旗印に5年前に革命を起こした、と」

 公爵の情報は、ガイによってパメラに齎された事前情報とほぼ同じものだった。

 遠い異国でのことは話しのネタに噂するにも縁遠くて、その情報もどこまで正しいのか判らない。

「さすがですね。でも、少しだけ間違っています。あの革命の本当の旗印は、王族の血など関係ない。ドガフート王国軍が誇るレインリーノ・フラックス大将軍その人でした」

 このままでは国が死ぬ、そう決起の覚悟を決められたあの方に、ずっとついて行けたのならどれだけ幸せだっただろう。ならば自分も、と血族としての軛を外す決意ができた。しかし、王城を包囲し、あと少しというところまで追い詰めたところで、革命軍に紛れ込んだ細作が放った毒矢によって、革命軍は旗印という大いなる存在を失った。

『お前にしかできない。道半ばで倒れた将軍の為に。やるんだ』

 リシャスの声がする。呆然としたままそれに頷いた。その時から、替え玉、とりあえずの代替品、代理人、代役。言い方はいろいろあれど、とにかくテネシズはそれになった。

「私は、道半ばで閉ざされたあの方の意志を継いだにすぎません」

 それを決めたのはあの方の側近だった者達だ。そして自分は、言われた通りに動いただけだ。

「だから私には、革命軍を惹き付けるだけの力がない。王の血が流れる者であると国民からの信頼もありません」 

 傍系もいいところなんですけどね、と両掌を上にあげて肩を竦めてみせた。

 その姿は、費やしてきた真心を突き返される口惜しさと遣る瀬無さに満ちて、冗談めいた仕草なのに見ているだけで胸に迫るものがある。

 こくりと持ち上げた紅茶で喉を潤したテネシズが、苦しさに満ちた独白を続ける。

「我が国は、私という王は、とてつもなく弱い。国外への影響力も、国民からの信頼もない。私は何も持っていない」

 テネシズは、俯いて、自分の両手をじっと見つめた。その肩がちいさく震えて見えるのは自らの不甲斐なさによるのもだろうか。それとも、これから申し入れようとすることの大きさによるのもだろうか。

「今、一番必要なのは信頼です。それを齎してくれる権威付けができる方法をずっと探し考えていた。その答えが、パメラ・カーライル姫、貴女だ」

 顔を上げた年若き国王の瞳は真剣だった。

 今自分に一番足りないものを手に入れる為にならなんでもする、その覚悟が見える。

「我が国の、光になってくれないだろうか。

 それができるのは、フェラン国のパメラ・カーライル姫しかいないんだ」

 それはそうだろう。フェラン国はこの大陸の中でも古い国であり、国力も安定している。そして自分はその国の王弟でもある公爵の一の姫、王族だ。国外への血の縁を結ぶ手段として他国へ嫁ぐ為の王妃教育も受けてきている。

 剣の姫とも称賛されるその武技は、その技を見たことのないものには”姫君にしては”だの”女の手遊び”だのと揶揄されることも多い。しかし、実際に相対まではせずともその技の冴えを見たことのある者にとって、それが単なる言葉だけではないことは厳然たる事実。故に、かの姫を将軍として迎えた軍の士気の高揚たるや凄まじいものとなるだろう。

 王妃になる為の教育も、王妃として立つ美貌も、姫将軍として在る為の武威も。

 パメラ・カーライルほど王妃として迎え入れることが為されることで、国家の威信向上という素晴らしい恩恵を与えることのできる姫君は他にはいない。

 ただし、それ等すべてはドカフート王国の為に用意された訳ではない。

「お断りします。私が嫁ぐ相手は、もう決まっております故」

 即応でパメラは拒否する。その姿は凛としていて何物にも揺らぐことはない。

 その姿の美しさに、テネシズは震えた。

 ──欲しい。この強さが、凛々しさが。『この女が欲しい』

「そんなの婚約しただけだろう? 王族の婚約など条件次第。その時勢次第でいくらでも挿げ替えられるものではないか」

「訂正させて戴きますわ。国の判断としてはそういうものかもしれませんが、私としては違います。もうずっと、7年も前から私の心はクリスのものです」

 花が綻ぶような笑みというのはこういうものか。場違いな感想だと思ってみても、テネシズはその笑顔に見惚れずにはいられなかった。

「…はっ?」

 恋? そんなものが国家のこれからを左右する時に意味を成すなどテネシズの常識では有り得ない。

 王族の結婚とは契約であり、国をより善き方向へと導くもの、それ以外のものでは有り得ない筈だ。末端の貴族でしかなかったテネシズだって知っている。しかし。

「私が強いとしたら、それはクリスの為です。クリスを守る力が欲しいと願い、私はずっとその為の努力をしてきました」

 言外に『他人の恋路を邪魔するな』と言われている気がして、テネシズは心が冷えた。

 ドカフート王国は、金も銀も鉄もルビーも採れる。

 それは、我がドカフート王国の豊富な地下資源に拠る資金提供。

 それは、我がドカフート王国の安定による近隣諸国への領民流出や野盗に堕ちるものが減ることによる平和への道。

 それは、フェラン国とドカフート王国が手を組むことで、シュトーフェル皇国一強ではなくなり、お互いに睨みを利かせ合うことで得られるこの世界の安定。

 そんな風に、テネシズとしてはフェラン国との交渉が進められると信じていた。

 遠い異国でしかないドカフート王国が、類稀なる美しく尊い姫君を迎え入れるに相応しい存在であると知らしめる為に、名乗りを上げるつもりで無茶な取引まで仕掛けて小麦を買い集める指示を出した。

 結果として、テネシズは今こうして標的であるパメラ姫を目の前に口説くチャンスを手に入れる事に成功した。した筈だった。

 全て、それなりに勝算もあって構えた事だったのだが。

 しかし、それがパメラ・カーライル個人へのものとなると、どうだろうか。

「そ、れは…」

 テネシズは必死になって考える。しかし、国と国との交渉だとしか考えてこなかったテネシズは、パメラ個人、それも心の在り方に対しての交渉材料というものを持っていなかった。

 ──もし、テネシズが差し出せるとしたら自分のこの気持ちだけだ。しかし、それに価値はあるのだろうか。


 「たとえ、もしもの仮定のことであっても、パメラが私以外の人間へ嫁ぐ話はして欲しくないですね」


 

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