シンキングタイム
男――ムラタは言い訳を続けていたが、とにかく仕切り直しになった。
正確には仕切り直したい、というムラタの希望が優先されることになっただけだが、ここまで無理矢理付き合わされたマドーラとキルシュにも、幾分か余裕が出来てきたらしい。
マドーラに関しては、余裕どころか完全に自分のペースで行動し始めていたが、ムラタの方でも特に高圧的に接することがない。
むしろお付きの侍女たる、キルシュの方がマドーラに小言を並べることが多かった。
それもまたキルシュに余裕が出てきた証であろう。
彼女たちは、ムラタが用意したこの部屋の不思議な設備に完全に心を奪われており、
――不審人物に脅迫されている
という本来なら逼迫した状態であるのだから、この状況はおかしい。
あまりに、この部屋の状況が桁違いであったのか。
幾分かは年かさであるはずのキルシュの認識能力が劣っていたか。
ムラタの言動が、比較的穏やかで――それに何だか滑稽なこともしてしまうからか。
あるいは、その全てか。
とにかく、現状では3人は脅迫者とその被害者という構図では無く、一蓮托生の仲間のようにも見える。
マドーラがキッチンに備え付けられたテーブルに腰掛け、大人2人がマドーラを中心にして、お互いを牽制しているように見えたとしてもだ。
「――さて、どこから始めるかという所からですが……やはりマドーラを中心に話した方が良いな。君もその方が良いだろう。質問は随時受け付ける」
「わかりました」
即座に頷きつつマドーラが応じる。
つい先ほどまでの無気力さは、すっかりなりを潜めている。
元々彼女の資質がそうであったのか、あるいは自分の味方だと確信していたキルシュに累が及びそうだったからなのか。
とにかく、彼女は状況に流されるままである事が良くないと――その状態がムラタの望みに叶わない事をすでに察知していた。
「俺がここにいることで、君がどういう状況にあるかはわかるか?」
「脅迫……」
「いや、それでは理解が遅い」
マドーラは考え込んだ。
その隙に、というべきかムラタはキルシュへと標的を移した。
「キルシュさん。先ほども言いましたがあなたご本人も着替えていただけると有り難い。それに合わせてあなたの衣服とマドーラの衣服もこちらに。それに――」
ムラタがキルシュを手招きする。
そしてキルシュが恐る恐る近づいたところで耳元でこう告げた。
「――下着もお願いします」
「ああ!」
言われた途端に、キルシュはすぐに理解の色を浮かべた。
「――何ですか?」
「俺を哀れだと思うなら、気にしないでくれ。それより思いついたか?」
「う~んと、何について考えると良いんですか?」
「そうだな。俺がこの場所に現れた事について考えてみると良い」
惜しみなくヒントを出したあと、ムラタは再びキルシュに向き直る。
「恐らく複数回になるでしょうが、1回目は俺も付いていきます。その間に俺の威を借りる方法を覚えて下さい。つまり俺の名を出して、王宮の人間をこき使う方法を覚えて欲しいんです」
「それは……」
「恐らく、この王宮で真摯にマドーラの身を案じることが出来る人は少ないのでしょう。下手をすれば貴女の身に危険が及ぶことも考えられます……大丈夫ですか?」
その言葉に、キルシュは躊躇うことなく頷いた。
それにムラタも頷きで応え、
「マドーラ、少し出てくる。心配しなくても、人が勝手に入ってくることはないだろう。じっくり考えてくれ。で、冷凍庫の中に――」
ムラタはすたすたと歩いて、冷凍庫からアイスを取り出した。
「――こういう物が入っている。頭脳労働には必要なものだが、あまり食べ過ぎるのは感心しないな。では、行きますか」
言うが早いが、ムラタはキルシュを伴って出て行ってしまった。
残されたマドーラは、一瞬この状況に開放感と頼りなさを同時に感じてしまう。
それも仕方のないところだろう。
今までの状況は多くの人に囲まれながらも、彼女は孤独さを感じていたのだ。
ところが今、突然に本当の1人きりになってしまった。
そのことが、マドーラは上手く処理出来ない。
今この瞬間だけは何をしても良いはずが、だからといって本当に奔放に振る舞うことに躊躇いを感じてしまう。
(とりあえず)
ムラタが出してくれたアイスに手を伸ばすマドーラ。
そして、添えられていたスプーンですくい取り、口に放り込む。
冷たさと甘みが、少しばかり茹だっていた彼女の心を引き締めた。
未だ自分が大人達に利用される身の上である事に変わりは無い。
ムラタは今までの大人達とはかなり違うが、その点では変わらないのであろう。
その上で、自分に自由を与えても逃げ出さない、という何か信頼のようなものをマドーラは感じていた。
その信頼の先には――
マドーラは改めて考えてみる。
ムラタがいる。その上で自分の状況とは、一体何なのか?
