海に1人で
>BOCCHI
♪オリオンをなぞる~
と、ご機嫌で口ずさんでいたが、これから先の計画を確認していたらすぐに気付いた。
オリオンじゃ無い!
ヘラクレスだよ!
根本的に間違っていたよ!
ここは夜の海。周囲に灯りも無く、波静かであるだけに海面も油を流したように見える。
何か巨大な生物の表皮がそこにあるようだ。
今までの記憶に従うなら、こんな闇の中では俺の視界は非常に狭いはずなんだがなぁ。
スターライトスコープでも仕込んでいるようだが、残念、俺は生身で裸眼だ。
それだけに機械越しの映像では無く、ダイレクトに周囲の状況を把握できる。
よし人影は無いな。
ここから先は出来れば人目に触れたくは無い。
見られたら見られたで、悪夢の一種として忘れてくれると思うが。
俺は海に突き出た岩場の一角に居を定めていた。磯釣りなんかするのに、こういう場所を使うんじゃ無かろうか。
砂場では、足下が定まらないので砂浜は流石に選んでいない。
♪ハッカタバコふかして、ブルージー~
どうも「男達のメロディー」以降、何かと口ずさむ事が多くなってしまった。
その歌詞に合わせるように、ハッカタバコでは無くセブンスターを咥える。
これから、ちょいと一仕事になるからな。
望むべくは、あのエンディングの藤竜也さんの動きの機敏さ。
しかし憧れるのは草刈正雄さんの、ルージーな在り方。
あの横浜が、また良い雰囲気なんだよなぁ~
「あ」
そこでようやくのことで気付いた。
あのエンディングでかかる効果音が海を連想させて、無自覚のうちに、この曲を口ずさませていたのかも知れない。
向こうは何とも眩しい風景だったが。
俺は一見、ワイヤーにも見える黒いロープを引っ張りだした。
聞いて驚いてくれても構わないが、実はこれカーボンナノチューブ。
その先に結わえているのは、あのでっかなセイウチの肉。ちょっと脂とかも混ぜてみた。
大体、10kgほど。
……もう少し大きい方が良かったかも知れない。
これは餌だ。
ただ、針は無い。
その代わり、大きな石というか岩を縛り付けている。
これは重りだな。
理屈だけで言えば、これで準備は整ったはずだ。
普通なら、こんなもの動くはずは無いんだが――持ち上がるんですねぇ。
……おのれ、壊れスキル。
せいぜい利用してやる。
俺は、肉塊と岩塊を頭上でグルグル回して、そのまま夜の海に放り込んだ。
飛んだ飛んだで……100mぐらいは行ったのかなぁ?
距離が出ると、取りあえず3桁にしてしまう風潮。
とにかく、ここまで計画は順調。
端から見てると、釣りをしているように見えるだろう。
……端から見られては困るんだが。
さて、今度は――
♪人は誰でも~未知の世界に憧れ~
っと来たもんだ、畜生め。
釣りに相応しい楽曲であるはずだが、この歌詞には頷けない。
未知は御免被りたい。
出来るだけ知ってるものに囲まれて、安穏に暮らしたい。
冒険なんてもっての外。
頼むから、壊れスキルがどう働くのかわからない海中に吶喊、みたいな事にはならないで欲しい。
この釣り作戦が成功したら、そんな無謀な未知の世界に突っ込む何て危険な事はしないで済む。
……未知の世界にしないためには、海を割る。
モーセか!
……と、ツッコむものがいない異世界よ。
ま、すぐに結論を出す事も無いだろう。
しばらくはこのままの状態で待機だ。
幸い、セブンスターが燃え尽きるまではまだまだ時間がある。
こんなことをしているのは、例のセイウチが原因だ。
正確に言うと、その身体に傷痕が見られたのが始まり。
もっとも、俺の見立てなんかせいぜい違和感レベル。
そこで冒険者稼業の3人に声を掛けて、再度確認して貰った。
で、どうやらそれは当たりだったようで、俺はすぐさま箝口令を出した。
――海に、あのセイウチに傷をつける、同格の怪物がいる。
何てことが、知れ渡るのは非常によろしくない。
それにあの宴会がなぁ。
ちょっと盛り上がりすぎたな、アレは。
セイウチ退治で盛り上がるのは非常に結構な事だが、これをもう一回となると、かなり面倒だ。
盛り上がっただけに、ギャップでさらなる倦怠感が予想される。
しかも、その相手の退治方法が思いつかない。
人間のやる事であるから、最終的には退治は可能だとは思う。
しかし、そのための準備を何もしてきていない以上、作戦が長期に渡る事も間違いない。
となるとマドーラは帰城するしかなくなり――端から見ると、負けて逃げ帰るように見えてしまう。
あるいは、そんな風に喧伝されてしまうか、だ。
つまり、時間を掛けるのは政治的にあまりよろしくない。
……と言うわけで、壊れスキルによる力技で片付ける事にしたわけだ。
試してみたい事もあったしな。
と言うわけで、釣り……のようなものに勤しんでいるわけだが、どのぐらい追いかけるべき何だろう?
