脅すように歌う
まずはムラタの失敗から語ろう。
これは全くムラタらしからぬミスで、現地に到着して、いざその時になるまで“それ”が必要になるとは想定していなかったのだ。
だが幸いなことに、代替え品のアテがあった。
しかもムラタには“壊れスキル”がある。
そのため、あっという間に必要な道具を手に入れることが出来た。
繰り返しになるが、この時のムラタは珍しくノリノリである。
道なき道を進み、想定よりも速く目的の場所にたどり着いた。
これがムラタの“男の子”の部分を刺激してしまったのだ。
だから今、目的の道具をでっち上げたときも、全く容赦はしなかった。
『あ~テステス。諸君らは完全に包囲されている!!』
様式美に則り、いきなり嘘八百から始める。
その嘘八百を叩きつけたのは、ティビーランの子爵邸だ。
こちらも暢気なもので、門番以外は全く防衛の手配が為されていない。
トランヌで押しとどめれば、ここに王宮からの使者が現れるはずが無い、とたかをくくっていたのだろう。
しかし現実として、最悪の相手はここにいる。
これを怠慢と見るか、はたまた王宮が上手と見るか。
とにかく今必要な事は、そのような歴史的な評価を気にかけることでは無いだろう。
特に、子爵邸側は。
「イチロー! いつ包囲したのよ!」
客車の中から、メイルが声を上げた。
今現在、客車の中には5人いて中々の窮屈さ加減だ。
しかもその状態で厳しい道なき道を突破してきたのである。機嫌が悪くなるぐらいで済むぐらいなら、むしろ安く上がった方だろう。
『そうだった! 実は包囲してません! ですが、こちらにはフイラシュ子爵夫人がおわします。このまま邸に立て籠もるようでは、その全員に叛意ありと見なします』
ムラタが立ち上がって、でっち上げた拡声器片手に調子に立ち上がっているのは御者台だ。
客車に入らずに、外に出ていたこともムラタをノリノリにしてしまった原因かも知れない。
横では手綱を握りしめたままのフレッドも上気していた。
ムラタの手綱を取るつもりは全く無いらしい。
『ですが、これからすぐに退去するのであれば、その罪は問いません。猶予の時間は、5分です!』
全く忙しないことではあるが、この場合、時間を与えた分だけ温情があると考えて間違いは無い。
フイラシュ子爵夫人の存在が告げられたのだ。
嘘でも何でも、王国の民ならすぐにリアクションを起こさねばならない。
ましてや、相手はムラタだ。
この期に及んで、ムラタの存在を知らないという惰弱振りでは、地方領主とはいえ、その家臣は務まらないであろう。
実際、三々五々と子爵邸から人影がこぼれだしてくる。
その人影の中に、アーチボルトがいるわけだがムラタはそこまで認識していない。
そして5分後――ムラタはしっかりと、子爵邸を踏みつぶした。
もちろん馬車からは降りている。
そのままスタスタと近付いては、無造作に足踏み。
僅かそれだけの動きで、態度を決めかねていた門番2人が地を這った。
何をされたのかもわからない。
気付けば、地面を舐めている。
ムラタは鼻歌を歌いながら、門番達を一顧だにせず子爵邸の敷地に乗り込んだ。
門番達の意識が保たれている分、これでも手加減はしているらしい。
元より、本気になればいかほどのことが起こるかは……実はムラタにもわかってはいない。
ただ、随分年代物であった子爵邸が、敏感にその“力”を表現してしまった。
3階――つまり最上階――の一角が、屋根ごとボコり、とばかりへこんでしまったのである。
恐らく、これで立て替えは必至だろう。
都合良く一部分の修理で済むかどうかは、現段階ではわからない。
ましてや建築に関して素人であるムラタは、委細構わずに扉を蹴り開けて邸内に侵入。
このまま邸が壊れていくとしても、今のムラタにはそれなりにやることがあるのだ。
邸内には、ムラタに忠告されたにもかかわらず、まだ結構な数の人間がいた。
家具はあちこち倒れ、物は散らかり放題ではあったが、ムラタは構わずに進んでいく。
その内に、倒れている男の胸元を掴んで引っ張り上げる。
同時に、
♪たった一度の人生さ~
と、歌っているわけだが、果たして翻訳スキルが仕事をしているのかどうか。
実のところムラタの“踏み付け”は未だ仕事中である。
この男が、歌詞の物騒さに気にかける余裕があるかどうかは、難しいところだろう。
ムラタは歌を中断して、マウリッツ子爵の居場所を尋ねる。
それに対して抵抗らしい抵抗も見せず、男は素直にムラタの要求に応えた。
やはり翻訳スキルは仕事はしていたらしい。
そして――このような次第と相成ったわけである。
□
「子爵位を、即座に継承して下さい」
「はっ」
マドーラの前で跪き臣下の礼を捧げるアーチボルト。
