後編:約束は灰と共に
城の前に到着するとシンデレラは迷うことなくパーティーの会場へと向かう。夜だというのにシンデレラを追い掛けるように外を飛ぶ小鳥がピピピと鳴いて道を教えてくれるのです。
目的地に近付くにつれて賑やかな音が大きくなっていきます。そして遂に会場の扉の前へ辿り着いたのです
扉の守衛がシンデレラの姿を見ると、目を奪われ立ち尽くしてしまいます。そんな彼等へシンデレラは「入っても宜しいかしら」と尋ねるとようやく正気に返り、扉を開きます。
スッと会場へ足を踏み入れたシンデレラを目で追いながら守衛達はお喋りをします。
「やー、あれはいったい何処のお姫様だ?」
「あんなに綺麗な人は見たことがない」
そんな会話が有ったなど知りもせずシンデレラは大勢の人が踊り、笑い、楽しむ、パーティーへ混じります。
―――パーティーに姿を現わしたシンデレラはたちまち注目の的になりました。
見目の麗しさは当然、その一挙手一投足が身に纏う素晴らしい衣服の魅力を引き立て、更に自分自身をより一層美しく見せる。
シンデレラはこの場に居るどんな女性よりも輝いていました。
―――そのシンデレラの姿が王子様の目に留まります。
「なんと美しい。どうかこの僕に貴女の名を」
ダンスを求める差し出された手と共に名を尋ねられたシンデレラは、少し考えてから茶目っ気と共に口を開く。
「今はシンデレラとお呼びください王子様」
「それはどういう意味か」
「お忍びで来たの私。だから秘密なのです」
「その秘密、是非知りたい。……さあ、僕と踊ってくれるかシンデレラ」
「喜んで」
そうして踊り始める王子様とシンデレラ。2人はパーティーの中心になります。誰もが彼等2人の姿を目で追ってしまいます。
――――――
勿論、その光景を見ていたのはシンデレラよりも先に会場に来ていた継母や義姉達の姿も有りました。
上の義姉はダンスの相手をしていた男がシンデレラに見惚れて足を止めてしまったのを見て怒ります。
「何をしているの。止まってたら危ないでしょう。さっさと動きなさい」
そうして上の義姉は淑女らしからぬ命令で滞り掛けていた踊りの流れを周囲ごと動かします。そうして王子様とシンデレラは誰にもぶつかることはありませんでした。
下の義姉は演奏団達がシンデレラに見惚れて曲調を乱したのを耳にして怒ります。
「つまらない演奏。折角の情調を小娘一人で乱さないで」
そうして下の義姉は調子を乱していた演奏団達に嫌みをぶつけて仕切り直させます。そうして会場には再び格調高い曲が壮麗に奏でられます。
―――そして継母は。
「…………」
壁際で静かに王子とシンデレラの踊りを目に映していました。その時の彼女が何を思い考えていたのか、誰にもわかりませんでした。
◆◆◆
シンデレラの登場でパーティーの盛り上がりが最高潮に達した時です。
ゴーン……ゴーン……と、鐘の音が響いていきます。
「この音は」
迫る12時を告げる鐘の音が始まりました。2回王子様と踊り、1回だけ別の者と踊り、そうして三度王子様がシンデレラを誘いに来た時でした。
「帰らなくては」
シンデレラは焦ります。魔法が解けてしまえば自分の姿は見窄らしい小娘に戻ってしまうのを知っているからです。
急いでお城を後にしようとするシンデレラ。
しかしそれを見た王子様がシンデレラを引き留めようとします。僅かな時間の語らいでしたが王子様はすっかりシンデレラのことが好きになっていたのです。
「待ってくれシンデレラ。もう少し、今少しだけ僕と共に」
「いけません王子様。私は帰らなければなりません」
シンデレラは名残惜しそうにドレスの裾を上げると足早に駆けていきます。幼少の頃はお転婆を通り越して悪童。そして継母や義姉達からの虐めによって体力は人一倍有ったシンデレラは麗しい姫のような見た目に反して誰よりも疾く走ります。それは魔法が掛かったガラスの靴による恩恵も有りました。動かす脚が羽のように軽い。
「守衛、その貴婦人を止めよ」
王子様の命令により扉前に居た守衛はシンデレラの行く手を塞ごうとします
――――――しかしシンデレラは捕まりません。
守衛達が伸ばした手はシンデレラのドレスに触れると、摩訶不思議、なんと体ごと擦り抜けてしまいました。触ることが出来なければ捕まえることは出来ません。
「さようなら皆様。さようなら王子様。今宵のパーティー、とても楽しかったわ」
シンデレラは追手を振り切ると、狙い澄ましたかのように目の前へ出てきた魔法の馬車へ飛び乗ります。
