ノラ
雨の中を、黙々と歩いて行く。
一向に止む気配は無い。
視界も雨煙にさえぎられ、足に伝わってくる感触だけが、自分が石畳の上にいる事を伝えてくる。
(この状態を見込んでの襲撃か)
こればっかりは体験しないとわからない。
こんな天気になれば、俺は間違いなく“ねぐら”から出ていなかったしな。
それに俺ばかりでなく、王都の住民が皆そういうポリシーの持ち主のようだ。
人間1人運んでいても、これだけ外に出ている人が少なければ目撃される危険は限りなく低い。
それに加えて、マントというかフードの存在だ。
基本的に傘という道具が非常に希だ。
元の世界でも傘を差せるのは、ある程度身分のある者だけ。それも自分で差す事は無い。
――そういう時代もあった。
何故かそういう来歴が、異世界にコピーされているように思える。
とにかくそういう事情もあって、晴れている間なら定冠詞を付けて、
THE・不審者
みたいな状態でも許されてしまうわけだ。
俺は横に並んでいるリーダーの姿を確認。
……どう考えても「通報しました」だよなぁ。
王都で警官の類いが活動してるのかは知らないが。
リーダーは時々立ち止まって、あちらこちらと指示を出す。
俺はそれに黙って頷く。
このやり取りを何度繰り返した事か。
とうに貧民街を抜け大通りを辿り、商業区画と思われる石造りの街中だ。
ここまで来たらもう、一般市民が住まう辺りと考えて間違いないだろう。
貧民街とは違い、どこもかしこも石造りで、整然と配置されている街灯には持続光。
雨が降り続いているが排水設備がしっかり稼働しているらしく、ちょっとした池になったような水たまりも見あたらない。
さすがは王都――といったところだろう。
「着くぞ。あの猪の看板だ」
「ああ」
この雨の中でも、灯りが漏れ出している建物が並んでいる。
さすがは商業区画。恐らく商売にならないのを覚悟の上で開店してるのだろう。
……いや待てよ?
魔法を使えば、事実上のネット商売の可能性が……と勝手に暴れ回る妄想は放っておいて、リーダーの後に続いた。
それに今から行く店は、恐らく酒場だ。
逆に人が多いかも知れないな。雨が降っているので外に出られない、は飲む理由として市民権を獲得しそうではある。
猪の看板を見上げながら、扉を開けてリーダーに続いて店内へ。
一気に喧噪が襲いかかってくる……というわけではなさそうだ。
随分品が良さそうな店だこと。
フードを外して、コートにかかった雨粒を払う。
開けた視界で、もう一度確認してみると店内が区分けされているのが見て取れた。
客がそれぞれの姿を確認しにくい。
クラブに似た造りなのかも知れない……もしかすると娼館かそれ用の店かな?
この区画では娼館は難しいかも知れないが、そこに誘うための同伴出勤のための店?
なかなか異世界の住人たちに頼もしさを感じるな。
店内は暖色のシェードで雰囲気を出している照明に、緋色のカーペット。壁には幾何学模様が編み込まれたタペストリー。
それに観葉植物としか思えない、南国風の植物の鉢植えが飾られていた。
まず、この雰囲気に場所代を出せと言わんばかりの配置。
やはりある程度の富裕層を相手にした店だな。何の店かよくわからないところも含めて。
こうとなれば、ずぶ濡れの客を思いやった設備が欲しいところだが……ああ、傘か。それに馬車か。
仕方が無い。
俺は遠慮無く雨粒を払ってやった。
見たか、この防水仕様を!
