優しい時
1
―どのくらい歩いただろうか。
気付けば私は、隣街まで来ていた。
(結構歩いたなあ…。)
街は、夜が明けようとしていた。
昨夜雨が降ったのが嘘みたいに、空は晴れ渡っていた。
私は、寒くもない手のひらをポケットに入れた。
入っていたのは、月の飾りがついたペンダント。
私はそれを、そっと自分の首につける。
(これは、大切なあの人にもらったもの…。)
私はふと、いつかの帰り道を思い返した。
(何で私は、あの日…。)
後悔は、あの日からずっと残ったままだ。
―それなのに、私は死んでしまったから。
後悔はもう、後悔のままで、ずっと消えることはない。
(だからこそ、このままで終われないよ…。)
私は、足を止めずにまだ歩く。
日はまだ昇らないのに、街はもうそんなに暗くはなかった。
(あなたの街…。)
この街に、私の一番の心残りがある。
杠未来(ユズリハ-ミライ)は、私と同級の男の子である。
高校2年のときに同じクラスになったのがきっかけで、私たちは出会うこととなる。
ある日、私は休み時間に読書をしていた。
「冷たい雨」というタイトルの、ちょっと悲しい小説である。
この本は、少し前に買ったばかりで、まだ読み始めたばかりだった。
私が黙々と読んでいると、いきなり前方から声がした。
「あ、俺それ知ってる。」
急に声をかけられて、びっくりしながら私は顔を上げる。
そこにいたのが、まさしく未来であった。
「えっと…。この小説のこと?」
私がそう聞くと、未来はさっぱりとした笑顔で答えた。
「そうそう、それ。俺も好きなんだよ。」
「そうなんだ…? 私はまだ読み始めたばかりなんだけど…。」
「あ、そーなんだ! じゃあ内容は話しちゃまずいね。」
「うん、ごめん。もうちょっと待っててね…!」
それは、初めてとは思えないくらいに話の弾んだ、私たちの出会いであった。
それからというもの、私と未来はよく話をするようになった。
学校の話や小説などの話、たまに…恋の話とか。
私たちは、話を始めると本当によく弾んだ。
私はもともと喋る人じゃないから、たぶん相性が良いんだと思う。
(今思えば未来と、すごいたくさん話したなあ…。)
―私は、物心ついたときから本が好きである。
そしてそれは、今も変わらない。
でも、未来に出会ったあの日から、私は本を読まなくなっていった。
2
未来と出会ってから、数ヶ月。
私と未来は周りも認めるほど、仲が良くなっていた。
そして私はいつしか、未来を好きになっていた。
未来の優しさ、楽しさ、頭の良さ。
笑顔、声、話し方まで。
―あなたの全てが好きでした。
でもそれももう、失った。
それは、私が死ぬ前の、木曜日だった。
学校が終わって、未来と私は、帰り道を一緒に歩いていた。
実は今まで、家の方向が違うのもあり、私は未来と一緒に帰ったことはなかった。
だから、私はいつになく嬉しくて、一緒に帰るってだけで幸せを感じていた。
―あなたと、もっと話していたい。
ずっと一緒にいたい。
あなたと一緒にいる時間が、楽しい。
あなたになら、私を全てさらけ出せるから。
あなたの前でなら、素直な私でいれるから。
(未来と一緒に帰れるなんて…、たまらなく嬉しい…。)
そんな私の気持ちとは裏腹に、未来は気安く話題を振ってきた。
「優月って、A型っぽいけど、B型なんだ?」
私は、嬉しさを抑え切れずに、笑顔で答える。
「…うん、そうだよー。 未来はA型だっけ?」
「そう、よく知ってるじゃん。」
それでも私たちは、いつものように何でもない話をしていた。
秋が終わって、夕方だけど風が冷たく感じた。
「そういや、A型とB型って、相性悪いらしいぜ。」
でも私は、未来のその発言に、ちょっとムッとした。
「…え、そんなことないよ! …だって、未来と私、相性良いじゃん。」
「あはは、そうだな。でも本当は分からないぜ?」
「えぇ、何でー?」
「優月、裏の性格がありそうだもんなー。」
たぶん、未来は冗談で言ったんだと思う。
暗い私を、からかったんだと思う。
でも、人一倍傷つきやすい私には、その言葉が刃物となって心に突き刺さってしまう。
「え…、そんな…。」
確かに私には、裏の性格があるのかも知れない。
でも、あなたに見せる私は、全部本当なのに。
あなたの前でなら、素直になれるのに。
…私が見せている私は、嘘だって言うの…!?
