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始まりは薔薇のお茶会で



「まぁ、パメラ。本当によく似合っているわ」

 菫色の瞳をした花の妖精のようなその人は、少女のようにはしゃいで言った。

「お褒めに預かり光栄です、皇妃様」

 恭しくその手を取り、そっとくちづけを落とす仕草をしたのは、つい先日、この国の皇太子と正式に婚約を交わしたばかりのパメラ・カーライル嬢、フェラン王国の公爵令嬢、そして挨拶を受けたのはシュトーフェル皇国ベアトリス・アップルフェル・シュトゥルーデル皇妃陛下だ。

 3日前、初恋の相手であるシュトーフェル皇国皇太子クリストファー・アップルフェル・シュトゥルーデルと自国の大聖堂でしあわせな婚約を結んだパメラは、今度はシュトーフェル皇国にて婚約のお披露目をするべくクリスの帰国に同行し、つい先ほどここシュトーフェル皇国へ到着した。


 そうして皇帝陛下御夫妻への挨拶にお伺いをとお目通りを申し出たところ、そのままこのお茶会へ参加するよう申し付けられ、この着替えを用意されたのだ。 

 華麗な金糸の刺繍が施された儀式用騎士服に身を包み、胸には陽射しを浴びて輝く徽章を、背中には空の蒼さを移したような水色のマントを靡かせ、儀式用の、刃を潰した華麗な装飾を施された剣を腰に帯剣していた。

 後ろでひとつに編まれた銀の髪を結っている飾り紐と、腰に巻かれたカマーバンドは、婚約者であるクリスの色である金色をしていた。そして指には婚約の証である金の真珠の指輪が嵌まる。この3つだけがこれから婚約者の母である女性との対面をするのだということを微かに表していた。

 これから始まる皇妃主催のお茶会に参加する為ここにいるはずなのに。

 用意されていた衣装に身を包んだパメラはいま、まるで物語にでてくる騎士様のようだった。

 そうして、このお茶会の席の主催者である皇妃さまへの挨拶をしていたパメラの横で、複雑そうな顔をして曖昧な笑顔を浮かべているのが、パメラ最愛の婚約者であり、このシュトーフェル皇国の皇太子であるクリストファー・アップルフェル・シュトゥルーデルその人である。

 金糸のような髪は銀色の細いリボンと一緒に複雑に編み込まれ、そこかしこに薄水色の宝石が付いたピンで留められている。薄水色の地にクリーム色で小花の模様が描かれた可憐なAラインドレスには、共布でできたふんわりとしたフリルと包みボタンが可愛らしく彩りを添えていた。

 それは、クリスがどこかで見たというか着たことのあるドレスにそっくりだった。

 勿論、その左手薬指にはあの婚約式の日以来ずっと金に薄水色の石がついた誓いの証が輝いている。

 何時間だって、何十時間だって幸福な気持ちのまま眺めていられるその指輪が嵌まった手を、婚約者に取られた。

「愛しい人。なぜそのように花のかんばせを曇らせているのでしょう。

 その顔を、この春の空の様にやわらかなそれに変えることができるなら、私はなんでもいたします。どうか私に笑顔を見せてくださいませんか」

 ──自分の婚約者は、自分の母以上にノリノリだ。

 げんなりとするより、一緒になって遊んだ方がきっと楽しい思い出にできる。

 クリスはそう気持ちを切り替えると、愛しい人の手を取ることができる幸せに感謝しすることにした。


 あの日と同じガラスのカップには果物が沢山入った紅茶、あの日と同じお店のチョコレート、ちいさなサンドウィッチに一口サイズのパイやケーキ。

 クリスが国に帰ってから何度も話したあの日のお茶会を再現したお茶会が、皇族専用の美しい庭園で開かれていた。

 春の庭はいま満開の薔薇が咲き誇っていた。八重咲き、一重咲き、蔓薔薇も房となって咲き乱れ、その香りに噎せ返るようだ。

「この庭の薔薇は、クリスがあなたのカーライル邸での記憶を縁に植えられたのよ」

 内緒よ、と普通の声でパメラに暴露されてクリスは母であるベアトリスを睨みつけた。

 しかし、真っ赤になって睨まれても怯む人はいないだろう。可愛いと笑われて終わりだ。

「そうなのですか。見事な薔薇園だと思って見惚れていたのですが、それは光栄ですね」

 綺麗な笑顔でそう返せる自分の婚約者を尊敬する。

 これでもかなりポーカーフェイスも得意になったと思っていたクリスだったが、この婚約者といるとどうしてもそれができなくなる。困ったことだと、ちっとも困っていない顔をしてクリスは考えていた。


