生物として終わっている
「これって、元々あった森に勝手に家を建てたんじゃないか?」
俺の独り言じみた言葉に反応してくれる同乗者はいなかった。
……期待していたわけでも無いけど、相づちぐらいは……
だが実際、そのぐらいの錯覚を覚える風景であるのは間違いない。
リンカル侯の屋敷はずっと前から見えているのに、一向に近付かないのだから。
それどころか周囲の緑は濃くなるばかり。いざとなったら、ここに立てこもって戦う算段でもあるんじゃ無かろうか。
王家も王家で、よくもこれだけ土地を自由にさせているものだ。
兵士とか呼び寄せておいて、この森の中で隠すことだって出来るだろうに。
あの屋敷も砦としての働きも出来るだろう。
王家には専横に歯がみをしている忠勤の家臣みたいなものがいるんじゃないか?
屋敷の背後に見える、本家の王宮の姿が何とも皮肉だ。
むしろ懐にむき出しの匕首を飲んでいるようにも見える。
こういったあからさまなリンカル家の態度は……と、やっと門が見えてきたが正面からはもちろん入っていかない。
脇にそれて、人目の付かない通用門経由だ。
どっちにしても、森の真ん中にいきなり塀を建てたような印象が変わることは無いけどな。
そして通用門を抜けてからも、結構な距離がある。
この敷地を毎日整備?
つくづく労力の無駄遣いだと思うが、そうせねば保たれない権威もあるのだろう。
綺麗に形作られた生け垣。隅々まで掃き清められた道。街中にある物とは、施された細工のレベルが違う街灯……街灯と言うべきなのかこれ?
――今通っているところは、これで裏道のはずだからな。
正門から乗り込めばまた次元の違う手の入れようなのだろう。
さてこちらは本邸と思われる建物から遠ざかっていく。
一瞬、再び森の中に戻ったように感じる鬱蒼とした道を通り、その先にある小さめの――もちろん一般的には豪邸――家屋が目的地のようだ。
元々表向きにしてはいけない“客”だからな。
ノラさんの事もあるし、そもそも俺が怪しいことこの上ない。
(2回ぐらいは出直しになるかな……?)
と言うのが俺の予想。
ノラさんはもっと早くなると予想していた。何なら今日すぐにでも。
それなりの根拠があるみたいだが、それを開示することは無かった。いい距離感だ。
そうこうしている内に馬車が速度を落としてゆく。
やっと到着したらしい。
馬車は完全に停止し、同乗していた若い男がとっさに動き出して、扉を開けて俺たちを迎える態勢になった。この辺は労働力の行使に合理性を求めたようだ――が?
まず俺が出て、その後にノラさん。
概ね馬車から見えたままの景色だな――これ、おかしくないか?
背後のノラさんに目で尋ねてみると、苦笑された。
やっぱりか。
俺はノラさんに離れているように手だけで合図すると、若い男の後に続いた。
足音からしてノラさんは遅れて付いていく“態”で対応するらしい。
大丈夫かな?
若い男が家屋の扉に手を掛けて、
「お待たせしました」
と若い男が言うと同時に中から鎧で固めた男が2人飛び出して来た――と同時に俺もその場で足踏みをする。
正直に言おう。
今度ばっかりは死んでも構いはしない、と本気で考えていた。
ここに来て、だまし討ちみたいな真似をするとははな。
「ぐ……」
「が……」
……ガ行の発音練習だろうか。
飛び出したと同時に家と石畳の境目で転がってしまった2人の鎧男が呻き声を上げている。
ここまで連れてきた若い男は……あ、泡ふいてら。
ご愁傷さま。
どうやら俺を除く判断になったらしいが、何故こんなに手間を掛けたんだろう?
