パティスリー コリン・ヴェールの前途多難
「それで翠はパティシエの資格はあるの? 」
「えっ? 私の国だと菓子製造技能士とか国家資格はあるけど、出店に必須じゃないんですけど… 」
それを聞いて青年は頭を抱えた。
「自分の国じゃないんだから、ちゃんと調べないとダメだよ? この国でパティスリーとして店を出すなら最低でも初級の職業適性証は取得してないとダメだよ。 」
「えぇ~、そうなんですかっ!? っていうか、どちら様? 」
「そういえば、名乗ってなかったね。僕はオンドリュー・ガトー。アンディでいいよ。」
初対面でいきなり愛称で呼んでくれと言われても無理がある、と翠は思った。
「それでムッシュ・ガトーは何をしに此処へ? 」
「… ガトーでもいいけどムッシュは要らない。それよりクッキー生地は大丈夫? 」
「あぁ~っ!! 」
翠は大慌てで冷蔵庫に向かった。もちろん、冷やし過ぎたなら常温で戻せばいいがオーブンの余熱もある。また調整するよりは一度で焼きまでいきたかった。
「なんとかセーフね。」
クッキー生地を型抜きするとシリコンシートを敷いた天板に並べてオーブンへと入れた。
「で、何をしに… 」
「初めての釜だろ? 余所見して大丈夫かい? 」
「えっ、あっ、うぅ~。ちょっと待っててっ! 」
翠はオーブンの前に戻っていった。
「やっぱり、そそっかしいな。待ってるのは構わないんだけど… 職業適性証《CAP》すら無いのか。ちょっと予定外だな。」
ガトーの呟きは翠には聞こえていないだろう。暫くして翠は焼きたてのクッキーと紅茶を持って戻って来た。
「せっかくだから味見させてあげるから、何でここに来たのか、答えてちょうだい。」
翠がクッキーを差し出すとガトーは手に取って匂いを嗅いだ。
「何それ? 焦げ臭い? 」
いくら初めてのオーブンだからといって、人様に焦げたクッキーを出すようなまねをしたつもりはない。ガトーは黙って一つを口に放り込んだ。そして2、3度咀嚼すると首を捻り、次に紅茶を口に運ぶと、また首を捻った。
「何? 何なの? 言いたい事があるなら、ハッキリ言って頂けますか? 」
「30点がいいとこだね。この国でパティスリーを開こうっていうのに、この程度だと結構厳しいよ。」
「だから、いったい何者なんですかっ!? 」
この町にやって来たばかりだというのに、いきなり開店前の店に現れてオーブンの調子をみるだけの試作クッキーに文句を言う出会ったばかりの青年に翠は苛立ちを覚えていた。
「マドモアゼル。いらっしゃいますか? 」
「何よ急にマドモアゼルって… はぁーぃ。」
翠は文句を言おうとして、途中で声の主がガトーではない事に気がついた。扉を開くと何やらお堅い感じの男性が二人立っていた。
「貴女が丘さん? 」
「どちら様でしょうか? 」
「我々は町役場と保健所《PMI》です。転入されて来てパティスリーを開かれると伺ったので、色々と確認やら手続きやらと、お困りの事が無いか伺いに来ました。」
「えっ!? 」
確かに数日前に転入手続きの相談に役場には行ったが、こんなに早々と確認に来るとは想像していなかった。まだ資格も無ければ取得方法もこれから調べねばならないと思っていた。店内改装まで済んでいるのに、いったいいつ開店できるのか、それまで生活費の貯えはもつのか、途方に暮れるしかなかった。
「えっと、店内は… おぉ、綺麗なもんじゃないですか。器具も揃っていらっしゃる。問題は無さそうですな。あとは資格を拝見させてくださいな。」
この時点で翠の頭の中は真っ白になっていた。