「それにしても、なんでこのメンバーでお茶会なんですかね?」

 この小さなお茶会のメンバーの中で一人だけ浮きに浮きまくっていた大きな身体をしたその人は、憮然とした声でそう訊ねた。

 きりりと太い眉に大きな唇。意志の強そうな強い光を帯びた黒い瞳と、すこし疎らに白い物が混ざり始めた黒く短い髪。

 初めて会った時より若干細身になっていたが、この男は間違いなく、あの時のお茶会に強引に参加してきた内の一人に間違いなかった。

「ひさしぶりですね、ガイ。元気そうで安心しました」

 不満を口にしたのに、さらりとパメラの口から挨拶が告げられてガイは目が白黒する思いだった。

 あーとかうーとしばらく唸った後、立ち上がり、腰を深く折って頭を下げた。

「…その節は、大変ご迷惑をお掛けしました」

 あのお茶会を台無しにした罪の意識が今もガイの胸には存在していた。

 しかも自分の心の鬱憤を、まだ少女だった目の前の佳人に押し付けた苦い記憶もあった。少年だと思ってでも心の隅に苦いものがあったのに、のちに少女だと知ってどれだけ後悔したことか。

 いつか謝りたいと思いつつ、ここまで来てしまったガイだったが、まさか王宮で開かれる皇妃の私的なお茶会でその再会を果たすことになるとは思わなかった。

 身の丈180を超える巨体を懸命にちいさくしながら詫びるガイにパメラは苦笑して許しを与える。

「謝罪を受けとります。それにしても、腱を斬ろうとしたのはギリギリ避けた癖に派手に転んで見せ、かといえば、こちらが大きな傷を負わせないように気を付けて剣を揮っているのに、わざと大きな血管を斬らされ周りを血塗れにされたり。あれには少々参りました」

 許しは与えたが、パメラとしても厭味のひとつも言いたかった。結局ひと言では止まらなかったが。

 その言葉に、ガイは首を竦めて謝罪を重ね続けた。

「…いまは、どうしているのです?」

 現在のガイが実は平民落ちしていることを知らないパメラではあったが、シュトーフェル皇国に仇なす罪人として裁かれた筈の男がこうして王宮にいることを不思議に思わない訳がない。その疑問は尤もなことであった。

「ガイには、私の手伝いをして貰っているんです」

 その疑問に答えをくれたのは、婚約者であるクリスだった。

「クリスの仕事、ですか」

 もっとも、答えの筈のその言葉が、パメラに新しい疑問を持たせることになる訳だが。

「自分の愛する人への贈り物を、親や国から貰ったお小遣いで賄うような甲斐性なしでは、あなたの隣に立つ資格はないと思ったのです。

 そして何より、私もあなたの隣に立てるだけの強さを手に入れたかった」

 だから、経済という力を手に入れたんです、そう告げたクリスの顔には、7年前にはなかった自信というものを感じさせる輝きがあった。

 あの婚約式でのドレスも靴もアクセサリーも、そのすべてを自分からの贈り物だと胸を張れるように、クリスはこの7年頑張ってきたのだ。

 最初は情報を集めるつもりで始めた商店だったが、クリスは殊の外その才として商才が高かったらしい。自国内のみならず他国での情報をすべて考慮して立てられるその商業戦略は時には飢饉による飢えを凌ぎ、人災による地方政治の腐敗を防いだ。

 そうしてクリスは、自ら手に入れた商才と情報網という武器を基に、誰もが認めるシュトーフェル皇国の皇太子として立太子できるだけの地位を築き上げたのだった。

「婚姻式での衣装も楽しみにしていてください。ガイのこともこき使って、婚約式以上の物をパメラに贈れるよう努めますね」

 ここで惚気るのかとガイは心の中で盛大にツッコミを入れたが、賢明にも口に出すことはしなかった。

 代わりに、今日登城することにした理由。主と主の大切な人、二人の大切な国への情報をこの場で伝えることにした。

「シュトーフェル皇国とフェラン国でのみ、小麦を中心にした穀物類の相場が急騰しております」

 その場にいた3人の顔つきが変わる。3人の思考がふやけた婚約ムードから切り替わったことを確認してガイが話を続けた。

「買い集めているのは、ドカフート王国です」

 その国名に、婚約者たちの顔が微妙なものになる。

「あそこか。そろそろ落ち着く頃だと思っていたのだけれど、まだ自給には遠いのだろうか」

 ドカフート王国は5年ほど前に代替わりをしている。代替わりといっても王位継承権に則って行われたそれとは違い、革命に近い状態だったという。

 現在戴く国王は、先王からすればかなりの傍系となる男子で庶子ともどこの生まれかも判らぬ平民出身の養子であるとも言われ、近隣諸国に対して未だ正式なお披露目もされていない。国交についても混乱の最中に一度は絶え、民間で細々とされているのみとなって久しい。

