認めたくない巨人論
“大暴走”が発生する、おおよそ50日前――
領都ロンバルドにおいて、ゴードンは手紙を受け取った。
手紙と言うよりも、書類の束、と言うような量であったが、それは確かに“ムラタ”から送られた手紙である。
もちろん王宮に勤めている職員の手を介されてはいない。
運んできたのは組織の構成員。
ムラタはもはや完全に、組織を掌握していた。
だが、ムラタに助言を求めたのはゴードンである。
それも幾たびも。
ムラタは最初は無視するつもりであったようだが、今回はゴードンの粘り勝ちだ。
まず量が違うし、その書類に添えられた表題らしき言葉が、いつものように酷い。
――「巨人は何故、脅威たり得ないのか?」
というものであった。
相変わらず怨嗟の籠もった言葉である。
受け取った革袋から書類を引っ張り出したところで、思わずゴードンは笑い出してしまっていた。
無表情を貫いた組織の構成員は、ゴードンが受け取ったという証明のために、ゴードンにサインを要求した。
それを聞いて、ゴードンはいつも以上に疲れたような笑みを浮かべる。
「……このやり方も、ムラタから」
構成員――つまりはハーヴェイツなのだが、それに対して小さく頷くだけ。
幸か不幸か。
いや、間違いなく不幸ではあるのだろうが、ハーヴェイツはムラタから信頼されてしまっている。
その上で、こんなシステムを作り出すのだから、相変わらずと言えば相変わらずだ。
しかしそうなると……
「封蝋もされていないようだが……ああ、痕跡もありませんから君が破ったとは思っていませんよ、念のため」
ゴードンがそんな疑問を口にすると、そこで始めてハーヴェイツの表情が揺れた。
「……あの男は」
「はい?」
「見たければ、見れば良いと。その方が面白いと」
「…………」
そんなハーヴェイツの“証言”に、流石のゴードンも頭を抱えた事は言うまでも無い。
□
そんな人でなしの細工が施されているとは言え、重要な書類である事は改めて確認するまでもない。
ロンバルドの正式なリンカル邸における、ゴードンの私室。
実質的に、ゴードンの住居ではあるのだが名目上はリンカル侯が主人であることは間違いない。
そしてゴードンは、そんな名目を盾にして、自分の生活空間を小さくする事に腐心していた。
理由としてはもちろん足のこともある。
だが、それ以上に、ゴードンの心がさほどの広さを求めていないのだろう。
ただ寝台の広さだけは別だ。
こればかりは貴族の家に生まれた幸運を享受するように、かなり広い。
今も「持続光」を覆いで絞った上で、ムラタから送られた書類に目を通そうと、寝台の上で半端なあぐらを掻いていた。
不自由な方の足は、寝台の上で投げ出した方が楽なのである。
クッションを背中に当てて、自らのそんな姿勢を維持出来るように万全の構えだ。
そして同じ寝台には、寝具姿のアメリアが並んで座っている。
完全にプライベートな空間であり、時間でもある事の証明だ。
……もっともゴードンは日頃から「妻です」と言い続けているのだから、この状態こそが自然であるのかも知れないが。
「……そもそも、これはムラタの字なのかな?」
書類の束を見つめながら、ゴードンは半ば独り言のように口に出した。
もちろん、アメリアにその答えを期待していたわけでは無いのだろう。
ただ、ゴードンにはこういう癖がある。
気が緩んでいるときには。
アメリアは内心、それを喜びながらも、いつも通り無難な推測を添えてみせた。
「……立場的には、右筆がいると考えても良いように思いますが」
「うん。それはそうだね。ただ、あの男は――」
と、書類を捲った時点でゴードンの言葉が止まった。
「……ゴードン様?」
「ああ……いや、すまない。これは確かに右筆によって書かれたものらしいね。それにこれ――」
「よろしいんですか?」
「むしろ見て欲しい」
と言われて、アメリアが覗き込む。
するとそこに書かれていた文章は――
――まず巨体であるということは、利点では無くてまったくの弱点だということだ。
この辺りの文面は、ムラタらしい。
そして、これこそが本命であるかのように、きっちりと清書されていた。
だがその下には、
(その結論をムラタさんは口に出したく無かったように感じる。巨人か何かに思い入れが?)
