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上編:シンデレラと意地悪な継母と義姉達

 ある所にエラという少女が居ました。

 エラはたいそう意地の悪い娘で、他者が傷付き苦しむ姿を見るのが好きという悪童でした。


 庭に毒を撒き、綺麗な花や整えられた草木を枯らす。

 近所の家が飼っている犬の首輪を小さい物にすり替え苦しめる。

 幼子を連れ去り迷子にさせ、狂言でその親を惑わせる。

 扉の把手(とって)に松ヤニを塗り、握った者の手を離せなくする。


 ……これら以外にも様々な、時には血を見るような悪戯さえエラは行っていました。エラの家は裕福で父と母は善良でした。だから父と母はエラのその気質をとてもおそれ、心配していました。


 エラの母は我が子の悪辣な行いに日々胸を痛めていました。エラの父はそんな妻の様子を憐れに思っていました。そして両親は様々な躾で娘を真っ当にしようと頑張りました。


 ―――しかし両親のそんな努力とは裏腹に、エラの振る舞いは落ち着くことはなく、より凶悪になってきた。


 同年代の子にドブから(さら)った汚水をコーヒーだと言って飲ませようとする。

 衰弱していた猫を鼠の群れに放り込み、猫の方が鼠に食われる様子を眺めて楽しそうにする。

 事故で人の足の指を折ってしまっても「小さな靴の似合う美人になれたわね」と嘯き謝罪しない。

 子供同士の喧嘩で裁縫鋏を持ち出し、笑いながら相手の腕に容赦無く突き立て流血沙汰にする。


 エラのむごたらしさは留まることを知りませんでした。父と母の心配はより一層深まります。


 ……そうした内に、元より体が弱かった母が倒れ―――そして折り悪く、流行病を患ってしまいそのまま帰らぬ人になってしまった。


 最期までエラの行く末を案じながら母はこの世を去った。

 彼女の死を最も悲しんだのは誰か。娘であるエラか。伴侶たる父か。……その2人よりも深く嘆き悲しんだ者が居ました。

 その人物とは―――




 ◆◆◆




 エラの父は再婚した。エラに継母(ままはは)が出来た。


 継母には2人の連れ子が居た。どちらも女の子の姉妹であった。継母も数年前に伴侶を喪い独り身になっていたのだ。


 ―――そして継母は嫁いだその日からエラのやることなすこと全てに口を出すようになりました。


 姿勢、歩く時の体の動かし方。挨拶や礼儀作法の使い分け。身の回りの調度品への識別眼。語学・刺繍・護身術の剣。発声や踊り。……―――と、様々なことを教え始めました。エラがそれを嫌がり逃げだそうとしても、必ず先回りして捕まえました。


 エラは自由な時間が無くなってしまいました。したくもないことをやらされエラはヘトヘトです。唯一寝る時だけは心安まる時間……の、筈でした。


「エラ。今日から貴女に寝室はありません」

「それはどういうこと?」

「暖炉の傍が貴女の新しい寝床よ」

「いやよ。灰塗れになっちゃうじゃない」

「親にくちごたえするのですか。杖で打たれたくなければ言い付けを守りなさい」

「きゃー」


 憐れエラは継母から暖炉の傍で寝ることを強制されました。暖炉の傍は焚火の残り火が有るので凍えることはありませんが、白い灰が降り積もりとても埃っぽかったのです。


 ―――そうしてエラは毎日たくさんの習い事をして、寝る時は暖炉の傍で灰塗れになる毎日を送ることになりました。

 継母は厳しく、エラと顔を合せれば常に頭を上から抑え付けるような言葉を浴びせてきます。しかもそこに連れ子の姉妹までもが混じってきました。


「―――あらエラ。こんな簡単な縫い物も出来ないの? これじゃあ花じゃなくて煉瓦のヒビ。不器用ね、他人様に見せられた物じゃなくってこっちが恥ずかしいわ。見てなさい。こうやってするの」


 上の義姉はエラの不出来な刺繍をあげつらって小馬鹿にし、得意気に自分が慣れた手付きで刺繍する様を見せ付けます。


「―――詩の一つも読めないのエラ? そんな無教養では男の人が呆れて物も言えなくなるわ。いいこと? 情景というのは幾つもの意味や思いが込められているの。しょうがないから私が教えてあげるわ」