 そもそも先王の時代が悪すぎた。暴虐の限りを尽くし国を破滅に導いた暗君だとも、家臣共の傀儡として持ち上げられるだけの愚王だったともいわれていた先の国王の下、生かさぬように殺さぬようにと強いられる重税や、簡単に極刑を申し渡されるという恐怖政治に堪りかねた国民が革命を起こしたとか、王族傍系の庶子がその旗印となって暗君を倒したなど突然の代替わりが発布された時には国交がない故に噂には面白おかしく尾鰭が付きまくり、いろいろと話題になった国だった。

 なにしろ国際会議連盟国へ名前を連ねている訳でもない国のことだ。どこまで本当のことなのか正確な情報を持つ者は少ない。

「それが、別に国が飢えているということもないんです。元々、地下資源の豊富な国です。それを不法に貯め込んでいた腐敗貴族達の私財はすべて没収し国庫に納めたようです。重税もなくなりましたし、若人より責任者としてその家の家長が極刑になるというあの国独特の懲罰方針が、言葉は悪いかもしれませんが、幸を奏したようです」

 働き手である若者の命は守られることになった、ということか。

 しかし。そうなると、主食である小麦を買い集めるその意味はどこにあるのか。

 財力もある、働き手もある、天候不順などの話も聞こえてこない。

「まさか、戦争を? いや、それは有りえないですね。まだ国力を蓄えるべき時期の筈ですから」

 自分で口にした傍からクリス自身が否定する。

 今はまだあの国の民が、戦争を支えるだけの信頼を新しい国王に対して持っているとは思えない。失った王位の威信、信頼を取り戻すには壊してしまった期間の倍の時間が掛かる筈だ。5年やそこらでなんとかなるものではないだろう。

 それとも、たった5年でそれを成し遂げた偉大なる王という線を捨てるには時期早々だろうか。

「どちらにしろ、何をどう判断するにしても情報不足ですね」

 ガイがそのクリスの言葉に頷く。まずは情報。すべてはそれからだ。

「商会に戻ります。できればドカフートに入り込めたらと考えてます。

 連絡はこちらから定期的に送ります。クリストファー様からは緊急時のみ店宛でお願いします」

 立ち上がって頭を下げ、ガイは主催者である皇妃に向かって退出の許可を願い出る。

 そもそも自分がここにいること自体が場違いすぎると思いながらもさすがに勝手に出ていくのは拙いということ位は判っていた。今は平民といえども元は侯爵家二男として生まれた男である。

「あら。もういいの? ガイが愛しのパムとこうして直に話せるのは、これが最後かもしれなくてよ? こう見えて、クリスは執着系というかやきもち焼き屋さんというか妬心が酷いというか、とにかく囲い込んで他の男との時間なんて許さないでしょう」

「っな? 母上っ?! 突然なんということを」

 流れ弾に当たったかのようにクリスが慌てふためいた。その顔色は、赤くなったり蒼くなったりと忙しい。

「だって、本当の事でしょう? もう7年も前にたった1日会っただけの少女にこんなにも御執心で、こんなに頑張っちゃって」

 小さな扇子で口元を隠しながらも耐えられないという様子でクスクスという言葉では収まらないように笑っている皇妃をクリスは真っ赤になって睨みつけながら訂正を入れた。

「2日です。フェラン国の王城にご挨拶で登城した時に1度、翌日お茶会にお誘い頂いたのが2度目です」

 たった2日。でもクリスにはそれで十分だったのだ。心の一番奥にこの強くて優しい女性が住み着くには十分過ぎる触れ合いだった。

「2日ね。むしろそれでお預けされてしまったからこそなのかしらね」

 ほほほ、と皇妃の面白そうな笑い声が続く。

 高貴な親子による上品な口喧嘩が続く中、ガイが頭を下げたまま動けないでいた。

 ──自分のあの行動が、まさかクリストファー様とパメラ様の出会い2日目のことだったなど、ガイは思いもしなかった。


 幼い恋の邪魔者を、よくもクリストファー様が消さなかったものだと思う。

 手術のダメージが抜け目が覚めると、そこは見知らぬ白い天井の、簡素な部屋だった。てっきりフェラン国の牢屋にでも収監されたものだと思ったのに、そこで受けたのはシュトーフェル皇国の人間による取り調べだった。

