宴も仕事
「そもそも、ムラタ殿の用意してくれたアレ。アレが旨すぎるのが良くない」
クラリッサの言い分は完全に酔っているように思えた。
確かに、地元名産のワインを聞こし召してはいるが一般的に酔うような量ではないはず。
つまりは、またムラタがやらかしたらしい。
ここは、そのムラタがでっち上げた雑居ビルの一階。
その一階を大部屋に改造して、ムラタは宴席の広間を提供した。
その狙いはもちろん、マドーラの警護のためである。
宴は、もちろん「一角海象」退治を祝してのものだ。
マウリッツ子爵領の領民達にとって、宴とは素直に喜びの感情から開かれるものだったが、社会的地位が上がれば上がる程、そう簡単な話ではなくなってしまう。
そしてここは“田舎”だ。
民の感情はより原始的なのである。
共に喜びを共有できるものには共感を。
そうで無い場合は、拒否を。
そんなわけで、いつもなら幼き身の上である事を理由に欠席するところを曲げて、マドーラが出席する運びとなっているわけだ。
もちろん、共に輪を囲む、と言う程砕けたものでは無い。
雑居ビルの周りでは、浮かれた民達、あるいは地元の騎士達がそれこそ輪になって笑い合っているが、王宮からやって来た近衛騎士、それにマドーラを中心とした侍女達は、ビルの中に留まったままだ。
今はすっかり日も暮れ、普通ならとっぷりと夜の闇が辺りを包み込むはずの時刻。
灯りはと言えば、星がさんざめくぐらい。
だが、宴を彩るのは「持続光」。
さらに雑居ビルから漏れ出す、陽光と間違えそうになる真白な光。
今は窓も開け放たれているので、席は確かに分かたれてはいるが、かなりのボーダーレス状態だ。
これで民達も、充分に「次期国王が参加した」と実感することだろう。
主催はアーチボルトである事は間違いないが、やはりバックにマドーラがいる――と、視覚的に納得出来るのが重要だ。
つい先日まで、フェルディナンドのおかげで、戦かと緊張感を強いられていた事も間違いない。
それが頭を悩ませていた怪物退治も終わり、経済的にも負担がそれほどでは無いという見通しも立っている。
その開放感こそが、宴を盛り上げるための最大の妙薬であったのかも知れない。
だが――
やはり、クラリッサは少々箍が外れている、と言わざるを得ない。
普段、真面目であるからこそ、そのように見えてしまう部分もあるのだろうが。
「そうだな。大体においてムラタが良くない事は間違いない」
そのクラリッサに乗っかったのはハミルトンだ。
別に宮中序列を鑑みたわけでは無いが、中々の上位に座を占めている。
元々、クラリッサ達3人娘はマドーラのすぐ側に侍っている事自体が異例ではあるのだ。
何しろ、今この3人は侍女としての役目を放棄している――何しろ飲酒しているのだから。
「やはりそうでありましたか」
「だが、ムラタの用意したスープは実に良い」
「ロード・ハミルトン。それでは仰る事がおかしくなってしまいます」
「その通り。何しろムラタの話であるからな」
ハミルトンもかなり酔っているようだ。
ムラタが用意したのは所謂「鍋の素(スープ状)」であった。
根本的に、セイウチの肉を煮込むというジビエ料理的な物に使われるという前提がある。
そして、こちらの人間達の嗜好によって選ばれたのは、豚骨、ゴマ豆乳、キムチと比較的味の濃いものが喜ばれた。
つまりは酒が進むのにうってつけ、と言うわけだ。
もちろん、煮込み料理だけで無く、色んな料理が供されているのだがやはりメインはこのセイウチの煮込みということになるだろう。それもムラタの壊れスキルで、暴力的に旨くなってしまっている。
ムラタは、
「グルタミン酸とイノシン酸が――」
などと唱えていたが、もちろん翻訳されるはずもない。
「しかし、ムラタ様は本当に料理番であったのですね」
しみじみと頷きながら、ハミルトンと同格の上座に腰掛けるアーチボルトが独りごちた。
その言葉に、ムラタを知る者は全員が微妙な表情を浮かべてみせる。
「……な、何か?」
「気になさるな。皆ムラタがただの料理番であれば、と考えてしまっただけだ」
「……で、それはそれで困る、と同時に気付いてしまう」
ハミルトンとアニカが正確に、王宮陣営の胸の内を説明する。
今度はアーチボルトが微妙な表情になった。
何しろ彼は、ムラタの“踏み付け”を至近で目撃してる。
「お姫様、よく食べるね。やっぱり美味しいもんね」
空気を変える必要性を感じたのか、メイルが不意にマドーラに話しかけた。
そのマドーラは、これまたムラタがでっち上げた椅子に腰掛けてセイウチの煮込みを、ひたすら平らげている。