 下の義姉はエラが文字の読み書きはおろか物語すらろくに覚えていないのを小馬鹿にし、よくわからない理屈や考察を頼んでもいないのに教えてきます。




 ◆◆◆




 継母と2人の義姉。彼女達に小言と共にいびられ続ける毎日。


 遂には名前を呼ぶ時もエラではなく灰塗れの小娘(シンダーエラ)……『シンデレラ』と呼ばれるようになりました。


 これらの仕打ちの数々にはさしものシンデレラも堪りません。彼女は父に泣きつきます。


「お父様。継母や義姉達が私を毎日虐めるの。どうにかして」


 優しい父。シンデレラは自分が泣きつけばきっと何とかしてくれると考えていました。

 ―――しかし。父は助けてはくれませんでした。


「すまないエラ。私は仕事が忙しくなった。前のように構ってやれない。大丈夫、今の妻もその娘もよく出来た人だから悪いことなどしない」

「もう悪いこと、されてるのよ。ねえ聞いてよお父様」


 父は娘の助けを求める声に取り合わず立ち去ってしまいました。シンデレラはとてもショックを受けました。


「お父様。正気じゃないわ。娘が虐められているというのに」


 ―――事実、父は正気ではなかった。シンデレラの感じたことは間違っていなかった。娘のシンデレラが毎日涙を流すような日常を送っているのに、父は一切助けてはくれない。まるで……シンデレラの現状が見えていないかのように。


「……きっと継母は悪い魔女なのよ。そうよ、そうに違いないわ。お父様に何か魔法を掛けて言うことを聞かせてるんだわ」


 子供とは時に理屈ではなく感情で物事を決めつける。

 その日からシンデレラは自分を虐める継母や義姉達を魔女であると決めつけたのでした。


 悪い魔女を懲らしめてやらなければいけない。シンデレラはそう考え、遂に反抗に出ます。



 ――――――



 その一……時は早朝。

 継母の寝室、その扉の前にシンデレラは粘りのあるヤニを塗りたくりました。これに足を取られ転けて怪我でもすれば今日の習い事は全部無しになります。


 シンデレラは廊下の角に身を隠して覗きながらほくそ笑みます。


「―――おはようシンデレラ。早起きとは殊勝ですね」

「ぴっ」


 そんなシンデレラの背後から、なんと継母が声を掛けてきたではないですか。シンデレラはそれに驚き(いなご)のように跳ねます。

 シンデレラはおののきます。昨晩、継母が寝室に入るのを確認して直ぐ後にあの仕掛けを施したのです。そして誰よりも早く起きて張り込んでいたというのに……継母はシンデレラの背後に立っていたのです。奇妙不可思議。


「丁度良い。朝はお茶の煎れ方からお勉強しましょう。それに合わせて朝の挨拶を忘れた説教もしてあげます。感謝しなさい」

「いやー」


 憐れ、シンデレラは朝早くから習い事をさせられる羽目になりました。


 ――――――


 その二……時は夕方。

 最近猫を飼い始めた口喧しい上の義姉、その猫に何かしてやろうとシンデレラは考えた。以前にも猫を捕まえた経験のある彼女にとってそれは容易いことでした。そして狙い通りシンデレラは猫を捕まえました。