と、走り書きのような注釈が添えられていた。
「……な、なんでしょうか、これは?」
アメリアが戸惑いを通り越して、何か恐ろしものでも覗いてしまったような表情を浮かべていた。
「多分だけど、最近殿下のおそばに仕えるようになった侍女じゃないかな? ただし、その侍女の目当てはムラタ」
「はい?」
いきなり飛躍したゴードンの説明に、アメリアがついて行けない。
「そういう情報が届いているんだよ。それと私の推測を合わせてみた。そうすると、ある程度見えてくるものがある」
「……それは?」
「そんなに警戒しなくても良いよ。この場合、可哀想なのは彼女だ」
そんな事を口にしながら、ゴードンの口の端には笑みが閃いている。
“彼女”と言われても、アメリアにはわからないのであるが。
「次は……ああ、なるほど。ここで、キチンと説明してくれている。どうやらムラタは随分と手紙を出すことを嫌がったようだが、彼女の走り書きを見て、どれほど自分が嫌なのかが伝わると思い……」
「思い?」
どうにもゴードンの口がよく止まる。
「彼女の――そうそう。マリエルという名の侍女らしいね。何でも随分優秀らしくて、ムラタも頼ることが多いらしい。それで、今回のことで右筆も彼女に任せることになった」
流石にゴードンが情報の整理を始めた。
先ほどの続きが気にはなるが、アメリアにはそれ以上に、気になる事があった。
「そのマリエルさんという方は……あの方の……」
「近くにいるのだろうね。精神的な意味でだけど」
「それでは、正式にお側に?」
「いや、それは無い」
ゴードンが、やはり笑みを浮かべながら断言した。
そんなゴードンの反応に、アメリアは棒でも飲んだような表情になる。
そんなアメリアには気付かなかったようで、ゴードンはさらに続けた。
「まず、扱いが雑を通り越して酷い。先ほどの彼女自身の注釈なんだけどね」
「は、はい」
「彼女は、そんな事いちいち書きながら下書きしていたわけでは無いらしいんだ。当たり前と言えば当たり前なんだけど。これから先、ムラタの説明が複雑になっていったときに、彼女は思わず走り書きしたみたいだ。で、それをムラタが見て『面白い』となった」
アメリアは首を捻る。
「ですが、こうして……」
「だから、これは彼女に後から、その時に頭の中で考えていたことを添えてくれとお願いしているらしい。それで……ええと」
ゴードンが書類の束を二つに分けた。
「え?」
「そちらが、彼女の注釈だね。それで、私がムラタの説明を読み上げるから、アメリアはそちらを頼む」
「……何を仰っているのです、ゴードン様」
「正直、それについては僕もそう思うんだけどね……」
ゴードンの一人称が“僕”に変化していた。
最近では、かなり珍しい事だ。
それだけ、ゴードンは精神的にやられているらしい。
“幼馴染み”のアメリアに縋るほどには。
果てしてそこまで、ムラタの要求に従う必要も無いとアメリアは思う。
それにまだまだ不可解な点は多い。
何かしら、覚え書きのようなものを口述筆記する側が行うことはあるかもしれない。
発言者の意図を正確に伝えるためには、そういった作業も必要になるだろう。
だがこの注釈――
――どちらかというと、書いた者がムラタを探っているような注釈なのだ。
そう解釈すると、果たしてマリエルという名の侍女の思惑が、なんとも不可思議だ。
それはそれで、あの男には相応しいようにも思えるが……
(どうか、ゴードン様がこれ以上染まりませんように)
思わず祈りを捧げずにいられないアメリアだった。
何しろ、ゴードンは確実に面白がっている。
□
――まず巨体であるということは、利点では無くてまったくの弱点だということだ。特に、軍事的運用をするのであれば、指揮官が目立つことは不利になる危険性の方が高い。“魔法”という要素があるのであれば、わざわざ狙うべき場所を敵に教えていることになる。頭の悪い、練度のなって無いモンスターを指揮するのなら、あるいはその巨体で下位のものを威圧する必要があるのかもしれない。だが人間がそれに従う必要は無い。的は的だ。
(その結論をムラタさんは口に出したく無かったように感じる。巨人か何かに思い入れが?)
いきなりトップスピードである。
ムラタを相手にするなら、それは当然と諦めることも出来た。
その内容が、今までの戦の様相を完全否定から始まっているところもらしい。
だが、ここで問題になるのがマリエルの注釈だ。
あくまでマリエルの“感触”でしか無いわけだが、この注釈については、ムラタによって検閲され、その上でゴードンの元に届けられている。
つまり、
――俺は、嫌々ながら血を吐く想いでアドバイスを送っているのだ。だから、そっちも夫婦で、こっぱずかしい真似をしろ!
と言うわけである。
――根性、ババ色である。