 公爵家に押し掛けた理由の確認。

 カーライル公爵邸でのあの茶会へのクリストファー様からとする招待状の偽造もしくは入手方法について。

 なによりクリストファー様の情報を手に入れた方法について。

 ただ偽の招待状を見せつけられて、ついてこいと言われただけの自分には相手を満足させられるだけの回答ができずにいたガイは、終わったな、という思いでいっぱいだった。

 判っていたつもりで判っていなかった。

 ここが外国であり、フェラン国もシュトーフェル皇国も、コーザ公国ごときが盗み出した情報を基に強引に割り込んでいい相手ではないのだ、ということに。

 盗み出した情報が子供同士の私的なお茶会という些細なものであったとしても、その招待された子供が自国よりずっと格上の大国の皇位継承者で上位に名前を連ねている子供であり、主催が大国の公爵令嬢として王族に名を連ねる一人であるというその意味を深く考えたことがなかったのだ。

『公女の我が儘はなんでも受け入れるように』

 その言葉を免罪符に押し切れるのは自国内のみ。そんな基本的なことすら思いつかなくなっていた。これを思考停止といわずにどういえばいいのか。

 押し入られた公爵邸が、客人を差し出す訳がなかった。

 客人を差し出せと言われて『はいどうぞ』などいう訳がなかった。

 内密で訪れなければならないほどの重要人物に、偽造した招待状などで入り込んで引き合わせることを許すなど有り得る訳がなかった。

 そんな当然のことにガイが気が付けたのは、あの日、傍に居た侍女が当然のように少年へと剣を差し出した時だったのだ。

 ──この行為は他国の王族に対してやり過ぎだ。

 取り返しがつかなくなるその瞬間まで、それに気が付かなかった自分の不甲斐なさに絶望した。

 それに気が付いた時にガイが取った手段、それは”相手にもやりすぎて貰う”事だった。

 ついでに、この自分が置かれている公女の我が儘に振り回されるだけの生活から抜け出したいという欲も叶えられる。一石二鳥の方策だと思った。


 公女の我が儘に振り回されて、国外にまで恥を曝す生活に倦んでいたガイにとってそれは突然の閃きだった。

 自国の公家に15年ぶりで生まれた美しく可愛い姫を、周りが甘やかしすぎたと思った時には手遅れだった。我が儘が常になり、自分の意にならないことがあると今更教えることはできないと諦めていたガイにとって、あの日のパメラの強さは僥倖であった。

 自国内でのわがまま放題ならまだ許されたが、国外、それも大切な国際会議についていった先で主催国の公爵家において、大国であるシュトーフェル皇国の皇太子に歯向かえという指示が声高に告げられたのだ。それはたとえどれだけ妙なる高貴な生まれの姫君の幼い悋気から発せられたものであったとしても決して許される筈がないものだった。

 相対した皇子も自分の三文芝居に気付いて付き合ってくれたようなので安心して派手に転げまわった。それなのに。

『公爵令嬢が剣の腕のたつ相手で良かったな。我が皇族に直接手を出していたら、両国の対応がこの程度で済まないところだった。感謝するんだな』

 やりすぎて貰おうと罪を強引に半分押し付けた相手が、少女だったとは。

 なんということか。自分の保身のためになんという重い十字架を少女の身に押し付けたのか。

 無表情を装っていたが、それでも太い血管を自分から斬らせたほんの一瞬の表情が忘れられない。

 最初の一撃はまともに喰らってしまったものの、それでもある程度の余裕は持って演技した。あの時、『お坊ちゃまには刺激が強すぎたか』など呑気なことを考えていた位には。

 小僧いい経験したな、とすら考えていたのに。

 公爵令嬢だったなんて。あの気構え、あの気迫、あの剣の腕。それが少女のものだったとは。

 愕然としていたガイに更なる衝撃が襲ってきたのはそんな時だった。

 お茶会の席に同席していた少女が、静かに部屋に入ってきたのだ。

 金色の髪に金色の瞳。クリストファー皇子と間違えられたのも頷ける、シュトーフェル皇国の皇族直系にのみ現れるという証。

 その二つを持つ少年が、次々時代のシュトーフェル皇国の頂点に立つことを約束された少年であるということは有名だ。

 シュトーフェル皇国の未来の皇帝が内密に花嫁を探すために国際会議の席に同行しているという情報は間違っていたのだ。そうガイは判断した。

『太い血管を斬らせたのはワザとでしょう?』 

 少女というには威厳を持った冷たい声をしたその人に、ガイは震撼させられたのだった。

『自分たちの姫がやり過ぎたと判断した貴方は、相手もやりすぎだったと主張するために、自ら血塗れになって大騒ぎしてみせたのですよね』

 少女の姿をした何かが其処にいた。

 相対しているだけで、冷たい物が背中を流れていく。

 鈴を転がすような声に、一体どんな魔法が掛けられているというのだろうか。

『ふふ。罪の意識はあるようですね。安心しました。パムに謝りたいでしょう? でも、今のお前ではパムに会うどころか、手紙を送ることすら許されない、それは判っていますか?』