 さて、この猫をどうしてやろうか。何処か遠くへ捨ててやろうか。煙突に放り込んで黒い毛をもっと黒くしてやろうか。捌いて腸詰め用の肉に混ぜてやろうか。


 シンデレラは両手に抱えた猫の末路を思いほくそ笑みます。


「ハーイ、シンデレラ。私の猫と何して遊んでるのかしら?」

「ぶっ」


 突如現れた上の義姉。彼女はシンデレラを猫ごと抱き竦めます。シンデレラはそれで潰れたカエルのような鳴き声を吹きだしてしまいます。


「丁度良いわシンデレラ。貴女には生き物の面倒の見方を教えてあげる。雑なことをしてはいけないわ。なんていったって生きているもの」

「ひー」


 憐れ、シンデレラは真夜中までみっちりと生き物の世話の仕方を教えられました。


 ――――――


 その三……時は昼過ぎ。

 シンデレラは下の義姉の留守を見計らって彼女の部屋へ忍び込みました。陰気臭い義姉に相応しく、たくさんのつまらない本に地味な観葉植物しか目立つ物のない部屋です。

 シンデレラは棚の本を偏らせ、義姉が本を取った瞬間に中身が一気に崩れ出るように細工しました。


 これで義姉が生き埋めになる姿を想像してシンデレラはほくそ笑みます。


「私の部屋へようこそシンデレラ」

「ふぇ」


 本棚の陰からヌッと現れた下の義姉。なんか見付かる気がうっすらしてたシンデレラは気の抜けた声をもらしてしまいます。


「丁度良いわねシンデレラ。今日は世間にはどんな仕事があるか教えてあげる。なにからが良いかしら? 服の元になる糸の種類か、今貴女が手にしてるこの本に使ってる紙の成り立ちとかが良いかな」

「もー」


 憐れ、シンデレラは寝落ちそうになる度に口の中へ辛い葉っぱを入れられ起こされ無理矢理勉強させられる羽目になりました。


 ――――――


 ―――結果。

 シンデレラの企ては全て挫かれてしまいました。

 灰塗れの小娘はやはり虐められる日々を送ることになりました。


 ああ、可哀想なシンデレラ。こんな日がいつまで続いてしまうのでしょうか。




 ◆◆◆




 そんな生活が数年ほど続いたある日のことです。

 お城からの招待状がシンデレラの家に届きました。招待状の内容とは王子様のお披露目を兼ねた舞踏会……パーティーへの参加を呼び掛ける物でした。


 その手紙を誰よりも先に手にした継母。彼女は手紙を読み終えた後、私室の窓から見える庭を見下ろします。

 庭には相変わらず頭から灰塗れのシンデレラが居ました。彼女は庭師の指導の下、植木の剪定をさせられています。ぴーぴー悪態を吐きながらも仕事は丁寧にしている様が中々におもしろい。


 ―――そして。屋敷の中に入る前に見せたシンデレラのとある行動が……継母にある決心を固めさせました。


「頃合い、かもしれません」


 継母は部屋の隅に置いてある杖へ視線を移し、そう呟いた。



 ――――――



 庭の植木の枝葉を一通り整えたシンデレラ。彼女が這々の体で屋敷の中へ戻ろうとした時、ある物を見付けました。


「あら? 小鳥が地面に落ちているわ」


 芝生の上に小鳥が一羽。翼を畳んで震えていました。シンデレラは「ほら、邪魔よ。さっさと飛んで行きなさい」と追い払おうとしますが……そこで小鳥の様子がおかしいことに気が付きます。