多分に簡略で、それでいて無闇に儀礼的ではあったが、これで形式的には今からアーチボルトが“マウリッツ子爵”だ。
このようなこと、典儀卿の職務を務める者が知ったら憤怒のあまりあの世行きになるだろうが、幸いなことにこの場には、元・典儀卿しかいない。
「印璽はどこにあるんですか?」
縛られた上で、一塊になって座らせている集団にムラタが笑みを見せながら問いかけた。
すでに、邸内からは退去済みだ。
今は敷地内の一角で青空継承式が行われている真っ最中である。
ムラタの出で立ちは、本人が言うところの“異世界風”でありつまりは、平服。
キルシュを始めとする侍女達は、そのような出で立ちではあるが、その内の3人はキッパリと武装していた。
そして肝心の次期国王は、ジーパン姿では無いものの、乗馬服と随分と勇まし出で立ちだ。
基本的にはパールホワイト中心としたコーディネートで、濃緑のズボン、それに厳めしいブーツであるから、こちらは幾分かは威儀についての配慮が見られる。
ただ、下命を待つアーチボルトの出で立ちが、あまりにも砕けすぎているので、どちらにしろ再度王宮で、しっかりと手続きを踏まえる必要があるだろう。
このままでは、ほとんど野戦任官である。
――いや実際に戦時中ではあるのだろう。
「さっさと解散の命令書が届かないと、要らぬ血が流れます。わざわざ説明する必要は無いと思いますが……家宰はどなたですか?」
ムラタが全員の視線の方向を確認する。
最初から前マウリッツ子爵、つまりフェルディナンドをアテにするつもりはなかったらしい。
実務の責任者を狙い撃ちする作戦は見事に、1人の老人を浮かび上がらせた。
「貴方ですか」
言いながら、ムラタは何のてらいも無く、注目を浴びた老人を吊り上げた。
ムラタの“踏み潰し”にあって、脚を動かすのもままならないようだが、ムラタは一向に気にしない。
それどころか、
「では、この方が絶命する前に印璽をここに持ってきて下さい」
と、無慈悲なことを言い出した。
だが、それを咎めるような、そして止めるような者は誰もいない。
何しろ、その印璽を使って命令書を作成しないことには、ムラタの言うとおり要らぬ血が流れるのであるから。
トランヌで頑張っている子爵領の騎士は、陪臣であり、つまりは制度上は次期国王の下命に従うような理屈が存在していない。
だから、マドーラが戦地に赴いて、
「戦争を止めろ!」
と、やっても止まらないわけである。
むしろマドーラの命令に従わざるを得ない近衛騎士達の邪魔になる。
ムラタがマドーラを相手の懐に飛び込ませる戦略を用いたのは、このシステムを熟知していたわけでは無く、
「多分そうだろうと。あとはノリで」
との証言通り、甚だ不謹慎な胸三寸の推測からではあったが、これが見事に功を奏したわけだ。
だからこそ、この成果を出来るだけ有効に使い切りたいと考えるのも、仕方の無いところだろう。
制度上、次期国王の指揮下に入る子爵に下命する。
その下命を、子爵を通じて麾下の騎士、領民に伝えることが出来れば、一番スムーズに事が進む。
スムーズに進むと言うことは、それだけ被害が少ないと言うことだ。
老人1人の命で購えるなら安くついた部類であろう。
「貴方が指示を出すというなら、止めはしませんが……」
心底面倒くさそうに、ムラタが吊り上げた老人に告げる。
子爵家に仕える、ということならばつい先ほど当主の座も交代になった。
何かイチャモンをつけだしそうな前当主は縛り付けられ、猿ぐつわを噛まされ、その猿ぐつわの隙間から泡をふいて転がっているだけだ。
もはや、家宰である老人がムラタの――引いては次期国王と現当主の命に抵抗する謂われは、欠片も存在しない。
老人は自信の脚の痛みを無視して――あるいは全く気にすることも出来ずに、印璽の保管場所を説明した。
いやそれ以上に、アーチボルトに従い邸から脱出していた、縛られていない自分の配下である執事たちに指示を出しこの場に、持ってこさせる。
それを聞いてムラタは老人から手を離し、自分は拡声器を元の羊皮紙を丸めた命令書に戻した。
もちろん完成してはいないたたき台ではあったが、次期国王の署名が先に入っているという、掟破りの代物だ。
そんな壊れスキルの仕事ぶりを見て、縛られた面々、さらにはアーチボルトも目を丸くするが、とにかく急場である事は間違いない。
求められているのは驚くことでは無く、迅速に仕事を行うこと。
やがて立派に装飾された文箱がこの場に現れると、即座に印璽は押され、仕様の整った命令書は完成の運びとなった。
これによってトランヌでの“睨み合い”は解消されることになるだろう。
……恐らく、1日後あたりに。