 自分が罪を被せた少女はパムというのか。名前も知らなかったフェラン国の公爵令嬢。

 ゆっくりと肯いた。当然だ。自分は罪人だ。多分、公女の犯した今回の件についてそのすべての責を押し付けられてコーザ公国での貴族位は剥奪、平民に落とされ国外退去は間違いない。その上でフェラン国とシュトーフェル皇国から罪に問われる筈だ。

『…判っています』

 謝罪を伝え、許しを請うことすらできない。それがこんなにも苦しいことなのだと知ったガイはその時、途方に暮れた。


「ところで、ガイ。お前、パムの前に”愛しい”を付けて言われたことにはなにも反論しないんだね?」

 クリスが、母から受けた傷の分の八つ当たりができる場所をガイに見つけたようだ。

 過去を振り返って油断している場合などではなかった。ガイは即否定するべきだったのだ。しかし実際に口から出ていったのは、

「そうですね。自分が、一目だけでもお会いして声をお掛けしたいと、こんなにも焦がれた相手はパメラ様だけですからなぁ」

 愛しいを付けられてもやぶさかではないのだと嘯けば、冗談だと判っているだろうに、ガイの雇い主は盛大に眉を顰めたのだった。

「ガイ、後で話がある。そこで待っていて」

 すぐにでも調査に行くつもりだったガイは、自らの好奇心で自分の首を絞めることになったらしい。

 クリスの言葉に頭を下げて了承すると、もう一度深く皇妃に向かって頭を下げて薔薇の咲く庭園を後にしていった。



「ガイ。それでお前はこれからどうするんだい?」

 後をすぐに追ってきたクリスのその言葉に、ガイは眉を上げた。

「どういうことです、クリストファー様」

 そっと目を伏せてクリスが述懐する。

「私はお前に『いつか必ず私がパムに合わせてあげる。だから私の為に命を懸けて役に立て』そう言った。そしてお前はその目的を今日果たしたはずだ」

 その言葉に、ガイはそっと目を閉じこれまでの7年間を振り返った。

 クリストファーという主は、その見た目からは想像もつかないほど無茶な要求ばかりする扱いにくい主だったと思い返し苦笑いする。

 この7年の間、何度ふざけるな辞めてやると思ったことだろう。

 しかし、公女に仕えていた時のような、どうしようもないやるせない思いだけはしたことがなかった。

 無茶振りしやがってとは思っても、不条理さに苦い思いをすることもなかった。

 それは僥倖であり、困難なミッションを達成した時の喜びとなり、この7年のガイの人生そのものとなっていた。それらすべてが、今のガイを形作っている。

「…クリストファー様は本当に人が悪い。こんな面白そうなことが始まろうとしている時に、俺を爪弾きにしようとなさるとは。いやはや、鬼畜レベルですな。

 俺はこんなところで絶対に抜けたりしませんぜ?」

 ガイにとって重要なのは単なる謝罪ではない。その先、パム様のお役に立ち恩を返す。その機会を逃す訳にはいかない。それだけは絶対だと、ガイは心に誓った。

「ドカフート王国に潜入するつもりです。しばらくはお声を掛けて戴くことはできないと思います。お気をつけて」

 すっと片膝をつき臣下の礼を取る。それを受ける側も平然とそれに頷いた。

「お前も」

 ガイはその言葉に頷いてみせると、廊下の奥へと消えて行った。



 薔薇の咲く庭にクリスが戻った時、そこには2人の女性の楽しそうな会話が聞こえてきた。

「そうなのよ、最近少しだけ背が伸びてしまったでしょう? このまま止まってくれないかと思って、調理長にも相談していたところなの」

 なにか、聞き捨てならない言葉が自分の母の口から洩れたような気がして、クリスはその白くて綺麗な額に手を当てた。

「7年前は少女そのものでしたが、今はぎりぎりですよね。でもそれがまたクリスの恥じらいを生む。これはこれで素晴らしいと思います」

 婚約者の言葉も、なにやら不穏である。クリスの眉間の皺が深くなった。

「随分と仲良くなったようでなによりです、母上、婚約者殿」

 繊細な錬鉄製の猫足テーブルの脇まできたクリスの厭味を、二人は笑顔でいなした。

「うふふ。こんなに綺麗で凛々しい嫁を迎えられるなんて、クリスは幸せね。母である私もとても幸せだわ」

 そう母親が口にすれば

「こんなにも可愛くて綺麗で優秀で嫉妬深い婚約者に求められた私の方が幸運ですよ。そして素敵な義母様を持てることも。とても嬉しく思います」

 騎士服を着てにっこり笑う婚約者がそう返す。

 打てば響くような二人の連携の良さにクリスは眩暈がしたが、それでも気を取り直して席に着き、新しく淹れなおされた紅茶を待つ。

「母上、そろそろご満足されたのでは?」

 クリスが本当に口に出して言いたかったのは「茶番もいい加減終わりにしろ」だが、さすがにそれを直接口にしたらどうなるか、16年もこの女性を母に持っていない。取り返しがつかないほどわざとらしいもっと酷い茶番に付き合わされる羽目になること請け合いだ。

