破滅への準備
そのムラタの笑顔に対して、どう対処すべきか?
ノラはとっさに表情を選べなかった。
ムラタの推測がほとんど正解であるだけ尚更始末に悪い。
ノラが報告を受けた分だけで判断すると「ガーディアンズ」が崩壊の危機に陥ったのは自業自得の面が強い。
ムラタは要求に従って、あの家を用意しただけだ。
それに対してどのように接するかは、当人達の問題。
ムラタが積極的に身を持ち崩すように誘導したわけでは無い。
それなのにロームは何故か「ムラタのせい」という前提で情報収集に努めていた。
その
原因はどうやらルコーンであるらしい。
基本的に、ムラタは信用できないというルコーンの判断があり、ロームはそれに影響を受けたようだ。
そんな有様では、どうしたって都市部での情報収集に向いていない。
情報に接した時に、客観性が確保できなければ、もの役に立たないからだ。
“大密林”では。疑うこと無く優秀であるのだろう。
何しろ最高位だ。
しかし先入観が強すぎる。
結果としてムラタに救われる形となった崩壊の危機を、簡単に受け入れることが出来なかった。
具体的に何があったのかまでは流石に分からないが、つなぎを取るために接触してきた時、憑き物が落ちたような状態であったらしい。
その後、ロームにいかなる変化が訪れたのかはわからないが、あの状態は確かに、
「ムラタが女性に嫌われている」
という状態から生じたものだろう。
――となれば自分は? そしてルシャートは?
と考えてしまうのも当然の帰結であるが、自分は好き嫌いで物事を判断する事は悪手だと知ってるし、ルシャートに至ってはそういう立場でも無い。
あるいはムラタが、距離感を保とうとするのも、そんな自分の性質に確信があるからなのだろう。
だから立場の関係無い状態での接触――つまり心の内をさらけ出すような――を忌避している。
そこまで推測が進めば思い起こされるのは次期国王についても……
ノラはようやくのことで首を振った。
そして、グラスを呷る。
どちらにしろ、こに場で何もかもを済ませるわけにはいかないだろう。
それにムラタからは想像以上のサービスを示されたことでもある。
「……わかったよ」
ノラは覚悟を決めた。
これ以上、ムラタととりとめの無い話を続けるのも建設的では無い。
となれば、次にやるべき事も決まっていた。
「君からの要求を聞くしかなさそうだね」
「やっと話が俺の望む方向に進んでくれましたね。ここから先は具体的に行きましょう」
ノラの胸中を読んだかのようなムラタの言葉。
生じた動揺をノラは表情を変えずに噛み殺す。
この段階で、ムラタ相手に隙を見せるのはどう考えてもマズい。
「……とは言っても基本的には王都全域での情報収集をお願いします」
「大きく出たね」
「この辺り、ルシャートさんにも必要だと思います。欲を言えば国全体……」
「それは無茶だ」
ムラタはすぐさま頷いた。
「この辺りはピンポイントで情報収集をお願いすることになるかと。これなら不可能じゃ無いでしょう?」
「その聴き方では、否定するのも難しいよ」
「さっきの短剣を有効に使えば、脅すことも出来ますし」
ノラは仕方なく頷いた。
やり過ぎれば反発を招くが、その辺りを加減すれば手駒が増えるのもまた確実だ。
ただ、さらに有効に使うのあれば必要なものがある。
「――資金は?」
「王宮でいくらかは用立てることが出来ます。ただそれに関しては、ちょっとアイデアがあるんですよ」
ノラの顔から笑みが消えた。
「良い話風に言わなくていいよ。それが君の本命絡みだね」
「見抜かれましたか」
「君にしては、単純極まりない手口だよ――騙すつもりは無かったんだろうけど」
むしろ、自然にこういうアプローチを選んでしまう分、ムラタの業の深さが窺える。
「では、直接的に。騎士団を脅かした“例のアレ”」
「やはりか……」
予想していたとは言え、ついにムラタが口に出してしまった。
「以前に俺が言った方法は?」
「そんなに上手くは行かないよ。それらしい物を作っている連中を調べているぐらいだ」
ムラタが提案した方法とは、
――婦人が喜ぶ架空の人間を作り出す。
である。
ムラタのいた世界では、むしろこっちの方が入り口になるのだが、それを主張してもどうしようも無い。
何しろ、印刷に似た手段は魔法に因るもの。
それだけに流布までのハードルが高い。
さらに架空であるものを自ら作り出すことのハードルも高い。
劇作家という職業も成立しているが、それはあくまで「劇」のための台本であって、単独で広まるものでは無い。
むしろ“それらしい物”が出現している事が奇跡に近しい。
