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突然の、舞踏会への招待状

 


 その日、パメラは父であるカーライル公爵から、フェラン国の国王名義の招待状を受け取った。

 招待状は、今夜急遽開かれることになった舞踏会への出席を求めるもので、一緒にドレスも届けられていた。

「今夜はそのドレスを着るようにとのお言葉だ」そう苦虫を潰したような顔をした父に言われてパメラは訝しむ。

 しかも、王宮から馬車が迎えに来るという。

「何故ですか?」

 残念ながら今は婚約者であるクリスは国元へ戻っていてエスコートして貰う事はできない。故に父や兄にエスコートして貰うことになるがそれなら自分の家の馬車で行くのが当然だ。

 当然の疑問に対する明確な答えを貰うこともできず「国王陛下からのお達しだ」と繰り返すばかりの父に、パメラはそっと眉を顰めた。



「パメラ・カーライル嬢、ずっとお会いしたかった」

 手を差し出されエスコートを申し出る男の顔にパメラは見覚えがなかった。

 身に纏っているのは生地も仕立ても上質ながら金糸で編まれた飾緒だけが色を添えるシンプルな黒い軍服だ。肩から掛けられた綬に付けられた数々の勲章にも見覚えがない。

 濃い琥珀色の瞳も、今はきっちりと整えられた薄茶色の髪も。いっそ凡庸と表現したくなる風貌だ。舞踏会においてただそこに存在していたならどの令嬢の視線も集めることはできないだろう。

 ただし、その身のこなしからは熟練の兵士のような鋭さが覗いているのをパメラは見逃さなかった。

 ──この男、できる。

 それだけで、パメラは差し出された手を取る価値をその男に見つけたが、自分には正式な婚約者がいる。それなのに、いくら国王からの馬車に乗ってやってきた男とはいえ、差し出された手を簡単に受けていいものだろうか。

「私は後でいく。先に向かって陛下にご挨拶しておくように」

 見知らぬ男からのエスコートを受けるよう、そう促すように父が眉を顰めたまま頷いてみせた。

 パメラは意味が判らなかった。

 婚約者のいる身であるパメラを名も知らぬ男と二人にしようとする国王陛下と父の心が。

 婚約を交わす前ならともかく、大聖堂で神に誓ったからには、このように他の男性と引き合わされることはないと思っていた。だが、どうやらそれは間違いだったらしい。

 それでも、国王陛下と父がどう思おうが、パメラの心は決まっている。

 ようやく手に入れた初恋の続きを、誰かに壊させるつもりは毛頭なかった。

 しかし、今はまだこのフェラン国国王に忠誠を誓う臣下の一人として、国王陛下の御意向には従う。ただ、それ以上については了というつもりはパメラになかった。


 とりあえず今この時のエスコートを受けることにして、差し出されたままの男の手に自分のそれを重ねる。

「ドカフート王国のテネシズ・ブッケ・ドカフートです。

 今宵は美しい姫のエスコートをさせて戴けて光栄です」

 正式な名乗りを上げてその男はパメラの指先にそっと唇を寄せた。

 その仕草に、パメラの眉間の皺が深くなる。父から訂正が入らなかったということは本当にドカフートの国王陛下その人なのだろう。

 ドカフート王国。その名前は聞いたことがある。このフェラン国とシュトーフェル皇国で小麦を買い漁っている国の筈だ。

 ──その国の国王が、何故ここに?

 理由は判らないが、我が国王陛下と父がそれを受け入れている限り、自分が勝手に拒否する訳にはいかない。せめて理由を確認してから判断せねば。

 とられたままの手を振りほどく訳にもいかないが、それでも声を一層固くして答えた。

「フェラン国公爵令嬢、パメラ・カーライルでございます。大変申し訳ありません。今夜の夜会には来れないようですが、わたくしは正式な婚約者のいる身です。そのようなお戯れはお控えください」