曰く、釣りというのは短気であった方が向いているらしい。
そこから考えると……俺は気が長いのかな?
確かに、このままボーーーーっとしてるのも悪くないように――あれ? これってアタリって奴かな?
俺は思いきって、カーボンナノチューブを引っ張ってみる。
グンッ!!
あ、これ本気で当たりを引いたかも知れない。
あの仕掛けをこれだけ引っ張れるだけで、もう充分に異常の域だ。
俺は、フッ、とセブンスターを吐き捨てる。
あとで必ず拾い上げるからな。
手が塞がるなんて、わかりきっていた事なのに、これは不覚。
……しかし、せっかくの待ち時間にセブンスターが無いなんて、考えられない。
では、本格的に引っ張りますかね。
かと言って、あらん限りの力で引っ張ったら、多分もげる。
“止まったものは止まり続け、動いているものは動き続けようとする”
と言うのが、慣性の法則。
いかな異世界でも、やはりこういう物理的な法則は採用されているらしいから、ここは慎重に、ゆっくりと力を込めていこう。
急に引っ張ったら、かかる瞬間的にかかる力が尋常なもので無くなるからな。
ゆっくりと“動き続ける”状態に移行させなければ。
幸い、俺の壊れスキルは平気で、この手応えに対抗できるらしい。
……やっぱり変だよ、俺のスキル。
そんなこんなで、ゆっくりと引っ張り続けた結果、ついに目標の姿が海面に姿を現した。
とは言っても、やっぱり異常なスキルで夜目が聞くようになっていなければ、見分けはつかなかっただろう。
何しろ目標の体色は、暗緑色とも言うべきシックな装い。
つまり釣るべき相手は蟹だ。
それも、あのセイウチと肩を並べる程の。
で、そのハサミには俺が投げ込んだ餌がしっかりと挟み込まれている。
ザリガニ釣りと同じ要領だな。
では“水”という最大の障害物から解放されつつある蟹を、さらに自由にして差し上げましょう。
さらに慎重にカーボンナノチューブをたぐり寄せ……
ドッセーーーーーイ!!
一気に引っこ抜いてやった。
これで、ハサミが抜けても問題ない。
引っ張り上げた蟹の身体は、やはり物理法則のままに放物線を描き、その予測落下地点は俺と同じ岩場の上だ。
もう、逃がすものかよ。
ガンッッ!!
とばかりに、岩と甲羅がぶつかる音が周囲に響くが、それもわかりきっていた事。
これで誰かが不審に思って様子を見に来ても、問題ない。
……俺の考えが図に当たっているなら。
当たり前に絶命せず、足をジタバタさせる巨大な蟹。
ハサミも無事。
何とも丈夫な事だね。
やはり、まともにやってたらかなり面倒な怪物だった事は間違いない。
俺は懐から、銃を取り出した。
もちろんビームライフルでは無い。
焼き蟹などと、死体が残っては色々面倒なんだよ。
ビームによる発光もいただけない。
となると、壊れスキルによってでっち上げるべきは、あの兵器しかあり得ないだろう。
記憶の限りでは、ある時期からSFでもとんとみなくなった、あの武器。
作品によっては、残虐すぎてご禁制になってしまっていた、あの銃を――
――俺は蟹に撃ち込んだ。
予想されたように、響くのは僅かな音だけ。
ただ結果だけが――蟹の身体の一部が消失すると言う結果だけが、その場に出現した。
……やっぱり、あるんだこの兵器。
かなりぶっつけ本番だったから、壊れスキルがどう対処するのか、ちょっとした実験でもあったからな。
理屈を言えば、多分出来るとは思っていた。
ただ、さすがにこれは作ってないんじゃ無いかという、期待に似た感情があったのだが……
俺は、蟹の足に銃口を向けて丁寧にその身体を“消して”いく。
♪心を忘れた~ 科学には~
思わず口ずさんでいたのは、こんな歌だった。
僅かに聞こえてくる潮騒を伴奏として。
俺はただ淡々と、蟹の身体を消失させてゆく。
かなり面倒だなこれ。
だがまぁ……
そして音も痕跡も無く命は消え、俺は海岸をあとにした。
……あ、吸い殻はちゃんと拾いましたよ。