「そんな… 嘘なわけないじゃん…。」
私の涙ぐんだ声に、未来は慌てた。
「え…!? いやいや、ちげーよ!」
「…違くないよ!」
私は震えた両手で、未来を突き飛ばした。
「おわっ! …おい待てって!」
そしてそのまま、泣きながら走って帰った。
未来は、追いかけては来なかった。
帰る途中で、雨が降ってきた。
冬の雨は冷たく、身体の体温を奪っていった。
私は家に帰ってからも、しばらく泣いていた。
でも悲しみはすぐに、後悔へと変わった。
(未来は何にも悪くないのに…、あんなひどいことしちゃった…。)
そして次の日、私は学校を休んでしまう。
(私、何してんだろ…。)
―思い返してみると私は、自分のことしか考えてなかったのかも知れない。
未来を想う気持ちは、未来に対する優しさなんかじゃない。
私の中で勝手に造り上げた、私自身なんだ。
(ごめん、未来…。)
報われない気持ちに、行き場所なんてなかった。
ゆっくりとこぼれ落ちる涙とは相反し、ただ時間は刻々と過ぎていった。
3
―朝日が、山の間から昇った。
(日の出…。)
私は、眩しい目を細めた。
(あの日、まさか2日後に自分が死ぬとは思わなかったなあ…。)
大切なもの、大事なこと。
大抵そういうものって、失ったあとで後悔する。
失う前に、もっとできることがあったんじゃないかって。
―でも、後悔したところで時間は戻ってはくれない。
(だから今、私はここにいる。)
考え事をしながら歩くうちに、私は未来の家まで来ていた。
(ここもまた、懐かしいなあ…。)
私は、未来が毎朝ランニングをしていることを知っている。
そして確か、日が昇ってから走ると言っていたことも覚えている。
(だから、そろそろかなー?)
私は、未来の家の前で座って待ち伏せすることにした。
しばらくすると、玄関のドアが開いて、誰かが出てきた。
(―未来だ。)
未来は、何ひとつ変わっていなかった。
私の知ってる未来だった。
未来のまとっている雰囲気や匂いは、私にしてみれば唯一無二なもの。
(ああ、懐かしいこの感じ…、未来以外の誰でもない。)
私は思いにふけながら、ストレッチをしている未来に近づいた。
しかし未来は、私に気付かず、今にも走り出そうとしている。
―そうだ、私は姿がなかったんだ。
(あ…、ちょっと待って…!)
私は焦った。
(未来、私はここにいるよ…!)
未来は既に軽く走り出していた。
(お願い、気付いて…!!)
未来の背中が、どんどん離れていく。
しかし、その時だった。
「未来っ!!」
―静かな朝の空気に、私の声が響いた。
自分でもびっくりした。
(今、声が出た…!?)
前を見ると、未来が立ち止まって私のほうを振り返っている。
びっくりしたような顔をしながら。
そして走って近付いてくる。
「優月…!?」
「え、未来…!?」
未来は私の前まで走って来ると、息を切らしながら言った。
「優月…、本当に優月か!? どうしてここに…!?」
私はわけが分からなかった。
(未来には、私が見えるの…!?)
私は、冷静じゃなかったけど、頭を無理やり切り替えて未来に伝えた。
「未来、あのね…。私、伝えたいことがあって来たの…。」
「優月…。」
「あ、でも待って…。」
(突然の出来事で、未来は今、私以上に冷静じゃないだろうな…。)
私たちは、冷静に話すために、とりあえず近くの公園に向かうことにした。
4
私は、死んでしまったあの日からの経緯を全て未来に話した。
天国への階段のこと。
自宅に戻って、母親に会いに行ったこと。
月見ヶ丘で、詩織に会ったこと。
こうして未来に会いに来たこと。
そして、死んでから気付いたこと。
大切なもの。
もう戻らないもの。
未来は、私の話を包み込むように聞いてくれた。
私もまた、伝えたい想いを話せるだけ話した。
「でも、本当にごめんね…。あの日の帰り道…。」
「ああ…、あれは本当に俺が悪かった。ごめん、優月…。」
「ううん。ありがと…。」
固い結び目は段々と、やわらかく解けていく。
そして重い話は、いつものように何でもない会話になっていった。
「あ…!! 未来、そろそろ学校行かないと。」
「何言ってんだ、今日は日曜だろ。」
「そーなんだ? 曜日感覚がなかったから…。」
太陽は段々と高度をあげ、空気が暖かくなっていく。
「でも、優月…。」
「うん、何?」
「これからは、ずっと一緒にいられるのか?」
「えっと…。」
私は半ば忘れていたけど、今は仮の姿である。
本当は、未来とずっと一緒にいれたらいいけど、それはしちゃいけない気がしていた。
私の帰るべきところ。
それは家でもなく、未来でもなく、天国なんだ。
私はそんな運命を背負っているかのようだった。
「ごめん…。私はもう、死んでるから…。帰るべきところがあるの。」
「そうか…、もう、一緒にいられないのか…。」
「でも、1日だけ…。」
―どうか、1日だけ、運命に逆らわしてほしい。
今夜中に、きっと帰ります。
「うん、分かった…。」
未来は私の気持ちを悟ったのか、深く頷いた。
それを見た私は、あえて明るく言う。
「何で重い顔してるのさあー?」
「え、だってさ…。」
「私は、もう二度と未来に会えないと思ってた…。それは未来も一緒でしょ?