育ち盛りである事を考えても、ずいぶんの健啖ぶりだ。
「殿下は、こういった野趣溢れる物を嫌がったりはなさらないのですね」
「はい。美味しいですから」
ハミルトンの問いかけに、フォークを置きながらマドーラが告げる。
そして、こう繋げた。
「ムラタさんが言うには“う゛ぃーがん”という方々と比べると、その方が良いとも言われました」
「う゛ぃーがん?」
「何でも、料理という文化を否定し破壊する野蛮人のことだそうです」
「どうせ、あやつのことだ。その説明には悪意が塗されているのだろう」
ハミルトンが穿った事を言う。
だが、これはこれで宴が盛り上がっているように見えなくも無い。
何しろ、今まではマドーラとの接触はほとんど無い状態であったのだから。
「それについては、他に面白い事を伺いました」
無礼講、という言葉を象徴するかのようにクラリッサがそこに加わる。
「ほう。どんな?」
「何でもマニと言う集団があったらしく」
「マニ? それは何?」
今度はメイルが割り込む。
「名称についての由来は聞かなかったな。在り方が面白く感じたので」
「……在り方」
ポツリとアニカが呟く。
「何でも集団の中で、生き物を殺めない、罪を犯さない、日々の生活がそのまま修行。そういう者が組み込まれる」
「それで?」
「そんな事してたら、その修行している者は到底1人では生活できない……と言うかすぐに死んでしまう。だからその集団で養う」
「う……む? 理屈はわかるが、何か根本からおかしな話のような」
「……養っている方のメリットが見えない」
そのアニカの指摘が、的を射ているのだろう。
そのアニカは、先ほどから杯を傾けてはいるが、一向に酔った様には見えない。
そもそもマドーラの給仕は基本的にアニカの手によるものだし、実際にさほど酔ってはいないようだ。
酒精に対して、圧倒的に高い抵抗力を持っているらしい。
その判断力にも衰えが見受けられない。
「つまりだな。そういう者を集団で養って、それで集団ごと救われる、と言うような――あれはやはり教義なのだろうな」
「我々が女神アティールを敬うようにか?」
ハミルトンの問いかけに、クラリッサが首肯する。
「そういうことであろうかと。何しろムラタ殿が私に説明して下さったのは、やはり私が神官であるからだと思われますし」
どうにも回りくどい言い方であるが、クラリッサの酔い自体は冷めてきているようだ。
それと同様に、ハミルトンの顔つきが引き締まっている。
「つまり、先ほどの“う゛ぃーがん”という者をマニという集団に結びつけようと言うのがムラタの意図か。あるいは、向こうの世界に居たときに、そのような事を画策していたのか」
そのハミルトンの言葉に、3人娘がそれぞれ違った表情を浮かべる。
だが、ムラタならやりそう、と考えているであろう事は共通しているように見えた。
「いやはや」
アーチボルトが感嘆の声を上げた。
「ムラタ様は、何とも凄まじいお方なんですね。お力は言うに及ばず、その思慮深さも。“異邦人”とは総じて、あの様なお方なんでしょうか?」
その疑問は、アーチボルトにとって概ね“酒のアテ”以上の意味合いは無かったのであろう。
だが、その言葉はさらに王宮組を混迷へと誘った。
どう考えても、ムラタが“通常”であるとは思えなかったからだ。
特にハミルトンは他の“異邦人”についての知識がある。
それと照らし合わせても――
「ムラタさんは、しっかり目標があって、ここにやって来ました」
マドーラが突然告げる。
息を呑む一同。
マドーラは、自分の発言が及ぼした効果に戸惑いながら先を続けた。
「……今もそのために席を外しているのでしょう」
そう。
この宴の席にムラタの姿は無い。
ムラタ本人は、
「俺みたいな得体の知れない人間がいては、気味が悪いでしょ?」
と、相変わらずの偽悪趣味で煙に巻いて、実際に姿を消してしまった。
そして今のところ不都合は出ていない。
いざ、居なくなってしまうと、それはそれで何とかなってしまう。
それがムラタという男であり、それはムラタが画策した成果であり、だからこそムラタの望み通りなのだろう。
「――だが今回は、そちらの3人が噛んでいると思うのだがな」
ハミルトンが、再び酔ったように見せかけながらメイル達に言葉を投げる。
それに、沈黙で応える3人。
アーチボルトも、突然始まった腹の探り合いに言葉を失ってしまった。
王宮組は、どうしたって一枚岩にはなりきれない。
これはやはり、ムラタの不在が原因か。
――あるいはムラタの存在自体が、そもそもの元凶か。