陰謀の帳は開かれた
ムラタは、咥えていたタバコを携帯灰皿の中に放り込んだ。
これから延々と語り続けると、それによって宣言しているようにも見える。
「――目に見える現象だけが、全てではありません。ですが、少し疑問があります」
「なんじゃ?」
「皆さん、浴場が民の“健康と衛生”に有効に働くという点については納得しておられるんですか?」
言った本人であるムラタから逆に問いかけられ、出席者は顔を見合わせた。
言われてみれば、そこからが疑問と言えば疑問だ。
会議において「浴場」の情報をもたらすことになった、子爵すらも首を捻っている。
その反応を見ればわかるとおり、出席者のほとんどが“健康と衛生”については、ムラタに言われたままに受け入れているだけだという事が窺えた。
「……これは最初から始めなくてはいけないようですね。皆さん、よろしいですか?」
座った眼差しで確認してくるムラタ。
それに対しては、流石に声を上げることが出来ない。
会議の主導権が、完全にムラタに渡ることになるのだが、それは甘受するしか無いと覚悟を決めたようだ。
……いつも通りと言えばいつも通りなのだが。
その一方で、浴場建設に関しても主導がムラタにある、という風に皆が受け止めてしまっている。
ムラタがくどい程に出席者とこの辺りを確認したのはそれが狙いであったのだが、そうと気付いているものは少ない。
何しろ、ムラタの腹案では「浴場建設」から始まる流れが、悪辣に過ぎる。
そのため、どこが始まりであるのかせいぜい誤魔化しておく必要があったのだ。
「俺の世界でも最初は、単純に娯楽のため、だと思われていました――皆さんもそうなのでは?」
「あ、ああ。言われてみれば確かに」
リンカル侯が、重々しく頷いた。
この場合、太り肉まで頼もしく見えるから不思議だ。
ムラタはリンカル侯の発言に頷きながら、先を続ける。
「ところが先ほどお話しさせていただいた、俺の世界にあった国についての研究が進みまして。結果、どうやら単純な娯楽以上の意味あいがあったのでは? という考え方が主流となりました」
「ほう」
と、声を上げたのはメオイネ公だ。
「好きさ加減が異常だったんですよ。いや異常に思えた、と言った方が正しいんでしょうね。何しろ砦にまで浴場作ってしまったんですから」
「砦に? わざわざか? 温泉も無しに?」
「はい。温泉のあるなしは関係ありませんでした。ある程度人が集まる場所では、何はなくともまず浴場、と言うぐらいの勢いで」
「それは……」
異世界の人間達が引いている。
「で、その理由を調べていくと、浴場には娯楽以上の理由があった。それがつまり――」
「――“健康と衛生”か」
何故か苦々しげに、メオイネ公が呟いた。
「……しかしそれは正しいのでしょうか? どうにもピンと来ませんが」
「おや、ギンガレー伯」
首を傾けながら、ムラタがにこやかに応じる。
「伯に疑われては仕方ありません。この点についてもう少し説明させていただきましょう。この浴場建設にこだわった国がどういうものであったかを――」
その国と言うのは、言うまでもない事ではあるが「ローマ帝国」である。
ムラタに手によって脚色され、如何にも地球規模で反映した大国のように表現されたが、実際は欧州規模だ。
それはそれで凄い事は間違いないのだが、ここでパルティアや漢という別の大国の名前を出してしまうとややこしくなるから、ムラタは意図的にそれをカット。
一方で、ローマ帝国が分裂した以降、どういうことが起こったのかを語り始めた。
それはつまり……
「……暗黒時代、じゃと」
「別に、他から悪口言われたからでは無いんですよ。自分たちで、そういう区分をしてしまったんです。それほどに、大国を失ったその地方は荒んでしまった」
ムラタが首を振りながら応じる。
そこから始まるのは健康の大事さ、よりも衛生に気を配らなかったことで何が起こるかという説明。
簡単に言ってしまえば、疫病の存在だ。
それに加えて、排泄物に対する意識の低さも問題だろう。
基本的に、香りで誤魔化す、というぐらいが精一杯なのであるから、これがまた疫病を蔓延させる一因である事は間違いない。
「……とまぁ、こんなわけでしてね。元の国と暗黒時代で何が違ったかと言えば……」
「浴場、なのか?」
「さっさと気付け、と言いたくもなりますよね」
ムラタが肩をすくめる。
もちろん、今回も宗教に関してはオミットだ。
これを語り出すと本気で面倒になる上に、基本的にムラタは宗教に対して否定的だ。