でも、こうして今話してる。それだけで幸せだと思うの…。」
「うん、それもそうだな…!」
「せっかくだから、どこか遊びに行こう…?」
そして、私と未来は2人きりで街に遊びに行った。
楽しくショッピングをしたり、ゲームセンターで遊んだり。
お腹が減ってはご飯を食べ、カフェでお話をしたりもした。
それはそれは楽しい、まさに恋人のようなデートだった。
(でも、知り合いに会ってしまったら、色々とどう説明しよう?)
しかしその日、知り合いに会うことはなかった。
(そうだ、これはきっと…。)
―きっと今日は、許された1日なのだ。
だから私の身体もちゃんとあるし、人として人らしく行動できる。
喋れるし、お腹もすくし、寒さだって感じる。
「おーい、何してんだ優月、早く行くぞー。」
「あ、ごめんごめん。 今行くー!」
「そういえば、言い忘れてたけど、そのペンダントつけてくれてるんだな。」
「うん、そうだよー! 似合ってるでしょー?」
私は、また未来と一緒に過ごせることに、今までにない幸せを感じていた。
5
―私たちは公園に戻ってきた。
日が傾いて、沈もうとしている。
街はもう、既に夕方になっていた。
「あー。楽しかったな。」
「そうだね…。楽しかった。ありがとう、未来。」
「いや、そんなそんな…。」
未来がベンチに腰をかけたので、私もその左隣に座った。
そのとき、冷たい風が吹いた。
(やばい。寒いかも…。)
今まで寒さを感じなかった分、夕方の寒さを体感する。
それに、未来が気付いた。
「優月、寒いのか?」
「あ、うん…。ちょっとね。」
「上着貸してやるよ。」
未来はそう言って、自分の上着を脱ぐと私に被せてくれた。
「あ、ありがと…! 未来は寒くないの!?」
「これくらい平気だよ。心配すんなって。」
「ふふ、ありがと。」
公園内はやけに静かだった。
ベンチの2人の影が、長く伸びていく。
(もう…、日が、沈む…。)
時が経つのは早いもので、日はあっという間に山に沈んでしまった。
2人の間に、沈黙が訪れる。
日の入りは、1日の終わりを意味するからだ。
そして私は、何かにそそのかされるように立ち上がる。
「私、そろそろ行かなきゃ…。」
―もう、未来ともお別れだ。
(夢を見れただけで、幸せだったよ、ありがとう…。)
私は空を見上げる。
綺麗な一番星が、輝いていた。
―そのとき。
「ちょっと待って!!」
未来がいきなり立ち上がった。
そして突然、私を抱きしめる。
「え、ちょっと…!?」
「俺、ずっと好きだった。…優月のこと。
だから…、離したくなくてさ…。ごめん。」
私はなぜか、涙があふれた。
「私だって…、ずっと…好きだよ…。」
「…うん。」
「好きなのに…。お別れなんて寂しいよ…。」
私は、大粒の涙をこぼして泣いた。
輝き始めた星たちが、滲んで見える。
未来は、更にぎゅっと抱きしめてくれた。
「元気でな、優月…。」
「うん…。未来こそ…。どうか幸せに過ごしてね…。」
「うん、ありがとな。」
―そのとき、身体が空気に溶けていくのを感じた。
私の身体が、宙に浮かび始める。
未来が私の手を握ろうとして、空振りしてしまう。
「優月…!!」
「未来…、今までありがとう…。ごめんね…。」
私の身体は、夜空に吸い込まれるように、ふわふわと高く飛び上がった。
未来がどんどん、見えないくらいに小さくなっていく。
一生懸命、私に手を振っているのが見えた。
そして見えなくなってしまう。
(またいつか…会えるといいな。)
しばらくすると私はもう、自分の意思で飛んでいた。