入り江の中に勝ちを決する
一斉に放たれるのは氷結の魔法。
単純な「アイス」では表面を凍らせるだけになる。
技量の高いものが行使するなら、条件も違ってくるが。
かと言って「ブリザード」のような環境を変化させる魔法では、この場合効果が望めない。
何しろ相手は「一角海象」。
吹雪という環境下では「一角海象」の方に利があるように推測される。
だから――
「「アイス・ヘデラ!」」
アニカとクインツの詠唱が重なる。
もちろん、放たれる魔法が「一角海象」を直接攻撃することはない。
魔法は海面に放たれる。
そのまま海が凍結していく様子は「アイス」と変わりは無い。
だが、ここからが違う。
魔法はまだ“力”を失ってはいない。
その凍気は海中においてものたうち続け、まるで海中に氷の蔦を伸ばして行くよう。
それは一向に衰える事無く、ついには海水のほとんどを凍結させた。
しかし「一角海象」の巨体はそれを軽々と砕く。
元より質量が違うのだ。
恐慌状態の「一角海象」が暴れるだけで、せっかく固めた海水が、いとも簡単に砕かれてしまった。
だが、凍結によって「一角海象」の動きを止められると考えていたのなら、それは甘い、と言わざるを得ないところだろう。
――だからこそ人間の用意した罠には続きがあった。
「「「ライト!!」」」
次に唱えられたのは、そんな簡単な魔法。
それも「一角海象」が確認出来ない後方でだ。
だが、それこそが計画通り。
強烈な光がハミルトンの影を幾重にもその場に生み出した。
それこそがハミルトンの持つ、特殊なスキルを十全に使う上での絶対条件。
ハミルトンの影は、何ものをも切り裂く極薄の刃となるのだから。
では、これで「一角海象」を攻撃するのか? となるところだが、それもまた違う。
影が切り裂くのは、ありふれたロープ。
だが、これを一瞬に、そして正確に切ってのけるのはやはり難しい。
何しろ、入り江を囲むように配置されたスロープで待ち構えているのは、大量の砂だ。
ロープを切断する事で砂を抑えていた門が開放される仕組みだが、下手に行うとそれを為した者も落下に巻き込まれる危険がある。
だからこそのハミルトンのスキル。
ハミルトンの“影”が一斉に、ロープを切断。
一斉に門を明け放れたことによって、大量の砂がタイムラグ無しに「一角海象」に襲いかかることになるのだ。
その中に、落下に巻き込まれた、破損した門も含まれているが些細な事。
元々、位置エネルギー的には圧倒的に優位に立ってる。
入り江を取り囲んでいた騎士達、そして罠の設置に力を尽くした民達も、ここを先途とばかりに何もかもを「一角海象」の頭上へと、手当たり次第に何もかもを放り込んでいった。
長い間、「一角海象」に漁の邪魔をされた事に対する恨みもあるのだろう。
当然、犠牲者の仇を討つという意味もある。
これが近衛騎士の手によって「いつの間にか退治された」と言う事になれば、この興奮は味わえない。
ただの怪物退治だったはずだが、ここに来て政治的な意味合いが出てきたわけだが、そうと気付いている者が何人居るのか。
もっとも気付いている者は計画の段階で気付いているだろう。
だが報償の事も考えると、この方法もまた“正解”ではあるのだ。
砂は「一角海象」の咆吼さえも飲み込んで、その巨体を押しつぶす。
いや1番大きいのは、単なる質量の問題では無い。
砂が巨大な顎に入り込んで「一角海象」の呼吸を妨げる。
その苦しさは、さらに「一角海象」を苦しめる原因となり、痙攣のように巨体を振るわせるが、ここに来て悪辣な罠が牙を剥いた。
砕かれた氷が溶け、砂に染み込み、凝固して始めていたのだ。
体力が十分な「一角海象」であれば、それも障害たり得なかっただろう。
だが今となっては……
呼吸も満足に行えず。
体力は底を尽き。
そして逃げるために、必死で気力を振り絞ろうとしても、その逃げ道には大きな炎が立ち上っている。
「構え!」
ハミルトンの号令が響く。
騎士達と、メイル、それに号令をかけたハミルトン自身が、高々と剣を掲げた。
鋼が陽光を浴びて、入り江を彩る。
「一角海象」の泪を流したような濡れた瞳。
その輝きはどんな風に映るのか。
海原であれば他者を許さぬ暴君であったが、事ここに至っては、もはやそれを覆す術は無い。
そうこれは「一角海象」が持つ野生に対して、人間の知謀が起こした革命なのだ。
ウォオオオオオオオオオオオオオ!!!
