報償への新しい試み~ゴブリン牧場~
ゴブリン牧場の朝は早い――
比較的、平均気温が高いこの地域では朝靄もなく、いきなり強い光が差し込んでくる。
ゴブリン飼育の環境は、このような陽の光を味方に付けることが肝心だという。
見れば確かに大きな樹木はすでに取り払われていた。
ここは大密林の一角だが、それだけの労力を費やして環境を整えるのだ。
その朝の光を浴びながら牧場主のジョンさん近付いてくる。
――おはようございます。
「おはようございます」
――朝は何から始めるのでしょう
「まずはぐるりと回って、壁を確認しますね。崩れたり穴が開いていたりとか、そういうものを点検するんです」
ゴブリン牧場は他の家畜のように柵で囲っているわけでは無い。
5メートルほど掘り下げられており、その穴の中でゴブリンは飼育されているのだ。
ジョンさんは、その穴の壁を点検している。
「そうですね。もっと頑丈な――ええ、石壁などで覆ってしまえば良いと思いますが始まったばかりですから。成果を出して良いものに変えていきたいですね」
ジョンさんの言葉に力が入る。
今日の点検は問題なかったようだ。
ゴブリンは頭が悪いので、良からぬ事を企んでもそれを隠すこともできない。
それに壁を崩しても出口がすぐにあるわけでは無い。掘り下げになっている理由はこのためでもあるのだ。
ジョンさんが、馬車に乗ってやって来た。荷台には麻袋が乗っている。
――それは?
「餌です。取り立てて用意したわけではありませんが」
そう言って広げた麻袋の中には、野菜屑、皮、リンゴの芯、ほとんどが生ゴミだけに見える。
これで良いのだろうか?
「ええ。これが他の家畜なら難しいところですが、ゴブリンは生きていれば良いわけですから」
なるほど。
“報償”を得られれば問題は無いと言うことだろう。
これが、食肉用などと言うことになれば問題もあるだろうが……
――餌はずっとこういった物を?
「いいえ。そうですね――十日ごとにもうちょっとまともな物を与えます」
――それは何故ですか?
「時々まともな物が出てくると知ればゴブリンは反抗したりしないんですよ。基本的に怠ける事に関しては一生懸命ですから」
――よく考えられてますね。
「ありがとうございます。でも、まだまだ手探りですよ」
ジョンさんの顔には笑みが浮かぶ。
その後、ジョンさんは穴の周囲を離れ、別の作業へと。
ゴブリン達の鳴き声がうるさいが、その内になれてくると言う。
基本的に夜行性のゴブリンは陽の光の下では、活動が鈍くなる。そんな中、屋根の無い穴で飼育されたゴブリンは夜になっても疲れのためか活発さを失うと言うのだ。
「むしろ雨の方が気を遣います。陽が出ていないことも問題ですが、下手をすると壁が崩れて全滅ですから」
――だからこそ石壁による補強は早く取りかかりたい。
ジョンさんは強い言葉でそう告げた。
餌は一日に一回。
朝の作業が終われば、見回りを欠かさない事ぐらい。基本的にはそこまで手間が掛かるものでは無い、とも言われている。
そんなゴブリン牧場に、新たな集団が現れた。
――あれは?
「彼らは牧場の者ではありません。そうですね……出荷担当とでも言いましょうか」
――出荷?
「そうです。穴の上から『睡眠』を施すんです。ゴブリンは抵抗出来ませんから。あっという間です。ああ、今日は新人が多いのかな?」
見れば先ほどの集団が4人1組になって穴の角に立っている。
こうやって対角線に立って呪文を唱えるのは効率的に思えるが……
「熟練であれば、2人でこの穴全体に2重で『睡眠』を施すことも可能です。穴を挟んで向かい合わせに立ってね。でも新人では安全性を重視して、ああいう風に4人がかりで術を施すんです」
思った以上に慎重だ。
ゴブリンが相手ということで、油断があるのでは無いか?
