パティスリー コリン・ヴェールの遠謀深慮
開店から二週間、パティスリー コリン・ヴェールの盛況は続いていた。翠も失敗しても修正の利く生クリームのナッペくらいは手伝うようになっていた。二週間なら、まだ洗い物でもいいのだが来年の資格試験までに筆記や面接向けの専門用語の発音なども見るとなると、実技は実戦の中で教えていかなければ時間が足りない。
「ねぇ、翠。喫茶店を開かないか? 」
「な、何急に言い出すのよ!? 」
あまりに突然な提案に翠の手が止まった。さすがに楂古聿はテンパリングの最中なので黙々と作業を続いていた。
「今の季節はいいんだ。でも、これからの季節は暑くなる。この町の設備しかないお客さんや、余所の街から来てくれるお客さんは生クリームやチョコレートは溶けてしまって買っていけないと思うんだ。」
「そ、そうかもしれないけど… 」
翠もこの町では二週間しか経っていないが、この国に来てからは、かれこれ経つ。これからの季節が暑くなる事は承知しているが、それと喫茶店が結びつかなかった。
「オーナー、アンディはここで食べてもらえば溶ける心配がないって言ってんのさ。この町じゃ、保冷剤やドライアイスは手に入り難いしな。」
「あぁ。」
楂古聿の説明で翠も納得はした。納得はしたが。
「でも、改装する場所も予算も無いもん。」
それを聞いたガトーは、いつもの爽やかな笑顔で答える。
「場所は裏の納屋で大丈夫。店とも繋がっているし広さも10席は確保出来ると思うよ。それに改装中も、お店の営業には影響しないしね。」
「でも予算が… 。」
「それは大家さんに掛け合ってみるよ。」
「だっ、ダメだよ。まだ、このお店のお礼も言えてないのに… って言うか、大家さん、知ってるの!? 」
「えっ、あぁ、まぁ… 多分、大丈夫だから… あはは。」
何かをごまかすようにガトーはその場から消えた。
「あの野郎、俺の賃金はケチったくせ、しやがって… 。でも、まぁ、いいんじゃね? 暑い時季はどうしたって生クリームのケーキやチョコレートってのは売り上げが落ちる。この町で通年の商売すんなら考えなきゃいけねぇ事だしな。」
楂古聿の言う事は尤もなのだが、翠には納得し難い事だった。
「ここって借りるのだって、不動産屋さんしか会ってないし、名前は無かったけど、きっと内装プレゼントしてくれたのも大家さんのはずなのよ。だから、お店の名付け親も同然なのに、何のお礼もしてないのよ。それなのに喫茶店の改装なんて頼めるはず無いじゃない… 。」
楂古聿は頭を抱える翠の肩に手を掛けようとして止めた。
「アンディが大丈夫って言ったんだから、きっと大丈夫。上手く足長おじさん説得してくれるさ。」
「ん? なんで楂古聿さんが足長おじさんの事、知ってるの? 」
翠がカウンターに有ったカードを手にした時、店内には誰も居なかった… と思っていた。
「えっ? あぁ、アンディから聞いたけど? 」
「あんにゃろ、いつから店内に居たんだ? ガトー、ガトーっ! 」
翠はガトーを追うように店内に消えていった。
「言っちゃ拙かったかな? ま、なんとかは犬も喰わないって言うらしいし、二人で解決すんだろ。」
楂古聿は持ち場に戻ると淡々とローストしたアーモンドのチョコレートコーティングを始めた。