「ですが、衛生面に関して浴場の果たした役割というのははまず間違いないでしょう。それがひいては健康に繋がるというわけで」
「うーむ。なるほどなぁ」
「しかしこれが、善行で無くてなんなのだ?」
メオイネ公が納得を見せる一方で、リンカル侯が疑念を露わにする。
かつての政敵は、いいコンビになるつつあるのかも知れない。
「え? だって民が健康になれば、それだけ税を回収できるでしょ?」
「……お主……」
「健康でアレコレと金を使って貰えばそれだけでこっちの懐が潤うんです。単純に“良いこと”だと考える方がどうかしてますよ」
何とも名状しがたい気分に包まれる一同。
どうにも、ムラタが根っ子の部分で歪んでいるとしか考えられない。
「衛生面に関しても同じ事です。疫病予防にある程度効果が認められるわけで――しかも民の金で」
「え? 無料ではないのか?」
「当たり前です」
メオイネ公の疑問にムラタは眉根を寄せて宣言する。
「施設の運営だけで、いかほど費用がかかるか。きっちりと回収させていただきます」
「なるほど、それなら……」
リンカル侯が深く頷いた。
「ですが……それでは民に浸透しないのでは? それに一番衛生に気を付けるべき民に……」
流石にギンガレー伯が矛盾に気付いた。
だがムラタは慌てることなく、こう答えた。
「あ、それは水の入れ替えの時に、廃棄される水に利用許可を出す目算です。ここは無料ですね。元々廃棄予定ですから」
「それは……大丈夫なのだろうか?」
「そこで、次に考えるのはお風呂に入ることに付加価値をつけることです」
「フカ……価値?」
翻訳スキルが半端に仕事をしたようだ。
ムラタが、それを確認して細かく説明を続ける。
「浴場に向かうことが、単なるお風呂に入るだけ、となればそれを嫌がる民も出てくるでしょう。つまりお風呂に入ることが“娯楽”だと錯覚させれば良いんです」
「うん? 元に戻っては……いないのか」
ギンガレー伯が複雑さを増したムラタの説明に首を捻る。
それは他の出席者も同じだ。
最初に娯楽だと考えることを否定された。
それは、ムラタの悪辣さもあって、しっかり理解する事になった。
しかし、ここに来てまたもや“娯楽”である。
ただ、錯覚させる、という点がいかにもひっかかる。
「いっその事、最初は無料で開放してしまうのもありでしょう。そこでお風呂に入ることを娯楽だと認識させる。もちろんお風呂だけが楽しみではなく――」
ムラタはそこでお風呂以外の施設の説明を始める。
浴場はもとより、サウナやマッサージ。あるいは冷水浴。
そして談議室。
民がくつろげる空間――これが大事だとムラタは主張する。
「……恐らくはここが肝です」
「……そうだろうか?」
「民の不満が、ここで軽減されますし、情報収集にも最適です」
「……それでまた、税収を増やすと」
流石にメオイネ公も学習したようだ。
ムラタも特に反論せず、ニヤリと笑うだけに留まった。
そのタイミングで声を挙げたのがマドーラだった。
「……それでは浴場建設については問題ありませんか?」
「う、う~む」
「確かに、いきなり浴場建設と言われた時よりは納得出来るものがありますな」
大貴族からは消極的賛同が得られたようだ。
だがマドーラはさらに言葉を尽くす必要を感じたらしい。
あるいは元々、その予定であったのか。
「浴場建設にあたっては、王国全土からの協力が必要です。それもまた必要で効果的なことらしく……」
どうにも的を射ない発言だったが、ここまでの流れで察しはつく。
建設にあたって、またも金が動くことになる。
それが王都近辺のみならず王国全土ということになれば、確かに内需拡大の可能性も見込まれた。
そしてそのための資金ということになれば、そのアテはしっかりあるし、ムラタの言葉を信じるのなら回収も見込まれる。
もはや子供の思いつきで片付けるわけには行かなくなってきた。
――それにだ。
ムラタが気付いているのか居ないのか。
王に従え、と強権を発動させる可能性もあるということだ。
ムラタという圧倒的な“暴力”を“権威”で飾り立てて、遮二無二諸侯に協力させる。
現状では、これに抗いたくはない。
先にムラタのマウリッツ子爵を片付けたいという発言を耳にしたばかりだ。
となれば、これ以上マドーラの言葉に難癖をつけるのも問題か。
そんな風に会議室の空気が、まとまり始めたところで不意にムラタが声を上げた。
「その件では、ギンガレー伯。貴方に格別なるご協力をお願いしたい」
「は! は、は?」
――いよいよ陰謀が姿を現し始める。