先に整理すべきは、ムラタがいるという状況なのか?
それとも自分?
ムラタのいることで確かに状況は変わった。
それは間違いない。
その上で、自分に出来ること……というか、何故自分に考えさせるのだろうか?
もしかしたら、考えさせることが狙いなのか……
いつの間にかアイスは、すでに食べきってしまった。
もう一つ……
「帰ったぞ~……って、食べ過ぎると腹壊すぞ」
「殿下!」
タイミングの悪いことに、マドーラが冷凍庫に手を伸ばしたところで2人が戻ってきた。
バツの悪くなったマドーラは慌てて手を引っ込める。
そして大きな荷物を抱えた2人を見て、目を見張った。
「これ、お前の着替えだ。こういう元の服が良いのなら――」
「良いです!」
マドーラが勢い込んで答える。
それほどに今着ている服は動きやすかったのだ。
「でも、そういうお召し物では……」
一方で、キルシュはマドーラが今着ているような服には難色を示していた。
この世界におけるごく普通の感覚の持ち主とも言えるだろう。
だがムラタは荷物をその場に置きながら、キルシュに向かって薄く笑って見せた。
「マドーラは、ここで1番偉いんでしょう? 好きな服ぐらい着せてあげましょうよ。何より、気に入っているんだし」
「あ!」
と、突然マドーラが声を上げた。
キルシュは普通にビックリしていたが、ムラタの方は笑みニヤニヤ笑いに変化させる。
まるで仕掛けた罠に、獲物が飛び込んだかのように。
「気付いたか」
「は、はい」
と、マドーラはそこまでは元気よく答えるが、その後また黙り込んでしまう。
「他に何か思いついたことは?」
「……えっと、あの質問は私に何かを考えさせることが目的じゃないのかって……」
その答えに、今度はムラタの方が意表を突かれた様だ。
次に、神妙な表情でマドーラを見つめると、
「……それは、あるいは俺が思った以上の答えかも知れないな」
と厳かに告げる。
そして、しばらくムラタは黙り込んでいたがキルシュが動き出すと、慌てて自分の分の荷物を持ち直した。
今度はそれをキルシュが笑みを見せながら制する。
「ここまで来たら、大したことはありませんから、どうぞお話しなさって下さい」
「しかしですね……」
「……では、向こうの部屋まで。それ以上は――」
「心得ています」
その様子を見やってきたマドーラは、ムラタが戻ってくるとすぐに、こう尋ねた。
「キルシュが気になるんですか?」
「――ならない。子供とは言えやはり女性は女性だな。そして俺はそんな女性の怖さを知っている。出来れば穏やかに行きたい」
ムラタに言下に否定され、しかも何だか馬鹿にされたような気分になるマドーラ。
思わず頬を膨らませながら、
「さっきは私に自分が偉いと言うことに気付くように、ということですよね。それなのに……」
「俺は、君たちの誰も彼も偉いとは思ってないからな」
「キルシュには……」
「大人の嗜みだ。子供が無理して覚えなくてもいい――と行きたいところだが」
ムラタはまたしても表情を改めた。
「君は想像以上に聡い。だから、予定を少し変更して、良いことを教えることにする」
「良いこと?」
マドーラの質問に、ムラタはポケットを不意にまさぐりだし、すぐにそれを止めたる。
何かのおまじないか、魔法か、スキルか、とマドーラは警戒するが、結果としてはムラタががっくりと肩を落としただけだった。
なんなんだと、訝しくムラタを見つめるマドーラ。
しかしムラタは、質問されていたことは忘れなかったようで、やがて口を開く。
「――良いこと、というのは“悪党”になる方法だよ」