 警告はしておかないといけない。それが例え一国の、国王陛下に対してであろうとも。

 その言葉に、男がくすっと小さく嗤う。

「王族の婚姻は覆すのは難しい。しかし、姫が交わしているのは婚約でしょう?」

 まるで価値がないとでもいうような軽い言葉だった。

 確かに婚姻ほどの揺ぎ無い強さはなくとも、それでもこの婚約は神聖なものだとパメラは思っている。

 馬車の前まで着き、中へ乗り込むよう促される。

 その一瞬、目を合わせてパメラは目の前に立つ男へと再び告げた。

「神への誓いを軽く扱われるのは不快です」

 発言に注意しろ、である。一国の国王に対して、たかだか公爵令嬢が告げる言葉としては不穏不適切すぎるものであったが、パメラとしてはこのまま黙って馬車に乗り込む訳にはいかなかった。

 男はそれに答えず、目を眇めて口角を上げてみせたのみ。口元は確かに笑みを形作っているにも拘らずそこから受ける印象はとても冷ややかだった。

 不穏な空気の中、パメラと男が馬車に乗り込んだ。勿論、パメラ付きの侍女も一緒だ。さすがに自国の国王陛下のお達しであろうと未婚の姫が男性と密室で二人きりになどなる訳がない。本来ならシャペロンとなる未亡人を用意するべきであったがさすがに時間がなかった。

 故に、会話のないまま馬車は王宮までの道を進んでいく。

 一の郭にある公爵邸から王宮にかけての道は綺麗に整備されていて馬車の揺れもほとんどない。カタコトという馬の馬蹄が立てる音とカタカタという車輪が道に敷き詰められたタイルの上を廻る音が馬車の中からも微かに聞こえる。

「美しい都ですね、ここは」

 窓の外をずっと眺めていた男が呟いた。

 その声は、単なる誉め言葉ではなく本当の心が篭ったものとしてパメラの耳に届いた。

 絶対に視線を合わせまいとしていた男の顔を観察する。

「本当にすばらしい」

 フェラン国の歴史は古い。しかしだからこそ幾多の文化の波を乗り越えてきた為、どこかちぐはぐだ。高く尖った棟がいくつも連なっている大聖堂と、丸い屋根の議事堂、多角形を組み合わせたような不思議な形をした騎士団本部など、使われている石が同じものなので色が統一されている事でそれなりの統一感はあるものの雑多な印象を受ける人も多い。勿論パメラにとっては愛する国であり土地であるが、美しい街並みといわれることはまずない。

 しかし、窓の外に見惚れている男にとって、それはどうやら本心からの言葉のようだ。それ以上の事は何も言わずまた黙り込んでしまったけれど、パメラはもうその沈黙を不快だと思わなかった。


