パティスリー コリン・ヴェールの蜜柑甘橙
ガトーが開店準備を進めていると楂古聿が運搬容器を持って現れた。
「よっ、こっちは出来立ての生チョコとチョコ生。昨日の切り落としあるんだろ? トリュフチョコ作るから出しといて。」
ガトーは運搬容器の中を見て思った。
(さすがは楂古聿。申し分ない出来だね。)
乾燥させたケーキクラムと紙袋を楂古聿に渡した。紙袋の中身を見て楂古聿はニヤリと笑った。袋の中身はフロランタン、アーモンドが香ばしいクッキーの切り落としだった。それとは別に鉄板にクラッシュアーモンドを撒くとオーブンに放り込んだ。
「ローストの具合は自分で見てね。」
「了~解。サンキューな。」
楂古聿はクラムを入れたミキサーを低速で回し始めた。パティスリーコリンヴェールは、まだ開店二日目。しかし、ガトーと楂古聿の間には旧くからの信頼関係が感じられて、品出しをしていた翠には、側で見ていて羨ましくもあった。
「オーナー、そんなとこで妬いてないで手伝って貰える? 」
そう言って楂古聿は乾燥させたオレンジピールのシロップ煮を差し出した。
「別に妬いてなんか、い~ま~せ~ん~だ。あ、なんか、いい香り!? 」
その香りはオレンジピールからだった。
「糖度が結構高かったから、果汁とオレンジのリキュールで煮たんだ。後は湯煎で溶かした、このちょいビターなチョコレートを半分くらい纏わせてくれればOK。」
楂古聿は簡単に言うが、この『半分くらい』というのが曲者だ。店の味として提供するには、平均ではなく一定の量を纏わせなきゃいけない。そう思うと単純な作業でも翠は緊張してきた。
「そんな、緊張しなくても… 」
楂古聿は大丈夫だと手を添えようとして、ガトーの視線に気付いてやめた。別にガトーが何か言った訳でもないし、作り方を教えているのはガトーも分かっている。だが、これは明らかに楂古聿がガトーの反応を楽しんでいる。その事に翠が気付いていないので、ガトーも怒り難かった。
「おはよぉごさぃまぁすっ! 」
開店前の店内に四人目の声が響いた。
「ごめんなさい。まだ、開店前なんです。」
入ってきた女性に翠が声を掛けた。
「翠、いいんだ。彼女は柑橘農家の娘さんで、頼んでおいた追加のオレンジを持って来てくれたんだ。」
「はい、クレモンティーヌです。クレムと呼んでくださいね。」
歳は翠とそう変わらないだろうか。元気なお嬢さんという印象だ。外には彼女が乗ってきた荷馬車が停めてあり、荷台には新鮮なオレンジ、レモン、グレープフルーツの他にコンフィチュールなどが積まれていた。
「ジャムにマーマレード? 」
翠が瓶を手に取るとクレモンティーヌが睨んできた。
「コンフィチュールっ! あなたの国の基準は知らないけど、この国じゃコンフィチュールなのっ! 」
今にも喰って掛かりそうなクレモンティーヌと翠の間にガトーが割って入った。
「翠、君の国とは糖度とか果肉とかの基準が違うんだよ。クレムも、彼女はこの店のオーナーなんだけど。」
「ごめんなさい。私、知らなく… 」
「オーナー!? バイトじゃないの!? 」
翠が言い終わるより早くクレモンティーヌが叫んだ。
「は、はい… 。」
「てっきり、同居してるオーナーって、こっちだと思ったのに… 。」
こっち呼ばわりされた楂古聿も苦笑するしかない。
「お、お客様に失礼しました… アンディが… アンディが… 同棲してたなんて… 。」
荷物を下ろすと来た時の元気は何処へやら。打ち拉がれたように帰って行った。
「あのぉ、クレム、大丈夫かしら? 」
「気になさんな。恋敵に心配されたんじゃ、余計に傷つく事もある。」
「楂古聿さんっ! 」
楂古聿はそそくさと荷物を持って店内に消えていった。