御者が手綱を振ると白馬が「ニャオーン」と嘶き、どんな馬よりも軽快に走り出します。
この日、パーティーの注目を一身に集めていた女性はこうして颯爽と夜の町へと姿を消した。
―――12時を告げる鐘が……鳴り止む。
「……シンデレラ……」
残された王子様は馬車が走り去った跡で立ち尽くします。―――しかし、そこにある物が落ちていることに気が付きます。王子様はそれを拾って何か確かめます。
「……これは……なんでこんな物が?」
王子様が拾った物、それは灰でした。
麗しきシンデレラ。素晴らしいドレスに透き通るガラスの靴。見事な馬車に逞しい白馬。……そんな輝かしいものがつい先程まで有った場にそぐわない、灰の一山。
握り拳ひとつ分の灰の山、普通に見ればただの塵。……しかし王子様はそれを無視出来ませんでした。
王子様は灰をひとつまみ取り、指先に付いた僅かな灰を払って風に乗せます。
すると不思議なことが起きました。
―――ひゅうっと……真っ白な灰が飛んでいく。シンデレラが馬車へ乗って走り去った方向へ飛んでいくではありませんか。向かい風に逆らい、真っ直ぐ。真っ直ぐに。
「……灰よ。私をあの娘の居る場所まで導いてくれているのか」
王子様は城へと踵を返します。もう夜も深い。これから人を追うには色々と問題が多い。そう考えた王子様はシンデレラを追い掛けるのは日を改めてからに決めました。
―――そうして王子様は城へと帰りました。魔法使いさえ知り得なかった残されし灰を持って。
◆◆◆
明けて翌日。
シンデレラの機嫌は大層良かった。いつも通り暖炉の傍で起床すると元気良く朝の支度を始めます。
「昨夜のパーティー。本当に楽しかった。ドレスも馬車も靴も綺麗で。王子様も優しくて素敵で。夢のようだったわ」
昨夜、逃げるように城を後にしたシンデレラ。我が家に到着すると同時に魔法が解け、見窄らしい姿に戻り、そのまま家事が終わっている屋敷の中を走り抜けて床に着いた。
胸が弾む気持ちのまま眠りに付いたシンデレラはぐっすりと朝まで熟睡した。
「そういえばお父様はまだなのかしら。随分ゆっくりね」
シンデレラはしんと静まりかえっている屋敷の中を歩く。もう朝の家事も終え、食事も済ませてしまいました。
太陽も中天に差し掛かりいい時間になっています。シンデレラは父が今日も向こうで泊まるのかと考え始めた時でした。
玄関の扉が開かれる音が響き、シンデレラの耳に届きました。
「帰ってきたみたい」
シンデレラはたった今帰ってきたらしい『たった1人の家族』を出迎える為に玄関へ向かいます。その足取りはとても軽やかです。
「不思議。今朝からとっても良い気分。頭の中が軽くなったみたい」
シンデレラはご機嫌なまま。玄関へ向かいます。
「そういえば何で私って暖炉の傍で寝ているのかしら? 部屋なら余っているのに、変なの。家事やお庭の手入れの仕方だってどうしてお勉強し始めたのかしら? ―――なんでも良いわ。だって今、私。とっても良い気分なんだもの」
何を忘れてしまったのか。それさえも忘れてしまったシンデレラは遂に玄関のある広間へ辿り着きます。
「―――え?」
そしてシンデレラは玄関に立つ者達を見て驚愕の声をもらします。
「今帰ったぞ。丁度良かった我が娘よ、お前に客人が来ている」
そこには父と、そして―――
「見付けた。愛しのシンデレラ」
「王子様」
王子様が居たのです。付き人や護衛を引き連れ、シンデレラの父と共に現れたのです。
シンデレラは思い掛けない人物の登場に言葉が上手く出せなくなります。完全に追手を撒いたと思ったのに、どうしてこの家に辿り着いたのか。
呆気に取られ二の句が継げないシンデレラの代わりに、父がどうして王子様がここに居るのかの理由を語ります。
「いや、私も直前までは家に用が有るとは思いもしなかった。王子様も目的地が何処なのかはっきりと知ってはいなかったようでね。こうして家の前に来てようやく互いの目的地が同じだったのだとわかったのさ」
父と王子様が共に居るのは偶然。それはわかったがシンデレラにはまだ腑に落ちないことがある。どうやって王子様はシンデレラが居る場所を知り得たのかということだ。
「僕は灰に導かれてここまで来た」
「まあ。この灰は」
王子様が手に乗せて見せてきた物。それは灰。シンデレラの体に付く灰とよく似た物でした。その灰はどんな場所から落とそうと風に逆らい必ずシンデレラの居る場所まで飛んできたのです。