「……頭でも打ったのかしら? ふらふらじゃない」


 小鳥は何度か翼を広げて飛び立とうとするのですが上手くいっていません。実は先程この小鳥は木の幹に頭をぶつけて目を回しているのです。シンデレラの見立て通りでした。


「まったく」


 シンデレラは小鳥をそっと手の上に掬い上げます。そして彼女は自分の髪を水桶に浸すと、毛先へ伝う水滴を小鳥の口元へ垂らし飲ませます。


「はやく元気になって何処へなりとも行きなさい。でないと焼いて食べちゃうわよ」


 水を飲んだ小鳥は頭がしゃんとしたのか、「ピピピ」と囀ると翼を大きく広げ羽ばたきます。


 小鳥がシンデレラの手から飛び立つ。

 高く。空高く、飛んでいく。

 青い空を泳ぐ雲と混じるところまで小鳥は飛び去っていきました。


「……きれい……」


 そう不意に溢したシンデレラ……しかし自分の見窄らしい汚れた姿を思い出し、どうしようもなく悲しい気持ちになりました。


「ああ。私、とても、みじめだわ。この燃え滓の灰と同じ」


 体の至る箇所に付く灰。それを見て肩を落としたシンデレラはとぼとぼと屋敷の中へ入っていきました。―――我が身に起きていた変化に気付くことなく。




 ◆◆◆




 お城で開催される舞踏会の話しは家に居る全ての者の耳に入りました。


「パーティー。とっても楽しそう。私も行ってみたいわ」


 シンデレラは年頃の娘らしく綺麗で豪華なお城のパーティーに憧れを持っています。これまではシンデレラも若く、招待状が届いても出席はしていませんでした。

 しかしシンデレラも今や18歳の花盛り。いつでもパーティーに参加できる歳です。


「シンデレラ、貴女は留守番です」

「そんなー」


 憐れ、シンデレラ。継母から留守番を言い渡されてしまいます。これではパーティーに出席出来ません。


「大丈夫よシンデレラ。私達が舞踏会がどんなに楽しかったのか事細かに語ってあげる」

「綺麗なドレス。煌びやかな会場。素敵な殿方。ああ、待ちきれないわ」


 義姉達もこぞってシンデレラへ嫌みっぽくそんなことを言います。


「酷いわ姉さん達。どうしてそんな意地悪をするの」


 シンデレラは悲しさと同時に腹も立ち、丁度よく手に持っていた火かき棒でこの義姉達を打ち据えてやろうかと考えたが……何故かそれをするのは心が咎めました。幼少の頃なら躊躇わず出来た筈なのに。きっとそれをしてしまったら胸が痛くなると思ったのです。


「それではシンデレラ。当日はこの家のこと、宜しく頼みますよ」

「……はい……」


 シンデレラは渋々頷くと日課である暖炉掃除へとぼとぼと戻っていきました。




 ◆◆◆




 パーティー当日。時は夕暮れ時。

 先日の言葉通り継母達はシンデレラを置いてお城へ向かっていきました。父は一人残るシンデレラのことを気に掛けていましたが、継母が玄関に置いてあったビオラの花のポプリを指で弾き香り立たせると、たちまち父は虚ろな表情になって娘の存在など忘れたかのように継母達とお城へ出向いてしまいました。


 暗い家にひとりっきりになってしまったシンデレラは暖炉の傍で蹲ります。


「ああ、悲しいわ。なんて不幸なのかしら」


 寒々しい心はシンデレラをひどく感傷的にさせました。しかし体だけは暖炉の残り火でほんのりと温められます。

 シンデレラは掻き集め山のように積んだ灰を憂鬱そうに眺めます。


「私、このまま灰のように崩れて消えてしまうのかしら。跡形も無く。……ぅぅ……ぐす……」


 そうしてシンデレラは遂に泣いてしまいました。実の母が亡くなった時だって泣かなかったのに。今はさめざめと泣いています。


 ―――そんな時です。暖炉に明かりが灯ったのは。


 シンデレラは驚き顔を上げます。


「―――こんばんはシンデレラ。こんな素敵な夜に一人で泣いてるなんてどうかしたのかい?」


 暖炉の前にはいつの間にか、知らぬ者が立って居ました。


「あなたはだあれ?」

「私かい? 見てわからないかい? 私は通りすがりの魔法使いさ」


 フードで面を隠した奇妙な装いの女は自分を魔法使いと言いました。


「魔法使いさんが何の用? ……ああ、通りすがりって言ってたわね。でも御生憎様。今この家は私以外留守にしているの。大したおもてなしなんて出来ないからつまらないわよ。―――でも……そうね、お茶でも飲む?」


 シンデレラは涙を拭うと得体の知れない相手である魔法使いをお茶に誘います。彼女自身、退屈だったのです。その無聊を慰めてくれるなら相手がどんな者なのか、この際どうでも良かったのです。


「この明かりの火、借りるわね」


 シンデレラは魔法使いが現れた時、暖炉に灯した火を使ってお湯を沸かし始めました。炙られるケトルがしゅんしゅんと音を立てます。


 慣れた手付きでお茶を用意したシンデレラはそれを魔法使いへ振る舞います。


「どうぞ魔法使いさん。小汚い娘が煎れたお茶で申し訳ないのだけれど」

「いやいや有り難いよ。もてなしてくれるその心で十分なぐらいさ」

「じゃあお茶はいらない?」

「暖炉から出てきたから喉がカラカラだ。頂くよ」


 暖炉の傍でシンデレラと魔法使いの2人、テーブルに着いてお茶を味わう。


「何の話しをしましょう。私、魔法が使える人なんて初めて会ったわ。……そうだ、どんな魔法が使えるのか聞かせて頂戴な」


 シンデレラは好奇に目を輝かせます。その様子は彼女の歳より幾分か幼く感じさせます。そして魔法使いは「私が使える魔法か」と呟くと、僅かに見える口元を笑みの形に歪めます。


