侯爵家へ
細々した事を済まし続けておよそ三日――
ようやくリンカル侯爵家から呼び出しがかかったようだ。
予想よりちょっと遅い。
二度手間にならずに済んだからマシと言えばマシなのかも知れない。
この場合も待ち合わせと言っていいのだろうか?
ノラさんと一緒に待っていたのは例の店だ。そう言えば店名を知らないな。猪亭とでも名付けておくか。
時刻は、午を回ったあたり。
この街の交通事情でピンポイントで指定時刻に来ることも無いだろう。
そういった事情で、ノラさんと例の部屋で待ち受けている。
立場的にノラさんは、使いの者であっても待ち受けなければいけないのかも知れないが、のほほんとしている。
何と言っても侯爵家からの呼び出しだから、もう少し緊張すべきだと思うのだが。
その内、酒でも飲り始めるんじゃ無いか? と訝しんでいたらノックの音が響いた。
「――迎えが参りました」
この店の支配人だな。
俺は立ち上がり、ノラさんもそれに続く。
ノラさんはいつも通り礼服。そして俺もいつも通りに普通の格好。
“木の洞”で仕入れた礼服は、何処かで使うタイミングもあるだろう。
だけど、今は礼服を使うタイミングでは無い。
俺たちは支配人を先頭に階段を降り、店の入り口へと向かった。
なるほど。
そこには、なかなかシュッとした若い男が待っていた。流石に侯爵家に使える使用人だけあって身なりも整えられている。華美では無いが質素でも無い緋色の外套。
しかしなぁ……
家宰クラスをよこさなかった段階で、まだマウントを取る気だな。それが“貴族”というものかも知れないが、俺の“武力”に対抗出来ると簡単に判断したのか。
これで露骨に俺やノラさんを嘲る表情が出るようでは、徹底的に教育するところだったが、とりあえずそれは制御出来ているようだ。
あるいは情報が錯綜しているのか。
俺とノラさんは、若い男に促されるままに馬車に乗り込む。
そして男がトントンと天井を叩くと、馬車はおもむろに発進した。
通りの中央付近が不文律的に豪華な馬車専用――とは前にも話した気がするが、実際体感してみると、中々のものだ。
それにサスペンション……みたいな機構が付いていないとこの速度は危ない。
外側を走ってる、荷馬車の倍とまではいかないが1.5倍ぐらいの速度は出ているだろう。
このままでは尻が限界を迎えるか、酔って吐くぐらいは余裕でありそうだ。
「ムラヤマさん、大丈夫かい?」
俺の様子が随分変だったんだろう。
ノラさんが裏表無しに声を掛けてくれる。
「大丈夫ですよ。いざとなったら“スキル”でどうにかします」
どうなるのかは、わからないが。
そのついでに若い男の反応を見てみる。
……見た感じは平静。
知らされていないのか、知った上で平静を保っているのか。
「出来るなら抑えて欲しい。僕は君のスキルに巻き込まれたくないから」
「わかってますよ。大人しくしてます」
今度は反応があったな。
知らされていない――もしくは俺の情報に関しては制限されているパターン。
これなら、ほぼ想定していたパターンだな。
「こういう時は外の風景を見るように、と言うのが“俺の世界”での知恵なんですよ」
「それが良いと思うよ。ちょっとかかるだろうし」
そうなのか。
では、と俺は本腰を入れて流れる外の風景に意識を沿わせた。
□
襲撃を受けたあの日、ノラさんと面会して後、俺はすぐにリンカル侯の……面倒だから妾でいいか。
そういうご婦人に会いに行ったわけだ。
“多少”力尽くになったのは申し訳なかったが、屋敷以外に危害は加えなかった。
あれも仕方がない、と諦めて貰うしか無いな。
その屋敷の周りを警護していたのが、ノラさんとは別の盗賊ギルドが手配した連中。
侯爵たる者、それぐらい自前で揃えそうなものだが、何しろここは王都。
いかな侯爵でも、自分の兵を自由に動かせるものでもない。
ましてや自分の屋敷ならともかく妾の屋敷ともなると問題もあるのだろう。そこで警護の労を請け負ったのが、推定・盗賊ギルド、と言うわけだ。
ノラさんへの指令と命令系統が違うのは常套と言えば常套手段だろうな。
部下を競わせることで敵愾心を煽り、上へ牙を剥くことを抑制する。
