問題はコンビーフの再現
カケフ・ムラヤマの朝は早い――
……かどうかはわからない。
壁掛け時計を見てみると……9時過ぎか。
なんと“異世界”のくせに24時間で回っているという、摩訶不思議。
実際“兄さん殺し”かどうかはわからないな。閏年があれば判明しそうなものだけど、どうだろうか?
今のところ、暦にそういう手が入ってはいないようだが。
さてさて。
頭を巡らせると、状況確認。
やはり“スキル”を使いすぎた翌日には、眠りが深くなる。
うん、とりあえず――トイレだ。
心が弱っていると言うことで、それ用の朝食を準備。
まずご飯。タマゴ。そして味付けのりがスペシャルだ。これを卵かけご飯に組み合わせると、まったく別種の味の広がりを魅せる。
もはやこの変化は“進化”と呼んでも過言ではあるまい。
味噌汁の具はキャベツとジャガイモでボリューミーに。
……ちょっとドイツっぽいか?
メインはハムエッグに、何とウィンナーまで添えてある。
さらに一品多く、オニオンサラダを用意した。何と言っても肉過多だしな。
「いただきます」
普段は言わないが、ちょっと頑張ったので宣言してみた。
飯を食いながら朝の情報番組を見る習慣はとうになくしてしまった。元々、そんなもの放映されてないからな。
リモコンを手に取る。
これも音声一つで操作できるところまで変化できるんだが、その前の段階で俺は止めておいた。
何故、いちいち自分の声を聴かねばならないのか?
この疑問に対する、答えは見つかっていない。
そんなわけでストレージから「傷だらけの天使」を引っ張り出す。
今日はショーケンの朝食風景を見ながら。
昔は憧れたものだけど、さすがにアレをやったら身体を壊す。
……とか思っていたが、この世界には神聖術がある。
しかも、その前に俺のスキルが“不摂生”を補正するかも知れないしな。
だから問題はコンビーフの再現だ。
俺はメロディを口ずさみながら、味噌汁を啜り、いつの日か必ず再現してみせるぞ、と心の中で新たに誓う。
いや、その前にあの部屋の再現を目指すべきか?
俺は部屋を見渡した。
そんなに広くは無い。六畳ぐらいだろうか。やはりこれぐらいが手頃だな。
その真ん中に、正方形のテーブル。そこに朝飯が並べられているわけだ。ちなみ椅子なんかなく座布団の上であぐらをかいている。
構造上、窓はなく壁にはモニター、時計。それからゲーム機かな。
ミニコンポあたり何か必要な気もするが、音楽に身体を預ける感覚がついに身につかなかった。
この辺のセンスが鈍感なんだな。
出入り口の横には台所があり、そこを経由すれば洗面所を含めてお風呂、トイレ、寝室に行くことが出来る。
一人暮らしには、なかなか贅沢な間取りだ。
これが終の棲家でも一向に構わないのだが、この状況ではそれも難しい。
それに、引き払うことになるんじゃないかな。
だから書籍が必要でも買い漁るわけにはいかなかったのだ。この部屋を“元に戻す”時、大量の本が溢れ出てしまうことになる。
それで書籍の数々が悲惨な目に遭うと思うと、どうしても自分の懐に入れるわけにはいかなかった。
異世界であろうと本は本。
――本を燃やす者はいずれ人を燃やすようになる。
というハイネの警句が有名だ。
俺の場合、燃やすと言うよりも、もの凄く台無しにするかんじになるな。
拾ったエロ本みたいに、濡れてブヨブヨになってページもめくれなくなる……もしかしたら燃やすよりエグい可能性もあるな。
とにかくそんな事情で、書籍をねぐらに確保することも出来ない。
何とも不自由なことである。
そこから昼飯まで済ませて――ちなみに牛丼にした――スウェットから着替えて外出。
いつもの組み合わせで問題ないだろう。
出ていく前に、モニターを確認。出入り口付近だけだが魚眼レンズで広範囲をカバー。
実のところ言うと、別の角度にカメラを置きたかったのだが……やり方がわかりません。
昨日の嵐じみた雨のおかげで、ただでさえ混乱の極みにあるケシュンはさらに、見るも無惨な有様だ。
それだけに人が隠れている可能性も……赤外線センサーに反応無し。
大丈夫そうだ。
もっとも魔法の前には無力だったわけだし、この位置は恐らく知られているのだろう。ただ入り方だけはわかるまい。
それが重要。
俺は準備万端整えて、出入り口に立つ。
モニターをもう一度確認。
瞬間、壁をスライドさせて、一歩踏み出し壁を閉じる。
う……ん。
特に変わったことはないな。
ここを見張っていなければおかしい奴らがいるはずだが、流石に昨日の今日でまだ混乱しているのだろう。
それにしても、ノラさんのところは見張ってるフリだけでもした方が良いんじゃないか?
