ギンガレー伯の噂
ギンガレー伯爵――
言うまでも無くヨーリヒア王国北東部のギンガレー領を治める貴族である。
ここで文句を言いたいのだが。
なんだって、五等爵じみた――あるいはそのままの――システムがあるのか。
“異世界”設定はどうした?
……とコッチに来てからしばらくブツブツやっていたが、そもそも言葉が通じているのが、おかしな話なのだ。
この謎能力で、現地の貴族制度を適当に訳してくれている……で納得した。
他に理由も考えられるし。
実際、この方が便利だし。
というわけで爵位持ちの貴族は、公、侯、伯、子、男、という具合に並んでいる。
で、ギンガレー“伯爵”だから結構な大貴族だな。
実際、ギンガレー領は結構大きいらしい。ただその領内に農作物以外に目立った産業がなく、言ってしまえばあまり裕福では無い。
貧乏でも無いらしいが。
以上が、なんとも乏しいギンガレー領及びそこを治める伯爵についての俺の知識である。
実は、もう一つ繋がりがあって、あのノウミーの街はここの領内になるのだが……
ええい。
「ランディ、ちょっと待っててくれ」
「え? ああ」
俺のジェスチャーで何かを察したようで、言い淀むランディ。
甘いな。
そういう時は「小便か」とかダイレクトに来た方が、貧民街の住人っぽいのに。
実際は、え~っと、
「ヤニが切れた」
とか、なんとか言ったんだっけか?
俺はポケットから袋を取り出して、ピン、と伸ばすと……はいセブンスターは新品になりました。
――タネも仕掛けもわからない、本気で魔法の類いなんだろうな。
1本取り出して、一服。
よし、これで覚悟が出来た。
今日のランディの話は本当に“面白く”なる可能性が出てきたからな。
「よし、お待たせ」
と戻ってきたら、取りあえず肉だけは箱の上にたどり着いていた。
「また、それかい? 好きだねぇ」
「本当は飯食ったあとに、やりたかったが、お前の話がまたつまらなくなりそうだったからな」
俺はそう言っておくと、薄く切られた何かの肉をフォークでぐちゃぐちゃとかき混ぜる。
こうしないとスパイスのムラがえげつない。
「ちょっと待ってくれよ。まだほんの“さわり”しか話してないぞ」
「そのなんとか伯爵が王都に来て何が面白いっていうんだ?」
俺はタバコを木箱の隙間に咥えさせ、フォークで肉をつまみ上げる。
何にも期待してないから、せっかく肉なのにワクワクしないな。
メニュー名は、
スパイスをなすり付けた“何か”~胸焼け保証付きの脂を添えて~
というところだろう。
「カケフ、ギンガレー伯を知らないのかい?」
遅れてやって来た自分の分を受け取りながら、ランディが尋ねてくる。
伯爵についての個人的な情報に関しては、マジで知らない。
「名前は聞いたことあるけどな。なんか話題になってたっけ?」
「なんだ。そんな調子だから、面白くなくなるんだよ」
「じゃあ、有名人なのか……何でだ?」
焼きパンぐらい、取っておくべきだったか。
腹を満たすつもりはないが、舌がしびれてきたし、胸焼けはするしで、箸休めが欲しいところだ。
……流石に箸はないけれど。
「そうなんだ。伯爵はねぇ、有名なんだよ」
「…………」
バカだ。
バカがいる。
そもそも、世界が動き出した時用のセンサーだと思って、付き合いじみた事をしてきたが、感度が悪すぎる。
いや感度は良いのか。
要するに――頭の中身がエグいんだな。
「……あのなぁ。俺はその伯爵が有名になってる理由を知りたいんだ」
十分にエグさを醸し出した「魚のスープ」を啜っているランディにめげずに話しかけた。
ただ、これだけはマシそうに見えるな。
スパイスの魔力恐るべし。
俺は、横にあった焼きパンを勝手に貰うことにした。
「伯爵は、5年ぐらい前までは普通だったんだ」
いよいよ軌道修正が為されるらしい。
「ふんふん」
と相づちをうって、それを後押しすることも忘れない。
お前、今、何才だよ!
