システムの終末
ようやくのことで、マドーラが寝息を立て始める。
今日1日に起こった事を考えれば、寝付けないのも無理は無いと思ったが、思ったよりも早く眠ってくれた。
やはり疲れと……あのムラタという人に言われたことも影響しているのかも知れない。
「子供はさっさと寝ろ」
と、実に身も蓋もなかった言葉であったが、確かに言っていることは正しい。
キルシュはそう感じた。
自分の中の感情を整理出来ないまま、キッチンに繋がる扉をキルシュは開ける。
そのままキルシュも休むように言われていたが――何のことはない、自分が寝付けないのだ。
この扉は施錠出来るようになっており、その鍵も渡されている。
ムラタは、
「そもそも私が出した鍵ですから完璧な安心は出来ないでしょうが、そこは信用して貰うしかありませんね」
と肩をすくめる。
何だかあれもこれも先回りしてくるが、よっぽどやましいことがあるように思えた。
しかしこれまでの彼の行動から“身の危険”らしきものを感じたことがない。
むしろムラタの方がこちらを怖がっているようで……何ともおかしな人物だ。
何にしても、ある程度の信用は――
そう考えていたキルシュの目には何だかコソコソしているムラタの様子が映る。
「何ですか?」
「き、キルシュさん!?」
慌てるムラタの手から、タバコがぽとりと落ちる。
それを見てキルシュはがっくりと肩を落とした。
「……ムラタ様、どうぞおタバコぐらいは堂々と」
「いや、さすがに子供の前では吸えませんし……」
「そうなんですか?」
「タバコの煙は、とっても有害なものです。特に子供の成長に影響がありますから……キルシュさんは……」
「構いませんよ」
「しかし……」
「大丈夫ですから」
キルシュは力強く応じた。
そう言えばムラタは年齢も聞いてこないし、そもそも名前についても関心があまりない様子だった。
「……それでは……恐らくこの部屋では影響が少ないと思うので」
「そうなんですか?」
「俺にも、よくわかってません。ただまぁ、居住環境については色々仕掛けられてると思いますよ」
何とも無責任な話であるが、勝手に洗濯してくれる機械とか、皿洗いしてくれる機械とか、アレコレの使い方は一応わかっているようだった。
ムラタは覚悟を決めたのか、タバコを咥えると火を点け、深々と吸い込んだ。
そして、浮かべる至福の笑み。
何とも気が抜けている有様だが、今の無茶苦茶な状況を作り出したのもムラタであることは間違いない。
「……1つ気になっていることがあるんですけど、良いですか?」
「はい、どうぞ」
タバコを燻らせながら尋ねてくるムラタに、深刻な話ではなさそうだと感じたキルシュは簡単に応じる。
「先ほどの連中、キルシュさんの存在をまったく勘定に入れてないようでしたが……」
「ああ」
そんなことを疑問に思うのだからやはりムラタは“異邦人”なんだなぁ、キルシュは思わぬところで納得した。
「本来なら貴族の方々の係累が侍女に選ばれますが、私はそういう感じでは無いので――多分、私が一緒にいることはわかっていたと思いますが、気にとめなかったんでしょう」
キルシュはマドーラがニディア子爵の下に居るときに雇われた侍女と言うよりも、ただのメイドだ。
つまり元を正せば、ただの田舎娘という評価がもっとも当てはまる。
だがムラタは、キルシュの説明を聞いて眉根を寄せた。
そして灰を落としながら、
「それって、キルシュさんが戦いに巻き込まれても構わない、ということになりますね」
その言葉は質問では無く断言。
そして、その判断は恐らく正しい。
キルシュは、頷く以外の選択肢が選べなかった。
「……そうですか。これは優先順位を上げた方が良さそうですね」
ムラタはキルシュの反応から、何かを悟ったように呟いた。
「何の優先順位ですか?」
間違いなく自分に関係あることだろうと判断したキルシュは尋ねる。
「貴女以外の侍女をマドーラにつける手配ですよ」
「え!?」
キルシュは驚きのあまり声を上げてしまった。
しかしムラタは騒がずに、それどころかキッチンの椅子をマドーラに勧めた。
一寸躊躇ったキルシュだが、大変な話になるかも知れない、と思い直す。
(暇を出されてしまうのだから……だが、ムラタにそんな事を決める権利が……殿下がそれを支持されたなら……)
頭の中でキルシュがそんな風にグルグル考えている間に、腰掛けてしまう。
「先に断っておきますが、別に貴女に暇を出す話をしているわけではありません。単純に人手が必要だと考えたからです――そうですねあと2人ぐらいかな?」
「そんな! 私だけでも……」
「確かに貴女を気遣う理由もありますが、これはマドーラのためでもあります」
「で、殿下の?」
と言われても、何故そうなるのかキルシュにはわからない。
ムラタは心得たように頷く。
「マドーラは人の使い方を覚えていかねばなりません。まず人は働いたら休憩が必要だと言うことを、しっかりと理解させるんです。彼女の周りには貴女のように献身的な人達ばかりにはならないでしょう。つまりマドーラは適切な顔色の窺い方を覚えないと……」
「ないと……?」
「不幸なことが起きる可能性が高い」
そう言われて、キルシュの脳裏には侍女達の間で交わされた、あれやこれやの話が浮かんできた。
マドーラは決して手のかかる女の子では無かったが、それでも不満は出てくる。