「お手をどうぞ、パメラ姫」

 馬車を降りようとすると、また手を差し出された。

 馬車の中では迫る様な真似を一切しなかったこともありパメラはおとなしくその手に自分のものを重ねる。

 しかし、そのまま強引に二の腕に手を絡まらされてしまい、こんなにも簡単にあしらわれることに慣れていないパメラは焦った。

「…近すぎます」

 そのパメラの抗議に口元の笑みで応えてテネシズは赤い絨毯の上を進んでいく。

 ネームコールを受けて大広間へ足を踏み入れた。

 煌めくシャンデリアで照らされた広い空間にいた人々の視線がすべて見知らぬ国の国王に集まった。

 それまで広間を埋め尽くしていた騒めきが一瞬で静まる中、悠然とした足取りでテネシズはフェラン国国王トーリィ・ド・フェランが座る玉座の前まで進んでいく。

「此度はよくぞフェラン国へお越しになられた、ドカフート王国国王テネシズ・ブッケ・ドカフート陛下。今宵のこの歓迎の会をこころゆくまで愉しんでいただきたい」

 国王陛下の言葉に軽く頷いたテネシズが歓迎の会開催のお礼を告げると、国王陛下の手が掲げられ開催の宣言が下された。

 後ろに控えていたオーケストラの演奏が始まる。

 パメラはテネシズ陛下に連れられて、そのままフロアの中央へと移動した。

「まだ私はフェラン王への挨拶をしていないのですが」

 そう不満を口にしながらも、テネシズとのダンスを拒否することはできない。

 テネシズの力強いリードでダンスが始まった。

 踊りながら、「単なる付属品として扱われたのは初めてです」と、そうパメラが言うと、「ふふ。今のあなたは年齢相応に見えますね」そう余裕で返された。

 フェラン王の名の下に贈られたドレスは、銀色のベルラインだった。身頃にはパメラの色である薄水色の宝石が散りばめられ同色の刺繍が施されている。幾重にも重ねられ花弁のような段を作っているスカートが細い腰をふんわりと包み込み、いつにない優しさと愛らしさをパメラの人を寄せ付けない美貌に添えていた。

「このようなドレスを身に着けたのは初めてです」

 いつもは男装すら当たり前の自分が身に着けるには愛らしいドレスがパメラには気恥ずかしかった。

 ──でも、クリスの前で着てみせたら喜んでくれるだろうか。

 そんな考えが浮かんで、つい笑顔になる。瞳の輝きが甘さを帯び、白皙の頬に朱が交じり、唇の口角が自然にあがった。

 それまで硬かったパメラの突然の柔らかな笑顔に、向かい合うテネシズの表情が冷めきった観察者のそれから楽し気なそれに変わる。

「よかった。とてもお似合です」

 その言葉に、パメラの頭へ疑問が浮かぶ。このドレスはフェラン国の国王トーリィ陛下からの贈り物の筈だ。なのに。

「私が選んだドレスを着た女性が微笑む姿というのはいいものですね」

 では、このドレスの贈り主は国王陛下違いということか。『国王陛下のお達し』だと繰り返していた。狸親父に騙されたようだ。

 すでに袖を通してこの舞踏会まで来ている。しかも贈り主と踊っている最中だ。脱いで叩きつける訳にもいかない。そこまで考えたパメラは「ありがとうございます」と通り一遍なお礼を告げた。

「ダンスはお好きですか?」

「身体を動かすことは好きです。テネシズ陛下のリードはとても踊りやすいですね」

「パメラ姫のダンスがお上手だからです。どんな難しいステップでも付いてきて下さると判る」

 そういうと一段ギアを上げるように、テネシズのステップが変則的なそれに変わる。

 一歩で進む幅が広がりフロアが狭く感じるほどだ。

 くるくると二人重なるようにターンを繰り返す。国王間の思惑や国を背負っての外交など難しいことは忘れて、ただふたり、お互いに類稀なる名手とのダンスを楽しんだ。

「驚きました。剣の姫と謳われるパメラ姫が、これほどのダンスの名手でもあるとは思いませんでした」

 楽しいひと時をありがとう、とテネシズは火照った身体を冷やすシャンパンを給仕の手から取り、パメラに差し出した。

 それを受け取り口に運ぶと、さきほどの激しくも楽しいダンスの残り火で火照った身体の奥に、冷たいシャンパンが滑り落ちていく感触が心地よかった。

「美味しい。ありがとうございます。こちらこそ、これほど気持ちよく踊らせて頂いたのは初めてかもしれません」

 フェラン国のダンスは優美さを貴ぶ。緩やかに流れる様なダンスが主流でゆったりとした動きと滑らかなステップによるダンスしかパメラは知らなかった。

 複雑なステップを決める達成感も、切れのあるターンの楽しさも。スピード感溢れるダンスというものを踊ったのは初めてだった。

「周りを鑑みるに、先ほどのようなステップも、ターンも、初見ですよね。

 それであの動きについて来られる。さすがです」

 その目には賛嘆する輝きが確かにあり、パメラは素直に喜んだ。


「それにしても。国からはドカフート王国から賓客がいらっしゃるなどお触れも何もなかったので、今夜は驚かされまくりです」

 最初こそ気色ばんではいたが、今のパメラは単に独身の国王陛下のお出ましに際して数合わせでペアにされたのだと判っていた。

 さすがにあまりに身分の低いものを付ける訳にもいかないだろうし、既婚である女性も、未亡人も失礼になるだろう。だからパメラという人選になったのは理解できた。

「そうですね。我が国はずっと国際会議の同盟に見向きもしてきませんでしたから」

 遠い目をしてテネシズが答えた。

 悪政が蔓延り、それに反発した下級貴族や平民による内戦が起こったのだと聞かされたのはつい先日だ。未来の皇妃としての教育は受けてきたが、その辺りの外国の内情についての詳しいことについては立場によって見方が変わるものだとフェラン国では皇妃教育に含められていなかった。シュトーフェル皇国に嫁いだ際にはきちんと教育を受け直すことになるのだろう。