「…パメラは、クリスの体質について何か訊いてるかしら?」

 おもむろに話し出した母親の言葉に喉が詰まる。

「金髪金瞳はシュトーフェル皇国皇族直系の証。でも、虚弱体質の証でもあるの。

 だからこの子の父親は私を妻に望んだわ。

 田舎伯爵家で馬に乗り回し樹にも登るお転婆令嬢として陰で笑い者にされていた私を。生まれてこの方、風邪一つ引いたことがない、健康第一の令嬢として、ね」

 遠い目をして語りだした皇妃の言葉を遮る人はいなかった。

 しかし、とパメラは思う。この儚げな花の妖精を思わせる皇妃が、馬を駆り樹に登るのか。それは確かに”変わり者”扱いされたことだろう。

 そしてそれは、周囲から何を言われても、自分の好きを諦めなかった強い人という事でもある。

「それでも、この子の体質を変えることは叶いませんでした」

 残念そうな悔やむような声にクリスの胸が痛む。

「母上のせいではありません」

 小さな声で否定したけれど、首を横にふるふると振られてしまった。

 そのまま立ち上がり、母として息子の横に立ちその顔にそっと触れる。

 美しい薔薇の咲き乱れる中で交わされるその触れ合いは、まるで絵画の中の母子像だ。慈愛がにじみ出る様なその様子に、たとえ皇妃と皇太子という立場にあっても子供がいくつになっても母にとっては愛しい我が子なのだとパメラは感じた。

 クリスの小さなハート形の顔を、愛おしそうにゆっくりと柔らかくて優しい母の手が撫で擦っていく。それは幼いクリスが寝込む度に、何度も繰り返された仕草だった。

「…幼い頃は、なにをさせてもすぐに熱を出し寝込んでいました。だから色々と諦めさせるばかりでした。周囲も危ないことを取り上げましたし、この子も無理だとすぐ手放しました。

 そんなクリスが、7年前フェラン国から帰ってきた途端、変わったのです。

 多岐に渡って勉強をし知識を蓄え、熱を出してもそれが下がればまた勉強に取り組む。時には身体を鍛える訓練も剣を持つ練習もする。

 そうやって粘り強く一つ一つを自分の物にしていきました。それが誰の影響かなど、聞く必要もなかったの」

 愛おしいものの成長を祝う気持ちと、子供が成長してその手を離れていこうとする切なさと。それらすべてを内包する微笑みで皇妃がクリスを見つめていた。

「毎日、事ある毎に呟かれる『パムはもっと凄い』。その言葉の意味に気が付けない親はいないでしょう」

 クリスをよろしくお願いしますね、そう皇妃がやさしく微笑んだ。

 パメラはその皇妃に向かって、しっかりと肯いてみせた。

「皇妃様の掌中の珠、確かにお受け取り致しました。大切に致します」

 未来の嫁姑が仲良く手を取り合う姿は美しいものだが、クリスとしてはどうしても納得しきれないものがあった。

「それで、母上。なぜこのようなことになったのですか?」

 クリスはびろりとスカートの裾を摘まみ上げ広げて見せる。心底嫌そうな顔をしているのは当たり前といえば当たり前のことだろう。どんなに似合おうともクリストファーは16歳の男子なのだから。

「だって。二人の出会いはこれなんでしょう? 先日だって、学園に女生徒としてクリスは通っていたんだし。パメラの有名な紅いシングルブレスト姿が見たかったんだけど、それは我慢したんだからいいじゃない」

 そこでなぜ儀礼用の騎士服なのかと問い詰めたいところだが、確かにそれはとてもよくパメラに似合っていたので、その姿のパメラが見れたことについては異論はない。

「どうしたのですか、クリス嬢。もう”私の騎士様”と呼んではくれないのですか?」

 婚約者も楽しそうだ。これ以上は文句をいうまい、クリスはこのおかしなお茶会を受け入れることにした。

「本当はね、パメラ嬢にこの騎士服を着て貰って3日後に開く予定の婚約披露会で盛大にお披露目したかったの。それを受け入れて貰う為に、大聖堂での婚約式をフェラン国に譲ったのだけれど。