飛ぶ灰を追い掛け王子様は遂にここに辿り着いたのです。
王子様はシンデレラの手を取ると真面目な顔で言います。
「シンデレラ。どうか僕と結婚してくれないか。君は僕の妃になるんだ」
「私が……妃……」
情熱的な求婚。そして自分が王子様の妻となると言われたシンデレラは驚きと喜びで顔をリンゴのように赤くします。
王子と結婚。それはとても幸福なこと。自分の将来が華々しい物になると約束されたような物。シンデレラは天にも昇るような心地になりました。
「こんな私で良いのなら―――」
そしてシンデレラは王子様の求婚を受け入れようとした時―――ざらりと、王子様の手の平に残る灰が肌を撫で……はたと気が付きます。
「……待って。……ねえ、お父様」
シンデレラは王子様から父へ視線を移すと声を掛けます。そしてたった今気が付いたことを尋ねます。
「……お、お義母様。それに……義姉様達は……何処?」
継母と義姉達。その姿が見えなかったのです。
ああ、どうして今の今まで共に住んでいた家族のことを忘れていたのか。シンデレラにはそれが不思議でなりません。
父がこうして帰ってきたのなら継母達も帰ってなくてはおかしいのです。だからシンデレラはそれを父に問い掛けます。
―――そしてシンデレラは……父が返した答えを聞いて言葉を失うことになります。
「義母? 義姉? お前にそんな者はいない。私の妻は数年前に亡くなったお前の母だけ。再婚する予定も無ければ、勿論お前に姉妹など居ようはずもない」
「――――――」
想像だにしなかった答え。シンデレラの頭の中は真っ白になります。
「―――……ぁあ……そんな……」
そしてシンデレラは更に思い出してしまいます。
屋敷から無くなっていたことを。
シンデレラとその父以外の……3人の人物がこれまでこの屋敷で生活していた痕跡が。何一つ残らず。
「―――シンデレラ。何処へ行く」
王子様の手を擦り抜けてシンデレラは走り出す。
「私、人を、探さなければ」
そのまま屋敷から出て行こうとするシンデレラ……しかし、今はもう魔法のドレスもガラスの靴も無い彼女は簡単に王子様に肩を掴まれて引き留められてしまいます。
「人を探す? それはいったい誰だ」
「それは……」
「シンデレラ。どうか教えて欲しい。もし探す相手が意中の男であると言うなら……とても悔しいが引き留めはしまい。潔く身を退こう。……だからせめて教えて欲しい。君が探す人のことを」
優しい王子様。強く、真っ直ぐで、誠実な人。
だからシンデレラは正直に答えます。見窄らしい自分の姿を見ても眉一つ動かさず求婚してくれた、愛しい王子様へ。
「家族。私の家族です探し人は」
「家族。しかし父君は他に居ないと言っていた」
「居るのです。居るのです家族が」
「……そうか」
シンデレラの肩から手が離されます。自由の身となったシンデレラはこれでいつでも発てます。
しかしあれだけの返答で王子様が手を離してくれた理由がわからず、シンデレラは首を傾げて王子様を見ます。
「行くと良い、シンデレラ。君の家族と言うなら、僕にとってもその方達は大切な者だ」
「王子様」
「ところで探す当ては? 何処に居るか知っているのか?」
「……実は知らないの。全然。一緒に住み始める前まで、何処で何をしていたのか、何も」
「なるほど」
探す前から途方に暮れ始めたシンデレラ。そんな彼女に王子様はある物を差し出します。
「これは」
「君があの夜、残していった灰だ。私はこれが導くままに従い、再び君に出会えた。……もしかすればこの灰は君も導いてくれるかもしれない」
王子様が差し出す灰の一握り。シンデレラはそれを受け取ります。
「さあシンデレラ。他に僕が手伝えることはあるか」
王子様は優しくシンデレラを見詰めます。その眼差しはよく似ていました。父と、今は亡き母に。シンデレラを見守っている時に見せた目にそっくりで……そして、その目をシンデレラは他でも見たことが有ります。
「……王子様。では待っていてくれますか。求婚の答えを直ぐに返さなかった無礼な私を。……そんな私が家族を連れて戻ってくるのを……待っていてくれますか?」
「待とう。いつまでも」
「ありがとうございます」
シンデレラは王子様へ頭を下げると、外へと駆け出します。
手に握る灰。それに息を吹きかけ宙に舞わせます。
「灰よ、どうか私を導いて。家族の元へ―――私のもう1人の母と、姉様達の元へ」
