パティスリー コリン・ヴェールの開店前夜
結局、ガトーが帰って来たのは夜だった。翠も落ち着いて自分の荷ほどきをする時間が出来たので、よかったのだが。だが、そう落ち着いてもいられない。何しろガトーは明日、開店させるというのだから。店内の片付けを終えると外で大きな物音がした。
「何、何? 」
歩いて買い出しに出たガトーが帰って来たにしては、大き過ぎる音だった。翠が慌てて店の外に出ると、小麦粉や砂糖、塩など粉類をメインにいっぱいに積んだ馬車が留まっていた。
「な、な、何なの!? 」
翠は思っていたよりも、はるかに大量の荷物に驚くしかなかった。
「遅くなって、ごめん、ごめん。小麦を挽いて貰ったり、砂糖を粗糖から選んだりしてたら、時間経つの忘れてしまってね。」
ガトーは馭者台から降りてくると、馬を馬繋ぎ代わりの柵に結びつけた。
「こ、こんなに粉ばっかり仕入れて、どうするつもり!? 」
「大丈夫、大丈夫。果物と卵は明日の朝、新鮮なのが届くから。ドライフルーツやナッツ類も発注して来たから開店の品揃えは問題無いと思うよ。」
それだけ言うとガトーは荷物を倉庫へと運び始めた。見た目はとても華奢なのに、何処からそんなに力が出てくるのか。翠も持ってみようとしたが上がらない。
「手伝ってくれようとしたの? ありがとう。でも、無理しなくていいよ。僕一人で運べるから。」
「う、うん。」
肩を落として、項垂れて店に戻る翠の後ろ姿にガトーが声をかけた。
「翠ぃ。僕が明日オープンなんて言ったから戸惑っちゃったよね。お菓子が作れるのが嬉しくて先走っちゃったかな。明後日にするかい? 」
すると翠は立ち止まって大きく息を吐くと両手を握り締めて振り返った。
「だぁ~れが、明後日なんかにするもんですかっ! そもそも、こんなに材料寝かせておけないでしょ? 今日出来る事は明日に延ばさないっ! 明日、開店って言ったんだから、自分の発言に責任持ちなさいっ! 」
翠の元気な大声を聞いて、ガトーも少し安心した。
「さて、僕も頑張らないと。」
翠の後ろ姿が店内に消えたのを確認するとガトーは残りの荷運びを始めた。
「さぁて、そろそろ上がって来るはずよね。口に合うといいんだけど。」
ただ、ボーッと待っていても仕方ないので、在り合わせの食材で翠は夕食の支度をしていた。といっても週末でもないので用意したのはポトフとキッシュとサラダ。翠はここに越して来る前の下宿生活で、この国は平日の食事が思いの外、質素である事を学んでいた。
「遅いなぁ。何してんだろ? 」
倉庫まで様子を見に行くと、ガトーは疲れ果てて中で眠っていた。
「せっかく夕食作って待ってたのに… 。」
いっそ、叩き起こしてやろうかとも思ったのだが、月灯りに照らされた端正な顔から聞こえる寝息に怒る気も失せた。
「まったくぅ。部屋と食事を用意しろと言ったのは君なんだぞ、ガトー君。」
優しく呟いて人差し指でガトーの額を軽く突っつくと、二階から毛布を持ってきてガトーに掛けてあげた。粉袋が上がらない翠にガトーを運べるはずもない。
「Bonne nuit, fait de beaux rêves. 《おやすみ、いい夢見てネ》」
そっと扉を閉めると翠は自分の部屋に戻っていった。