……と突っ込みたいところだが、それも我慢だ。
「それがね、何だか変わったみたいなんだよ」
「悪くなったのか?」
いつものクセで、悪い方向に予想を立ててしまった。
しかし、ランディ話すの本気で下手だな。
「いいや逆だよ。えっとねぇ……冒険者の使い方が」
そこで、間を持たせるようにランディが肉を頬張る。
「冒険者?」
俺はイヤな予感がしながらも、反問してみる。
「……そう。冒険者を上手く使い始めたんだ」
肉を飲み込みながら、今度はまともに説明してくれたランディ。
「上手くって――具体的には」
「まずね、冒険者達が皆、強くなったんだって」
ざっくりしてるなぁ。
取りあえず話を先に進めるか。
「それって、その伯爵領では強くなったって事か?」
「うん、そう。で、冒険者だからギルドに所属してたら基本どこでも行けるだろ?」
「……俺に聞かれてもわからない。でも、そういう仕組みになってることは聞いたことがある」
「そうだったね。とにかく王国あっちこっちいけるんだよ。だけど、ギンガレー領のギルド経由しちゃうと、本拠地をみんな、そこにしちゃうんだって」
「それと“冒険者が強くなる”が関係してるんだな」
ちょっと、いや、かなりイヤな予感がする。
取りあえず一服。
「……と思うんだけど。そこのとこはわからない。だけどギンガレーの冒険者達が冒険で手に入れた色んなものを……」
「……なるほど」
ギンガレー領に持ち帰れば、領は潤う。
手っ取り早く産業を起こしたようなものだ。
謂わば冒険者という“人間”を輸出して外貨を稼いでくる。
乱暴に言ってしまえばスイスみたいな感じ――ん?
これ下手すると領の軍事力の向上にも繋がるな。
俺は考えを整理するために貰っていた焼きパンをちぎって、肉と一緒にしてかぶりつく。
うん。
これなら、結構食えるな。
「なぁ、面白いだろ?」
出し抜けにランディが同意を求めてくる。
俺はわかりやすく顔をしかめた。
「話自体は確かに面白かった」
「そうだろ?」
「面白かったが、それをわざわざ俺に言う意味がわからん」
問題はそこだ。
どんなに面白くとも対岸の火事――だからこそかも知れないが――に過ぎない話を、待ち伏せしてまで持ってくる必要があるかだろうか?
だがランディの理屈がいきなり飛躍した。
「そりゃ、カケフが悪い」
「俺!?」
突然の弾劾に声を上げてしまった。
「だってそうだろ? 俺はギンガレー伯のことぐらい知ってると思ってたんだよ」
「お前、話の持って行き方が乱暴すぎる」
当然の主張だと思うのだが、ランディは納得しなかったようだ。
「いいよもう。それでね、王都に来た理由が、ついに王宮でも官位をもらいに来たんじゃないかって」
爵位と官位は連動してたりしなかったり。
どうも、この辺まともに政治をしてるとは思えないんだよなぁ。
“異世界”でも元の世界でも。
実務は官僚連中がやっていて、官位に付くような貴族は私腹を肥やすことに夢中。
時折、有能な官僚が爵位をもらって官位に就く事もあるようだ。
だが、これを含めても――
「伯爵の目的がそうであっても、俺に関係が無いのは変わりないだろ?」
「だから、ここからなんだよ」
そう言うとランディが再び身を乗り出してきた。
俺はそれを押しとどめる。
「普通に喋れ。あと水かなんかないか?」
流石にのどが渇いた。
ランディは鼻白んだようだが、結局水をもらいに行ってしまう。
育ちの良いことで……は、あまり関係ないか。
この段階で予想される展開は――多分アレだな。
俺は携帯灰皿にタバコを捨てると、もう一本取り出した。
それを深く吸い込みながら、ランディへの対応をシミュレート。
対応自体は難しくは無い。
全部を知らぬ存ぜぬで通せば良い。どうせ証拠なんか出しはしないだろうし。
問題はそこから先だ。
元々、今の状態が頭打ちだと感じていたところでもあるし、良い機会だと動いてみるのも面白いかも知れない。
しかしこれが神の差配であれば、これに乗っかるのも業腹だ。
さて――乗るか引くか。