第34話 子供を助けた
「……ふう、ようやく撒いたか」
金髪美女からどうにか逃げ切った俺は、安堵の息を吐いた。
気が付けばもう森の出口だ。
どうやら随分と走り続けていたらしい。
「オオオオオンッ!」
「わああああっ!?」
そのとき獣の咆哮とともに悲鳴が聞こえてきた。
「人が襲われているのか……?」
そう遠くない場所からだ。
俺は地面を蹴って走り出した。
すぐにそれらしき影が見えてくる。
「こ、こっち来るなよっ!」
「オオンッ!」
「ひぃぃぃっ!」
木の棒のようなものを手にした十歳ぐらいの少年が、犬の魔物であるコボルトと対峙していた。
コボルトはせいぜい大人の男ほどの大きさで、冒険者なら討伐するのにさほど苦労はしない弱い魔物だ。
だが小さな身体の子供では太刀打ちできないだろう。
少年は必死に木の棒を振り回して威嚇するが、コボルトの方はまったく動じず、無造作に距離を詰めていく。
このままではコボルトの餌食になってしまう。
俺は木の陰から飛び出すと、コボルトの頭部に蹴りを見舞った。
「ギャンッ!?」
コボルトは遥か彼方まで吹っ飛んでいき、大木の幹に叩きつけられてぐしゃりと潰れた。
……ちゃんと手加減したつもりだったが、まだ足りなかったようだ。
まぁでも蹴った瞬間に頭部が破裂するよりはマシだよな、うん。
「……え?」
少年は何が起こったのかと、目をパチクリさせている。
「だ……ぶ、か?」
大丈夫かと言おうとしたのに失敗した。
おいおい、相手は子供だぞ……何で緊張しているんだよ……。
我ながら情けない限りだが、反省するのは後だ。
今はこの少年と上手くコミュニケーションを取ることに集中しよう。
一言目で躓いてはしまったが、若い女性と比べれば、ずっと気が楽だ。
逆にこれで上手くいかなかったら、もはやどうしようもないな……。
「だいじょう、ぶ……か?」
よし、どうにか言い直せたぞ。
今まで何度も怯えられてきたが、今回は魔物に襲われているところを助けてあげたのだ。
きっと俺が人畜無害な存在だと分かってくれるはず。
俺がドキドキしながら、少年の反応を待っていると、
「へ……」
……へ?
「へ、変態だぁぁぁっ!」
少年が俺の下腹部を指さして叫んだ。
そこで俺はハッとする。
そうだった! 今の俺は全裸なのだった!
アンデッドになったことで、そもそも皮膚の感覚がない。
なので寒さも感じなければ、空気の感触もないのだ。
だから走っている間に、自分が裸であることを忘れてしまっていたらしい。
森の中で動物を狩って毛皮を手に入れるつもりだったのに……っ!
なんという失態!
完全にやらかしてしまった……。
いきなり森の奥から現れた全裸の男。
警戒するには十分すぎる――
「あはははははっ! 変態じゃん! おじちゃん、何で裸なのっ? もしかして裸のまま森の中で暮らしてるのっ?」
……ん?
しかし俺の予想に反して、なぜか少年はケタケタと笑い始めた。
そんなに面白いのか、お腹まで抱えている。
……おじちゃん呼ばわりにはこの際、目を瞑っておこう。
「あー、面白い。ところでおじちゃん、何て名前なの? 僕はレイだよ」
「……じおん」
「え? ジオン? ジオンおじちゃんだね」
少年、レイは無邪気に俺の名前を呼んでくれる。
やった、ついに俺のことが怖くない人に出会うことができたぞ!