宙に舞う灰はシンデレラの思いに応えるように真っ直ぐ飛んでいきます。シンデレラはそれを追い掛けます。何処までも。何処までも。
道を駆け、街を巡り、街門を出ても。シンデレラは走り続けました。そして―――
◆◆◆
『名前を付けて欲しい? 私が貴女の子にですか?』
女性はフードの下で眉を顰めながらそう言う。
『ええ、そうよ』
揺り椅子に腰掛けたお腹の大きな友人は笑って答える。
『他の者に頼めば良いじゃないですか。私など縁起が悪い』
『関係無いわ。私が、大好きな貴女に付けて欲しいの』
『……ろくでもない者に成長しても知りませんよ』
『その時は私と一緒に正しましょう、この子のこと』
どれだけ言葉を重ねても友人の考えが変わらないと理解した女性は諦めます。
『……わかりました。付けましょう。他でもない貴女の頼みなのだから』
『そんなに重く考えなくていいのよ』
『それは無理な相談です』
女性は手に持った杖の先端で友人の額に優しく触れる。これは女性がよくする呪いの一つ。心を安らかにし、迷いを晴らす。
『……今の私が悪い魔女ではなく、人の為にあれる魔法使いになれたのは……貴女のお蔭』
家の外。庭から小さな女の子の声が聞こえます。それは2人分の声。姉妹が遊んでいます。
女性……魔法使いはその声を耳にしながらローブを取り払う。
『こうして伴侶との間に子を授かり、人並みの幸せを手にできたのも……全て貴女があの時私の手を引いてくれたから』
魔法使いは杖を下ろしその場で膝を着くと友人のお腹へ手を添える。
『……女の子のようですね。……決めました。この子の名前は―――』
◆◆◆
「―――ママ」
「……ん……」
呼び掛けられた女性は目を覚ます。目の前には2人居る我が子の内、姉の方が居ました。
「ママがお昼寝するなんて珍しいわね」
「……そうですね。疲れが溜まっていたのかもしれません」
「そうよね。大変だったわよね。お城もパーティーも、最近まで住んでた大きな屋敷も、とても綺麗で凄かったけど……やっぱりこの狭苦しい我が家が一番よね」
「狭苦しいとはなんですか。亡き夫が残してくれた素晴らしい家です」
「オー。駄目とは言ってないけどね」
女性。エラの継母は上の娘が肩を竦めているのを無視して周囲を見渡します。
そこは見慣れた我が家。
森の中の小さな家。
今日、ここへ帰ってきた。
―――全て無かったことにして。
「……それで……何か、あったのですか?」
継母は揺り椅子から身を起こす。そして上の娘に問い掛ける。こうしてわざわざ声を掛けて起こしたからには理由が有ると考えたからです。
「そう。そうなのママ。妹が玄関でこれを見付けたのよ」
「…………」
継母は上の娘からそれを受け取ります。
手の上にあるそれは―――灰でした。
「暖炉の灰を捨てる時に汚したのかなって思ったのだけど……違うのよね? 今朝は無かったし」
「そうですね。これは薪の灰ではありません」
継母は棚から真新しい瓶を取り出すとその灰を溢さぬよう丁寧に収める。
「これは遺灰です」
「え。なんでそんな物が……」
遺灰とは、火葬した後に遺る灰。
つまりこの灰は……亡くなった誰かの物であるということ。
「これは私の友人の物です」
「……それって……」
上の娘はそれでこの灰が誰の物かを察します。母が友と呼ぶ相手は一人しか知りません。昔、まだ自分が幼かった時にこの家に遊びに来ていた女性。―――そして母はその友人のお腹に宿る子へ名を付けた。
継母は目を細め瓶を見詰める。
「……あの時、エラに全部使ってしまった筈なのに……どうして?」
取り出した杖で瓶を撫でるように触れる。
―――その時、家の扉が開かれます。そこに立っていたのは継母のもう1人の娘。妹の方でした。
「マミー。人避けの魔法を誰かが越えてきたわ。真っ直ぐこっちに走ってくる」
その報告を聞いた継母は杖を下ろし、目を瞑って顔を上げます。
「……そう。……貴女……亡くなってからも……灰になっても……」
瞼の裏に在りし日の光景が甦る。友人が生きていた日々。そして―――亡くなってからの今日までの日々を。
継母は目を開き、眦を指で拭ってから口を開きます。
「……約束……してましたね、そういえば」
継母は娘2人を家に入れ、そして言い付けます。
「出迎えの準備をしましょうか。あの子を出迎える準備を」
それを聞いた娘達は顔を見合わせると……パァと花が咲くように笑った。
◆◆◆
全部。全部わかった。思い出したの。
私の心に潜んでた悪魔。それを追い払ってくれたのは貴女なんでしょう?
