頑張るマドーラ
マドーラの発言は、見事に会議室の時間を止めた。
しかしそれも無理は無いだろう。
いきなり“お風呂”では、戸惑うのも無理は無い。
マドーラは周囲の空気の変化を感じて、言葉を継ぎ足した――ムラタを巻き込みつつ。
「あ……お風呂では無くて――浴場でしたか?」
「こっちの言葉がどうなってるのか、俺に尋ねるな。あーっと、メオイネ公。よろしいですか?」
玉座の影に控えたままのムラタから声が発せられる。
「う、うむ」
「すいません。年長者に尋ねるのがよろしいかと思いまして。他の方も思い当たる事があれば、助けて下さると助かります」
出席者が不気味さを感じる程の腰の低さ。
それに、立ち位置がどうにも気に掛かる。
「……基本的な発想はマドーラからなんです。俺はそれに“異邦人”の知識を使って、形にしただけでしてね。もちろん、有用な企画だとは判断した上で、ですが」
「なるほど……うむ。状況は理解した」
メオイネ公が深く頷いた。
「お主の使う言葉が、こちらで通用するか判断せよ、ということじゃな」
「出来ますれば訂正して下さると助かります。何せマドーラの発想という物が、完全に俺の想定外でしてね。それでいて、俺の知識には引っかかるという難物」
ムラタが眉を潜める。
メオイネ公もしかめっ面でそれに付き合った。
「確認じゃが、その知識が“異邦人”のものであることは間違いないのじゃな」
「ええ。それも世界の全てを版図に収めたとも言われる大国の知識にね。前から感じていましたが、マドーラは……」
そこで言葉を止めるムラタ。
皆が訝しげな表情を浮かべる中、ルシャートだけが喜色を浮かべている。
ムラタが止まった理由を察したのだろう。
マドーラは時に、ムラタを上回る。
あの“埒外”で傍若無人そのものの存在を凌駕するのである。
マドーラに忠心を捧げるルシャートであれば、心が浮き立っても仕方ないだろう。
「……ですから、マドーラの言葉が追いつかないのは年齢のため。俺が追いつかないのは“異邦人”であるため。そう理解いただければ幸いです」
「それは承知した。して“お風呂”とは、なんですかな……ああ、殿下?」
メオイネ公が、空気を読んだのかマドーラに話しかける。
マドーラは頷いて、自らの言葉を確認するように語り始めた。
「基本的には大きなお風呂を建築する計画です。貧民街が小さくなりましたし、そこを有効に使おうと考えました」
そのマドーラの言葉に出席者が頷きで返す。
無人の区画を放置するのは、もったいない、と同時に治安の観点からも問題があるからだ。
再開発については、以前から議題に上ってる。
「場所が場所ですから、ここに新たに住宅だけを作っても元に戻る可能性があります。そこでまず場所の価値を上げようと考えました」
確かにマドーラの言葉には拙さを感じてしまう部分が多いが、充分意味は伝わる。
つまりは新たな施設を建設し、貧民街であったというマイナスなイメージを払拭しようということだろう。
上手く行けば、第二の商業街――この場合はレジャー街になるが――を作り出すことが可能だ。
いや、その前に――
「建築にあたって、民に注文をすることになります。それが王都に新たな熱……熱狂……とにかく盛り上がりをもたらすことになります」
少し言葉の選択に迷う事になったが、これも無事伝わったようだ。
要は、公共投資により景気の底上げである。
その方面の職務を預かる内務卿たるメオイネ公と、財務卿たるリンカル侯が思わず呻いた。
ここまでのマドーラの提案について、批判するべきとろが無かったからだ。
別に計画を取り下げさせる必要もないわけだが、流石にこれが“女の子”のアイデアというのはどうにも、釈然としない。
それも、両者が傀儡と祭り上げようとした存在であるという事実が、何とももどかしい。
「……それと、ここから先は私の望み……ええっと……」
「“希望的観測”」
「そうでした。希望的観測なんですが、貧民街にいるのは農民だけでは無いと思うんです。そういった者たちに仕事を与えることで、さらに貧民街を小さく出来るんじゃ無いかと……考えます」
途中、ムラタのフォローがあったがこれもまた頷くべき部分が多い発言であった。
もはやメオイネ公、リンカル侯だけに留まらず、会議室全体がマドーラの言葉を待ち受けていた。
貧民街に住んでいるのは当たり前の話だが、食い詰めた農民ばかりでは無い。
マドーラが言及したとおり、都市部の営みから弾き出された者――その理由が自業自得であったとしても――も、貧民街には住んでいる。