 陛下に、『パメラが騎士服だと、クリスはドレスになるのか?』と問い詰められてしまって。仕方がないから、このお茶会で我慢することにしたのよ。

 それなのに、陛下からはこのお茶会への参加を『ドレス姿の息子と茶をするのは忍びない』って断られてしまったの」

 ほぅ、と心の底から残念そうなため息を吐きながらとんでもない計画を口にする母に眩暈がする一方で、『父上、ありがとうございます』クリスは人生で一番の感謝を父に捧げた。



「ふぅ。やっと馬鹿な茶番が終わった。もう二度とドレスなんて着るものか」

 大国の皇太子がしなければならない誓いとも思えない言葉を口にするクリスの前に、美しい所作でエスコートを誘う手が伸ばされた。

「クリス嬢、あなたの騎士に最後のエスコートをお許し下さいますか?」

 じとっとした目で見つめ返しそうになったけれど、婚約者が自分を見つめる瞳があまりにも甘くて頬が熱くなった。

 ずるい。

 なんで自分はこんなにも、どんな姿をした婚約者であってもこんなに好きなのだろう。

 愛おしいという気持ちはこんなにも不自由だ。思うままにはならない。

 誘われるままエスコートの手を取る。取ってしまう。

 クリスは自分の手が熱く震えてしまうのを自覚せずにはいられなかった。

「そんな瞳で見つめられると、なんだかいけないことをしているような気がしますね」

 パメラが苦笑しながらクリスの手を自分の腕に絡め歩き出す。

 いけないことだろう。次代の皇帝は女装趣味があるといわれたらクリスは泣いてしまいそうだ。

 似合うからいけないんだとか、いくら言われても受け入れなければいいと言われても、好きな相手に強請られたら断るのは難しい。

「私の心が壊れない程度にしてくれないか、パメラ。お手柔らかに頼むよ」

 自分にこれ以上取る手がないことがクリスは恨めしかった。

「クリス嬢は、今のご自分の姿がお嫌いでしたか?」

「…当たり前じゃないか」

 ぷうと膨れて下を向いた。

「私はもう16歳で、パメラという素晴らしい女性を婚約者に持つ男なんだ。女装して喜ぶ趣味はないよ」

「そうだったんですね、ずっと気が付かなくてごめんなさい。クリス」

 気が付かなかったなんてそんな馬鹿な、と思わずクリスは足が止まってしまった。

 そんなクリスに、「こんな話を立ち話でするのもあれですし。お部屋までお送りします。そこでゆっくりお話ししましょう?」とても紳士的な婚約者が、そう言って移動を促した。