乾き、穢れ、澱んでいた私。それをこの灰によって変えてくれた。
そして長い時間を掛けて、乾いた大地に肥沃を取り戻すように。私に実りを与えてくれた。そんな私だから、貴女達が育んでくれた私だから、王子様は見初めてくれた。
「―――約束。そう、約束なの」
息が切れる。でも足は止まらない。苦痛も無い。
街を出て、野原を越えて、木々を分け入り、森を駆け、私は灰を追い掛け続ける。
「たくさん、もっとたくさん。貴女とお話しがしたいの」
灰を追い掛け―――……違う。
私は灰に手を引かれ走る。
―――そして唐突に。 森を抜けた。
本の頁を捲ったように。今まで走っていた森の風景が一変する。
森の中にぽつんとある開けた場所。
庭園のような場所、その中心に有る小さな家。
私は辿り着いた。
―――そこで灰が消える。一粒残らず。私が頭から足先まで被っていた灰と共に。
まるでこれまで掛けられていた魔法が全て解けたように。
手を引いてくれていた物が無くなり、足がもつれそうになる。それでも私は倒れなかった。何故なら―――
『行ってらっしゃい……エラ』
灰が消えてしまった瞬間……最後に誰かが背を押してくれたから。
私をここまで導いてくれた灰。その正体なんて考えるまでも無い。
「行ってきます。―――お母様」
そして私は玄関の扉に手を掛け―――
「ただいま! お母さん! 姉さん達!」
――――――
―――――
――――
―――
王子様と結婚したシンデレラ……エラ。彼女は末永く幸せになりました。
家族の愛に包まれて。エラのことが大好きな皆と共に、いつまでも。いつまでも幸せに。
―――
――――
―――――
――――――
『―――この子の名前はエラ。エラです』
『エラ。妖精の女王様の名前。とっても良い名前ね』
友人は自らのお腹に手を当てる。魔法使いが添えていた手ごと、包むように。
『ほーら、エラ。私の可愛い子。元気に生まれて、そしてたくさん幸せになってね』
『……私も。出来うる限り、手を貸しましょう』
『ありがとう。―――名付け親は実の親ぐらい子供にとって大事な存在。それが貴女なのがとっても嬉しいわ』
『……まさか私にもう1人娘が出来るとは……』
そう言った魔法使いの手が友人に強く握られる。
『貴女も』
『え?』
友人は微笑む。とても綺麗に。
『貴女も、幸せになってね』
『…………』
『貴女って偽悪的だから、いっつも損なことしようとするじゃない。それじゃ駄目よ』
『……それは……』
『はい約束ね』
そうして友人は強引に約束を結びました。
『たとえ灰になっても、私はこの約束を果たします。はい繰り返して』
『……火葬は咎人を葬る方法ですよ?』
『良いの。灰になっても土に還れると教えてくれたのは貴女でしょ? それに私って体が弱いし魔法使いでもないから貴女よりうんと早く死んじゃうわ。だから咎人でも良いの』
『…………』
俯いてしまった魔法使い。その憂いに満ちた彼女の頭を友人は撫でます。
『灰になっても、私はエラと貴女の幸せを願います。……魔法使いさん、このお願い、叶えてね』
『……わかりました』
顔を上げた魔法使い。そこには毅然とした表情が戻っていました。
『たとえ灰になっても、私はこの約束を果たしましょう』
『……ありがとう、優しい魔法使いさん』
“エラ。どうか幸せになってね。貴女を大切に思っている人達に囲まれて。―――どうか皆が貴女の幸福を祝福してくれますように、母達はずっと願っています”
“灰になっても、灰から生まれ変わっても、ずっとずっと……”