第19話 自称乙女だった
「テメェ今なんつったアアアアアアアアアアッ!?」
巨漢アンデッドがブチ切れた。
床を蹴るたびに抜けてしまいそうなほどの凄まじい音を響かせ、こちらへ躍りかかってくる。
さすがの俺も恐怖を覚えた。
なにせ化粧をした大男が、オーガのごとき形相で突進してくるのである。
だが巨漢アンデッドは俺のすぐ目の前でぴたりと停止した。
「……うふふ、やだ、アタシったら。つい汚い言葉を使っちゃったわぁ」
そして何やら反省を始めた。
「アタシは美を追求する乙女。どんなときもお淑やかさを忘れてはならないのよ」
自分に言い聞かせるように呟き、うんうんと頷いている。
しかし俺には、美とかお淑やかさとか、目の前の巨漢とはかけ離れた言葉だとしか思えない。
「まぁそれはそれとして、乙女を侮辱したアナタにはお仕置きが必要ねぇ? って、あらん?」
何かに気づいたのか、巨漢アンデッドは俺をまじまじと見て、それからクンクンと鼻を鳴らした。
「もしかして、アナタもアンデッド? あら、それじゃあ、ジャン様の眷属かしら? 残念ねぇ、それじゃあ、アタシのダーリンコレクションに加えられないじゃない」
――ジャン。
どうやらいきなり当たりのようだ。
この巨漢も、ジャンとかいう死霊術師の手下らしい。
ていうか、ダーリンコレクションって何だ?
「いや、俺はそのジャンとかいう奴とは無関係だ」
「あら? そうなの? うふふ、それならダーリンにできちゃうわね♡」
がしっ。
次の瞬間、俺は巨漢アンデッドに両肩を掴まれていた。
「うふふふっ、大丈夫、心配しないで! このアタシの愛のキッスを受ければ、どんな子もアタシにメロメロになって、従順なダーリンになっちゃうんだからっ! ん~~」
これでもかというくらい赤い口紅が塗りたくられた唇が、デカい顔とともに近づいてくる。
お、悍ましいにも程がある……。
俺は思わずその顎を蹴り上げていた。
バァンッ!
「ぶっ!?」
まともに俺の蹴りを浴びた巨漢アンデッドの顎が弾け飛び、さらには巨体が吹き飛んで、十メートル以上先の壁に思い切り激突した。
「あ、あが……あが……」
普通の人間なら今ので死んでいてもおかしくないが、相手もアンデッドだ。
壁が崩れた瓦礫の中から這い出してくる。
それでも顎を粉砕されたからか、まともに言葉を発することができないようだ。
「な、なん、あの、よ……アンタ……?」
その顎も信じられない速度で再生していく。
やはりこの巨漢も高い再生能力を有しているらしい。
「っ……アタシのメイクが……っ!? 許せない、許さないわぁぁぁっ!」
どこからともなく取り出した鏡で自分の顔を見て、憤怒の絶叫を上げた。
怒るところはそこかよ……。
「ぶち犯すッ! テメェは絶対にぶち犯してやるッ!」
「……ん?」
そのときなぜか身体が少しだけ重くなった気がした。
「何だ、これは……?」
「うふふふっ! 逃げようとしても無駄よぉっ! アナタはすでに、檻の中に捕らわれた、お、う、じ、さ、ま♡ アタシとこれから楽しいこといっぱい――」
「よいしょ」
構わず強引に身体を動かしてみる。
すると、ぶちぶちぶちっ、と何かが千切れるような感覚があって、それから身体の重みが消失した。
「――は?」
◇ ◇ ◇
アタシの名はブローディア=アンソリュード。
ジャン=ディアゴ様の忠実な眷属にして、九死将の一人よぉ。
生前のアタシは世界最強の格闘技と名高い〝鬼殺拳〟を若くして修め、向かうところ敵なしの格闘家だったわ。
ついには世界中から猛者ばかりが集う格闘技の世界大会で、優勝してしまったの。
だけどそうして格闘家として頂点を極めたとき、アタシは気づいてしまった。
違う、アタシの心が本当に求めているのはこれじゃない、って。
アタシが一番欲しかったのは――そう、美よ。
そのことに気づいたアタシは、それから自分磨きに奮闘したわ。
化粧をして、お洒落をして、乙女として相応しい振舞を身に付けて。
でも、その志半ばで。
かつて格闘技で打倒した相手の闇討ちを受け、アタシは死んでしまった。
そんなアタシをアンデッドとして蘇らせてくれたのがジャン様だったの。
ジャン様はお顔が美しいだけじゃない。
その驚くべき術によって、アタシに永遠を与えてくれたわ。
決して死ぬことがなければ、老いることもない。
いつまでもずっと若く美しい姿を保ち続けることができる。
なんて素晴らしいのかしら。
ああ、ジャン様、誰よりも愛しているわ。
……何度かアプローチしているんだけれど、なかなか靡いてくれないのよね。
でもアタシは絶対に諦めないわ!