「……それは今すぐでは無いですが大事にした方が良いですよ。最終的に金の成る木になる可能性もありますから」
「その最終的、の前を詳しく聞きたい物だね」
「大丈夫ですよ。そっちでも儲かるはずですから」
「確かに資金は大事だが……それで王都が混乱するようじゃ」
「それは、王宮と連携して何とか防ぎましょう。いや……」
どうにもムラタの言葉がどこまでもあやふやだ。
どうやら、自分の計画に確証は無いらしい。
そんな状態でノラに仕事を振るのだから――あれだけサービスの先払いも必要になるだろう。
「やはり重要なことは情報収集ですね。それもノラさんはすでに動いている」
ムラタが確認するかのように、同じ要望を口にした。
だが、一向に話し合いが形に成らない。
「……君は“例のアレ”を放置するべきだと考えているのか?」
ノラは根本的にズレがあるのか、それを訝っても仕方が無いだろう。
だがムラタは、すぐに首を横に振った。
「あれは完全に俺の誤算です。本当に沈静化を望んでいるんですよ。それも間違いありません」
「では、情報収集は取り締まりのためかい?」
「それをやると泥沼化します。ああいった趣味を持つご婦人に、自重を促す。これが取りあえずの俺の目標です」
ノラは顎に手を当てた。
「……以前、聞かなかった提案だね?」
「そうです。この自重を促すためには、ある程度の破滅が……」
「ある程度の破滅……そのためのスキルまで壊れたのかい?」
話せば話す程、ドンドン混沌へと導かれてしまう。
その点はムラタも同じ思いらしく、フゥ、と息を吐いた。
「――順番に行きます。まずギンガレー伯を“例のアレ”の生贄に差し出します」
「…………」
ノラとしてはこの時点で、制止したかったが、いちいち止めていてはどうにもならない事は学習済みだ。
「これが自然発生であれば助かるんですが、その辺りは賭けです。ただ俺の知識では、必ず出現します」
「発生しなかったら?」
「そこから始めると厄介なんですが、こっちで面倒みるしか無いですね」
ノラはますます瞳を昏くしているが、何とかその一言で堪えることができた。
「あとはその発生したご婦人に十分な手助けを。会誌の流布に対して庇護を与えても良い。しっかりと成長させて下さい――複数であれば問題ないんですが」
「それじゃ逆……いや」
ようやくのことでムラタの狙いがノラにも見えてきた。
無闇に押さえつけないで墓穴を掘るのを待つ――この手口だとするなら、確かに沈静化を目指しているという言葉にも頷ける物がある。
だが、この手口では……
「……細かいところはいいだろう。それからどうするんだい?」
とにかくノラは、ムラタの計画を最後まで語らせることを優先した。
「助かります。ですがあとはそんなに無いんですが。充分に育った段階で、ギンガレー伯を中心とした会誌内の派閥に内部分裂を起こさせます」
やっぱりか、とノラは頷いてみせるが、やはり問題は据え置きのままだ。
つまり、如何にして分裂を発生させるか、だ。
元々、趣味が高じて形成された集団だ。
利害関係で揺さぶるという、通常のやり方では効果があるのかどうか――そこがあやふやになってしまう。
そして、内部分裂を起こせない場合を想定すると、あまりの被害に……
「あ、そうか。この段階で被害者はギンガレー伯になっているわけだ」
ノラは、そういった構図にようやく気付くことが出来た。
“例のアレ”を恐れ過ぎて、何もかもを一緒にしていた。
そして、ギンガレー伯に関しては、今やムラタに任せても問題は無い。
「……ノラさん。俺の依頼は終わってないんですよ。それに破滅の先に利益を独占する方法も教えてるのに」
ノラが、そこまで至った事に気付いたのだろう。
ムラタがすねたように応じるが、ノラはすでに解放されている気分だ。
確かに、仕事としては厄介だが、すでにムラタからの“お墨付き”がある状態なのである。
決して不可能では無い。
となれば、あとは純粋にムラタの計画に興味があるだけ。
そのムラタが、宣言通り、計画を最後まで語り終えた。
それはどうにも、理解不能な現象が起こることを前提とした計画であったが、確かに上手くいけばムラタが言ったような状況になる可能性がある。
問題は――
「……人死にが出ると?」
「本気でその危険性はある――らしいですよ」
ムラタが、こんな風にいまいち頼りないところだろう。
だが方向性も見えたし、資金的にも問題はなさそうだ。
何ろムラタは王宮を掌握しているしているのだから――なにか順番がおかしい気もするが。
結局、ノラは頷いてまずは組織をまとめにかかることになった。
何事にも準備は必要だ。
――破滅の準備というのもおかしな気はするが。