その人間が野生をむき出しにして高らかに叫ぶ。跳躍する。剣を振り下ろす。
――そして勝敗は決した。
□
ほとんど野戦陣地の有様である。
マドーラは客車から降りずに物理的な上座を維持したまま。そしてメイルたちと、近衛騎士が周りに控える事で、簡易的ではあるが謁見に相応しい雰囲気を醸し出していた。
マドーラのすぐ側には、アーチボルトが侍っている。
「一角海象」討伐には直接加わらなかったが、民との折衝、罠の準備とその手配、さらに一般的な兵站作業を仕切ったのは彼である。
そのアーチボルトを、マドーラは真っ先に賞賛した。
背後にムラタの存在が見え隠れしているところが何とも不穏であるが、マウリッツ子爵としてアーチボルトは十分な働きを示した事もまた事実。
そうやって、次期国王からの覚えもめでたくなったところで、今度は子爵の直臣たちへの論功行賞が行われる事となった次第だ。
それについてはマドーラは、オブザーバーとして背後に睨みを効かせているだけだが、自然と権威は高まる事だろう。
何しろ「一角海象」を解体する事によって得られる富は、なかなか洒落にならない規模だ。
身に蓄えた脂肪もさることながら、やはり皮。
通常の戦闘であれば皮も傷だらけになるところだが、今回の場合、傷はほとんど頭部に集中している。
その上で、大きな牙。
さらにさらに忘れてはいけない角。
苦労の代価としては十分であろう。
王家への賠償金にもこれならさほど問題なく、対応する事が出来る。
実に上手い具合に話が収まりそうだ。
その「一角海象」は「浮遊」の魔法で入り江から運び出され、今まさに解体の真っ最中だ。
そのための準備も滞りなく手配されており、何もかもが計画通りに進んだ事が、これによってもわかるだろう。
だだあまりの巨体に、余裕を持って準備したはずが、結構ギリギリ。
いや、確実に収まり切らずにはみ出したりもしているが、それもご愛敬だ。
もちろん、はみ出したからといって怒るような者は誰もおらず、むしろ嬉々としてテキパキと動き回っていた。
そんな血腥くはあっても、どこか牧歌的な光景を観察する者があった。
ムラタである。
引き上げられた「一角海象」の周りを、矯めつ眇めつグルグルと回っていた。
解体作業の邪魔にはならないが、あの無茶苦茶をやった人物に、ずっと観察されるのは心地よいものではない。
「ムラタ」
ハミルトンがムラタの巡回運動を遮るようにして声を掛けた。
彼自身はマドーラの警護には加わらず、現場監督として動いているらしい。
「はい?」
遮られた事で、ムラタは素直に動きを止めた。
だが声を掛けられた事が意外だったようだ。
ハミルトンを真っ正面から見つめ、それでいて、その瞳はどこかしら虚ろである。
何やら考え込んでいたらしい。
「……何か問題があるのか?」
「単純に――」
即座にムラタが言葉を紡ぎ始める。
だが、それはすぐに止まってしまった。
珍しい事に言葉の選択に迷ったように見える。
「ムラタ?」
首を傾げながら、再度ハミルトンが尋ねる。
「――いえ単純に、これは料理として供されるのか? それは旨いのか? マドーラはどう思うか? など考えましてね。食べると言う事なら、政治的に食べた方が良いのはわかるんですが、俺自身、こういった海獣を食した事が無いので」
「ははぁ」
と、ハミルトンは納得したように声を出した。
そのまま呆れたように言葉を継ぐ。
「それで、どうせ食べる事になるなら、良さそうなところを確認しておこうと――何とも無為な事を……」
「で、実際どうなんですか? 近衛騎士の方々にしても関係の無いお話では無いでしょう?」
ハミルトンの嫌味に堪える事も無く、ムラタは逆に質問する。
そうなればハミルトンも、少しは真面目に考えたようだ。
「……確かにな。だが、解体される前にいくら確認しても詮無き事だ」
「そうなんですけどね」
「だが、それを言い出すなら、まず食すのかどうかだな」
「確かに――確認してみましょう」
「何だ? 当然、その辺りは配慮した上での、あの行動かと思ったが……貴族や、この場合騎士位で十分だが、そういった者が“食べたい”と希望すれば、民は何かしらでっち上げるぞ」
「ああ……その有り難い心がけは俺にも適用されますか?」
「貴族よりよほどな。その辺りは彼女たちに任せよう」
ハミルトンの目線の先には、メイルたちが居る。
それを確認した、ムラタは大きく頷いた。
「そうですね。彼女たちがいました。ここに来て重要さが増してきましたよ」
「それでも冒険者は……」
「はい。必要無い――と言うか必要無い状況に持っていかねば。少なくとも王家の直轄地においては」
「それは……」
今度はハミルトンが黙り込む。
その姿を“観察”するムラタ。
――結局のところ、人間の敵は人間でしかあり得ないのかも知れない。