子供とはいえ、大きな一歩だ。
「でもおじちゃん、不思議な髪と目をしてるね? あ、そっか……それで虐められて、森の中で暮らしてたんだね……」
レイは大変だったねという顔で俺を見てくる。
全然違うのだが……いや、ある意味、そう違わないかもしれない。
「うちの村に来る? 何にもないところだけど」
「い、いいのか……?」
「もちろん! 僕の命の恩人だしね! あ、でもその恰好じゃみんなびっくりしちゃうかも? ちょっと待ってて!」
そう言って、レイはどこかへ走っていった。
しばらく待っていると、服を抱えて戻ってくる。
「はい、これ着ていいよ! 父ちゃんのだけど!」
どうやら家まで取りに行ってくれたようだ。
なんて良い子なのか。
俺は「あ、ありが……とう……」とぼそぼそ礼を言ってから、その厚意に甘えて服を借りることにした。
「どう、サイズ? あ、ぴったりだね!」
よし、これで変態に間違えられる心配はなくなったぞ。
しかし果たして、村に行っても大丈夫だろうか。
レイはまだ子供だ。
だから俺を怖がらなかっただけで、大人が快く迎え入れてくれるとは限らない。
「じゃあ行こう! こっちだよ!」
レイに手を引っ張られ、俺は森を出た。
そこから少し行くと小さな村に辿り着く。
その割にしっかりした壁に囲まれているな。
森から近い場所なので、これくらいの防壁は必須なのだろう。
ただ、あちこち崩れかけていて、随分と年季が入っているようだ。
「ここが僕の村だよ! 何にもないでしょ!」
家屋は全部で三十軒ほど。
こんなことを言っては失礼かもしれないが、どれもみすぼらしい。
「こら、レイ! また村の外に出ていたのかい! 危険だからダメだって言ってるだろう!」
「うわっ、父ちゃん!」
怒鳴りながらこっちにやってきたのは、どうやらレイの父親らしかった。
「だって、村の中は狭くてつまんないんだもん!」
「死にたいのか、お前は! 今はコボルトの群れが近くにいるんだ! 襲われたらどうする!」
「これで倒すから大丈夫!」
「そんな棒切れでコボルトが倒せるか!」
実際、コボルトに襲われて死にかけていたもんな……。
どうやらレイは親の言うことを聞かないヤンチャ坊主のようだ。
「ん? 誰だ、そいつは? って、俺の服を着てないか? まさか、泥棒……」
「ち、違うよ、父ちゃん! えっと……助けてくれたお礼というか……」
急に歯切れが悪くなるレイ。
さすが父親と言うべきか、その様子にすぐにピンときたようで、
「お前、やっぱりコボルトに襲われたなっ! だから言っただろう!」
「ひえっ、ご、ごめんよ、父ちゃん……っ!」
父親から雷を落とされ、レイは涙目で謝る。
……なんだか昔の俺を思い出すな。
俺も小さい頃、勝手に村の外に出てよく親に怒られていたっけ。
そんなことを考えていると、
「ええと、すいません。どうやら息子を助けていただいたようで」
「……いっ、え」
急に話しかけられるとびっくりするよね……。
「実は最近、村の周辺にコボルトの村が発見されまして。冒険者ギルドに依頼を出してはいるのですが、何分こんな辺境の村ですので、なかなか派遣されてこないのです」
レイの父親は事情を説明してくれる。
俺のことを少しは警戒してるようだが、息子を助けてあげたからか、特に怖がっている様子はない。
そこへ騒ぎを聞きつけたのか、村人が何人か集まってくる。
彼らも見慣れない白髪と赤い目に驚きはしたものの、
「ともかく無事でよかったな」
「レイには困ったものだ」
「いやいや、子供の頃はあんなものだよ」
「それにしてもあの兄ちゃん、変わった髪と目だねぇ」
こ、これはもしかして絶好のコミュニケーションチャンスでは……?
怯えられたりいきなり攻撃されたりしないなんて、初めてのことではないだろうか。
よし、今こそ勇気を振り絞るんだ。
と決意した、まさにそのときだった。
「た、大変だっ! 村の防壁が……っ! 村の防壁が壊されたぞっ!」
「「「何だって!?」」」
血相を変えて駆けてきた村人の叫び声に、誰もが愕然とする。
「ワオオオオオンッ!」
「きゃあああっ!」
直後、獣が吠える声と悲鳴が聞こえてきた。
「え、エルダーコボルトだっ! コボルトの上位種が、群れを引き連れて村を襲いに来たんだ……っ! それで防壁を壊しやがった……っ!」
「くそっ、こうなったら戦うしかないっ! レイ! お前は家の中に隠れてろ!」
レイの父親はそう告げて、悲鳴がする方へと走っていく。
せっかく会話する絶好の機会だったのに……。
いや、むしろこれは更なるチャンスでは?
ここでコボルトの群れを倒すのに貢献すれば、村人たちからもっと感謝され、信頼を勝ち取ることができるかもしれない。
「ぼ、僕も戦う!」
そう叫び、勇ましく走り出そうとしたレイの腕を、俺は掴んだ。
「おじちゃんっ? 何するんだっ、放してよ! 僕も戦うんだ!」
「……」
「え? おじちゃんに任せろって?」
俺は力強く頷いてから、レイを残して地面を蹴った。
「は、速っ!?」
そして時に家を飛び越えながら、好戦音のする方へと一直線。
すぐにコボルトの群れと戦う村人たちが見えてきた。