だが……
「――じゃ、そういうことで」
……ぐらいは言いそうではある。
何か俺の扱いが雑になった気がするが、それはそれでありがたい話だ。
縁が切れれば、速やかに俺を忘れてくれるだろう。
……今しばらくは、組まないと仕方がないが。
さて、このケシュン。
言ってしまえば、旗竿地なのだ。
堤防沿いの細い道を抜けると、開けた空間――だけど行き止まり。
それがケシュン。
恐らく船着き場ぐらいは建設予定が合ったんじゃないのかと考えている。
そのための設備として、倉庫も一通りは作ってみた。
しかし立地的に発展性があまりにもなかった。何せ行き止まりだし、前にも行ったと思うが荷物を行き来させるのも面倒なのだ。
俺は大体の事情を把握してすぐに閃いた。
――疑惑の臭いがする。
と。
たびたび改善のための予算が組まれているんじゃなかろうか。
ところがケシュンは貧民街でも最奥だ。
視察に来るのも面倒で、関心も引かない。
悪いことを企むのに、うってつけの立地だ。
ケシュンの事情が把握できた時、俺はこれをネタに“上流”と繋ぎを持とうかとも考えていた。
なに、欲求は書籍の閲覧権だけだからな。
その内、やろうかと考えていたが今となっては、一時保留にするしかあるまい。
ネタを本気で調べて、もっとエグいことを要求出来る可能性も出てきたし。
(色んな道を用意するのが、常道)
胸の内でそう呟いてセブンスターに火を点けながら貧民街を通り抜ける。
台風一過、とまでは行かないが、なかなか良い天気だ。
そのまま、貧民街を抜けて大通り近くのなんちゃって一般住居へ。
この辺りが、引っかけやすい。
釣りで言うところの“ポイント”だな。
空振りするにしろ“木の洞”のところに行って、事情が変わったから服を買い取れと、厄介さん、そのものの行動を取って、その反応で情報収集しても良い。
これはそのまま、上手くいった場合の“言い訳”にも転用可能――
「おい! カケフじゃないか!」
――上手くいったぞ。
俺はせいぜい、いやそうな顔を作っておいて声の方向に振り返る。
はい、ランディ君でした。
何となく上気した頬で、
「うっわー! ぐ・う・ぜ・ん!!」
みたいな態を装うのは無理があると思うが、いつも通りツッコミは止めておく。
それよりも、普段通りの自分を思い出さなくては。
ランディは都合の良い道具。
ランディは都合の良い道具。
――うん、いつも通りムカムカしてきたぞ。
「……ランディ」
我ながら実に機嫌が悪そうな声が出た。
やはり人間、やる気が大事だな。
「おいおい、いきなりご挨拶だな」
流石に引き気味にランディが応じるのも、きっと狙い通りなのだろう。
「……俺は挨拶なんかしてないぞ」
「細かい事はいいよ。何かこの辺に用事なのか」
「用事はあるが、別にお前に話す――ああ、そうだった」
この辺が潮時だろう。
少し引いてみる。
とは言ってもランディの場合、対応が簡単すぎるからアドリブでもなんとかなるだろう。
「ギンガレー伯の話な」
こう言っただけで、今にも飛びかかりそうな瞳なってるし。
せいぜいこれを利用して、煙に巻かせて貰おう。
俺はセブンスターを取り出して口に咥える。出た時に咥えていた一本はとうの昔に吸い終えて携帯灰皿の中だ。
そんな俺を見て、焦れたのかランディの張り付いた笑みが引きつっている。
俺はそれに構わずにジッポーで火を点けるとゆっくりと紫煙を味わい、それと同時にこう告げた。
「――伯より旨味のある“カモ”を見つけた」




