パティスリー コリン・ヴェールの多事多端
「もう少し、驚いてくれると思ったんだけどね。」
楂古聿は纏っていたコートを脱いだ。
「騒いで、お昼寝中の翠を起こしたくないからね。」
少しイラついた感じでガトーは答えた。
「翠? 」
「パティスリー、コリン・ヴェールがオーナー。つまり、僕の雇用主。」
「いつから? 」
「… 昨日から。」
それを聞いて楂古聿は薄笑いを浮かべて首を捻った。
「昨日からで、もう下の名前で呼び合うとはチャラくなったものだな。」
「呼びあってはいない。翠からはガトーと呼ばれている。」
「ほぉ。」
意味ありげに笑う楂古聿にガトーは表情を曇らせた。
「そもそも何しに、この店に? 開店祝いじゃないだろ? 」
「半分正解、半分不正解。確かに半分は違うけど開店祝いでもあるんだよ。」
「残りの半分は? 」
「もちろん、あの方の命令さ。でも、俺が命令を受ける事にしたのは、お前の行方を知るためだったんだけどね。」
あの方と聞いてガトーは溜息を吐いた。
「それで僕をいくらで売るつもりなのかな? 」
それを聞いて楂古聿は笑いだした。
「売る? 何故? 」
「だって、あの方の命令なんだろ? 」
「そうだけど? 」
「そうだけどって… 」
楂古聿のリアクションにガトーは戸惑っていた。
「言ったろ、命令を受けたのは君の行方を知る為だって。俺にとっては、あの方の命令よりお前の方が重要だ。俺のチョコレートをチョコレートケーキに クッキー、フォンダンショコラやブラウニー、それにエクレア。活かせるパティシエは世界広しと言えど、お前しか居ないんだからな。」
「声が… 」
大きいと言う前に二階から慌てた足音がした。
「ごっめぇ~ん、寝過ごし… ちゃっ… どちら様? 」
階段を下りてくると、そこに居た見慣れぬ顔に翠はキョトンとした。
「あ、俺? 俺はアンディの友人で楂古聿。」
「アンディ… あ、ガトーの事か。」
「おいおい、人の名前を一晩で忘れるか? 」
「一度も呼んでないんだから仕方ないでしょっ! 」
そんな二人のやり取りを見て楂古聿は笑いだした。
「とても出逢って1日とは思えないな。妬けるよ。」
「そっ、そ、そんな仲じゃありませんっ! 」
顔を真っ赤にして否定する翠の様子が楂古聿には面白かった。
「で、俺を雇わない? アンディと素晴らしいコラボを見せてやるよ。」
「マ、結婚!? 」
目眩を起こしてフラッとした翠をガトーが抱き止めた。
「多分… 直訳したろ? 楂古聿はショコラティエでね。昔、一緒に働いていた事があるんだ。楂古聿も言葉遊びで翠をからかわないで貰えるかな? 」
「お二人さんもイチャコラしてないで雇うのか、雇わないのか決めてもらえるか? 」
楂古聿に言われて二人は慌てて離れた。
「取り敢えず今日は手伝わせてあげるよ、ただばたらきでよければね。」
「試用って事かな? まぁ、午前よりお客さん多いみたいだし、やらせてもらうよ。」
午後の開店から楂古聿もまた、ガトー同様に休みなく動きまくった。
「アンディ、何か走りまくると下働き時代を思い出すな。」
「口より手を動かせよ。はい、プリン出して。」
翠はレジに張りつくしかなかった。