いつかきっとジャン様を振り向かせ、そして……うふふふふふっ♡
それはともかく。
アタシはジャン様の命令に従い、この街に来たわ。
素敵なダーリンたちをたくさん作って、さらなる美を追求して、毎日を謳歌しているの。
もちろんジャン様に命じられたお仕事だって忘れてないわ。
あ、そう言えばつい昨日、ジャン様から気になる連絡があったわね。
なんでも九死将の一人、ソウちゃんがやられたんだって。
どうやら霊体ごと消滅させられちゃったみたいで、さすがのジャン様でも、もう二度と復活させることはできないみたい。
結構アタシのタイプだったのに、残念ねぇ……こんなことなら無理やりでも一度ヤっておくべきだったかしら?
恐らく聖騎士たちの仕業だろうから気を付けろ、って。
ま、アタシなら返り討ちにしちゃうけれど。
もしアタシがソウの仇を取ったら、ジャン様が惚れ直してくれるかも……?
うふふふふっ、むしろぜひアタシのところに来てほしいわぁっ!
な、な、な、何なのよ、こいつはぁっ?
アタシは今、大いに戸惑っているわ。
突然、現れた白髪の青年。
この美の結晶とも言うべきアタシを指して、あろうことか「気持ち悪い」などとのたまった愚かなアンデッド。
きっと目が腐っているに違いないけれど、そんなことより信じがたいのは、このアタシを蹴り一発で吹き飛ばしたことよ。
油断していたとはいえ、格闘技を極めたこのアタシが、まさかこんなにいい一撃をもらってしまうなんて。
しかも、顎が粉砕してしまうほどの威力。
こんな相手、生前でも戦ったことなんてないかもしれない。
って、今のでアタシのメイクがぁぁぁっ!?
一時間以上かけてばっちり決めたっていうのに!
「ぶち犯すッ! テメェは絶対にぶち犯してやるッ!」
アタシはつい汚い言葉でそう叫ぶと、〝美愛拳〟――鬼殺拳だと可愛くないから名前を変えたの――の極意を発動したわ。
それは糸のように周囲に張り巡らした見えない闘気を使い、相手の身体をアタシの思い通りに操るというもの。
実を言うと、この屋敷で囲っているダーリンたちはすべて、この闘気の糸でアタシが意のままに動かしているの。
だから逃げることも助けを呼ぶこともできないわ。
その闘気の糸を、アタシは白髪のアンデッドへ集中させた。
もはや一切の身動きも取れないはずよ。
うふふ、さしずめあなたは魔王に捕らわれた檻の中の王子様。
え? そこは普通、お姫様だって?
違うわ、だってお姫様はアタシだもの!
さあ、可愛い可愛い王子様……今からアタシの愛情をたぁっぷり身体の中に注ぎ込んで、あ、げ、る♡
――ぶちぶちぶちっ。
「……は?」
思わず乙女らしからぬ声を出してしまったわ。
だってこの白髪、いとも簡単に闘気の糸を引き千切ってしまったんだもの。
今の闘気の糸は、オークキングですら身動きを取れなくなるほどのものだったのよ!?
それを平然と!? 冗談じゃないわ!
「ファイアボール」
アタシが驚愕していると、白髪はいきなり魔法を放ってきた。
ファイアボール!?
これのどこがファイアボールなのよ!?
「ぐぬぅっ!」
アタシはそれを必死に回避。
せっかくのドレスを燃やされたら堪らないものね!
さらに飛んできた火の粉を、アタシは露出した腕で振り払う。
だって、身体は幾らダメージを負っても修復するもの――
「――え?」
信じられないことに、アタシの腕にできてしまった火傷は、いつまで経っても再生していかなかった。