「私が使える魔法はねシンデレラ。……2つ。2つ有るんだ。―――“自らを幸福にする魔法”と“他者を不幸にする魔法”さ」


 ぞっとするような声。シンデレラは背筋が寒くなります。魔法使いはそんな粘り着くような声でシンデレラへ尋ねます。


「さあシンデレラ。誰か不幸にしたい相手は居るかい? 今ならお茶のお礼で何でも望みを叶えてあげようじゃないか」


 それはとても魅力的な誘いです。シンデレラには懲らしめてやりたいと思っている相手が居るのですから。


「……ぁ……」


 だけども。シンデレラの口から出た望みは、言おうと考えた物ではありませんでした。


「―――私。私ね。……パーティーに出てみたい」

「…………」

「お城のパーティーよ。きっと綺麗な物がたくさん有るわ。素敵で夢のような舞踏会」


 シンデレラは灰塗れの自分自身の姿とボロボロの服を見詰めます。


「魔法使いさん。私ね、『幸せ』がなんなのかわからないの。……小さな子供の時は、それはもう毎日が楽しかった。でもそれが幸せだったのかと言われると……違う気がするの。だって今はそれで喜ぶことなんて出来ない」


 意地が悪く、他者を傷付けて笑う悪童(エラ)。それを思い返して灰塗れの小娘(シンダーエラ)は罪を告解するよう言う。


「魔法使いさん。私、他人の不幸なんて要らないわ。そんな物欲しくないもの」

「……じゃあ何を望む? シンデレラ」


 魔法使いはもう笑っていません。ただ何かを期待するように、シンデレラへそう投げ掛けます。


「魔法使いさんは幸福にする魔法を使えるのよね。なら……」


 シンデレラは泣きそうな顔で自分の願いを口にします。


「―――どうか私に幸せを教えてください」


 積もり溜まった灰を土に捨てる度、思い出す。土の底に葬られた母が今際の際まで願っていたことを。


「皆から喜ばれる。……そんな幸せが、欲しいの」

「…………」


 シンデレラの願いを聞いた魔法使いはフードで隠れた顔に片手を当てます。深く、何かに思い馳せるように。


「―――良いでしょう、シンデレラ」


 そして静かに魔法使いは言葉を紡ぐ。


「とっておきの魔法を。今だからこそ使える魔法を、貴女に贈ります」


 立ち上がった魔法使いはシンデレラの頭を優しく撫でる。


「今宵、貴女は生まれ変わるのですシンデレラ。灰が、乾いた大地に肥沃をもたらし……豊かな実りを生むように……」

「……魔法使いさん?」

「この日。この時。……待ち侘びた。―――灰は満ちた」


 魔法使いは杖を取り出す。そして杖の先端をそっとシンデレラの額に当てる。さらりと、額に付いていた灰が剥がれ、舞い上がる。


 そして魔法使いは唱える。魔法の言葉を。


 幸せになって欲しい相手に贈る……今は亡き母に代わって送る、唯一無二の魔法。

 遺されし灰を用いて輝く神秘。


「“妖精よ、我らが女王の生誕を祝福せよ”

 “波旬灰燼の果てより芽生えし赫々の魂”

 “熱は久遠に、思いは永劫に”

 “さあ妖精よ、我らが女王が灰から生まれるぞ”

 “祝福せよ”

 【Cendrillon(サンドリヨン)】」


 ―――光。


 光がパッと弾ける。

 その光はシンデレラの体を覆う灰から生まれた光。太陽が昇ったかのような眩い光がシンデレラの身を包む。


 薄汚れていた体が輝くような肢体に。ボロだった服が見惚れるような綺麗なドレスに。草臥れていた靴は透き通るガラスの靴に。


 そうして光が収まる頃には見窄らしい小娘は居なくなっていた。そこに立つのは万人が目を奪われるような美しい令嬢、まるで絵画の世界から飛び出してきた美しき妖精の如き姫が立っていました。