そんな風に心配していたが杞憂だったようだ。
魔法職の方にも話を聞いてみる。
――こちらのお仕事はどうですか?
「僕たちは本当は冒険者なんです。最初は抵抗もあったんですが、ここで練習できるのは、やっぱり良いことだと思います」
――どんな点が?
「何と言っても、安全に詠唱出来る点ですね。これで熟練度を上げてゆけば様々なスキルが身についていきますから。実戦に出ても余裕を持って対処出来ます」
確かに冒険者の育成という意味でも、ゴブリン牧場の意義はあるようだ。
このやり方だといきなり不測の事態に襲われる可能性はほとんど無い。冒険者の初期離脱を防ぐ上でもこういった試みは注目を集めている。
しかしここで、少し踏み込んで質問してみた。
――熟練の方々もいるんですよね?
「ええ」
――彼らは実戦の場に出ることなくここでゴブリンの“出荷作業”を繰り返しているわけですが、何か思うところは無いですか?
「……何かとは?」
――冒険者とは冒険に出てこそ、のような風潮があると思われますが……
そこまで踏み込むと、彼は難しい顔をした。
やはり答えにくいのだろうか?
「……こちらを担当しているフレッドさんの話なんですが」
不意に彼は口を開いた。フレッドというのは熟練の一人だ。
冒険者ギルドに所属はしているが、ギルドから仕事を受けることは無い。
そんなフレッドの選択を彼はどんな風に彼は語るのだろうか?
「フレッドさんは、お体を悪くしているお母さんの面倒を見てるんですよ。冒険に出てしまえば、数日は帰れなくなることが当たり前で、場合によっては還ってこれないかも知れない」
彼の表情は何処か苦々しい。
しかし、そういう事情があれば確かに冒険に出ることは難しいだろう。
彼の表情はそんなフレッドを慮ってのこと。
彼は続ける。
「フレッドさんも多分、冒険には出たいと思ってるんじゃ無いかな? でもフレッドさんからは今の後悔している様子はないんです。むしろ僕たちを応援してくれている。僕たちもフレッドさん達の存在で、ますます余裕を持って練習出来るんです。まったく恵まれてますよ」
――熟練の存在は大きい?
「……ええ、まあ」
言葉を濁らせたのは「自由に冒険に出ることが出来る」自分の身を“恵まれている”と感じているからではないか?
しかし、実際のところは冒険に出なくとも身につけた魔法・技能を生かすことが出来る職場の存在。
それが本当に“恵まれている”と言うことかも知れない。
出荷の作業はここからが本番と言っても良いだろう。
戦士や剣士は眠り転けるゴブリンを始末し“報償”獲得。
魔法職は降りるまでも無く、直接、術を唱えることで“報償”を手にしていく。
ここまで手順が確立してしまえば、この作業はむしろ簡単な部類だろう。
実際に“出荷”にあたるのは、新人中の新人であることが多いが、ここまで段取りが出来ていると失敗する方が難しいのでは無いか?
それに新人ばかりでは無く、時には熟練もこの牧場に訪れるという。
単純な報償稼ぎ以外にも、用途はあるようだ。
“出荷”が終われば、再びジョンさんの仕事となる。
――これから何を?
「掃除ですね。下手に放置するとアンデッドになってしまいますから。確実に、そして忘れずに掃除を行います」
――具体的には?
「焼くことが多いですね。普通に火を使うことも多いですが、魔法職の方々に協力して貰うこともあります。その後にスロープを作って穴から土を運び出します」
――土を?
「そうです。滋養タップリの良い土が出来上がりますから。それでもやはり抵抗はありますから畑では無く果樹園で使用します」
――なかなか有意義に思えます。ですが先ほどの計画では石造りに変えたいと仰っていましたが?
「そこが問題ですよね。やはり土を残していく部分は残していく。こういう見極めは大事だと思います」
語るジョンさんの表情はやはり笑顔だ。
手応えを感じているのだろう。
――まだまだ始まったばかりのゴブリン農場だが、その未来は明るい。