 ばさばさとドレスを剥ぎ取るように脱ぎ捨てる。

 パメラの前だけど、裸になる訳じゃないし、婚約者だし、というかパテーションの向こうの上に侍女もいるから問題はない。

「コルセットなしであの細さですか。世の女性すべてを敵に廻しそうですね」

 シャツとズボンという簡易な服装に着替えてホッとしていた所に、くすくす笑いながらそんなことをいうパメラに、さすがのクリスも悲しくなった。

「…どうせ私は筋肉が付かない」

 もしかして、自分はパメラにとってお人形でしかないのだろうか。

 その考えは、いたくクリスの心を傷つけた。

 着飾って遊ぶ。連れまわして自慢するだけのお人形。

 ──いけない。涙が出そうだ。

 パメラに関することにだけは、クリスはいつも子供のあの頃に戻ってしまう気がした。

 初めて会ったあの頃の、弱いままの自分。

「クリス。そんなに嫌なら、ドレスを受け入れたりしなくて良かったのに」

 思わず感情的な声が出てしまった。

「それをパメラがいうの?!」

 クリスが声を荒げるところなど見たことのないパメラが吃驚しているのは判ったけど、心から零れてしまった感情はなかなか抑えが効かない。

「パメラが喜ぶなら、何でも受け入れたくなるんだ。意に染まなくとも。馬鹿みたいだけど」

 本当に馬鹿みたいだ。受け入れなくてもいいと言われるようなことまでしてみせたなんて。

「…クリス。そんな思い詰めた表情で必死になって愛を紡ぐなんて。

 正式な婚約者になりましたし、少しくらいなら触れてもいいでしょうか」

 クリスにはパメラが何を言っているのか判らなかった。が、黙っている内にパメラが少しずつ近づいてくる。

「…パメラ?」

「クリス。可愛い」

 そっと包み込むように抱きしめられた。いつの間にかさっきまで一緒にいた筈の侍女たちが姿を消している。

 クリスはどうしてこうなったのか判らないままだったが、それでもこうしてパメラの腕の中にいるのはとても幸せで、クリスは自分の頬が緩むのが判った。

 だから、少しでもパメラの近くへ、もっと近くへ行きたくなって。そっと背伸びしてパメラの背中に自らの腕を回した。

「また少し背が伸びましたね。これからどんどん伸びて、いつの日か私よりずっと背が高くなってしまうかもしれませんね」

「うん。そうなるといいな」

 こうやって、背伸びをしなくともパメラと抱き合える、そんな日が早く来るといいのに。

 頬を擦り合わせ体温を知る。お互いの吐息を熱を感じ取る。

 震えているのは自分なのか。それともパメラもなのだろうか。

「嫌なことは嫌だと教えて下さいますか? 私達は7年もの間、片思いのまま過ごしてきました。

 突然あなたが私の前からいなくなってしまった時に、クリスはクリストファー殿下なのだと父から教えて貰ってはいましたし、以来、姿絵を貰って眺めて過ごしてきました。

 それでも私の中にいるクリスは、可愛い容姿と強さを秘めたクリス嬢です。

 でも、今の私はあの2日で知ることのできなかった部分を含めた本当のクリスを知りたいのです」

 そうだ。黙って受け入れるばかりでは駄目なのだ。今の自分をちゃんと判ってもらう努力を私はしなければいけなかったのだろう。

 勿体ない気もしたけれど、少しだけ身体を離してちゃんと伝える努力をしよう。

「女装は嫌いです。でもパメラの男装は好きです。でも無理強いはしません。パメラのドレス姿も大好きです。男装はしてもしなくても構いませんが、ドレス姿は私の為にたまにはして、もっと偶にでもいいのでしっかり着飾った姿で私と出掛けてくれると嬉しいです」

 しっかりとパメラの瞳を見つめながら、ちゃんと心の内が伝わるようにと言葉を重ねた。

「クリスは、自分で女装が嫌いなのに、私の男装は好きなんですか?」

 少し考えてから答える。

「どちらかというと、どちらを着ているパメラも好きです。嫌そうな顔だったり辛そうだったりさえしていなければ私はどちらでもいいのです。でも、どんなパメラも大好きですよ」

 パメラはぶつぶつと、その私の言葉を何度も繰り返した。

 まるで理解できない言葉をなんとか噛み砕いて理解できるよう簡単な言葉に置き換えているようだった。

「クリスは、私のドレス姿を、気持ち悪いと思わないのですか?」

 なんだそれは。有り得ない。

「大好きですよ。婚約式で着て戴いたドレスは、私が自分の資金で一つ一つの素材を集めて、沢山のデザイン画から私が一番パメラに着て欲しいと思ったものを作って貰ったものです。

 だから、それを着たパメラと婚約式を行えて、本当に嬉しかったし感動しました」

 今でも思い出すだけでクリスの心も身体も震えがくる。

 あの時のパメラの神々しいまでの美しさは筆舌に尽くし難いものであった。

「幼い頃から、兄やトリッキーリッキー達から、私のドレス姿は散々揶揄われてきたのです。『女装している』と。

 棒のような身体で手足ばかりが長くて女の子らしさが微塵もなかったので仕方がない事は判っているのです。そしてそれは今もそう変りないのですけれど」

 だんだんと声が小さくなっていくパメラに、そいつらへの怒りが沸き起こる。

 絶対に泣かす。未来の義兄であろうと隣国の王子だろうと容赦はしない。パメラにそんなことを言った奴らに後悔させてやろうとクリスは誓った。

「クリスは本当に、私がドレスを着ていても嫌ではないのですね?」

「むしろ大好きです。私の為に着飾ってくれるなら、もっと嬉しいし幸せだと思います」

 被せ気味に言い切る。

「そうなのですね。判りました。正直、私には似合わないと思っているので恥ずかしいのですが、クリスが喜んでくれるなら頑張れる気がします」

 そこまで言った後、突然「あぁ、これがそうですか」と声高に言った。

「これが、『喜ぶなら、何でも受け入れたくなる』という心境なのですね。

 本当ですね、私もクリスが喜んでくれるならなんでもしたくなりました」

 そんな風に可愛く笑ってくれるから。つい。


 クリスは精一杯背伸びして、パメラの額に唇を寄せた。

 実際には目元にしか届かなかったけれど。


 それでも初めて、クリスから、パメラにくちづけをした。


 その目元と唇、どちらがより甘さを生んだのだろう。

 受けた甘さに、より震えたのはどちらだろうか。

 婚約者達は甘く震えたまま、しばらく抱き締めあっていた。




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