あるいは、何としても農民に戻りたくない者も。
そういった住人に対しても手を差しのばさなくては、貧民街の整理は進まない。
「――殿下。少しよろしいでしょうか?」
そんな中、リンカル侯が手を上げた。
それに対して、身を固くするマドーラ。
やはり、まだまだ会議において積極的に発言するのはハードルが高いらしい。
そんなマドーラの玉座の横に、メイルが進み出た。
メイルはグッと握り拳を握って、マドーラに掲げてみせる。
それを見たマドーラもまた、ギュッと拳を握った。
「――はい。リンカル侯。何でしょうか?」
「ありがとうございます。一つ、質問がありまして」
「伺います」
「この度の建築が終了した場合、再びあぶれる者が出てくることになるはずですが……この問題にも何かお考えがおありでしょうか?」
「しばらくは、新たな建築を続ける、ということになるかと思います」
リンカル侯の問いかけに、マドーラは即座に応じた。
どうやら、リンカル侯の質問については予測済みだったようだ。
「しばらく?」
「はい。そうやって建築出来る人を育てます。その頃には、立て直し続けていた農村でも必要されるようになっていると思われるんです。ええっと……」
「“需要”」
「ああはい、それです。そういった物が発生してるはずですから、改めて移住を呼びかけます。もちろん、王都に残る人も出るでしょうが、その時には貧民街に住む必要は無くなっているのではないかと」
この見通しは、流石に希望的観測が過ぎるかもしれない。
だが、まったくの机上の空論でも無い。
ここからさらに手直しを続けなければならないが、方向性としては正しく思える。
だが……
「殿下。感服いたしました。まだまだ改革が実行中の中で新たな問題点を見出し、それに対する案も講じて下さる。これが中々出来ない物ですが、いやお見事でございます」
メオイネ公が賞賛する。
いささか、慇懃無礼とも思われる程に。
「――だが、そうなると疑問が出てきてしまうのです。何故“お風呂”なんでしょうか?」
そう。
問題はそこだ。
これに対してマドーラは沈黙してしまう。
それはそうだろう。
言うまでもない事だが、元々は「広いお風呂に入りたい」という、甚だ個人的な欲求から始まっているのだ。
その欲望に、色々糊塗して、真っ当な形に見えるように細工はした。
だが発端がズレているので、どうしたって無理が出てきてしまう。
マドーラの提案は、多くの面で優れた部分が見られる。
王都で公共投資を行おうとしている部分などはその最たるものだろう。
だが、その投資によって“お風呂”を建築しようと最初から決めてかかっている部分が厳しい。
「――それはですね。私に責任があります」
今までマドーラのフォローに徹していたムラタが割り込んできた。
「お主が?」
「はい。新たな建築が必要だ、とマドーラから相談されましてね。俺としてはマウリッツ子爵の方を先に片付けたかったんですが……」
「う、うむ」
メオイネ公が戸惑いながら、相槌を打つ。
「それでですね。あまり検討もせずに俺の知識にある建物を挙げていったんですよ。その中に浴場があったわけです――これ、通じてますか? 恐らく未知の単語では無いと踏んでるんですが」
そのムラタの言葉に、顔を見合わせる出席者達。
やがて、南方――“大密林”に程近い場所に領地を持つ子爵から声が上がった。
その子爵の領内に活火山があり、要は温泉が湧いている。
王宮に集められた情報の中には、それを利用している、との記録が残されており、ムラタが「浴場」という言葉がすでに成立していると考えたのも、そのためだろう。
その子爵から説明され、出席者が“お風呂”ではなくて“浴場”へと脳内予想図を刷新していった。
だが、それでも問題は残ったままだ。
有り体に言って「それがどうした」レベルの刷新であったからだ。
ムラタも、それはわかっていたようで、さらに説明を続けた。
「俺も最初はマドーラが浴場を建築する考えを示した時、難色を示しました」
「それはそうだろう。王都の近くに温泉が湧いている場所は無い」
自分で引き込みたいと考えたことがあるのか、リンカル侯が自信満々に告げた。
だがムラタは、それに動じること無く先を続けた。
「ですが、そこから真剣に検討してみると……あるいは浴場建設も悪くないのでは? と思い至りました」
「何じゃと?」
今度はメオイネ公が声を上げた。
もちろん、他の出席者も同様だ。
――いつの間にかムラタのターンになっていることに気付かずに。