 視線の先では、色とりどりのドレスを身に纏った女性たちがくるくるとダンスを踊っていた。

 絢爛たる王宮の大広間は、大きな窓とそれに向かい合う大きな鏡、繊細で優美な彫刻がほどこされた大理石の柱、天井を彩るフレスコ画で飾り立てられ、それをクリスタル製の大きなシャンデリアが照らし出している。

 人々のざわめきとオーケストラの奏でる音楽が、そこにいる全ての人を酔わせた。

「この度の外交使節は勿論、国際会議同盟への加入を前提に行われたものだ。

 しかし、それだけではない」

 くいっ、とフルートグラスに残っていたシャンパンを一気に煽ってテネシズが続ける。

「不肖な国王である私、テネシズ・ブッケ・ドカフートの脆弱な部分を補ってくれる頼もしい王妃を探す行脚でもある」

 テネシズの濃い琥珀色をした瞳が、パメラの視線を捉える。強い光。

 それが意味するものに気が付かないでいられるほどパメラは無知でも初心でもなかった。

「陛下にお似合いの、善き御方が見つかりますようお祈りいたしておりますわ」

 テネシズの言葉の意味の深い場所にある意味に気が付かなかったといわんばかりに、表層の部分だけ汲み取ってパメラが感想を述べた。

 あくまで自分には無関係だと言い切る。

 しかし、その程度で追い払えるほど、目の前の男は易くはなかった。

「遙か遠い異国である我が地まで吟遊詩人が伝えてきた噂があります。

『美貌に名高い剣の姫を娶るには、彼の姫より強くなければいけないのだ』と」

 貴女の婚約者は、それほど腕の立つ男でしたでしょうか?

 直接は言われなくとも、パメラにはテネシズの嘲る声が聞こえた気がした。

 美しい眉の間に深い皺が寄せられ、薄水色に煌めく大きな瞳が険をもち妖しく眇められた。しかし、その程度で怯む相手では勿論ない。テネシズは静かな口調のまま続けていった。

「私に、剣の姫へ求婚をするだけの価値があるかどうか、腕試しをさせて戴けませんか?」

 その声は、絶え間なく続いていた広間のざわめきと音楽が、ほんの一瞬途切れた瞬間に告げられた。そのため殊の外遠くまで届き、その声が届いた者、届かなくとも周囲の緊張につられて黙り視線の向けられた先を探し求める者、すべての視線がパメラとテネシズのこの一幕に注目することになった。

「お戯れを。私には最初から告げていた通り、神の前で誓った婚約者がおります。

 なにより一国の王に対し剣を揮うなど、同盟を組もうとしている国の公爵令嬢として受ける事などできる筈もありません」

 お許しを、とパメラは深く頭を下げた。

 本音は『冗談でもやめろ』である。さすがにこの場所で他国の国王陛下にそのような言葉を言える訳がなかったが、本当は今すぐここから立ち去りたかった。

 そこへ、思いもしなかった声が掛かった。

「いいじゃないか、パメラ。ひさしぶりにお前が揮う剣を見たいと思っていたところだ」

「…トーリィ陛下」

 すっとパメラがカーテシーを取る。

「よい。今宵はテネシズ陛下の歓迎の宴だ。テネシズ陛下と私の願いを叶えてくれないか、パメラ」

 歯ぎしりする思いであっても、ふたりの国王からそう求められて拒否することはパメラにはできなかった。

 その場で翌日の剣の儀を決められる。パメラはそれを受け入れることしかできなかった。


 

 

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