これをやってるのが侯爵サイドなのか、盗賊ギルドの顔役がやってるのかはわからないが、上手く取り回していたのだろう。
ご婦人の警護の方が仕事としては楽で、上手くすると侯爵の知己を得られると言うことで、幾分か上等。
一方、汚れ仕事でその上、
「正義の味方、侯爵の手の者推参!」
みたいな三文芝居の相手役もノラさんは仰せつかっていたわけだ。
ノラさんは、それ以上があったようだと推測しているが、とにかく、この扱いの違いに含むところがあるのも当然。
おれはまず、そこにつけ込むことにした。
「まず、こいつらの面子を潰しましょう」
“こいつら”。
即ちギルド内のノラさんの競合グループ。
こんなに俺にとって都合の良い状態になっているとは、もちろん最初は知らなかった。
俺は単純に、
「妾にいつでも手が届く」
という状態であることを侯爵に示したかっただけだ。
妾が一番ありそうなだけで、ここは侯爵がこだわりそうな“もの”なら実際何でも良い。
結果として、単純に妾だったわけだが。
……リンカル侯爵って、本当に普通だな。
その辺りを相談した結果、ノラさんに色々な情報を提供して貰い、俺は作戦を修正していった。
取りあえず、警護の連中を動けなくする。
――俺とわかるようにしながら。
これでまず、ご婦人の警護の代役が必ず必要になる。
それも俺を相手に出来るような、力を持っていなくてはならない。
そこで悩む侯爵家に届くのが、
「カケフ・ムラヤマと接触に成功。侯爵の元を訪れる事を承知させました」
という、当初の予定とは違うが一定の成果が見られる報告。
恐らく俺と話が通じるらしい――ように思える――ノラ一党の報告は救いになっただろう。
つまり制御不能に見える俺を何とか抑えることが出来るのが、ノラさんチームだけ。
そういう状況を作り出して――
――あとは知らない。
それが俺の選んだスタンス。
……と言うか面倒を見てられないというのが本音だ。
その辺りの交渉はノラさんに任せてある。
俺の存在を良いようにに使えば良いし、その代わり俺も1人ではカバー出来ない侯爵家の揺さぶりに協力して貰う。
それぞれが勝手に動きながら、侯爵家を追い詰めることが出来れば理想型だろう。
そんな経緯を振り返りながら、ここまで話が転がった要因を改めて考えてみた。
(……侯爵家はノラさんのチームを切る予定だったんだろうな)
その辺りの理由はわからないが、ノラさんも逆転のチャンスを窺っていた。
それ以外にも色んなタイミングが、重なっているのだろう。
――果たして俺は幸運なのか?
タイミングの良さを考えていけば、自然と自問せずにはいられない。
しかし、すでに答えは出ているようなもの。“異邦人”としてここに存在すること自体が、不幸の最たるもの。
だから――やはり、いつも通りなんだろうな。
それにまだまだ、始まったばかりだ。
ご婦人に会いに行って、ライバルチームを潰しにかかったのと引き替えに、ノラさんにはある仕事を請け負って貰っている。もちろん、この動きは単に俺の使いっ走りになるだけじゃ無く……
不意に視界が広がった――
ただ単に思考の背景だった窓の外の風景が強烈にアピールしてくる。
少し前から坂道を登っているのを感じていたが、それにつれて住居の密度が低くなっていた。
王都の敷地でも、小高い丘の上にあたるのだろう。
(こういう場所って、地価が高いんだよな)
と、我知らず考えた事がほとんど正解なのだろう。
一般住居を抜けて高級住宅街。
妾の屋敷も中々の広さだったが、やはりこの辺りの屋敷に比べれば「普通の住宅」を域は出ないな。
どうやら舗装も行き届いているらしく、さほどよりも振動も少ない。
すれ違う馬車も、豪奢な物ばかり。
その上、侯爵家は流石に高級住宅街という範疇にも収まらなかったようだ。
馬車がさらに進んでいく内に家屋らしき建物が見えなくなる。周囲の風景はまるで森の中。何処かの自然公園に迷い込んだのかと錯覚しそうになる。
「……見えてくるよ」
ノラさんが静かに告げる。
そうか。
前方に見える、あの宮殿にしか見えない白亜の瀟洒な建造物。
あれが侯爵家の王都での屋敷か――