 シンデレラは一変した我が身を見て目を丸くします。


「すごい」

「さあ。シンデレラ。外にはもう馬車を用意してあります。それで舞踏会へ向かいなさい」

「うん」


 心まで晴れ渡ったシンデレラは元気良く返事をすると、魔法使いが差し出した手を取って屋敷の外へと出ます。


「……あ。……家の仕事はどうしましょう」

「大丈夫。草花達が代わりにしてくれます」


 魔法使いが杖を振ると屋敷の草花が緑の小人となって家事をこなしていきます。ぴょんぴょこちょこちょこと家中を駆け回り掃除に片付けとこなしていきます。


「パンジー、ラベンダー、カモミール……全部私がお世話をしてた植物」

「そう。植物だって生きている。大事にしてあげた分だけ、貴女を助けてくれる」

「でも私、昔お庭に毒を撒いてしまった」

「ああ、それは忘れてはいけない貴女の罪。植物は心が広いから、これからも真心を尽くしてあげればきっと許してくれます。だから忘れてはいけません」


 屋敷から出ると、表には絵本から飛び出させた立派な馬車がありました。


「魔法使いさん。馬が居ないわ。これじゃあ馬車が動かない」

「大丈夫。直ぐに来ます……ほら来ました」


 魔法使いはそう言って暗がりに指を指す。屋敷の塀の陰。そこから「ニャー」と鳴き声が聞こえてきます。


「あ。この子は大姉様の」


 上の義姉の飼い猫。黒い猫。その猫が再び「ニャー」と鳴くと、不思議なことが起こります。先のシンデレラのようにパッと光が弾けると、黒猫の姿がそれは見事な白馬へと変化したのです。

 そして馬車には小さな鼠が。その鼠も光に包まれると次の瞬間には仕立ての良い服を着た御者へと姿を変えます。


 こうしてシンデレラの前にはいつでも走り出せる白馬が牽く馬車が出来上がりました。


「さあお乗りなさい、シンデレラ」


 魔法使いにそう言われたシンデレラはしかし、馬車に近付くのを躊躇います。


「大丈夫かしら。私、猫にも鼠にも残酷なことをしたことがあるわ」

「それも忘れず心に刻みなさい。命を奪うことには常に責任が伴います。大事なのは貴女がこれからそれをどう改め行動するかです」

「……わかったわ。私、頑張る。色んな物、大事に出来るように」

「ええ。それが良い。……さあ乗りなさいシンデレラ。この馬車へ」


 魔法使いは馬車の戸を開けてシンデレラを優雅に誘う。そしてシンデレラは馬車に乗り込むと、魔法使いがそのまま戸を閉めようとするのを見て不思議そうに声を掛ける。


「魔法使いさんは行かないの? 一緒に行きましょう」

「お誘いは嬉しいですが、私は他にも用が有るので一緒には行けません。心配せずともこの馬車はしっかりとお城まで連れて行ってくれます」

「残念だわ」

「……最後に。この魔法は12時の鐘の音が鳴り終わると溶けてしまう、この日限りの魔法。私はもうここから立ち去るので魔法を掛け直してくれる人はいません。忘れてはいけませんよ」

「うん、わかったわ。それまでには帰ってくる」

「それではシンデレラ。良きパーティーを」


 そう締めくくり馬車の戸が閉められる。そうして馬車が走り出した時―――バンと窓が開かれシンデレラが顔を出す。


「また会いに来てくれますか魔法使いさん。私、もっとたくさん貴女とお話しがしたいわ」

「巡り合わせが有れば……また」

「約束よ。来なかったら私から会いに行っちゃうんだから」


 強引に結んだ約束の言葉を最後に、走る馬車はまたたく間に2人が声を交わせない場所まで駆け抜けていく。


 ゴトゴトカタカタと。シンデレラを乗せた馬車は真っ直ぐお城へと向かっていきました。


 ―――それを見送った魔法使いはフードを外すと、誰も耳にすることがない独り言をもらす。


「……今の貴女、母にそっくりよ。……エラ……」


 独り言が風に巻かれて消えると共に、魔法使いの姿も屋敷の前からフッと消えてしまいました。



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