これから先、王位を継承すればさらに多くの人と接することになるわけだから――
「ご理解いただけたようでなにより。ですが、貴女に筆頭侍女を任せることになるのは間違いないでしょう。最初の内は、今よりずっと忙しくなりますよ」
キルシュの心の内を読み取ったように、ムラタが告げる。
それに驚きながらも、言われた内容はむしろキルシュには大歓迎だった。
「望むところです!」
と、気を張って答えてからふと思い当たる。
「……この部屋の機械があれば、もしかしたら本当に忙しくはならないと思いますが」
ムラタは笑いながらタバコを吸い込み、答える。
「身の回りはどうとでもなると俺も思っています。肝心なのはマドーラの側にいても負担にならない人物である事です。俺はがさつな男ですから……キルシュさん、お願いしますよ」
「わ、わかりました!」
勢い込んで答えるキルシュ。
ゆっくりと頷くムラタ。
「……殿下はずっと、こういう生活を送られるんですね」
そんなムラタの雰囲気に絆されたように、キルシュは思わずそんな言葉を口にしていた。
本来なら、言うべきでは無い言葉であるとキルシュにもわかっている。
だがマドーラの将来を思えば思うほど、どうにもたまらなくなるのだ。
これまでのマドーラの生い立ちも、決して恵まれたものでは無い。
「ムラタ様。何か良い考えは無いものでしょうか?」
キルシュはムラタに縋るように“言うべきでは無い言葉”で、もう一度呼びかける。
ムラタは、タバコを携帯灰皿に放り込みながらゆっくりと口を開いた。
「――俺の世界では国民全員が、これは! という人物に王となって貰うシステムがありました」
酷く淡々とムラタは告げる。
しかしキルシュは、そのムラタの言葉に希望を感じていた。
実現出来るかはともかくとして、そういう考えかたがあることが救いでもあったからだ。
何より、これならマドーラを女の子に戻すことが出来る。
だが、ムラタの表情からは感情が抜け落ちていた。
「だが、どうもこのシステム、人には不向きなようですね」
「……不向き? どうしてそんなことが?」
「簡単な話です。俺の世界では基本的にこのシステムが蔓延っています。それこそ全員で上手くいくかどうか実験中みたいなものですよ。だが、どうもよろしくない」
「良くない……ですか?」
「まず簡単な話ですが、王を選ぶための札入れ……これで通じるのかな?」
「わかりますよ。えっと、不正とかがあるんですか?」
「いえ、そもそも人間は札入れに行かないことが判明しました。全員では無いですが半分以上ですね」
「そ、そんなことが……」
「ええ。基本的に政治に関わること嫌がるみたいですね。だから個人を評価して札入れを行うべきであるのに、血縁を何の根拠もなく信頼して、年若い未熟な人物を選んだりします」
「それは……」
何ら、今の状況と変わりが無いではないか。
「まだ問題はあります。このように札入れのためには人それぞれが独自に考えることを力尽くで変更させてはなりません。これは上手くいってるようなんですが、どうにもはき違えが起きるようで」
「はき違え?」
「このシステムの根幹には、人それぞれが政治について考えることが出来る素地が必要不可欠です。だから国もそのために、子供の頃から色々教えていくための施設を作ります」
「それは良いことでは……?」
「普通ならね。だけど個人を守るということがどうにもよろしくなくてね。俺の世界である人物が現れたんですよ。子供なんですがね」
「こ、子供?」
「その子供は『教えてくれる施設が気に入らない。絶対そうに違いないから、みんなも施設に行くのを止めろ』とね」
「そんな無茶な!」
「……だが、個人は守られなければならない」
まるで死を告げるように厳かにムラタは告げる。
キルシュは……何も言えなくなっていた。
「俺に言わせれば社会システムに挑戦してきた子供には敢然として説教しなければなりませんでしたが、そのシステムにどういった要素が必要なのか理解できない連中はただ言を左右にするだけ。そして俺たちの世界では、そのシステムがおかしくなった状態も名付けられているのに、誰も指摘しない」
その時ばかりはムラタの言葉に感情が滲む。
悲しみか――あるいはそれに似た何かが。
「……と言うわけですから、俺も答えはないんですよ。いやむしろ、この国のシステムの方が多少マシだとも思えます」
「そ……そうでしょうか?」
キルシュは辛うじて、言葉を返す。
ムラタの言っていることがまったくわからないわけでは無かったが、今のマドーラの状況をもたらしたこの国がマシだという言葉にも頷きにくい。
そんなキルシュを見つめムラタは、薄く笑いながら告げた。
「少なくともマドーラの境遇はこれから変えることも出来るでしょう。俺もそのつもりだし、貴女もそうなんでしょう。それが出来る余地があった分だけマシ、と言うことです」
「それは……そうですね」
何だか誤魔化されている気もするが、元は自分の出しゃばった言葉だ。
それなのに、せっかくムラタがまとめてくれたのだから、これ以上はもう良いだろう。
キルシュは力を込めて頷いた。
「――では無い物ねだりの前に明日から地道に頑張りましょうか」
「はい!!」
元気よく返事。
実際、明日の準備もあるし使い方を教えて欲しい機械はまだあるのだ。
――“異邦人”が元いた世界に恐ろしさを感じながら。