ちなみにこんなにしっかりした防水加工、見た憶えが無いんだよなぁ。
元々、俺が知らないだけなのか、あるいは……
そうこうしているうちにネクタイを締めた初老の男性が近付いてきた。
リーダーと何やら言葉を交わし、先に立って歩き出す。
今度はこの人が案内人になるらしい。リーダーの仕事もあと少しだろう。
いくつかの区画を通り過ぎて――当たり前だが消防法みたいなものは無いようだな――螺旋階段に辿り着いた。
実用一点張りでは無く、細い銀で作っているんじゃ無いかと疑えるほどに繊細な工夫がされている手すり――なのだろう。
階段の幅も広く取られ、段々と絞られていく造り。
なるほどVIP用だわ、と思わず納得した。
しかし螺旋階段は螺旋階段である。
「……俺、先に行くか?」
リーダーを気遣って、声を掛けてみた。
これだと、俺を先に行かせないといくらでも逃げられてしまう。
逃げるつもりは無いが、リーダーにも職業上の立場というものがあるだろう。
リーダーは黙って頷いたが、初老の男性からは少し反応があった。
恐らく、
「リーダーが客人を連れてくる」
みたいな指示が出ているんだろう。
その一方で、あくまで俺の立場は自主的なさらわれ人という認識。
……任意同行って、この言葉を思い出したのはダウトかも知れない。
それにしても思った以上に、このリーダーの上役は柔軟性があるのかもしれないな。
俺は頭の中のプランを少し修正。
それと同時に、初老の男性、俺、リーダーの順で階段を登ってゆく。
二階に辿り着くと、店の壁を取り囲むように配置された扉。
ここらは完全に個室か。照明はさらに落とされ、絨毯も毛足もさらに深くなっている。
人の出入りをわかりにくくするためだろう――両方の意味で。
初老の男性の案内に着いていけば、階段で辿り着いた場所からさらに一番離れた扉へと。
(思った以上に大物かな?)
希望的観測を心の内で弄んでみる。
そんな事を自分で言い出すような大物は勘弁願いたいところだが。
初老の男性が扉をノック。
「良いよ」
返事の声は……女性?
扉が開けられると、今度は濃紺の絨毯の上に金ぴかに輝くテーブルを始めとした調度品の数々。
真っ白なソファセットに、これまた金ぴかなサイドボード。
あそこにあるのはバーカウンターか。
その向こう側に見える重厚な扉は……ああ、なるほどベッドルームか。
観察を続ける俺の横で初老の男が一礼して退出していった。
続いてリーダーが、部屋へと足を踏み入れる。
その先にいるのは、礼装姿の人物だ。真っ黒なタキシードで、真っ赤なボウタイ。
背も結構あるな……声から女性かと思ったが、体系的には区別は付けにくい。
さらに髪色がほとんど黒だ。襟足に触れるぐらいの長さで、前髪はアシンメトリー。
それにしても、やはり王都ともなれば、黒髪もいるじゃないか。
……ただ顔立ちがなぁ。あとアイスブルーの瞳もいただけない。
こちらを2人して眺めて、やがて礼服姿の方が手を振るとリーダーが頭を下げて出ていった。
一瞥もせずに。
うん、いい感じだ。
こういう距離感が良いと思うのだがな。
「さて、どこから始めたものだろうか」
やはり女性の声だな。
礼服の人物が困ったような表情を浮かべている。
俺は居住まいを正し、正面へと向き直った。
「――まずはこちらからご挨拶を。急なお話に応じて下さった事、感謝します」
そこで一礼。
その上で、提案してみる。
「まずは俺からコートを取り上げてみては? 持っている物は短剣ですが、武装解除もさせた方がよろしいでしょう」
「それは……君がコートを脱ぎたいだけなんじゃないのかい?」
笑いながら相手が応じる。
「俺は自分に都合良く物を語るんですよ」
「短剣もかい?」
「持ってる事で護衛の方々に睨まれ続けるよりも良い、と考えました」
「特殊な造りだと聞いているけど」
「ご自身で、確認されては?」
年の頃は30代ぐらいかな?
言葉を交わしながらさらに値踏みする。
それは向こうも同じ事だろう。
やがて、彼女の喉の奥からクク……と笑い声に似た音が聞こえてくる。
「残念ながら、護衛は席を外してるんだ」
「それは不用心な」
「心配してくれてありがとう――コートはそちらに」
見れば扉の側にコートハンガーと思しき物が屹立していた。
やはり金ぴかだが。
俺はそこにコートを掛け振り向くと相手は自分も腰かけながら、俺をテーブルの正面の席を誘う。
何が、この人物の琴線に触れたのか。
どう考えても好待遇だよな――護衛がいないなどという言葉を信じてはいないが。
「さて、やはり僕から始めようか――自己紹介だよ」
礼服の人物はニコと微笑んだ。
「――僕はノラ」
シンプルな良い自己紹介じゃないか。