もっと簡単に……俺は首を傾げる。
一つ思いついていることがあるのだが――
「……いや、思った以上だね」
いささか苦しそうではあるが、ノラさんが近付きながら話しかけてきた。
俺はその様子にある程度の確信を抱きながら、尋ねてみる。
「思った以上なのは、俺のスキルですか? それとも挑発した侯爵のへその曲げ方ですか?」
「両方だね」
いけしゃあしゃあと答えが返ってきた。
多分、警護に回った時、例のご婦人にある事無いこと吹き込んだんだろう。
一番簡単なのは、俺がご婦人に岡惚れしてる説。
もっとややこしくなるのは、ご婦人が俺に興味津々というパターン。
しかし、この短絡的な対処を指示したわけだから、改めての挑発は必要なかったのかもしれない。
「で、ノラさん。侯爵はここにいるのかな?」
行動が早いノラさんの事だ。
そこから考えると狙いとしては間違いなく、侯爵を早めに引っ張り出すためだろう。
身分が高いということで、もったいぶられる可能性もあったし、これは確かにGJだ。
ノラさんも俺の質問に頷く。
「閣下の為人からして、ムラヤマさんに目の前で懲罰を加えるため――だったと思うよ。だから言ったろ。“もっと早い”って」
「で、こういうのもっと出てくるんですか?」
「さあ? あまり問題があるとは思えないけど……側を離れない護衛がいるんだろうね。2人から4人ってとこかな。何しろ随分ナメられてるし」
「俺のスキルの報告は受けてるはずですが」
ノラさんは、悟ったような笑みを浮かべて肩をすくめた。
つまり、そういう“貴族”なのだろう。
「き、貴様ら……」
這いつくばっている――もちろん力を緩めたりはしてない――片方から声が聞こえる。
もう一方は……ありゃ、気を失ってる。
それにしても、この期に及んで、まだ上から目線だよ。
生物が持っているという危機回避能力はどこに行ったんだよ。
少しは媚びでも売って、今の窮地を脱するための方策を探したり、せめてそのために時間を稼いだりとか、そういう発想にならないものか。
何だか可哀想になったので、こちらも上から目線で教えてあげよう。
「あのね。客として招いたっていう建前があるわけでしょ? それなのに到着したっていうのに、出迎えが1人も出てこない。これだけの家格でこれはおかしいんだよ」
わかった?
という風に、頭を掴んでこちらを向かせてあげる。
「それをこんな簡単な待ち伏せで、本当に上手くいくと思ったんですか? それとも俺が馬鹿だと思われてるのかな? あるいはそちらが簡単な事にも気づけないほど残念なんですか?」
「……ム……ぐ……」
目は真っ赤に充血してるのに、顔色がドンドン土気色に。
これは昔の小説に出てくる“憤死”というものを目のあたりに出来るのかも知れない。
「いや、これはむしろムラヤマさんのスキルが破格だから現状があるわけで、その点を考慮に入れないと」
ノラさんのフォローが入る。
確かにそうかもしれないが……
「俺が“これ”やるの別に初めてじゃ無いんですよ」
「かも知れないが、どうやって対策するんだい?」
「普通に出迎え――は出来ない御仁なんですね」
いわゆる詰みだ。
ますます可哀想になってきたが――あ。
「こっちも気絶してしまった」
ノラさんが告げる。
見ればわかることをわざわざ告げるのはイヤミでは無かろうか。
しかし、今度は泡に血が混ざっている。
「……大丈夫ですかね」
「君が心配するのは、鼻持ちならない、という感じがする」
そうだけども。
足を持ち上げて、リセットのつもり。
するとノラさんが、ホゥ、と息をついた。
あ、もしかして“これ”のせいで、結構苦しかったのか。
ただ、こういうのもう1回はあるはず――さて侯爵はどこだ? いやそれよりも……
「出てきませんね」
「迷っているところじゃないかな? 馬車の到着にはいくら何でも気付いているだろうし、それから予定通りに事が進んでない事にも気付いているだろう」
「では、逃げ出す算段を――」
「それは無いよ。侯爵閣下が下賤な者たちを相手に逃げるという発想がまずでてこない」
生物として、それは“終わって”るんじゃないか?
だが、そういう状況であるなら――
「――狩り出すんですか?」
「それしかないね」
何と面倒な。
俺はセブンスターを口に咥えた。




